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.第8章 終わりと始まり
184 友達と恋人(5)
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夕飯を食べた慶次郎は、八時過ぎに我が家を出た。
「ご馳走様でした。突然、すみませんでした」
「いや。もしよければ、また来るといい」
玄関先で頭を下げる慶次郎に、父が微笑む。慶次郎は緊張した面持ちで、それでも笑顔を作ると、
「あと、あの、コーヒー美味かったです。昔っから、話に聞いてたんで――納得しました」
「昔から?」
父が首を傾げて私を見る。私は肩をすくめた。
「……お父さんのコーヒーは絶品だって、ちょこちょこ言ってたから」
「……お前なぁ」
呆れたような顔をしながら、父は嬉しそうだ。私の頭にぽんと手を置いて、慶次郎を見た。
「他にも、何か色々言ってたんだろうけど、あんまり気にしないようにな。君には君の良さがあるんだから」
もし他の人がそんなことを言えば、ただの自意識過剰だけれど、父が言うと違和感がない。そもそも、私がどこでも父の長所を吹聴しているのを知ってのことなのだろうから、私は黙って小さくなった。
「いえ――でも、そう思うのも分かります。俺……僕も、いつも、かっこいいなと思ってましたから」
慶次郎ははにかんだ顔でそう言うと、勢いよく頭を下げた。
「夜遅くまで、失礼しました。えっと、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。気を付けて帰りなさい」
「はい」
顔を上げた慶次郎が私を見る。照れ臭そうな顔に笑って、手を挙げた。
「また、学校でね。おやすみ」
「ああ。おやすみ」
慶次郎は玄関のドアを開けてうちを出て行く。
父はそれを見送って、ため息をついた。
「――さて。うちの女王も帰って来るらしいぞ」
「え、お母さん? ほんと?」
「今電車に乗ったらしいから、ぼちぼち迎えに行ってくる」
「じゃあ、片付けは私、やっとくね」
「うん、頼む」
私はリビングで片付けを始め、父は身支度を整えに一度部屋へと戻った。
少しすると、準備を終えたらしい父が降りて来てリビングに顔を出す。
「じゃあ行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
私がにこりと笑って応えると、父は何か言いたげな顔をしていた。
不思議に思って「なぁに?」と訊けば、父はためらった後で言った。
「いい子だな。……彼」
父にしては、どこかぎこちない微笑みだった。
私はその微笑みに、うまく笑顔を返せないまま、うつむいた。
「うん。……まあ」
「うん」
父は頷いて、玄関に向かう。
「じゃあ、行ってくる。片付け頼むな」
「うん、行ってらっしゃい。お母さんのご飯の準備もしとくね」
「ありがとう、助かるよ」
玄関のドアが閉まり、施錠する音がする。
私は父を見送って、ふぅ、と息をついた。
父は思っているんだろうか。
慶次郎の方が、栄太兄よりもよほどお似合いだ――とでも。
手を動かしながら、私は思う。
実際、そうなのだろう。慶次郎の方が、よほど私に似合っている。
会う回数や、一緒に過ごす時間だけじゃない。社会のことを、学生の私はまだ何も知らない。栄太兄が日々を過ごしている世界を、私は何も知らない。
けど、慶次郎は違う。私と一緒に成長していける。成長して行っている。今までも、これからも。少しずつ、変わっていく関係は、ときどきつまづくことがあっても、段々いいものに変わっている。
テーブルを拭いていた自分の手に、手を重ねた。
慶次郎に触れた温もりが、まだ記憶に残っている。
慶次郎は、教えてくれた。手を繋いで歩く喜びも、ちょっと照れ臭いあの空気も、同じ視点で何かを見る楽しさも、言葉がなくとも察し合える心地よさも。
最初は感じられなかったものを、私たちは一年で作り上げてきた。一緒に過ごすことで、相手を見ることで、少しずつ、感じられるようになった。
それはすごく、嬉しいことだった。心が温かくなって、優しくなれる。一緒にいてもいなくても、慶次郎が私を想ってくれていることが、私を強くしてくれる。
私は手を胸に引き寄せた。
触れたい――と、思ってくれている。慶次郎は。私に。
熱を持った頬に触れる。
抱きしめられるのは、嫌じゃない。その先も、慶次郎となら――慶次郎なら、優しくしてくれるんじゃないか――
不意に、服を脱ぎ払った慶次郎が私に手を伸ばす瞬間を想像してしまった。
私は唇を引き結び、ぶんぶんと首を振る。
頭が沸騰して、バクハツしそうだ。
あーもう、これじゃ痴女じゃん。駄目駄目、そんなの駄目!
学生の間は、そんなことしちゃ駄目なんだから!
彼氏ができたと聞いたとき、母はもっともらしい顔で言っていたのだ。「責任が取れるつき合いをしなさいね」と。それを聞いていた父は、どこかツッコミを入れたそうな顔をしていたけど、私だって母と同意見だ。
――でも。けど。
じゃあ、社会に出たら?
そのとき、慶次郎と私は――どうなってるんだろう。
「ご馳走様でした。突然、すみませんでした」
「いや。もしよければ、また来るといい」
玄関先で頭を下げる慶次郎に、父が微笑む。慶次郎は緊張した面持ちで、それでも笑顔を作ると、
「あと、あの、コーヒー美味かったです。昔っから、話に聞いてたんで――納得しました」
「昔から?」
父が首を傾げて私を見る。私は肩をすくめた。
「……お父さんのコーヒーは絶品だって、ちょこちょこ言ってたから」
「……お前なぁ」
呆れたような顔をしながら、父は嬉しそうだ。私の頭にぽんと手を置いて、慶次郎を見た。
「他にも、何か色々言ってたんだろうけど、あんまり気にしないようにな。君には君の良さがあるんだから」
もし他の人がそんなことを言えば、ただの自意識過剰だけれど、父が言うと違和感がない。そもそも、私がどこでも父の長所を吹聴しているのを知ってのことなのだろうから、私は黙って小さくなった。
「いえ――でも、そう思うのも分かります。俺……僕も、いつも、かっこいいなと思ってましたから」
慶次郎ははにかんだ顔でそう言うと、勢いよく頭を下げた。
「夜遅くまで、失礼しました。えっと、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ。気を付けて帰りなさい」
「はい」
顔を上げた慶次郎が私を見る。照れ臭そうな顔に笑って、手を挙げた。
「また、学校でね。おやすみ」
「ああ。おやすみ」
慶次郎は玄関のドアを開けてうちを出て行く。
父はそれを見送って、ため息をついた。
「――さて。うちの女王も帰って来るらしいぞ」
「え、お母さん? ほんと?」
「今電車に乗ったらしいから、ぼちぼち迎えに行ってくる」
「じゃあ、片付けは私、やっとくね」
「うん、頼む」
私はリビングで片付けを始め、父は身支度を整えに一度部屋へと戻った。
少しすると、準備を終えたらしい父が降りて来てリビングに顔を出す。
「じゃあ行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
私がにこりと笑って応えると、父は何か言いたげな顔をしていた。
不思議に思って「なぁに?」と訊けば、父はためらった後で言った。
「いい子だな。……彼」
父にしては、どこかぎこちない微笑みだった。
私はその微笑みに、うまく笑顔を返せないまま、うつむいた。
「うん。……まあ」
「うん」
父は頷いて、玄関に向かう。
「じゃあ、行ってくる。片付け頼むな」
「うん、行ってらっしゃい。お母さんのご飯の準備もしとくね」
「ありがとう、助かるよ」
玄関のドアが閉まり、施錠する音がする。
私は父を見送って、ふぅ、と息をついた。
父は思っているんだろうか。
慶次郎の方が、栄太兄よりもよほどお似合いだ――とでも。
手を動かしながら、私は思う。
実際、そうなのだろう。慶次郎の方が、よほど私に似合っている。
会う回数や、一緒に過ごす時間だけじゃない。社会のことを、学生の私はまだ何も知らない。栄太兄が日々を過ごしている世界を、私は何も知らない。
けど、慶次郎は違う。私と一緒に成長していける。成長して行っている。今までも、これからも。少しずつ、変わっていく関係は、ときどきつまづくことがあっても、段々いいものに変わっている。
テーブルを拭いていた自分の手に、手を重ねた。
慶次郎に触れた温もりが、まだ記憶に残っている。
慶次郎は、教えてくれた。手を繋いで歩く喜びも、ちょっと照れ臭いあの空気も、同じ視点で何かを見る楽しさも、言葉がなくとも察し合える心地よさも。
最初は感じられなかったものを、私たちは一年で作り上げてきた。一緒に過ごすことで、相手を見ることで、少しずつ、感じられるようになった。
それはすごく、嬉しいことだった。心が温かくなって、優しくなれる。一緒にいてもいなくても、慶次郎が私を想ってくれていることが、私を強くしてくれる。
私は手を胸に引き寄せた。
触れたい――と、思ってくれている。慶次郎は。私に。
熱を持った頬に触れる。
抱きしめられるのは、嫌じゃない。その先も、慶次郎となら――慶次郎なら、優しくしてくれるんじゃないか――
不意に、服を脱ぎ払った慶次郎が私に手を伸ばす瞬間を想像してしまった。
私は唇を引き結び、ぶんぶんと首を振る。
頭が沸騰して、バクハツしそうだ。
あーもう、これじゃ痴女じゃん。駄目駄目、そんなの駄目!
学生の間は、そんなことしちゃ駄目なんだから!
彼氏ができたと聞いたとき、母はもっともらしい顔で言っていたのだ。「責任が取れるつき合いをしなさいね」と。それを聞いていた父は、どこかツッコミを入れたそうな顔をしていたけど、私だって母と同意見だ。
――でも。けど。
じゃあ、社会に出たら?
そのとき、慶次郎と私は――どうなってるんだろう。
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