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第三部
05
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神崎さんと会ったのは、それから数日後、敬老の日の前日だ。
「何だ、ヒカル。髪切ったのか」
車から顔を覗かせた神崎さんは、私を見るなりそう言った。山ちゃんとの見事な差に、思わず私は笑う。
「やっぱり、神崎さんは気づくんだ」
「は? だって全然違うじゃねぇか。気付かない奴とかいんの?」
いるいる。と心の中で答えて笑うと、勧められるまま助手席に座る。
少し大きめの車の後部座席には、チャイルドシートが二つついていた。
「チャイルドシート、二つもある」
座ってベルトをつけると、きょろきょろしながら言う。
「そう。邪魔だけど仕方ないな」
「今日、大丈夫なの? お子さん」
「うん。明日、敬老の日だろ。どうせ実家に集まるから、上二人は先に連れてって、お泊り」
神崎さんの家は、この6月に三人目が生まれたらしい。
「三人目、女の子なんでしょ。かわいい?」
「さあなぁ」
神崎さんは笑って、ダークグレーのレンズのサングラスをかけた。
「息子たちも可愛かったし、あんまり大差ないよ。これからはどうか知らないけど」
「ふぅん」
私は頷きながら、運転するその横顔を見ていた。結局、行き先の選択を神崎さんに任せたので、首を傾げて聞いてみる。
「今日、どこ行くんだっけ」
「ダム。行ったことある?」
「ううん、ない」
「ま、車が多そうならただのドライブになるけど。さすがに無理に運転させて事故らせる気はない」
言われて私は笑った。そういうところ、神崎さんはしっかりしている。
「うん、それでいい」
言うと神崎さんは微笑んで、また前方を向いた。
高速道路から下りてしばらく走っていると、だいぶのどかな風景になってきた。
そこまで約二時間。土日とはいえ9月だからか、そんなに道も混んでない。
少し遅めの昼食を食べてレストランから出て来ると、神崎さんが私を見やった。
「そろそろ運転してみるか?」
「え」
「何だお前、もしかして今日の目的忘れてた?」
笑われて照れ隠しに唇を尖らせる。忘れてた訳ではないけど、もういいかなー、という気になってはいた。
「ほれ、地図見ろ」
神崎さんは言って、地図を広げた。神崎さんちの車にはカーナビがついてない。それもそれで彼らしかった。
「今ここ。この道ずっとまっすぐだから。山道っつってもそんなにくねってないし、傾斜も緩やかだから。練習にはちょうどいいだろ」
言うと、キーを私に渡して仮免のプレートを車につけ、助手席に回る。
私もおずおずと運転席に回った。
「ミラーの位置、調整しろよ。ブレーキの重さも確認しとけ」
なんとなくそわそわする私に笑いながら言って、自分はシートベルトをつけ、長い足を組む。
「さて、お手並み拝見」
言うと、片手を窓上の手すりにかけた。
「……もしかして、結構怖がってる?」
「ったりめーだろ。初心者の運転が怖くない奴なんているか」
毒づくように言って、思い出したように苦笑する。
「まあ、初心者じゃなくても怖い奴もいるけど」
「……それ、奥さんのこと?」
「まあな。俺は絶対横に乗らないと決めてる」
私は笑った。
「でも、仕事はできる人なんでしょ?」
「そうなんだけどな。発進と停車の勢いが良すぎる」
言って、早くしろと手で示した。私はこくりと頷いて、キーを回す。
エンジンが動き出し、ぶるぶると震えた。きゅっと唇を結んでサイドブレーキを外し、ゆっくりとアクセルを踏む。
「左よし」
そろそろと道へ進むと、神崎さんが確認してくれた。
左右を見て、左折する。
高い建物のない道を、ただただまっすぐに走っていく。時々、近隣住民の車が通るくらいで、車はほとんど走っていない。
神崎さんは私の横顔を見たり、道を確認したりしていたが、あえて話しかけないようにしていると分かった。
「あっ」
道路を何かを横切って、慌ててブレーキを踏む。どん、と前につんのめった。
私と神崎さんは顔を見合わせ、ほっと息を吐き出す。
「今のって、タヌキ?」
「かもな。丸いしっぽだった」
「関東にもいるんだ、タヌキ」
「そりゃいるだろ、田舎行けば」
一呼吸おいて、私はまたアクセルをゆっくり踏む。
「ちなみに、後ろに車いるときは人命優先だぞ」
「……分かってる」
いなくてよかった、と思いつつ頷く。後方車両の確認ととっさに現れた動物を避けるのを、今の私が同時にできるとは思えない。
「……お前、安全運転だな」
「当たり前でしょ、仮免だし」
「まあそうだけど」
とろとろと進む車に、神崎さんが苦笑する。
「覚えてるか、俺の同僚の女性」
「え? ああ、あの、バスケやってたとき迎えに来てくれた人?」
「そうそう。あいつも、すげぇ安全運転。標識とか規則とかがっちり守んの。役人とかの方が向いてそうなんだけど……多分、給料低いからなりたくなかったんだろうな」
私はふぅんと相槌を打ちながらハンドルを握っている。
「お前は、あるの? 卒業後の夢」
聞かれて、うーん、と小さく首を捻る。
「あるといえばあるけど、ないといえばないかなぁ」
「何だそれ」
「在学中に留学したいなーとは、思ってるけど」
「ほう」
神崎さんは目をまたたかせた。
「どこ行きたいんだ?」
「イギリスかな。二年の冬から行こうかなって」
「なるほど」
神崎さんは言って、前方を見た。
「ま、何にしろやりたいことはやっとけ。大して意味がなかったと思うときもあるけど、大概のことはいい思い出なり経験になる」
私はハンドルを握りながら笑った。
「なんか神崎さんがセンパイぽいこと言ってる」
「センパイだよ。お前んとこのOBだ。文句あるか」
神崎さんが言って、二人で笑った。
「何だ、ヒカル。髪切ったのか」
車から顔を覗かせた神崎さんは、私を見るなりそう言った。山ちゃんとの見事な差に、思わず私は笑う。
「やっぱり、神崎さんは気づくんだ」
「は? だって全然違うじゃねぇか。気付かない奴とかいんの?」
いるいる。と心の中で答えて笑うと、勧められるまま助手席に座る。
少し大きめの車の後部座席には、チャイルドシートが二つついていた。
「チャイルドシート、二つもある」
座ってベルトをつけると、きょろきょろしながら言う。
「そう。邪魔だけど仕方ないな」
「今日、大丈夫なの? お子さん」
「うん。明日、敬老の日だろ。どうせ実家に集まるから、上二人は先に連れてって、お泊り」
神崎さんの家は、この6月に三人目が生まれたらしい。
「三人目、女の子なんでしょ。かわいい?」
「さあなぁ」
神崎さんは笑って、ダークグレーのレンズのサングラスをかけた。
「息子たちも可愛かったし、あんまり大差ないよ。これからはどうか知らないけど」
「ふぅん」
私は頷きながら、運転するその横顔を見ていた。結局、行き先の選択を神崎さんに任せたので、首を傾げて聞いてみる。
「今日、どこ行くんだっけ」
「ダム。行ったことある?」
「ううん、ない」
「ま、車が多そうならただのドライブになるけど。さすがに無理に運転させて事故らせる気はない」
言われて私は笑った。そういうところ、神崎さんはしっかりしている。
「うん、それでいい」
言うと神崎さんは微笑んで、また前方を向いた。
高速道路から下りてしばらく走っていると、だいぶのどかな風景になってきた。
そこまで約二時間。土日とはいえ9月だからか、そんなに道も混んでない。
少し遅めの昼食を食べてレストランから出て来ると、神崎さんが私を見やった。
「そろそろ運転してみるか?」
「え」
「何だお前、もしかして今日の目的忘れてた?」
笑われて照れ隠しに唇を尖らせる。忘れてた訳ではないけど、もういいかなー、という気になってはいた。
「ほれ、地図見ろ」
神崎さんは言って、地図を広げた。神崎さんちの車にはカーナビがついてない。それもそれで彼らしかった。
「今ここ。この道ずっとまっすぐだから。山道っつってもそんなにくねってないし、傾斜も緩やかだから。練習にはちょうどいいだろ」
言うと、キーを私に渡して仮免のプレートを車につけ、助手席に回る。
私もおずおずと運転席に回った。
「ミラーの位置、調整しろよ。ブレーキの重さも確認しとけ」
なんとなくそわそわする私に笑いながら言って、自分はシートベルトをつけ、長い足を組む。
「さて、お手並み拝見」
言うと、片手を窓上の手すりにかけた。
「……もしかして、結構怖がってる?」
「ったりめーだろ。初心者の運転が怖くない奴なんているか」
毒づくように言って、思い出したように苦笑する。
「まあ、初心者じゃなくても怖い奴もいるけど」
「……それ、奥さんのこと?」
「まあな。俺は絶対横に乗らないと決めてる」
私は笑った。
「でも、仕事はできる人なんでしょ?」
「そうなんだけどな。発進と停車の勢いが良すぎる」
言って、早くしろと手で示した。私はこくりと頷いて、キーを回す。
エンジンが動き出し、ぶるぶると震えた。きゅっと唇を結んでサイドブレーキを外し、ゆっくりとアクセルを踏む。
「左よし」
そろそろと道へ進むと、神崎さんが確認してくれた。
左右を見て、左折する。
高い建物のない道を、ただただまっすぐに走っていく。時々、近隣住民の車が通るくらいで、車はほとんど走っていない。
神崎さんは私の横顔を見たり、道を確認したりしていたが、あえて話しかけないようにしていると分かった。
「あっ」
道路を何かを横切って、慌ててブレーキを踏む。どん、と前につんのめった。
私と神崎さんは顔を見合わせ、ほっと息を吐き出す。
「今のって、タヌキ?」
「かもな。丸いしっぽだった」
「関東にもいるんだ、タヌキ」
「そりゃいるだろ、田舎行けば」
一呼吸おいて、私はまたアクセルをゆっくり踏む。
「ちなみに、後ろに車いるときは人命優先だぞ」
「……分かってる」
いなくてよかった、と思いつつ頷く。後方車両の確認ととっさに現れた動物を避けるのを、今の私が同時にできるとは思えない。
「……お前、安全運転だな」
「当たり前でしょ、仮免だし」
「まあそうだけど」
とろとろと進む車に、神崎さんが苦笑する。
「覚えてるか、俺の同僚の女性」
「え? ああ、あの、バスケやってたとき迎えに来てくれた人?」
「そうそう。あいつも、すげぇ安全運転。標識とか規則とかがっちり守んの。役人とかの方が向いてそうなんだけど……多分、給料低いからなりたくなかったんだろうな」
私はふぅんと相槌を打ちながらハンドルを握っている。
「お前は、あるの? 卒業後の夢」
聞かれて、うーん、と小さく首を捻る。
「あるといえばあるけど、ないといえばないかなぁ」
「何だそれ」
「在学中に留学したいなーとは、思ってるけど」
「ほう」
神崎さんは目をまたたかせた。
「どこ行きたいんだ?」
「イギリスかな。二年の冬から行こうかなって」
「なるほど」
神崎さんは言って、前方を見た。
「ま、何にしろやりたいことはやっとけ。大して意味がなかったと思うときもあるけど、大概のことはいい思い出なり経験になる」
私はハンドルを握りながら笑った。
「なんか神崎さんがセンパイぽいこと言ってる」
「センパイだよ。お前んとこのOBだ。文句あるか」
神崎さんが言って、二人で笑った。
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