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.第10章 インターン

262 インターン最終日(1)

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 その翌日、翌々日はまた違う部署のお手伝いをした。仕事は単純作業ばかりで、社員さんの人間関係に気を揉んでいたタイミングだったから、肩は凝ったけどありがたかった。
 金曜日はまた人財課で一日を過ごした。インターン最終日の締めは、簡単なレポートみたいなものを書く時間らしい。山下くん共々呼ばれたのは、最初に説明を聞いた第1小会議室だった。
 千草さんから渡されたのは、両面に質問の書かれた紙だった。二週間働いてみて気づいたこと――オフィスの環境や指示の出し方、仕事のやりかたなど、気づいたことを書くようにとなっている。
 受け取って嫌そうな顔をした山下くんを見て、千草さんがくすりと笑った。

「がんばってね。この後はお疲れさま会。私たちがおごるから、みんなで飲みに行きましょ」

 千草さんが言った瞬間、山下くんが「うひょーい」と嬉しそうに両手を挙げた。

「山下さんもすっかり緊張が解れたみたいね」
「そうみたいですね」
「す、すみません。思わず……」

 ちょっと気恥ずかしそうな山下くんに、千草さんと私は笑った。

 ***

 飲み会は人財課と庶務課の合同で開かれた。といっても、来たのは各課の課長さんと、メインで指導してくれた千草さん、浦崎さん、矢司部さんだ。
 人数が7人だから、四人掛けの卓が2つ予約してあった。人ひとりが通れる分の通路を挟んで、隣り合った半個室だ。

「エラい人とも話しておきなさい」

 と千草さんに席を勧められ、私は人財課長、山下くんは庶務課長の隣に座った。人財課長は小柄な男性で、「そうして君たちはゆっくり飲もうって魂胆か」と笑っていた。
 全体的に、風通しのいい職場だ――とは、あまり堅苦しくない上下関係にも表れている。どういうところで働きたいか、と言われれば、それも大事なポイントになりそうだった。一つ何かを報告するにも上の顔色をうかがうだなんて、全然仕事にならないし。
 私が課長たちと平気で話をしている一方、山下くんはまたしてもがちがちだった。やっぱり、そういう年代の人と話す機会がないからだろう。
 庶務課長は、眼鏡をかけた優しい印象の女性だったけれど、それを察していたらしい。乾杯をして、少し話したところで、「山下くん、浦崎くんとも飲んでおいで」と声をかけた。山下くんは明らかに嬉しそうな様子で頷いて、グラスを片手に、空いていた千草さんの隣の席に移動した。矢司部さんから「なんだ、追い出されたの」と言われて笑っているのが聞こえる。

「橘さんも、向こうがいいよね。矢司部くんにこっちに来てもらおうか」
「あ、いえ。大丈夫です」

 言ったのは本心からで、強がりでも何でもない。大学でも、若い人の飲み会のノリ、みたいなものが合わないので、教授と一緒にいる方が気が楽なのだ。
 そう思っているのは二人にも伝わったらしい。顔を見合わせた課長はくすりと笑った。

「橘さん、年上相手でも緊張しないんだね」
「あ、はい。――たぶん、両親がよく、会社の友達を家に招いていたからだと思います」
「ご両親が?」

 私がこくりと頷くと、「へぇ」とまた二人が顔を見合わせた。

「仲がいい会社なんだね」
「どうなんでしょう……たまたま、気が合った人がいたのかもしれませんけど。でも、家族ぐるみでのつき合いというか……ときどき、一人で会いに行ったりもします」
「ご両親の友達に?」
「……変ですかね、やっぱり」

 私が頬を掻くと、人財課長はからからと笑った。

「いや、若い子に慕われるのは、嬉しいんじゃないかな。そうかそうか、だから君、そんなに伸び伸びしてるんだね。――いや、悪い意味じゃないよ。いい意味で――落ち着いてるっていうか、しっかりしてる。ねぇ?」
「うん、そうですよね。周りもよく見てるし。浦崎くんと、どっちが社員か分からないくらい」

 庶務課長の言葉に、それは言いすぎだろうと苦笑する。
 人財課長は、ふと声を潜めた。

「君、千草さんをどう思う?」
「え? ち、千草さんですか?」

 思わず隣の机を見れば、4人はわいわいと盛り上がっていた。店には他の客もいるから、ざわついていて大きな声じゃなければ聞こえることはないだろう。
 私はためらいながら、口を開く。

「仕事の指示が的確で、理路整然としてらっしゃるので、すごくありがたかったです」
「うん、長所ね。短所は?」
「た、短所?」

 そんなことを訊かれるとは思わなかったので、ますます目を泳がせる。正面に座っている庶務課長は、たぶん聞こえているのだろうけど、にこにこしながらちょっと違う方向を見ていた。

「た、短所……」

 私は戸惑いながら、とりあえず一つ、小さい声で挙げる。

「ご自分のペースを大切にしすぎるところでしょうか……早めに終わればいいですけど、遅くなったときの様子が……でも、これも計画通りに仕事できるっていう長所の裏返しだと思いますし……」
「ははははは」

 人財課長はからから笑って、「よく見てる。ねぇ?」と庶務課長に言った。やっぱり聞いていたらしい庶務課長は、にこにこしながらこくりと頷く。

「浦崎くんのいいところは?」
「う、浦崎さんですか。えっと……よく周りを見て、さりげなくフォローしてるところでしょうか……文房具のストックとか、切れそうになると持ってきてくれたりしてました」
「矢司部くんは?」

 え、や、矢司部さん?
 そりゃ、仕事できるし、愛想いいし、いろいろありそうなものだけど――

「あ、じゃあ、こっちにしましょうか。矢司部くんの短所」
「やだな、課長。ずいぶん怖い話、してるじゃないですか」

 ふっと電気が陰ったと思えば、机の隣に矢司部さんが立っていた。「橘さん一人に課長たちの相手はかわいそうですからね」と、当然のように山下くんが座っていた私の正面に座る。
 そして私の方に身を乗り出した。

「で、僕の短所? 橘さん、何て答えるとこだった?」
「やぁね、矢司部くん。本人を前にして言えないでしょう」
「え、本気のやつってことですか? それインターン生に聞いちゃうなんて、課長、やっぱりひどいな」

 矢司部さんは笑って、グラスの中のビールを煽る。課長たちのお酒が少ないことを見て取って、「次は何を飲みますか?」とドリンクメニューを差し出した。
 二人が決まったと分かったところで、通路に近い私が店員に声をかける。「ただいま参ります」と店員が応じて、矢司部さんがくすりと笑った。

「ね、どうですか、このチームワーク。橘さんとならいいタッグ組めそう」
「それは多分、千草さんも思ってるよ。君との相性がいいっていうより、橘さんが誰とでも合わせられるだけ」

 ずばっと言った人財課長の言葉に、矢司部さんが「確かにそうかも」と肩をすくめる。けれど、悪びれず笑った。

「じゃ、その橘さんから指摘されたら、ちゃんと直すことにしよう。さて、僕の短所は?」

 改めて問われて、隣の机を見やった。たぶん、みんなには断って来たのだろうけど、矢司部さんが移動したから3人もこちらの様子をうかがっている。
 私は苦笑した。

「人気がありすぎて、引く手あまたなところじゃないかと」
「えっ、それが短所? なんだよ、橘さんもおだて上手だな」

 矢司部さんはそう言って笑った。私もそれに合わせて笑う。人財課長と庶務課長は、たぶん私の意図するところが分かったのだろう、顔を見合わせて苦笑していた。
 その間も、隣の机からは、憧憬と焦燥の視線を感じる。複雑な人間関係を引き起こしている中心に矢司部さんがいる――それが、矢司部さんの一番の短所と言えばそう言えるはずだ。
 今なら、ちょっとだけ、分かるような気がした。どこへ行くにも人の気を引く父が、段々と他人と距離を置いて行ったこと。健人兄も同じように、一線を引いて人と接していること。
 どんな力も、それを持つ人は自覚しないと周りを巻き込むのだ。けど、矢司部さんは、そうと自覚して周りを巻き込んでいるようにしか見えない。

 この会社は働きやすい会社だなと思う。――けど、矢司部さんがいるところでは、働きたくないな、と思う。
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