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.第10章 インターン
269 インターンの翌日(4)
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栄太兄は本当にマッサージが上手かった。最初はどぎまぎと緊張していた私も、全身を解されていくうち、またうとうととまどろみに飲まれそうになっていた。
くったり力が抜けたまま、目を閉じてははっと開ける私に気づいたのだろう、栄太兄はくすりと笑って、「寝てもええで」と優しい声で言う。私は「うん……」と頷きながら、ふと口を開いた。
「栄太兄……昨日は、眠れた……?」
「うん?」
こないだ、泊まりに来たとき、全然眠れなかった、と言っていたのを思い出したのだ。昨日は私も知らないうちに眠っていて、ふと気づいた時にはもう朝だったから、栄太兄がどうしていたかは分からない。
「ベッドで寝たの……?」
「まさかやろ。向こうの部屋にマット敷いたで」
「……そっか」
なんだかちょっと残念に感じて、唇を尖らせる。栄太兄がくすりと笑った。
「何や、一人で寝るのが寂しいのか? うちのおひいさまは」
大きな手が頭を撫でる。その温もりに目を閉じて、「うん……」と頷く。
「栄太兄が……いっつも一緒だといいのになって……思ってる」
ぽつりぽつりとそう言いながら、インターンの毎日を思い出す。
別世界の物語に、急に自分が放り込まれたような心細さ。でも、それはきっと、社会人ならみんな経験していることなんだろう。
――栄太兄だって。
「……栄太兄が……もっと近くにいたら……お疲れさまって、言ってあげられるのに……」
転職して、まだ半年。慣れないこともたくさんあるはずだ。緊張するときもあるはず。
それでも、栄太兄は私の前で笑顔を絶やさない。礼奈、って、優しく呼んでくれる。あたたかく迎えてくれる。
それはすごく幸せなことで、同時に、ちょっと不安だった。
「……栄太兄は、どこで、癒されてるのかなって……」
私は、疲れを栄太兄に癒してもらった。励ましてもらって、がんばろう、って思えた。けど、栄太兄は? どうなんだろう。
栄太兄が私の背中をポンと叩く。「少し楽になったか」と言われて、「うん……」と顔だけそちらに向けた。
「ほなら、これでおしまい。ええな?」
私を見下ろす優しい笑顔。
身体の力が緩んだからか、心が剥き出しになったからか。
ぎゅう、と胸が締め付けられる。
「……おきられない」
「眠いか? なら、このまま寝とき」
「ひとりは……やだ」
重い身体を、ゆっくり横に転がす。広げた腕を、栄太兄に向かって伸ばした。
ゆっくりしたその動きすら、ひどくけだるく、重く感じた。
「栄太兄と……いっしょがいい」
栄太兄は困った顔で私を見下ろして、考えるようにちょっと顔を背けて、それから、深々とため息をついた。
「……ほんとに……うちのおひいさまは……」
――わがままでごめんね。
心の中でそう言って、口にも出そうと思ったのに、身体の動きは隅々まで緩慢で。
私が言葉を紡ぐよりも先に、ふわりと身体を抱きしめられた。
「……可愛いが過ぎるねん……苦しいわ」
くるしい? くるしい、って、なんで?
栄太兄の温もりに身を任せ、胸元に頬を摺り寄せる。
あれ、知ってる。この感じ。
いつだかも、こうして身を摺り寄せたような気がする。
ああ、そうだ。初めて泊まった日――
覚えていない、と思ったけれど、確かに私は、この感触を知っている。
私より硬い身体。ごつごつした首元。優しいぬくもり。
どくん、どくん、と力強く響いてくる鼓動。
その鼓動は少し、速いような気がした。眠りに落ちる直前の私よりも、よほど、速い。
栄太兄も……少しはどきどき、してるのかな……。
そう気づいたら、幸福感が一気に胸に広がった。嬉しくなって、ふふふ、と笑って、栄太兄の身体に腕を巻き付ける。なんだかそれだけじゃ物足りなくて、えい、と冗談めかして脚もひっかけた。
栄太兄が「こら、動けへんやん」とうろたえる。「いいの」と私は口の中で答える。
動かなくていいの。このままでいいの。
このままでいて欲しいの――このまま――えいたにいと――いっしょに――
これ以上ない幸福感に包まれたまま、私はまたすやすやと眠りに落ちた。
栄太兄は私が眠っている間じゅう、ずっと私の頭を撫でてくれていて、それを意識の片隅で、ぼんやり感じていた。
しあわせだ。
わたしは、えいたにいといっしょにいられて、しあわせ――
インターンで感じた複雑な感情は、すっかりどこかへ洗い流されていた。
これでいい。これでいいんだ。私とあの世界は合わない。私がいるべきはここ――栄太兄の腕の中だ。
くったり力が抜けたまま、目を閉じてははっと開ける私に気づいたのだろう、栄太兄はくすりと笑って、「寝てもええで」と優しい声で言う。私は「うん……」と頷きながら、ふと口を開いた。
「栄太兄……昨日は、眠れた……?」
「うん?」
こないだ、泊まりに来たとき、全然眠れなかった、と言っていたのを思い出したのだ。昨日は私も知らないうちに眠っていて、ふと気づいた時にはもう朝だったから、栄太兄がどうしていたかは分からない。
「ベッドで寝たの……?」
「まさかやろ。向こうの部屋にマット敷いたで」
「……そっか」
なんだかちょっと残念に感じて、唇を尖らせる。栄太兄がくすりと笑った。
「何や、一人で寝るのが寂しいのか? うちのおひいさまは」
大きな手が頭を撫でる。その温もりに目を閉じて、「うん……」と頷く。
「栄太兄が……いっつも一緒だといいのになって……思ってる」
ぽつりぽつりとそう言いながら、インターンの毎日を思い出す。
別世界の物語に、急に自分が放り込まれたような心細さ。でも、それはきっと、社会人ならみんな経験していることなんだろう。
――栄太兄だって。
「……栄太兄が……もっと近くにいたら……お疲れさまって、言ってあげられるのに……」
転職して、まだ半年。慣れないこともたくさんあるはずだ。緊張するときもあるはず。
それでも、栄太兄は私の前で笑顔を絶やさない。礼奈、って、優しく呼んでくれる。あたたかく迎えてくれる。
それはすごく幸せなことで、同時に、ちょっと不安だった。
「……栄太兄は、どこで、癒されてるのかなって……」
私は、疲れを栄太兄に癒してもらった。励ましてもらって、がんばろう、って思えた。けど、栄太兄は? どうなんだろう。
栄太兄が私の背中をポンと叩く。「少し楽になったか」と言われて、「うん……」と顔だけそちらに向けた。
「ほなら、これでおしまい。ええな?」
私を見下ろす優しい笑顔。
身体の力が緩んだからか、心が剥き出しになったからか。
ぎゅう、と胸が締め付けられる。
「……おきられない」
「眠いか? なら、このまま寝とき」
「ひとりは……やだ」
重い身体を、ゆっくり横に転がす。広げた腕を、栄太兄に向かって伸ばした。
ゆっくりしたその動きすら、ひどくけだるく、重く感じた。
「栄太兄と……いっしょがいい」
栄太兄は困った顔で私を見下ろして、考えるようにちょっと顔を背けて、それから、深々とため息をついた。
「……ほんとに……うちのおひいさまは……」
――わがままでごめんね。
心の中でそう言って、口にも出そうと思ったのに、身体の動きは隅々まで緩慢で。
私が言葉を紡ぐよりも先に、ふわりと身体を抱きしめられた。
「……可愛いが過ぎるねん……苦しいわ」
くるしい? くるしい、って、なんで?
栄太兄の温もりに身を任せ、胸元に頬を摺り寄せる。
あれ、知ってる。この感じ。
いつだかも、こうして身を摺り寄せたような気がする。
ああ、そうだ。初めて泊まった日――
覚えていない、と思ったけれど、確かに私は、この感触を知っている。
私より硬い身体。ごつごつした首元。優しいぬくもり。
どくん、どくん、と力強く響いてくる鼓動。
その鼓動は少し、速いような気がした。眠りに落ちる直前の私よりも、よほど、速い。
栄太兄も……少しはどきどき、してるのかな……。
そう気づいたら、幸福感が一気に胸に広がった。嬉しくなって、ふふふ、と笑って、栄太兄の身体に腕を巻き付ける。なんだかそれだけじゃ物足りなくて、えい、と冗談めかして脚もひっかけた。
栄太兄が「こら、動けへんやん」とうろたえる。「いいの」と私は口の中で答える。
動かなくていいの。このままでいいの。
このままでいて欲しいの――このまま――えいたにいと――いっしょに――
これ以上ない幸福感に包まれたまま、私はまたすやすやと眠りに落ちた。
栄太兄は私が眠っている間じゅう、ずっと私の頭を撫でてくれていて、それを意識の片隅で、ぼんやり感じていた。
しあわせだ。
わたしは、えいたにいといっしょにいられて、しあわせ――
インターンで感じた複雑な感情は、すっかりどこかへ洗い流されていた。
これでいい。これでいいんだ。私とあの世界は合わない。私がいるべきはここ――栄太兄の腕の中だ。
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