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.第11章 祖父母と孫

272 敬老の日(2)

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 乾杯を済ませると、誰からともなく孫世代と親世代に別れて飲み食いを始めた。
 健人兄は久々に会う翔太くんに声をかける。

「久しぶり。翔太くん、そろそろまた進路考える時期じゃない? 次は? 就職?」
「いや。教授の知り合いのところで研究続けさせてもらうことになった」
「え、すごい」

 淡々と答える翔太くんに、私が目を丸くする。健人兄も「へぇ」と感心したような声を出して身を乗り出した。

「ってかさ、詳しく聞いたことなかったけど、翔太くんってどんな研究してんの? 分野、何だっけ。数学?」
「うん。射影的代数多様体と位相理論の類似性について」

 翔太くんの言葉に、健人兄が眉を寄せる。

「……I peg your pardon?」
「It means you want in English?」
「いやすみません多分何語で聞いても分かりません」

 得意の英語で問うても即座に英語が返って来たので、健人兄は慌てて頭を下げた。
 栄太兄が横で苦笑する。

「ほんまやな。聞いても分からんことだけは分かったわ」

 翔太くんはそれを聞いて肩をすくめた。

「代数多様体の一環だよ」
「代数幾何学ってこと?」
「うん、まあ」

 悠人兄が言った言葉すら分からない。私と健人兄は顔を見合わせて、互いに理解できない分野だと分かり合うように頷き合った。
 不意に、翔太くんの視線を感じて見やると、黒い目でじっと私を見つめてきている。

「え、と? 何かな?」

 戸惑って目を泳がせると、翔太くんはうーんと首を傾げた。

「……礼奈ちゃん、何か……」

 翔太くんは口元に手を当てて考えるようなしぐさをする。

「……変わったね。なんていうか……綺麗になった?」
「えっ!?」

 私は思わず顔を手で覆う。健人兄が噴き出して、朝子ちゃんが「今さらその話!?」と眉を寄せた。翔太くんが首を傾げる。

「え? 何かその話してたっけ?」
「だから――栄太兄と、礼奈ちゃんが――」
「……え? あ? そうなの?」

 ぱちぱちとまばたきをすると、翔太くんは心底驚いたような顔をして私と栄太兄を見比べた。

「え、全然知らなかった。いつから?」
「はぁああああ、もう、だからぁ」

 朝子ちゃんが呆れ切っている。私は苦笑して、栄太兄も「説明せんでええ」と嫌そうに言った。
 翔太くんがきょとんとしたまま、「え、何でよ。教えてよ」と悠人兄を見やる。

「悠人くんは知ってたの?」
「うん、一応、知ってた」

 なぜか照れ臭そうな悠人兄は、ちらっと栄太兄を見て、満足げに笑った。

「スーツ着て、バラの花束持ってるの、映画みたいだったよ」
「えっ? 悠人くんも見たの?」
「いや、家族全員家にいて――」
「え、ちょっと待って。家に? 家にスーツで花束?」
「だからその話はすんなて言うてるのに……!」

 栄太兄が頭を抱える。何ということ。天然こそ一番手ごわい。
 私はあれこれ訊かれる前に、さりげなくその輪を抜け出すことにした。
 食卓の椅子に座る祖父母の横に席を移動する。

「あら、いいの? 礼奈」
「いいの。ここがいいの」

 祖母の腕に腕を絡めると、ふにふにした手に触れる。伸びた皮膚の感触が気持ちよくて肌触りを楽しんでいたら、「やぁね、歳を取るとしわしわで。礼奈の肌が羨ましいわ」と頬を撫でられた。

「でも、私は、おばあちゃんの手、好きだよ」
「あら、ありがとう」

 ほのぼのした会話を楽しんでいる間にも、栄太兄の周辺がわやわやと騒がしくなっている。

「俺、勤務明けで半分寝てたから、栄太兄が何て言ってたか覚えてないんだよね。健人、聞いた?」
「えっ、告白もみんなの前で?」
「だからもうええて! その話は終わりや!」
「えー、どうして。いいじゃない」

 そんな声が聞こえていたと思ったら、不意に父が立ち上がったのが見えた。

「よーし栄太郎、助けてやろう」

 栄太兄がそれを聞いて、ますます嫌そうに顔を引きつらせる。

「いや……ええて……政人はあかん……」
「何言ってんだ。その包囲網から抜け出す手伝いをしてやるってのに」

 父は言うと、栄太兄のグラスを手にして立つよう指示した。栄太兄は私と父の顔を見比べて渋々立ち上がる。

「さて、2階に行くぞ。聞きたいことがあるからな」
「うわ、それ怖。父さん容赦ないね」

 父の言葉に健人兄が笑う。そのやりとりを見ていた隼人さんがぱっと顔を上げた。

「え、じゃあ俺も行く。香子ちゃん、これ持ってくね」

 そう言うと、一升瓶片手に二人の後を追う。
 居間を出て行った3人を追って、「俺も~」と健人兄が行きかけたけど、「お前はここにいろ」「そうそう、今日は先輩に譲ってね」と父だけでなく隼人さんにもやんわり言われて、渋々その場に残った。

「父さん、何聞くつもりだろ」
「何って、そりゃナニでしょ」
「ナニ……?」

 悠人兄が健人兄の言葉に首を傾げている。私はあんまり聞かない方がいい気がして、意図的にその会話を耳に入れないように祖母を見た。

「おばあちゃん、食べた? お寿司、持ってこようか」
「ううん、いいわ。お腹いっぱい。今日はよく食べた」

 祖母はそう言ったけれど、言うほど食べたようには見えない。
 段々と華奢になっているのは祖父だけではなく祖母もなのだと、気づいてはいたけれど少し胸が苦しくなる。

「おじいちゃんは?」
「いい」

 祖父は短く言いながら首を横に振り、机に手をついて立ち上がろうとする。
 それが大変そうなので手を差し伸べると、祖父は私の手を支えに立ち上がった。

「少し、疲れた。休んで来る」
「あら、じゃあ私もそうしようかしら」

 祖母がそう言って席を立つ。さっとそれを助けたのは朝子ちゃんだった。私と顔を見合わせてにっこりする。

「おばあちゃん、どこ行くの? 寝室?」
「うん、おじいちゃんも休むそうだから」
「分かった。じゃ、私も一緒に行くね」
「ありがと、ありがと」

 手を貸して、祖父母と一緒にゆっくり歩く。祖父母の寝室は階段下の和室で、昔は布団を敷いていたらしいけれど、何年か前にベッドを置くようになっている。
 祖父母をそれぞれのベッドに寝かせると、朝子ちゃんと一緒に居間へ戻った。

「栄太郎お兄ちゃん、どう? 優しい?」
「え、あ……うん」

 頷いて、そのままうつむいた。頬に熱が集まってくるのが分かる。
 朝子ちゃんはくすくす笑った。

「可愛い反応。ほんと、よかったね」

 言われて、思わず戸惑った。
 でも――朝子ちゃんだって、栄太兄のこと――
 思ったのは、伝わったのかもしれない。朝子ちゃんは笑って首を横に振る。

「礼奈ちゃんの気持ちと、私の気持ちは違うよ。――私のは、ただの憧れ」

 ほんとに?
 でも……もしかしたら……

 ちゃんと問いたい気もするけれど怖くて、何も言えずにいる私を、朝子ちゃんが抱きしめてくれた。

「私も、嬉しいんだ。礼奈ちゃんと栄太郎お兄ちゃん、すっごく幸せそうだから。二人とも、私の大好きな人だから。――よかった」

 その温もりに、思わず目に涙が浮かぶ。「やだ、泣かないで」と朝子ちゃんは私の背中をさすってくれて、私はこくこく頷きながら、朝子ちゃんに抱き着いた。

「朝子、礼奈ちゃん、大丈夫――」

 がちゃ、と開いた居間に繋がるドアから、香子さんが顔を出し、私と朝子ちゃんを見て驚いた顔をする。
 そして微笑むと、何も見なかったように居間へ戻って行った。

「戻ろっか、礼奈ちゃん」
「うん」

 差し出された朝子ちゃんの手を取って、居間へと向かう。
 これも、私の大好きな、大切なイトコの手の温もりだ――そう嬉しく思いながら。
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