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.第4章 ふたりの未来

60 平和

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 被災地から帰ってきた二日後、悠人くんはいつも通り、私の家で夕飯を作って待っていてくれた。
 玄関を開けると、悠人くんに「おかえり」と出迎えられ、「ただいま」と答えて玄関に入る。
 柔らかくドアの閉じる音がして、二人だけの空間になるや心がほぐれた。

「お風呂もそろそろ湧けるよ。先にご飯にする?」
「うん。ありがとう」

 台所には醤油とみりんの香ばしい香りがした。いい匂い、と鼻を鳴らすと、悠人くんがまた嬉しそうに微笑む。

「今日、牛すじにしたんだ。響子ちゃんが気に入ってたみたいだから」
「ほんと? 嬉しい」

 考える前に目が輝いたのが、我ながら子どもっぽい。日頃中学生を相手にしているからか、ときどき反応が移っている自覚はあった。笑って気恥ずかしさをごまかす。
 悠人くんはにこにこしながら、「今、器によそっちゃうね」と食器を取り出す。
 その手元を見て、そういえば、と顔を上げた。

「明日、どこにいく?」
「え? ああ、買い物?」
「うん」

 うなずくと、私も食事の準備を手伝い始めた。
 明日は、午前中に半休を取って、橘くん用の食器を買いに行くつもりだ。
 前からそうしようと言っていたのに、何だかんだでのびのびになってしまっていた。帰ってきたら一緒に買い物に行こうと、半ば決意していたのだ。
 人生は、いつ、何が起こるかわからない。浸れる幸せには、しっかり浸っておこう――その後、どんな未来が待ち受けていたとしても、きっとそれまでに積み重ねていた幸せが、生きていく糧になってくれる。
 被災地で三日間を過ごした後、私はそう思うようになった。

「どういうのがいい、とかある?」
「ううん。使えれば別に……響子ちゃんは?」
「私? こだわりありそうに見える?」

 ひょうきんめかして見やれば、「あはは」と笑ってごまかされた。私も肩をすくめて返す。

「あんまりおしゃれなお店も知らないしなぁ……品川にでも行く?」
「うーん……逆に横浜とか? 百貨店とか生活用品店とか近くにあるよね」
「あんまり選択肢ありすぎても迷っちゃうし」
「そうだよねぇ」

 お皿を並べながらそう話して、向かい合って座る。

「……ま、駅前でいっか」
「でも……生徒に会うかもしれないでしょ」
「うーん。そのときはそのときだよ」
「それでいいの?」

 アーモンド型の目が私を見てくる。私は笑ってこくりとうなずいた。

「……悠人くんがよければ」
「俺は全然構わないよ」

 視線を交わし合って、くすりと笑う。
 悠人くんが炊飯器を開けると、ふわりとご飯の香りがただよった。
 空腹に負けて手を合わせる。

「いただきます」
「どうぞ、めしあがれ」

 お箸を持つと、悠人くんはさりげなく手を止めて、私の表情を見つめる。
 いつも美味しいのだから、もっと自信を持てばいいのに。
 そう思うけれど、文句を言うよりはと、満面の笑みで舌鼓をうった。

「んー、おいしい!」
「よかった」

 「たくさん食べてね」と言う悠人くんは、前回の倍量で作ったのだと言う。

「だから失敗してたらどうしようかと思った」
「失敗することなんてあるの?」
「分かんない、あるかもしれない」

 ということは、失敗したことはないのだろう。
 悠人くんはちゃんとレシピ通り作りそうだもんな、と納得した。
 私はついつい、面倒そうなところを省略したり、足りない材料を適当にごまかしたりするから、いまいちな出来にしかならない。
 私の反応を見るまでゆっくりだった悠人くんの食事のスピードが、いつも通りになった。液体みたいにご飯を掻き込み始める。
 おかずを頬張って満足げにうなずく姿を見ていたら、疲れが飛んでいくようだ。
 私は料理を口に運びながら吐息をついた。

「はぁー、帰ったら美味しいご飯とお風呂だなんて、贅沢だなぁ」
「ふふ。おつかれさま」

 ほわん、と笑顔がまた、私を癒してくれる。
 ふと、複雑な気分になった。

「なんか……いっつも、言われてばっかりだね」

 悠人くんが首をかしげてまばたきした。

「私も、悠人くんに、おつかれさまって言いたいのにな……」

 悠人くんの仕事が終わったときに会えればできるのだろうけど、帰ってくるのは昼頃だという。
 それも、基本的には一日出勤、二日が非番・休日……というサイクルだから、出勤日は平日だったり土日だったりと不定期。
 私の仕事を考え合わせると、出迎えられるタイミングなんてなかなかないのだ。
 もちろん実家で待ってるわけにもいかないし、「おつかれさま」と出迎えるには、一緒に住むしかないのかもしれない――
 そんなことを考えていたら、不満顔になっていたらしい。

「今でも充分、癒されてるよ」

 気遣うように微笑まれて、私はため息交じりに唇を尖らせた。

「確かに……私には美味しいご飯を作って待ってることはできないけど」
「え? いや、そういうんじゃなくて」

 冗談半分むくれて見せると、悠人くんは困ったような顔をした。「冗談だよ」と言うと「もー」と頬を膨らませる。
 食べ終わるや悠人くんが私にじゃれてきて、私も笑ってそれを受け止める。
 できることなら、重なり合いたい。けれど、明日は用事があるから、互いに遠慮しているのだ。
 本気で触れればきっと求めてしまうから、冗談めかしてくすぐって、笑い合いながら身を寄せ合う。
 肩を抱き寄せられて頬を寄せれば、厚い胸からはとくんとくんと心臓の音が聞こえる。
 彼が生きている音に、耳を澄ませる。
 ふたりがこうして、共に生きている夜が、とてつもなく幸せだ。
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