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.第10章 インターン

254 初めての出張(3)

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 千草さんとは、その後も大学の話や会社の話をした。ビールを飲み終えると、私は梅酒、千草さんは日本酒を頼んだ。
 手酌でお猪口を口に運ぶ千草さんは、少し酔って来たらしい。化粧をした頬が赤くなってきているのが分かった。

「女で日本酒一人酒なんて笑っちゃうよね」
「いえ。美味しいですよね、日本酒」

 塩気のきいた焼き魚には確かによく合いそうだ、と思いながらそう答えると、千草さんはまたくすくす笑う。
 空いたお猪口に、徳利から日本酒を注ぎ、また手にする。

「ここに連れてきてくれた先輩がね。日本酒好きな人で」
「ああ、そうなんですか」

 私はそう相槌を打ちながら、またどこか遠い目になった千草さんの横顔を見つめる。
 店に来たとき、最近は一緒に来なくなった、と言っていた。どうしてですか、と聞いていいものか迷って、やめる。
 それはあまりに立ち入りすぎな質問かもしれない。相手が男の人か女の人かは分からないけど、一時期一緒に過ごした人と疎遠になる理由なんて、いくらでもあるのだから。
 思っていたら、千草さんは「橘さんさー」と崩れた様子で声をかけてきた。背筋を伸ばして「何でしょう」と訊ねると、ふふ、と笑いながら私を見る。

「人との距離の詰め方、うまいよね。いいなぁ」
「えっ……? そ、そうですか……?」

 戸惑っていたら、千種さんはくつくつ笑う。

「なんていうか、すべきことはちゃんとしてるのに、なんとなく放っとけないっていうか。目に入ってくるっていうか。可愛いよね。小動物的」
「……それ、褒められてるって思っていいですか……?」

 がっくり肩を落とせば、千種さんは「もちろん」と笑う。

「うらやましいなって思ったの。だって……きっと、いろんな人にかわいがってもらえるだろうから。私はそういうの、下手だから」
「下手……?」
「そ」

 千草さんがひょいと肩をすくめた。

「人にかわいがってもらえることなんてないもの。――仕事も、恋愛も」

 私は曖昧な相槌を打ちながら梅酒を口に運ぶ。
 ロックの氷が、カラン、と音を立てた。千草さんは頷いて、小さな声で続ける。

「駆け引き、みたいなのもねぇ。いまいちタイミングが合わないっていうか。押したり、引いたり、の」
「タイミング……」

 私はためらって、「この店、紹介してくれたっていう先輩も……」と口にした。千草さんはちらっと目で笑って、「そう」と頷く。

「憧れっていうか、好きだったな。でも、その人ももう結婚しちゃった。私より年下の後輩と。――もう少し積極的になればよかったのかなぁ。よく分かんない」

 千草さんは日本酒を飲み干して、「ま、仕事が楽しいからいいけど。私も梅酒飲ーもう」と言うと、カウンターに声をかけた。私はその横顔を見ながら、ちびちびとお酒を舐める。
 こんな人でも、そうやって恋愛のことで悩んだりするんだなぁ、なんて思って。

 ***

 千草さんと別れると、電車に乗る前に健人兄に連絡を入れた。健人兄からは【了解。俺も今から帰る。駅で合流しよう】とあって、了解、と返す。
 時計を見るともう9時を回っていた。実家にいた頃の健人兄を思うと、確かにこれくらいに職場を出ていたんだろう、とぼんやり考える。
 千草さんの話と、あえて大人に振る舞おうとするその横顔がぐるぐると頭を回っていた。学生と社会人の違いって何だろう。自分が学生であることに感じていた焦りとか、社会人への憧れとか、そういうものが奇妙に思えてくる。
 悩んでることも、考えることも変わらない。大人になるにつれハイレベルになるんだろうと思っていた悩みは、意外とそんなに変わらないのかもしれない、という気がした。恋とか、生き方とか、人間関係とか。ちょっとややこしくなったり、社会的な体面を気にしたりという違いはあるけど、内容としてはそんなに変わらない気がする。
 社会人が学生に勝っているところが、お金を稼ぐということなら、学生だってバイトをしている人たちはたくさんいる。かく言う私も、明日から二日間、土日は一日中からバイトだ。
 そう思い出して、思わずため息をついた。
 バイト先に頼まれたから、という事情もあったけれど、健人兄が呆れていた通り、少し予定を詰め過ぎたかもしれない。
 パンプスでむくんだ脚が辛いとか、気疲れしているとか、そういうこともあったけど、何より痛いのは、インターンを始めてから、栄太兄の声すら聴いていないことだ。
 一言でもいい、栄太兄の声が聴きたい。
 優しい「おやすみ」を聴きたい。
 蓋を開けてみれば健人兄が言った通りになるのが、なんだかすごく悔しいけど――
 でも、事実なのだから仕方ない。
 スマホを撫でて、少しためらった後、栄太兄の名前を表示した。

【今、もう家?】

 そう、メッセージを送ったとき、電車がホームに走り込んで来た。
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