初恋旅行に出かけます

松丹子

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第二部

06 ガールズトーク

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【東京、いつ行くん?】
 山ちゃんからメッセージが来たのは、卒業式の二日後だった。私はおじいちゃんとおばあちゃんとお父さんで、温泉のあるホテルにいた。
 家から1時間ほど車を走らせると海沿いに出る。その海岸沿いを北上したところにあるこのホテルは、何かにつけてよく利用していた。
 せっかく海岸沿いを車で走ったとはいえ、おじいちゃんたちの仕事が終わってから出発したので、見えるのは黒々と広がる様だけだった。
 玄界灘の波が岩にぶつかって白く散る様だけが、ときどき思い出したように顔を覗かせていた。
「友達からか?」
 私がスマホを見たので、おじいちゃんが言った。私は頷く。
「いつ東京に行くのかって」
「なん、男か」
 おじいちゃんがにやりとした横で、お父さんが表情を変えた。
「ま、まだ早い!」
「早くなかろう」
 おばあちゃんは笑った。
「私がおじいちゃんに会ったんも、十八のときよ」
「え、そうなんだ」
 私はスマホを傍らに置いて身を乗り出した。
「そういえば、聞いたことない。おばあちゃんたちの出会い」
「言わんかったかねぇ」
「やめんか、花子」
 おじいちゃんが仏頂面で言った。気恥ずかしいときの顔だと見て取り、私は笑う。
「じゃあ、お風呂で聞く。おばあちゃん、温泉行こう」
「そうやね。せっかくやもん、温泉入らな、もったいないね」
「花子、言うなよ」
「おじいちゃん、照れてる」
「照れとらん。他人に言うような話やないっちゃろ」
「他人じゃないもん。孫だもん」
 私は言いながらタオルと着替えを手にした。
「行ってくるね」
「ヒカル」
 私がドアを開けて廊下に立つと、お父さんは変に厳しい顔をして私を呼んだ。
「さっきの相手が男かどうか、答えとらんぞ」
 私は噴き出した。
「男だよ。じゃ、行ってきます」
 私の答えにあわてふためくお父さんの姿を見ながら、私はドアを閉めた。
 廊下で目を見合わせたおばあちゃんが、楽しげに笑い声をたてる。共犯者のような気分が、私たち二人を浮き立たせた。
「おじいちゃん、今でもおばあちゃんのこと大好きだよね」
 歩き出しながら私が言うと、おばあちゃんは笑った。
「そうかねぇ」
「じゃなかったら、話すななんて言わないよ」
「そうかもしれんねぇ」
 おじいちゃんが九州男児然としている一方、おばあちゃんはおっとりしている。それこそまさに九州の女、だ。
 東京から来たときには、それが物足りなく感じたときもあったけど、おじいちゃんとおばあちゃんの関係は、そういうバランスでいい具合に行っているんだろう、と今では分かるようになった。お父さんとお母さんは、むしろ力関係が逆だったように思うけど。
「男の人は、上手に立てて、上手に操らんなね」
 おばあちゃんはにこにこしながら言った。私は思わず噴き出す。
「見習います」
「うん、ヒカルも上手になるやろ。私の自慢の孫やもん」
「うん、がんばる」
 私はおばあちゃんの腕に抱き着いた。
 小学生のときは、夏休みに会えればラッキーだったおばあちゃん。その背をいつ追い越したのかは分からないけど、身長が私より小柄でも、心はとっても広くて、しっかり受け止めて包んでくれる。
 傍から見たら不格好なのを自覚しながら、私はおばあちゃんの腕に抱き着いたまま、廊下を歩いて行った。
 経年で少し時代を感じさせる廊下に、私とおばあちゃんのスリッパの音が、静かに響いていた。

 私は温泉に入りながら、おばあちゃんからおじいちゃんとの馴れ初めを聞いた。他に、お父さんの青春時代や、結婚のときの話も。
 おばあちゃんは楽しそうに話しながら、「でも、内緒よ」と口元に指先を当てていた。その表情が少女じみていて、私はくすぐったい気持ちになった。
「不思議」
「なに?」
「おばあちゃんと、ガールズトークしてる」
「ガールズトーク」
 おばあちゃんはまばたきした。おばあちゃんにとっては新しい言葉だったらしい。
 と思うと、途端に微笑む。
「寂しくなるねぇ」
「え?」
 私はおばあちゃんの顔を見た。おばあちゃんは露天の夜空を眺めながら、息を吐き出すようにしみじみ言った。
 露天風呂の湯気が立ち上り、夜空を遮っていたが、ときどき湯気の合間に星が瞬くのが見えた。
 東京よりも福岡の方が、断然、星がよく見える。
「ヒカルがおると、最近の若い子の言葉もいろいろ知るけん、面白かったぁ」
 それを聞いて、初めて気づいた。
 おばあちゃんが、他のおばあちゃんより若く見えたのは、そういうのもあるのかもしれない。
 おばあちゃんの肩にこつんと頭を預けると、後ろでお団子にした私の髪が温泉に少し浸った。
 おばあちゃんはそれに気づいて、さりげなく私の髪をなで上げる。その心地よさに私は目を閉じた。
「おばあちゃん、元気でおってね」
 言葉は自然と口からこぼれた。
「え?」
 おばあちゃんは驚いたように私を見る。
 私が顔を上げて首をかしげると、おばあちゃんは笑い出した。
「え? 何? 私何か変なこと言った?」
「言わん、言わん。ただ、ちょっと」
 おばあちゃんは笑いながら、目尻に手を当てる。笑って泣いているのか、他の涙なのかは分からなかった。
「今、あんた、初めてこっちの言葉話したね」
「え?」
 私はびっくりして口を押さえる。全然、自覚してなかった。
 私の驚いた顔を見て、おばあちゃんはますます笑った。しばらく笑って、笑いすぎて、逆上せそうだから上がろう、と立ち上がった。
 私はそれを追いながら、少しだけ気恥ずかしさを感じた。

 今まで頑なに方言を話さなかったわけじゃない。ただ単に、中途半端な方言を話すのは、地元の人に失礼かなと思ったし、それこそ馬鹿にされるんじゃないかと思ったからだ。
 でも、さすがに六年もいると、少しイントネーションにつられることもあったし、頭の中でつい、こちらの言葉になることもあった。
 なぜか嬉しそうなおばあちゃんを見ながら、ちょっとだけ後悔する。
 こんなに喜んでくれるんなら、進んで同じ言葉を話せばよかった。
「向こうに行ったら、おばあちゃんと話すときは、福岡弁にしようかな」
「あはははは、そうしたら、忘れんかもしれんねぇ」
 二人で笑いながら、身支度を整えた。
 温泉で温まったおばあちゃんの肌は、つやつやとピンク色に上気していた。
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