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.第4章 ふたりの未来

65 返事

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 女子が悠人くんと話したがるものだから、必然的に、私のいるテーブルは男子ばかりになった。
 もう一方のテーブルからは、華やいだ声が聞こえてくる。

「……響子は行かなくていいの?」

 半ば諦めたような顔で隣のテーブルを女子を見ていた男子のひとりが、お愛想程度に私を気遣ってくれた。
 「いいよ……私は」と応じると、「お前昔からそうだったもんなー」と遠慮なく頭を叩かれる。
 浮かぶ苦笑はジョッキで隠した。
 元々、女子扱いされていなかった自覚はあるけど、アラサーになってもこの扱いだ。
 その間にも、隣の机からは黄色い声が聞こえてくる。

「橘くんって、仕事、何してるのー?」
「T大行ってたってほんと?」

 次々飛び交う質問に、悠人くんはどう答えたものかと戸惑っているようだ。視線で私に助けを求めて来るけれど、こんなに距離が離れていては、私だってどうしようもない。
 悠人くんの隣にいる紀美が「あんたたち、ちょっと落ち着きなさいよ」と呆れているけれど、それも火に油を注ぐだけだ。

「だったら紀美、そこ譲ってよ!」
「何であんたちゃっかり隣キープしてんの!」
「ていうか紀美、来るの知ってたんでしょ!」

 幹事のゆんちゃんもしっかり参戦して、らちもないことを言い合っている。

「……まさか悠人が来るとはなぁ……。赤坂、昔から好きだって公言してたもんなぁ……」

 私の隣に座った幹事役の男子がぼやくのが聞こえて、思わず振り向いた。

「もしかして……ゆんちゃんと飲みたくて、同窓会の提案した?」
「そうだよ。それ以外に理由があるか」
「なんだよ、だったら最初からサシ飲み誘えよ」
「どう考えても断られるだろ、そんなん」
「分かんねーじゃん。そこで日和るから駄目なんだよ、お前は」
「うるせーよ! 放っとけ!!」

 声を潜める様子もなく、男子は男子で話がヒートアップしていく。
 大人になったんだかなってないんだか。まるで中学生と変わらない会話に、曖昧な相槌を打っていたら、不意にゆんちゃんの声が聞こえた。

「はいっ、橘くんに質問です。今、お付き合いしてる人はいますか?」

 ぎく、と思わず肩を震わせた。
 同級生の肩越しに悠人くんを見やる。一瞬だけ目が合った悠人くんは、照れくさそうにふにゃりと微笑んだ。

「……うん。……います」

 ――かわいい。

 笑顔に悶絶しつつも、次に何を質問されるのかと気が気じゃない。
 女子は「ちっ」と舌打ちをする人と、「えー、その反応可愛い」「やだー照れてるー」と喜ぶ人に分かれた。
 私の横で、男子が拳を握っていた。

「そっか、悠人に彼女いるならワンチャンあんじゃん」

 急に嬉々とし始めたその横顔は、幼いというか、健気というか。
 とはいえ、その相手が私なのだとは、さすがに誰も思ってもいないだろう。
 自嘲気味に思いながら、黙ってビールを傾けた。

 さして間を空けないうちに、場はどんどん崩れ始めた。席もあってないようなものになる中で、悠人くんの周りは相変わらず人がいる。
 さすがに分散し始めた女子に代わり、男子が「久しぶりじゃーん」「やっべー身体、キレてんね」なんて言いながら寄って行った。

 相変わらず、人気者だなぁ。

 そしてこれまた相変わらず、私はそれを、遠くから見ていることしかできない。

「私も結婚したーい」

 向こうの卓から、紀美の声がした。見やれば、話している相手は唯一の既婚男子だ。
 アドバイスでももらおうと言うのだろう、前のめり気味に話している。

「今度こそ決めたいんだよねー。ねぇ、教えてよ。男の人ってどうしたら結婚する気になってくれんの?」
「さあ……人によると思うけど、とりあえずその狩人みたいな目はやめた方がいいんじゃない?」

 「失礼な」とむくれる紀美に、既婚の男子は自分の事例を話した。

「でも、俺はもう結婚しちゃったクチだもんなぁ。未婚の奴に聞いた方が参考になるかもよ。――橘はどうよ?」
「え、なに?」
「どういうとき、彼女と結婚したいって思うかって話」

 ――なんて話題を。

 泳いだ視線の先で、紀美は私を一瞥して笑った。どう考えても確信犯だ。うめき声をビールで飲み干す。
 悠人くんはそんな紀美の様子を気にした風もなく、「そうだなぁ」と首を傾げた後、すごく幸せそうな顔で口を開いた。

「自分が道に迷いそうになったとき、支えてもらえたら……」

 紀美が動きを止め、ゆんちゃんが眉を寄せる。

「え、待って。なんか……」
「ずいぶん、具体的じゃない?」

 さすがに動揺したのか、私を振り返りかけた紀美が、気を取り直したように悠人くんに向き直った。

「あの、もしかして――もう婚約してるとか?」
「いや、まだ、してないけど……その、返事待ちっていうか……」
「返事待ち、ねぇ……」

 紀美が言葉を繰り返す。私は軽くパニックになった。

 返事待ち? 待たせてる……って、私のこと? だよね?
 そんなこと、あったっけ。プロポーズ? されたっけ? いつ?
 確かに一緒に指輪を見たけど、それだけといえばそれだけのはずだ。
 返事を期待されているような話なんて――

 ぐるんぐるん思考を巡らせる私の目と、戸惑いに泳いだ悠人くんの目が、バッチリ合った。
 とっさに目を反らしたけど、顔が赤くなったのは隠しようもない。

 うぅわぁ……なんか、嫌な予感。

 背中を変な汗が伝い落ちた。
 今度こそ、私たちの視線のやりとりに気づいたゆんちゃんが、ゆらりと一歩近づいてくる。

「……響子?」

 がっしと肩をつかまれて、恐る恐る顔を上げると、目の笑っていないゆんちゃんの笑顔があった。

「……もしかして、橘くんの連絡先、内緒にしてた理由って……」

 うわ、これ、もしかしてちょっとした修羅場じゃん……?

 さっきまで思い思いにざわついていたはずなのに、なぜかみんなも静まりかえって私たちに注目している。
 思わず目を反らした先には、悠人くんがいて。
 ちょっと困ったような、でも何かを期待するような顔で、私を見ている。
 私は顔を覆って、ため息をついた。

「内緒にしてた、つもりじゃないんだけど……」
「あっはっはっは」

 紀美が笑いながら、悠人くんの手を引いて立ち上がらせた。
 不穏な気配を感じて、逃げようと腰を上げかけたけれど、時すでに遅し。

「ほら、響子。お返しするわ!」

 私の横まで悠人くんを引っ張ってくると、紀美はとん、とその背中を押した。
 目の前に立った悠人くんが、困惑顔で私を見下ろす。

「お、お返しって……」

 悠人くんはモノじゃない、と言おうと思ったけれど、

「ほら、はやく。まったく、ちゃんと返事してあげなさいよねー」
「へ、返事って……あの……!?」

 だから、いったい何の!?

 興味津々のまなざしが、四方八方から私を突き刺す。
 私は目を泳がせてもう一度悠人くんを見上げた。

「――えぇっと……」

 目を泳がせた悠人くんは、困ったように私を見下ろした。

「返事って……いつの……」

 乾いた声でそう問えば、悠人くんの顔がふにゃりと歪む。

「こないだ……夏休みの……結婚を……前提に……てやつ」

 ――ホテルで言っていたセリフのことだ。

 もそもそと言われて、ようやく、そう思い当たった。

「し、してなかったっけ、返事?」

 声は変に裏返った。場違いに静まりかえった中で、心臓の音がずんずん耳に響いてくる。
 悠人くんはもう泣きそうな顔にすら見えた。

 ――ああ、もう――

 頭がぐらぐらする。顔が熱を持っている。
 みんなが固唾をのんで見守っている中、腹をくくって、息を吸った。

「――私で……よければ」

 ほとんど、吐息のような小声で言ったはずだけれど、私の答えを聞き漏らすまいと息をひそめていた同級生たちは、直後にわっと声を挙げた。

「え、マジ? ここで婚約成立?」
「めでてーな!」
「橘くんと響子の婚約を祝してー!」

 あちこちで、グラスを重ねる音がする。笑い声と拍手に包まれる。

「おめでとー、響子!」
「なんだよもー、ずるいぞ、響子!」

 紀美とゆんちゃんが口々に言って、だけど二人とも笑った。
 私も笑いながら、二人の腕に抱き寄せられる。

「橘くん、ちゃんと幸せにしろよ!」
「響子、幸せになってね!」

 あたたかくて力強い、友人の腕の中で、乱暴に頭をかき回されて。
 私は思わず、泣きそうになった。

「うん――ありがと」

 顔を上げれば、何故か二人もちょっと目が潤んでいる。

「ゆん、何泣いてんのよ」
「だって……響子、すんごい色々、我慢してたからぁ……!」
「あっはは、やっぱ泣いてやんのー!」
「紀美だって泣いてんじゃんかー!」

 号泣しはじめたゆんちゃんの頭を抱きしめて振り向くと、そこには悠人くんの微笑みがある。
 涙で輪郭のやわらいだ悠人くんと、視線が合って、笑った。
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