上 下
64 / 368
.第3章 高校2年、後期

61 修学旅行(6)

しおりを挟む
 2日目は例の班行動の日だ。慶次郎たち男子と一緒にホテルを出て、博多駅で一度別れることになっている。
 ……もちろん、先生たちには内緒。

「じゃあ、12時にまたここでいいな?」
「うん。じゃあ後で」
「バレないようになー」
「そっちこそ」

 言い合って別れると、私は小夏と二人で特急電車に乗り込んだ。
 車窓から外を眺めていると、赤や青などなかなかカラフルな電車が目につく。

「こっちの電車って色とりどりだね」
「以前関東を走ってた形とか、詳しい人に言わせると色々らしいよ」
「それは弟くん情報?」
「ご名答」

 小夏はスマホを構えて「送ってやろ」と電車の写真を撮っている。私は微笑ましく思いながら、これから会う「ヒカルさん」に思いを馳せていた。

 ***

 父が紹介してくれた「ヒカルさん」と合流するのは、博多駅から特急で三十分ほどの駅だ。
 ヒカルさんの家までは、その駅から車で10分ほど。
 そこはヒカルさんの自宅でもあるけれど、博多織の工場も併設されているという。工場はヒカルさんのご家族が経営していて、父の会社の連携先の1つらしい。

 一度も会ったことがない人と待ち合わせるのは不安だと言うと、父は1枚の年賀状を見せてくれた。
 年賀状には、三十代半ばの男女と、2、3歳くらいの男の子が写っている。
 父は母親らしいその女性を示して、「こいつがヒカルだよ」と目を細めた。
 その横顔と声音に、正直、私はちょっとびっくりした。
 だって、まるで娘を見るような顔だったから。

 だからその後、私はドキドキしながら母に訊ねた。
 父には聞こえないよう、結構気を使ったりなんかして。
 父の表情に、ちょっと、いや、かなりドキッとしたのだ。もちろんそんな話は聞いたこともないし、まずあり得ないだろうと思うけどーー一瞬、父の隠し子なのでは、なんて。
 母はそれを耳にしたとたん、お腹を抱えて笑い出した。その瞬間、違うということがすぐわかって私もほっとした。

「血の繋がりはないけど、お父さんにとっては、特別な子みたいなの」

 ひとしきり笑った母はそう説明した。

「私もよく知らないんだけど、あの人が九州にいるとき何かあったみたいね。……2人だけが知っている何かが」

 そう微笑む母の表情はちょっと珍しくて、意外だった。

「なんか、ヨユーありげなお母さん、珍しい。そういうときって、いっつもヤキモチ妬いたりするんだと思ってた」

 実際、父が無自覚に女性の目を引く言動をするたび、母はよく唇を尖らせている。
 私の言葉に母は苦笑気味の笑顔を返した。

「余裕があるっていうか、ヒカルちゃんは別格なのよ。特別というかーーだから、怒っても仕方ないかなって」
「諦めてるってこと?」
「まあ、そうかも」

 私にはよく分からなかったけど、とりあえず相づちを打って会話を終えた。
 お父さんにとって、特別な人。
 いったい、どんな人なんだろう。
 その人とお父さんに、一体何があってーー今、お互いをどういうふうに思っているんだろう。

 そんなことをぼんやり考えていたら、小夏に肩をつつかれた。

「礼奈。ここで降りるんじゃなかった?」
「えっ? あっ、そうだ、降りる降りる!」

 駅名を確認して慌てて立ち上がる。ホームに降り立つと、小夏が笑った。

「大きい荷物がなくてよかったね」
「そ、そうだね……ごめん、ぼーっとして」

 大きい荷物は先生たちがバスで次の宿泊先まで運んでくれている。身軽に観光できるようにという配慮だ。
 小夏は笑って首を振った。

「降りられたから大丈夫。行こ」

 ぽんと肩を叩かれて頷くと、階段を登って改札へ向かう。駅の改札は一つだけ。そして、その先に、1人の女性が立っている。
 写真で見た姿を目の前にして、どきんと心臓が高鳴った。

「あっ、あのっ、初めまして。橘礼奈ですっ」
「礼奈の友達の高木です」

 勢いよく頭を下げた私の横から、小夏が如才なく便乗する。
 頭上からはくすくすと優しい笑い声が降ってきた。

「こんにちは、初めまして。山口ヒカルです」

 私はそろりと顔を上げる。
 ヒカルさんはさらさらのボブショートを揺らして微笑んだ。穏やかな笑みには、大人の余裕が感じられる。
 年齢は母より若そうだけど、振る舞いはよほど落ち着いているようだ。
 思わず表情に見とれていると、ヒカルさんは優しく微笑んだ。どこか懐かしそうな微笑み。初対面のばずなのに、親しみを感じて戸惑う。

「礼奈ちゃんはお母さん似だね。神崎さん……お父さん、かわいくて仕方ないだろうな」
「えっ、や、あ、あの……」

 戸惑いと緊張でぎこちない動きになる私を見て、小夏が「大丈夫?」と苦笑した。
 ヒカルさんはまたくすりと笑うと、「行こうか」ときびすを返す。

「あんまり時間ないんだったよね。わざわざこんなとこ来てくれたんだもの、少しは楽しんでもらわなくちゃ」
「あ、ありがとうございます」

 お礼を言うと、またにこりと笑顔が返ってきた。
 さばさばしていて、素敵な人みたいだ。
 私はほっとしながら、小夏と顔を見合わせた。

 ***

「じゃあ、出発するね。最初は礼奈ちゃんのお父さんの会社から」

 車はシルバーのミニバンだ。後部座席にはチャイルドシートがついていた。きっと、年賀状に写っていたあの男の子が乗るのだろう。
 チャイルドシートをつけてあると、後部座席は一つ使えない。狭ければひとり助手席にどうぞ、と言われたけれど、小夏と二人ならそんなに窮屈ではないからと、二人で並んで腰かけた。

「あの、ヒカルさんも、父と一緒に仕事してたんですか……?」
「あはは、やだな、そんな年齢に見える?」

 父が九州にいたのは結婚する前。かれこれ二十年以上は前になる。となれば、ヒカルさんは十代か。
 頭の中で目算する間に、ヒカルさんが口を開いた。

「神崎さん……じゃない、礼奈ちゃんのお父さんが……」
「あ、あの、無理に言い直さなくていいです。会社の仲間も神崎って呼んでるので」

 実は「橘」は母方の姓で、父の旧姓は「神崎」だ。婿入りだ何だと言われると面倒なので、父は今でも仕事上は「神崎」を名乗っている。

「ほんと? じゃあ、悪いけど呼び慣れてるように呼ばせてもらうね」

 ヒカルさんはバックミラー越しに微笑んで続けた。

「神崎さんがこっちにいたとき、私は今の礼奈ちゃんよりも幼かったのよ。中学一年だったから」
「それじゃあ、当然仕事はしてないですね」

 私の緊張をほぐそうとしてくれているのだろう、横から小夏が軽口をきく。
 ヒカルさんは「そうね」と笑って、「さて、出発するよ」と車のギアを入れ換えた。

 中学1年生のヒカルさんと、30歳を過ぎた頃の父。
 それがどうして、互いにとって「特別な存在」になるのかーー
 考えてみても、ちょっと想像がつかなくて、運転するヒカルさんの横顔を見つめていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜

七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。 ある日突然、兄がそう言った。 魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。 しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。 そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。 ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。 前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。 これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。 ※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です

夫の不貞現場を目撃してしまいました

秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。 何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。 そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。 なろう様でも掲載しております。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

嫌われ者の側妃はのんびり暮らしたい

風見ゆうみ
恋愛
「オレのタイプじゃないんだよ。地味過ぎて顔も見たくない。だから、お前は側妃だ」 顔だけは良い皇帝陛下は、自らが正妃にしたいと希望した私を側妃にして別宮に送り、正妃は私の妹にすると言う。 裏表のあるの妹のお世話はもううんざり! 側妃は私以外にもいるし、面倒なことは任せて、私はのんびり自由に暮らすわ! そう思っていたのに、別宮には皇帝陛下の腹違いの弟や、他の側妃とのトラブルはあるし、それだけでなく皇帝陛下は私を妹の毒見役に指定してきて―― それって側妃がやることじゃないでしょう!? ※のんびり暮らしたかった側妃がなんだかんだあって、のんびりできなかったけれど幸せにはなるお話です。

【完結】私、四女なんですけど…?〜四女ってもう少しお気楽だと思ったのに〜

まりぃべる
恋愛
ルジェナ=カフリークは、上に三人の姉と、弟がいる十六歳の女の子。 ルジェナが小さな頃は、三人の姉に囲まれて好きな事を好きな時に好きなだけ学んでいた。 父ヘルベルト伯爵も母アレンカ伯爵夫人も、そんな好奇心旺盛なルジェナに甘く好きな事を好きなようにさせ、良く言えば自主性を尊重させていた。 それが、成長し、上の姉達が思わぬ結婚などで家から出て行くと、ルジェナはだんだんとこの家の行く末が心配となってくる。 両親は、貴族ではあるが貴族らしくなく領地で育てているブドウの事しか考えていないように見える為、ルジェナはこのカフリーク家の未来をどうにかしなければ、と思い立ち年頃の男女の交流会に出席する事を決める。 そして、そこで皆のルジェナを想う気持ちも相まって、無事に幸せを見つける。 そんなお話。 ☆まりぃべるの世界観です。現実とは似ていても違う世界です。 ☆現実世界と似たような名前、土地などありますが現実世界とは関係ありません。 ☆現実世界でも使うような単語や言葉を使っていますが、現実世界とは違う場合もあります。 楽しんでいただけると幸いです。

処理中です...