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.第4章 高校3年
105 卒業式
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「桜の蕾も膨らみ、冷たい風も和らいで、春の訪れを感じる季節となりました。この度はお忙しい中、私たちのためにお集まりくださり、誠にありがとうございます」
しん、と静かな体育館に、代表の答辞が粛々と響く。
後方の保護者席には、両親が来て座っているはずだ。今日ばかりは母もどうにか都合をつけて来てくれた。
健人兄も「俺も行こうか?」とにやりとしていたけれど、もちろん丁重にお断りした。最後の最後に面倒ごとは勘弁していただきたい。そう思ったからで、健人兄は珍しくおとなしく引き下がってくれた。
さすがにこの日ばかりは、父が来ていることでみんなが騒いだりもしない。
「個性豊かで、才気ある友人に囲まれて過ごした三年間は、とても有意義な時間でした。私たちを支えてくれた先生方、見守ってくれた家族に心から感謝しています」ーー
暦は3月に変わったとはいえ、体育館の中はまだ寒い。周りのクラスメイトと身を寄せ合うようにして、手をすり合わせながら時間を凌ぐ。
卒業証書授与はクラスの代表者だけで、あとは教室で渡される。一組から順に壇上に滑り出た代表者の中にはナルナルもいて、舞台から降りて来るとき、一瞬だけ目が合ったような気がした。
幸いなことにと言うべきか、はたまた当然の実力か、ナルナルも小夏も慶次郎も、第一希望の大学に進学が決まった。つまり学部は違うものの、小夏とナルナル、慶次郎と私は同じ大学に通うことになる。
そうと分かって、小夏はナルナルに宣言していた。「戦いは大学まで持ち越しよ!!」ーーなんて。どうも、高校在学中に全教科合計で勝つことはできずじまいだったらしい。
卒業式の退場は、吹奏楽部の後輩の演奏に送られた。1組から順に、教室へ戻っていく。
後輩が奏でる弦楽器の音色が、体育館に強く優しく響いていた。ときどき目が合う後輩がいれば微笑みを返す。さらに進むと、保護者席に両親がいた。
私がにこりと笑うと父も笑い返してくれた。その隣に座った母は笑いながらもハンカチを目に押し当てていて、父もさりげなくその背を撫でている。
私もちょっとだけ目頭が熱くなった。
教室へ戻っていく渡り廊下で、横に並ぶ人がいた。見上げると慶次郎が立っている。
「あー寒かった」
やれやれと言わんばかりの調子に、口の端を引き上げる。
「そのコメント。情緒も何もあったもんじゃないね」
「何だ、橘も人並みにしんみりした気分に浸りたかったか?」
にやりと言われて苦笑した。
「別にそういう訳じゃないけど」
体育館から教室へ戻る道すがら、数本の桜の木が見える。花の蕾は確かにちらほら見えたけど、開花にはまだまだ早い。
「卒業式に桜って、意外と見れないもんだよね」
「そーだな」
慶次郎が答える。「入学式にはもう散ってるだろうしな」と言われて「夢がないなぁ」と笑った。
「それにしても、またお前と同じ学校とはなぁ。腐れ縁もここまで行くと立派な縁だな」
言われてその顔を見上げる。
「腐れ縁ねぇ。もしかして、慶次郎が私の受ける高校選んだだけだったりして」
冗談のつもりでそう言ったのだけど、慶次郎はちらりと私を見下ろして、ふっ、と笑っただけだった。
私は思わず慌てる。
「え、嘘。冗談だよ、つっこんでよ」
慶次郎は目を細めて、私の頭をぐしゃりと撫でた。
「……冗談だよ、ばーか」
歩く二人の間に、沈黙が降りる。
慶次郎は笑ってごまかしたけど、私には分かってしまった。
それまで、小夏に茶化されているだけかもと思っていた慶次郎の気持ちは、確かに一時期私に向いていたのだと。
今さらといえば今さら、そう確信して、申し訳ないやら呆れるやら。
でも、今やそれは過去のことだった。慶次郎には彼女がいて、それは私の部活の後輩で、一方、私はといえば、違う人への恋心に気づいた。
私たちも変わっていく。少しずつ、でも確かに。
慶次郎がちょっと照れ臭そうに笑った。
「まあ、大学でもよろしく」
「うん」
だらだら進む人波に歩調を合わせて歩いていく。
今はほとんど交わされない子どもじみたやりとりは、ずいぶん遠い昔に思えた。
思えば修学旅行から一年ちょっとしか経っていないのに、とてもそうは思えない。
子どもだった自分を思い出して苦笑する。
「……慶次郎」
「あん?」
「大学近くで美味しいラーメン見つけたら教えてね」
慶次郎は目を丸くして、ふ、と笑った。
「オッケー、任せとけ」
慶次郎が親指を立てる。私も親指を立てて見せ、二人で笑う。
「礼奈ー、卒業証書もらったら写真撮ろーねー!」
「うん、撮ろ撮ろー!」
「あ、私もー」
「女子みんなで撮っちゃう!?」
小夏始めクラスメイトの女子たちと笑い合う。慶次郎も違うクラスの勝巳くんに肩を抱かれて笑っていた。
ああ、これで卒業なんだ。
三年間の高校生活。通い慣れた通学路。気ままにトランペットの音色を奏でた校舎。
小さな思い出が一つ一つ蘇って、脳裏にふわりと開いては流れていく。まるで桜の花びらのように。
それが切なくも誇らしかった。
笑い合い、ふざけ合う同級生の声。
胸につけた花飾り。
校舎特有のこの匂いも、もう、過去のものになる。
高揚感に包まれて、私も知らないうちに笑っていた。
こうして、私たちは高校を卒業した。
しん、と静かな体育館に、代表の答辞が粛々と響く。
後方の保護者席には、両親が来て座っているはずだ。今日ばかりは母もどうにか都合をつけて来てくれた。
健人兄も「俺も行こうか?」とにやりとしていたけれど、もちろん丁重にお断りした。最後の最後に面倒ごとは勘弁していただきたい。そう思ったからで、健人兄は珍しくおとなしく引き下がってくれた。
さすがにこの日ばかりは、父が来ていることでみんなが騒いだりもしない。
「個性豊かで、才気ある友人に囲まれて過ごした三年間は、とても有意義な時間でした。私たちを支えてくれた先生方、見守ってくれた家族に心から感謝しています」ーー
暦は3月に変わったとはいえ、体育館の中はまだ寒い。周りのクラスメイトと身を寄せ合うようにして、手をすり合わせながら時間を凌ぐ。
卒業証書授与はクラスの代表者だけで、あとは教室で渡される。一組から順に壇上に滑り出た代表者の中にはナルナルもいて、舞台から降りて来るとき、一瞬だけ目が合ったような気がした。
幸いなことにと言うべきか、はたまた当然の実力か、ナルナルも小夏も慶次郎も、第一希望の大学に進学が決まった。つまり学部は違うものの、小夏とナルナル、慶次郎と私は同じ大学に通うことになる。
そうと分かって、小夏はナルナルに宣言していた。「戦いは大学まで持ち越しよ!!」ーーなんて。どうも、高校在学中に全教科合計で勝つことはできずじまいだったらしい。
卒業式の退場は、吹奏楽部の後輩の演奏に送られた。1組から順に、教室へ戻っていく。
後輩が奏でる弦楽器の音色が、体育館に強く優しく響いていた。ときどき目が合う後輩がいれば微笑みを返す。さらに進むと、保護者席に両親がいた。
私がにこりと笑うと父も笑い返してくれた。その隣に座った母は笑いながらもハンカチを目に押し当てていて、父もさりげなくその背を撫でている。
私もちょっとだけ目頭が熱くなった。
教室へ戻っていく渡り廊下で、横に並ぶ人がいた。見上げると慶次郎が立っている。
「あー寒かった」
やれやれと言わんばかりの調子に、口の端を引き上げる。
「そのコメント。情緒も何もあったもんじゃないね」
「何だ、橘も人並みにしんみりした気分に浸りたかったか?」
にやりと言われて苦笑した。
「別にそういう訳じゃないけど」
体育館から教室へ戻る道すがら、数本の桜の木が見える。花の蕾は確かにちらほら見えたけど、開花にはまだまだ早い。
「卒業式に桜って、意外と見れないもんだよね」
「そーだな」
慶次郎が答える。「入学式にはもう散ってるだろうしな」と言われて「夢がないなぁ」と笑った。
「それにしても、またお前と同じ学校とはなぁ。腐れ縁もここまで行くと立派な縁だな」
言われてその顔を見上げる。
「腐れ縁ねぇ。もしかして、慶次郎が私の受ける高校選んだだけだったりして」
冗談のつもりでそう言ったのだけど、慶次郎はちらりと私を見下ろして、ふっ、と笑っただけだった。
私は思わず慌てる。
「え、嘘。冗談だよ、つっこんでよ」
慶次郎は目を細めて、私の頭をぐしゃりと撫でた。
「……冗談だよ、ばーか」
歩く二人の間に、沈黙が降りる。
慶次郎は笑ってごまかしたけど、私には分かってしまった。
それまで、小夏に茶化されているだけかもと思っていた慶次郎の気持ちは、確かに一時期私に向いていたのだと。
今さらといえば今さら、そう確信して、申し訳ないやら呆れるやら。
でも、今やそれは過去のことだった。慶次郎には彼女がいて、それは私の部活の後輩で、一方、私はといえば、違う人への恋心に気づいた。
私たちも変わっていく。少しずつ、でも確かに。
慶次郎がちょっと照れ臭そうに笑った。
「まあ、大学でもよろしく」
「うん」
だらだら進む人波に歩調を合わせて歩いていく。
今はほとんど交わされない子どもじみたやりとりは、ずいぶん遠い昔に思えた。
思えば修学旅行から一年ちょっとしか経っていないのに、とてもそうは思えない。
子どもだった自分を思い出して苦笑する。
「……慶次郎」
「あん?」
「大学近くで美味しいラーメン見つけたら教えてね」
慶次郎は目を丸くして、ふ、と笑った。
「オッケー、任せとけ」
慶次郎が親指を立てる。私も親指を立てて見せ、二人で笑う。
「礼奈ー、卒業証書もらったら写真撮ろーねー!」
「うん、撮ろ撮ろー!」
「あ、私もー」
「女子みんなで撮っちゃう!?」
小夏始めクラスメイトの女子たちと笑い合う。慶次郎も違うクラスの勝巳くんに肩を抱かれて笑っていた。
ああ、これで卒業なんだ。
三年間の高校生活。通い慣れた通学路。気ままにトランペットの音色を奏でた校舎。
小さな思い出が一つ一つ蘇って、脳裏にふわりと開いては流れていく。まるで桜の花びらのように。
それが切なくも誇らしかった。
笑い合い、ふざけ合う同級生の声。
胸につけた花飾り。
校舎特有のこの匂いも、もう、過去のものになる。
高揚感に包まれて、私も知らないうちに笑っていた。
こうして、私たちは高校を卒業した。
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