49 / 56
第四部
16 行ってらっしゃい。行ってきます。
しおりを挟む
山ちゃんと私は、一つのベッドに横になった。
仰向けになった山ちゃんの腕に抱き着いて、ときどき思い出したように声をかけてみたけど、その返事が段々ぼんやりして来るのが分かって、私は黙った。
山ちゃんはしばらくすると寝息を立てはじめた。深い呼吸を聞きながら、私も目を閉じる。
山ちゃんに触れたところがやたらと熱かった。
男の人は筋肉質だから体温が高いのだろうか。温泉に入ったから熱いのだろうか。
それとも……もっと違う理由だろうか。
腕に絡めていた手をほどき、そっと肩へと伸ばす。胸へ、みぞおちへと、順に手を置く。
女とは違う硬さを持つ胸。次いでみぞおちに触れた手からは、山ちゃんの心臓の鼓動が伝わってきた。
すっかり寝入っている山ちゃんを、ちらりと見上げる。閉じた目に震えるまつげが見えた。柔らかく閉じられた口に、人差し指を乗せる。
柔らかい唇。
そういえば、一度も私からキスをしたことがなかった。
そろりと身体を起こし、顔を近づける。
それでも唇を合わせることはためらわれて、鼻頭に鼻頭をつけた。
山ちゃんは気づくことなく、すやすやと眠りつづけている。
それを見下ろして微笑んだ。
じわりと胸に広がる温かさ。
山ちゃんの首元に、顔を寄せる。
こんなに近くにいるのは、初めてだ。
頬を擦り寄せるようにして、手を首に触れた。
どくん、どくん、と脈打つ動脈が、手の平に伝わって来る。
脈の打ち方が、女の私よりも力強く感じた。
私は思い切り息を吸い、吐き出して、胸上に頭を乗せ、抱き着いた。
のそ、と山ちゃんの肩が動く。少し顔を上げると、山ちゃんがうっすら目を開けて微笑んでいた。
私の肩に腕を回し、また目を閉じる。
私も微笑んで、また胸の上に寄り掛かった。
山ちゃんの鼓動が聞こえる。
触れたすべてのところから、山ちゃんの熱を感じる。
包まれているような安心感に、目を閉じた。
山ちゃんはすやすや眠ってたけど、私はやっぱり暑くて眠れず、早めにベッドから出た。
ベッドのふちに腰掛けて、ぼんやり山ちゃんの寝顔を見下ろす。
大学生になって、山ちゃんの髪は少し短くなった。それを一つまみ、引っ張ってみる。
身じろぎもせず口をうっすら開いて眠る山ちゃんに笑って、いたずら心がわいた。
鼻の頭に指先を置いたり、眉毛を撫でたり、あっちこっち触れてみる。それでも山ちゃんが起きる気配はなくて、私はくすくす笑いながら、その頬にキスをした。
「ーー好きだよ、山ちゃん」
息だけで囁いたとき、山ちゃんが身じろぎする。
「……ん……」
ごろんと寝返りを打ち、またすやすやと眠りはじめた。
私は笑って、その頭を撫でる。
堅めの髪が手の平にちくちくした。
「朝風呂行ってくるね」
聞こえてるはずもないけど、一応囁いて、私は部屋を出た。
戻って来ると、山ちゃんはベッドのふちに腰掛けてぼんやりしていた。
髪はあっちこっちはねていて、浴衣も寝乱れたままだ。膝を広げているせいで、ほとんど下着まで見えそうだったので、私はあえて顔だけを見るように意識した。
「おはよ。起きたんだ」
「うん……」
山ちゃんは寝ぼけた顔で私を見て、少し唇を尖らせた。
私は首を傾げる。
「何?」
「いや……」
山ちゃんはふて腐れたように俯く。
「おらんかったから」
「え?」
「起きたらおらんかったから、つまらんかった」
私は目を数度またたかせた。
「だって、山ちゃん寝てたし。私あんまり眠れなくて」
「……うん」
私はゆっくり山ちゃんに近づいて行って、その頭を撫でた。
「山ちゃん、よく寝てたね」
「……昨日が、あんまり眠れんかったけん」
ふて腐れたまま、山ちゃんが言う。
私はふふ、と笑って、その頭を抱きしめた。
山ちゃんは一瞬の間の後、私の背中に手を回す。
「帰ってきたら、また旅行に行こうね」
山ちゃんはこくりと頷いた。
「今度はどこに行こうね。考えといて」
また、黙ったまま頷く。
と、顔を上げて私を見た。
「……そのときには……抱かせてくれるん?」
照れ草さを押し殺して平然を装ったと分かる表情に、私は噴き出す。
「どうかなぁ。そのときの気分次第」
山ちゃんはまた唇を尖らせた。
* * *
その日も少し観光して、私たちは駅へ向かった。
名古屋駅からは、それぞれ逆側の新幹線に乗る。
次に会うのは、私が帰国した後になるだろう。
「じゃあ、元気で」
恋人への挨拶にしては淡泊に、私は別れの言葉を告げた。
離れたくない。別れたくない。
いつだって感じてきた気持ちが、今日は一段と強い。
だからこそ、それを押し隠して、私は笑う。
「ぐっちゃんも……気をつけてな」
山ちゃんに言われて、私は頷いた。
山ちゃんの唇が一瞬開き、また閉じられる。
何か言いたげだけど、言葉が見つからないのだろう。
昨夜触れた唇の柔らかさを思い出す。
同時に、私からキスをしたことがなかったことも。
「山ちゃん」
山ちゃんがうつむきがちだった顔を上げた。
私は一歩近づき、そのシャツの裾をつかむ。
背伸びをして、背の高い彼の顔に照準を定めて。
掠め取るように、キスをした。
恥ずかしさと切なさと喜びがごちゃまぜの感情で笑顔を浮かべて、彼から離れた私は手を振る。
「行ってきます!」
山ちゃんはぽかんとして、唇を押さえた。
そしてその手を翻し、私に振った。
「行ってらっしゃい」
私はホームへと走り出す。山ちゃんの声が追って聞こえた。
「ーー待ってるからな!」
私はぐっとお腹に力をこめた。振り返り、できるだけの笑顔で手を振る。山ちゃんが手を振り返すのを見て、ホームを駆け上がっていく。
涙が込み上げてきて、必死でおさえた。
好き。好きーー好き。
文句の一つも言わず、私のことを応援してくれる山ちゃんの優しさが嬉しい。愛しい。
どうかーーどうか。
また、会えますように。
また二人で、楽しい時間を過ごせますように。
私が帰国した後にもーー
あふれてきた涙を、手でおさえた。
これは彼の優しさに喜ぶ涙だと、自分に言い聞かせながら。
仰向けになった山ちゃんの腕に抱き着いて、ときどき思い出したように声をかけてみたけど、その返事が段々ぼんやりして来るのが分かって、私は黙った。
山ちゃんはしばらくすると寝息を立てはじめた。深い呼吸を聞きながら、私も目を閉じる。
山ちゃんに触れたところがやたらと熱かった。
男の人は筋肉質だから体温が高いのだろうか。温泉に入ったから熱いのだろうか。
それとも……もっと違う理由だろうか。
腕に絡めていた手をほどき、そっと肩へと伸ばす。胸へ、みぞおちへと、順に手を置く。
女とは違う硬さを持つ胸。次いでみぞおちに触れた手からは、山ちゃんの心臓の鼓動が伝わってきた。
すっかり寝入っている山ちゃんを、ちらりと見上げる。閉じた目に震えるまつげが見えた。柔らかく閉じられた口に、人差し指を乗せる。
柔らかい唇。
そういえば、一度も私からキスをしたことがなかった。
そろりと身体を起こし、顔を近づける。
それでも唇を合わせることはためらわれて、鼻頭に鼻頭をつけた。
山ちゃんは気づくことなく、すやすやと眠りつづけている。
それを見下ろして微笑んだ。
じわりと胸に広がる温かさ。
山ちゃんの首元に、顔を寄せる。
こんなに近くにいるのは、初めてだ。
頬を擦り寄せるようにして、手を首に触れた。
どくん、どくん、と脈打つ動脈が、手の平に伝わって来る。
脈の打ち方が、女の私よりも力強く感じた。
私は思い切り息を吸い、吐き出して、胸上に頭を乗せ、抱き着いた。
のそ、と山ちゃんの肩が動く。少し顔を上げると、山ちゃんがうっすら目を開けて微笑んでいた。
私の肩に腕を回し、また目を閉じる。
私も微笑んで、また胸の上に寄り掛かった。
山ちゃんの鼓動が聞こえる。
触れたすべてのところから、山ちゃんの熱を感じる。
包まれているような安心感に、目を閉じた。
山ちゃんはすやすや眠ってたけど、私はやっぱり暑くて眠れず、早めにベッドから出た。
ベッドのふちに腰掛けて、ぼんやり山ちゃんの寝顔を見下ろす。
大学生になって、山ちゃんの髪は少し短くなった。それを一つまみ、引っ張ってみる。
身じろぎもせず口をうっすら開いて眠る山ちゃんに笑って、いたずら心がわいた。
鼻の頭に指先を置いたり、眉毛を撫でたり、あっちこっち触れてみる。それでも山ちゃんが起きる気配はなくて、私はくすくす笑いながら、その頬にキスをした。
「ーー好きだよ、山ちゃん」
息だけで囁いたとき、山ちゃんが身じろぎする。
「……ん……」
ごろんと寝返りを打ち、またすやすやと眠りはじめた。
私は笑って、その頭を撫でる。
堅めの髪が手の平にちくちくした。
「朝風呂行ってくるね」
聞こえてるはずもないけど、一応囁いて、私は部屋を出た。
戻って来ると、山ちゃんはベッドのふちに腰掛けてぼんやりしていた。
髪はあっちこっちはねていて、浴衣も寝乱れたままだ。膝を広げているせいで、ほとんど下着まで見えそうだったので、私はあえて顔だけを見るように意識した。
「おはよ。起きたんだ」
「うん……」
山ちゃんは寝ぼけた顔で私を見て、少し唇を尖らせた。
私は首を傾げる。
「何?」
「いや……」
山ちゃんはふて腐れたように俯く。
「おらんかったから」
「え?」
「起きたらおらんかったから、つまらんかった」
私は目を数度またたかせた。
「だって、山ちゃん寝てたし。私あんまり眠れなくて」
「……うん」
私はゆっくり山ちゃんに近づいて行って、その頭を撫でた。
「山ちゃん、よく寝てたね」
「……昨日が、あんまり眠れんかったけん」
ふて腐れたまま、山ちゃんが言う。
私はふふ、と笑って、その頭を抱きしめた。
山ちゃんは一瞬の間の後、私の背中に手を回す。
「帰ってきたら、また旅行に行こうね」
山ちゃんはこくりと頷いた。
「今度はどこに行こうね。考えといて」
また、黙ったまま頷く。
と、顔を上げて私を見た。
「……そのときには……抱かせてくれるん?」
照れ草さを押し殺して平然を装ったと分かる表情に、私は噴き出す。
「どうかなぁ。そのときの気分次第」
山ちゃんはまた唇を尖らせた。
* * *
その日も少し観光して、私たちは駅へ向かった。
名古屋駅からは、それぞれ逆側の新幹線に乗る。
次に会うのは、私が帰国した後になるだろう。
「じゃあ、元気で」
恋人への挨拶にしては淡泊に、私は別れの言葉を告げた。
離れたくない。別れたくない。
いつだって感じてきた気持ちが、今日は一段と強い。
だからこそ、それを押し隠して、私は笑う。
「ぐっちゃんも……気をつけてな」
山ちゃんに言われて、私は頷いた。
山ちゃんの唇が一瞬開き、また閉じられる。
何か言いたげだけど、言葉が見つからないのだろう。
昨夜触れた唇の柔らかさを思い出す。
同時に、私からキスをしたことがなかったことも。
「山ちゃん」
山ちゃんがうつむきがちだった顔を上げた。
私は一歩近づき、そのシャツの裾をつかむ。
背伸びをして、背の高い彼の顔に照準を定めて。
掠め取るように、キスをした。
恥ずかしさと切なさと喜びがごちゃまぜの感情で笑顔を浮かべて、彼から離れた私は手を振る。
「行ってきます!」
山ちゃんはぽかんとして、唇を押さえた。
そしてその手を翻し、私に振った。
「行ってらっしゃい」
私はホームへと走り出す。山ちゃんの声が追って聞こえた。
「ーー待ってるからな!」
私はぐっとお腹に力をこめた。振り返り、できるだけの笑顔で手を振る。山ちゃんが手を振り返すのを見て、ホームを駆け上がっていく。
涙が込み上げてきて、必死でおさえた。
好き。好きーー好き。
文句の一つも言わず、私のことを応援してくれる山ちゃんの優しさが嬉しい。愛しい。
どうかーーどうか。
また、会えますように。
また二人で、楽しい時間を過ごせますように。
私が帰国した後にもーー
あふれてきた涙を、手でおさえた。
これは彼の優しさに喜ぶ涙だと、自分に言い聞かせながら。
0
お気に入りに追加
53
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
僕《わたし》は誰でしょう
紫音
青春
交通事故の後遺症で記憶喪失になってしまった女子高生・比良坂すずは、自分が女であることに違和感を抱く。
「自分はもともと男ではなかったか?」
事故後から男性寄りの思考になり、周囲とのギャップに悩む彼女は、次第に身に覚えのないはずの記憶を思い出し始める。まるで別人のものとしか思えないその記憶は、一体どこから来たのだろうか。
見知らぬ思い出をめぐる青春SF。
※第7回ライト文芸大賞奨励賞受賞作品です。
※表紙イラスト=ミカスケ様
青春リフレクション
羽月咲羅
青春
16歳までしか生きられない――。
命の期限がある一条蒼月は未来も希望もなく、生きることを諦め、死ぬことを受け入れるしかできずにいた。
そんなある日、一人の少女に出会う。
彼女はいつも当たり前のように側にいて、次第に蒼月の心にも変化が現れる。
でも、その出会いは偶然じゃなく、必然だった…!?
胸きゅんありの切ない恋愛作品、の予定です!
幼なじみとセックスごっこを始めて、10年がたった。
スタジオ.T
青春
幼なじみの鞠川春姫(まりかわはるひめ)は、学校内でも屈指の美少女だ。
そんな春姫と俺は、毎週水曜日にセックスごっこをする約束をしている。
ゆるいイチャラブ、そしてエッチなラブストーリー。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
裏切りの代償
志波 連
恋愛
伯爵令嬢であるキャンディは婚約者ニックの浮気を知り、婚約解消を願い出るが1年間の再教育を施すというニックの父親の言葉に願いを取り下げ、家出を決行した。
家庭教師という職を得て充実した日々を送るキャンディの前に父親が現れた。
連れ帰られ無理やりニックと結婚させられたキャンディだったが、子供もできてこれも人生だと思い直し、ニックの妻として人生を全うしようとする。
しかしある日ニックが浮気をしていることをしり、我慢の限界を迎えたキャンディは、友人の手を借りながら人生を切り開いていくのだった。
他サイトでも掲載しています。
R15を保険で追加しました。
表紙は写真AC様よりダウンロードしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる