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.第8章 終わりと始まり

203 和解

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 成人式が終わった数日後の平日、「バスケのことで話したいから」と小夏に連絡を受けて、横浜に向かった。
 指定されたのはいつものファミレスで、店の前に立っていたのはハルちゃん一人だった。私はそれを遠目に確認すると、近づいていいものか戸惑う。
 ハルちゃんが言い残した言葉が、記憶に残っていたからだ。
 来たからには私とも会うつもりなのだろうけど、私とはあまり話したくないかもしれない。誰か来てから、一緒に行った方がいいかも――
 そんなことを思いつつ、いや、でも、とためらっているうちに、店の前に立っていたハルちゃんの方が、立ち止まっている私に気づいた。

「……礼奈ちゃん」
「……こんにちは」

 えらく他人行儀な挨拶を口にしてから、あまりに他人行儀過ぎたなと反省する。

「えっ、あれっ、髪、切ったん?」
「あ、うん。成人式終わったから」
「えー、びっくりや。どこのお姉さんかと思た」

 ひとしきり驚いたことで、少し緊張が解れたらしい。ハルちゃんはうつむいて言った。

「あの……ごめんな。ほんとは、今日、来るの私だけやねん。小夏ちゃんにお願いして、礼奈ちゃんと会えるようにしてもらったんや」
「そ、そうなの……?」

 それなら、そうと言ってくれればよかったのに。
 私は苦笑した。

「ほんとは、自分で連絡すべきやったんやろうけど……変なこと言うてもうたから、礼奈ちゃんから、もう会わへんて言われるのが怖かってん。ごめんな」

 ハルちゃんは本当に申し訳なさそうに、小さくなりながらそう言った。私は苦笑しながら首を横に振った。

「謝らなくていいよ。気にしてない。――話せて嬉しい」

 私が言うと、ハルちゃんはぱっと顔を上げて、はにかんだように笑った。
 その顔が少しだけ、泣きそうに見えて、私も笑顔を返す。
 あのときは、確かに驚いたけど、私は怒る気にはなれなかった。ハルちゃんの気持ちもよく分かったし、それだけ、私のことも慶次郎のことも、大切に想ってくれているんだろうと分かったから。

「お茶、せぇへん? せっかくやし」
「そうだね。そうしようか」

 ちょっとぎこちなく笑い合いながら、ファミレスの中へ入る。
 注文を終えると、ハルちゃんはうつむいたまま、頭を下げた。

「あのとき……ごめんな。二人の問題やのに、私が口出しして、ほんまあかんかったなって反省しててん」

 私は「ううん」と首を振る。

「ちょっとびっくりしたけど……正直、ありがたかった」
「ありがたい? 何で?」

 首を傾げるハルちゃんに、私は苦笑を浮かべながら答える。

「慶次郎が、私のこと、大切にしてくれてるのは分かってるつもりだった。……だから、あのとき、自分が嫌で嫌でたまらなかったの」

 ハルちゃんは不思議そうな顔のまま、私の言葉に耳を傾ける。

「だけど、慶次郎も小夏も、私のことを怒ってくれなかった。薄情者って言われたら、むしろすっきりできただろうけど、誰もそう言ってくれなくて――だから、ハルちゃんに言ってもらえて、むしろほっとしたの。変かもしれないけど、それが正直な気持ち。ーーありがとう」

 私が頭を下げると、ハルちゃんは眉を寄せて、うつむいた。

「そんなん……後悔しはるんやったら、別れたりなんかせんと……」
「違うの」

 私は慎重に、言葉を選びながら話した。自分の同情も慶次郎の同情も、あえて買うことのないように、できるだけ公平な言葉で話す努力をした。

「私には、好きな人がいて。それが、すごく年上の人で。二年前に告白したんだけど、まだ何も知らないからって理由で、二十歳になるまで待つように言われて」

 ハルちゃんはじっと私の話に耳を傾けている。

「それで、慶次郎が言ってくれたの。一人で待つより、二人で待った方が楽しいだろうからって。大学生になると、合コンとか――いろいろ、面倒なことにも誘われるだろうけど、彼氏がいるって言えば断り易いだろうって。それで、慶次郎とつき合うことになった」

 好きになる、努力はした。実際、慶次郎のことを好きになった。

「けど、やっぱり、変わらなかった。二年間、慶次郎と一緒にいたのは楽しかったけど、久しぶりにその人と会ったら、もうあっという間に――」

 覆った。あっさりと。まるで、二年なんてなかったかのように。
 慶次郎が、少しずつ少しずつ、私を染めていってたのに、そんなのなかったかのように、一瞬にして塗り替えられてしまった。

「慶次郎を振り回したのは、事実だから。でも、慶次郎がそれを望んだのも、事実で」

 私はそこまで話して、顔を上げた。ハルちゃんは驚いたような顔のまま、私をじっと見つめている。

「呆れちゃうでしょ、こんなの。――ごめんね、理想のカップルじゃなくて」
「そんな――そうやないねん」

 自嘲した私に、ハルちゃんは慌てて首を横に振った。

「私……私……」

 ハルちゃんはうつむいて、きゅっと唇を噛み、ゆっくりと続けた。

「馬場くんのこと……好きやねん」

 -―ああ、やっぱりそうか。
 自分の予想とハルちゃんの言葉が重なって、私は静かに相槌を打つ。

「でも……礼奈ちゃんの彼氏やし、私のことなんて眼中にないて分かっててん……せやけど、礼奈ちゃんやったらお似合いやし、私も、礼奈ちゃんのこと好きやし……だから、応援したいな、思ててん――二人で、幸せになって欲しかってん。私が、わがままで、馬鹿だっただけやねん」
「そんなことないよ」

 私はハルちゃんの言葉を遮った。

「ハルちゃんはいい子だもん。私なんて、って言わないで。ハルちゃんが慶次郎のこと、想ってくれてるのはよく分かったし……嬉しいよ」

 ハルちゃんがうかがうように私を見ている。私は笑った。

「いろいろあったけど、慶次郎が私にとって、腐れ縁の大事な幼馴染だってことは変わらないもん。ハルちゃんと同じように、幸せになって欲しいって思ってるし、慶次郎のことを大切に想ってくれてる人がいれば嬉しいよ」

 だから、ありがとう。
 そう言うと、ハルちゃんは涙ぐんで頷いた。

「おおきに……私、せっかくできた友達に、なんて態度取ったんやろってずっと気になってて……次に講義で会うまでに、ちゃんと話さへんと駄目になってまう気がして……」
「うん」
「よかったぁ……ちゃんと話せて……よかった……」

 ハルちゃんは泣き出してしまって、私はしばらくその肩を撫でていた。「勝手に怒って勝手に泣いて、恥ずかしいわ」とはにかむハルちゃんに「そんなことないよ」と笑って、二人でお茶をして、大学の話をした。

「三年になって、キャンパスが変わっても、またこうやって会える?」

 そう訊くハルちゃんに、私は「もちろん」と頷いて、「慶次郎のこと、よろしくね」と言った。ハルちゃんが気まずそうな顔をするので、「そういう意味じゃなくて」と首を振る。

「あいつ、デカいし目つき悪いから、怖がられるの。いろいろ、フォローしてやって」
「……そうかな」

 ハルちゃんははにかんで微笑んだ。

「でも……最初から、素敵な子やなって思ったよ、私」

 私は思わず、噴き出しそうになった。

 ――恋をするんじゃなくて、恋に落ちた。

 小夏はそう言っていた。
 もしかしたら、ハルちゃんにとって、慶次郎は、「落ちた」方の恋なのかもしれない。
 そう思ったから。
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