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第一部
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その日、部活が終わった後、私は忘れものをして、一人で部室に戻った。そこを、男バスの同級生がついてきた。
私は不思議に思いながらも、同級生と一緒に帰路についていた。女子から人気がある男子が、私に気があるなんて思ってなかったから、何も考えずに話していた。
聞かれるままに、「彼」とのバスケの練習について話していたら、男子はなんとなく苛立ち始めた。
「そのうちホテルにでも連れて行かれるんやないか」
鼻でせせら笑いながら言われて、私はかっとした。
「あんたにあの人の何が分かる? 馬鹿なこと言うな! 最低!」
そのとき相手の顔色が変わったのが分かった。
「そんなに、あいつのことが大事なんか。あんな、チャラチャラした男が」
「チャラチャラなんてしてない!」
「こないだも女連れやったやないか!」
「あれは東京にいる彼女さんだもん!」
「東京に彼女がいて、毎週お前の練習につき合うんか。それで、チャラチャラしてない、信頼できる男だと思うんか?」
「何も知らない癖に!」
私は悔しさに叫ぶように言った。
「僕のことも、あの人のことも、何も知らない癖に、分かったような口効くなよ!」
そして気付けば、強引に、人気のない場所に引きずり込まれていた。
必死にもがいて抵抗していると、パトカーのサイレンの音がした。それにはっとした男子が力を緩めた隙に、私はサイレンの方へ走り始めた。
無我夢中で走って、走って、走り続けて、私が立っていたのは、「彼」の家の前だった。
「彼」はその日帰りが遅くて、会社におばあちゃんから電話がかかってきたらしい。私を探しに会社を出て、もしかしたらと自分の家に帰ってみたら、私がいた。
多くを聞かず、私を家に上げた彼は、私に服を貸してくれた。私のシャツはボタンが飛んで、砂に汚れていた。
彼がいつも飲むという、ブラックコーヒーをいれてくれた。飲み慣れないその飲み物は苦くて、大人の味がした。
「彼」に車で送ってもらって帰宅すると、みんなが心配して待っていた。
憔悴した私は痛む身体をざっとお風呂で洗って眠りについたが、翌日とその翌日は学校に行く気にもならず、家にいた。
その次の日は、学校には行ったけど、部活に参加する気になれなくて、でも家の人に心配されるのも煩わしくて、ふらりと立ち寄った「彼」の家で、「彼」は頬杖をついてむくれていた。
「先にお前に会ってなければ、殴ってたかも知れねぇ」
あの出来事の翌日、例の男子に呼び出されたと話した「彼」はそう言った。
それを聞いて、初めて気づいた。あの男子は私のことが気になっていて、そして私の「彼」への想いに気づいていたんだと。
「バスケできなくなったらかわいそうだから」
と言って、見知らぬ男に暴力を振るわれたことにした私に、「彼」は不服げだった。
「お前は優しすぎるんだよ。なんであんなやつの心配してやるんだ」
傷がついた私の膝を見られて、ちょっと身じろぐ。
整った顔が真顔になると、結構な迫力があるものなんだなぁと思った。
その日「彼」は、それまでは置いていなかったはずの紅茶を私にいれてくれた。
ブラックコーヒーが飲めない私のために準備してくれたらしいと察して、嬉しくなった。
私がじっと見つめていると、「彼」は苦笑混じりの笑顔を浮かべた。
そんな表情も、ひどく様になる人だった。
「まあでも、お前の気持ちの問題だもんな。来たくなったらいつでも来い」
言って私の短い髪をくしゃくしゃにした。私が照れ隠しに怒って見せると、「彼」も相貌を緩めて笑った。
思わぬ出来事から得たその時間は、泣きそうなくらい、嬉しいひと時だった。
許されるのはそのひと時だけと、子どもながらに、分かっていたけど。
でも、今だけは、甘えさせて欲しいとーー側にいてほしいと、そう思っている自分がいた。
だからきっと、「彼」も黙って、側にいてくれたんだろうと思う。
私が満身創痍で現れた日以外、「彼」は私の身体に触れなかった。
そりゃそうだ。妹でも彼女でもなんでもない、私はただの、取引先の孫なんだから。
たまたま、「彼」が得意なバスケをしていて、たまたま、教えてもらっていただけ。
頭を撫でてもらえるだけでも、ありがたいと思わなきゃ。
側にいてもらえるだけでも、ありがたいと思わなきゃ。
自分に言い聞かせながら、私は気づいていた。気づかざるを得なかった。
夜眠りに落ちる瞬間。もしくは、夢から覚める直前。
その一瞬、私は幻想を見た。私の身体を包む、「彼」の筋肉質な身体。大きな手。その温かさと、胸をしめつける切なさ。
それを感じるたび、自分も女なんだということを、自覚せざるを得なかった。
初めて感じる切なさと身体の疼きに、自分の身体を抱きしめて堪えた。
それからは、一人で彼の家に行くのはやめた。
私は不思議に思いながらも、同級生と一緒に帰路についていた。女子から人気がある男子が、私に気があるなんて思ってなかったから、何も考えずに話していた。
聞かれるままに、「彼」とのバスケの練習について話していたら、男子はなんとなく苛立ち始めた。
「そのうちホテルにでも連れて行かれるんやないか」
鼻でせせら笑いながら言われて、私はかっとした。
「あんたにあの人の何が分かる? 馬鹿なこと言うな! 最低!」
そのとき相手の顔色が変わったのが分かった。
「そんなに、あいつのことが大事なんか。あんな、チャラチャラした男が」
「チャラチャラなんてしてない!」
「こないだも女連れやったやないか!」
「あれは東京にいる彼女さんだもん!」
「東京に彼女がいて、毎週お前の練習につき合うんか。それで、チャラチャラしてない、信頼できる男だと思うんか?」
「何も知らない癖に!」
私は悔しさに叫ぶように言った。
「僕のことも、あの人のことも、何も知らない癖に、分かったような口効くなよ!」
そして気付けば、強引に、人気のない場所に引きずり込まれていた。
必死にもがいて抵抗していると、パトカーのサイレンの音がした。それにはっとした男子が力を緩めた隙に、私はサイレンの方へ走り始めた。
無我夢中で走って、走って、走り続けて、私が立っていたのは、「彼」の家の前だった。
「彼」はその日帰りが遅くて、会社におばあちゃんから電話がかかってきたらしい。私を探しに会社を出て、もしかしたらと自分の家に帰ってみたら、私がいた。
多くを聞かず、私を家に上げた彼は、私に服を貸してくれた。私のシャツはボタンが飛んで、砂に汚れていた。
彼がいつも飲むという、ブラックコーヒーをいれてくれた。飲み慣れないその飲み物は苦くて、大人の味がした。
「彼」に車で送ってもらって帰宅すると、みんなが心配して待っていた。
憔悴した私は痛む身体をざっとお風呂で洗って眠りについたが、翌日とその翌日は学校に行く気にもならず、家にいた。
その次の日は、学校には行ったけど、部活に参加する気になれなくて、でも家の人に心配されるのも煩わしくて、ふらりと立ち寄った「彼」の家で、「彼」は頬杖をついてむくれていた。
「先にお前に会ってなければ、殴ってたかも知れねぇ」
あの出来事の翌日、例の男子に呼び出されたと話した「彼」はそう言った。
それを聞いて、初めて気づいた。あの男子は私のことが気になっていて、そして私の「彼」への想いに気づいていたんだと。
「バスケできなくなったらかわいそうだから」
と言って、見知らぬ男に暴力を振るわれたことにした私に、「彼」は不服げだった。
「お前は優しすぎるんだよ。なんであんなやつの心配してやるんだ」
傷がついた私の膝を見られて、ちょっと身じろぐ。
整った顔が真顔になると、結構な迫力があるものなんだなぁと思った。
その日「彼」は、それまでは置いていなかったはずの紅茶を私にいれてくれた。
ブラックコーヒーが飲めない私のために準備してくれたらしいと察して、嬉しくなった。
私がじっと見つめていると、「彼」は苦笑混じりの笑顔を浮かべた。
そんな表情も、ひどく様になる人だった。
「まあでも、お前の気持ちの問題だもんな。来たくなったらいつでも来い」
言って私の短い髪をくしゃくしゃにした。私が照れ隠しに怒って見せると、「彼」も相貌を緩めて笑った。
思わぬ出来事から得たその時間は、泣きそうなくらい、嬉しいひと時だった。
許されるのはそのひと時だけと、子どもながらに、分かっていたけど。
でも、今だけは、甘えさせて欲しいとーー側にいてほしいと、そう思っている自分がいた。
だからきっと、「彼」も黙って、側にいてくれたんだろうと思う。
私が満身創痍で現れた日以外、「彼」は私の身体に触れなかった。
そりゃそうだ。妹でも彼女でもなんでもない、私はただの、取引先の孫なんだから。
たまたま、「彼」が得意なバスケをしていて、たまたま、教えてもらっていただけ。
頭を撫でてもらえるだけでも、ありがたいと思わなきゃ。
側にいてもらえるだけでも、ありがたいと思わなきゃ。
自分に言い聞かせながら、私は気づいていた。気づかざるを得なかった。
夜眠りに落ちる瞬間。もしくは、夢から覚める直前。
その一瞬、私は幻想を見た。私の身体を包む、「彼」の筋肉質な身体。大きな手。その温かさと、胸をしめつける切なさ。
それを感じるたび、自分も女なんだということを、自覚せざるを得なかった。
初めて感じる切なさと身体の疼きに、自分の身体を抱きしめて堪えた。
それからは、一人で彼の家に行くのはやめた。
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