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第一部
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中学の同級生、西高に通うミチから電話があったのは、三日目の昼頃だった。
三日目は自由行動もなく、バスに乗って牧場へ行き、ジンギスカンを食べて帰るだけだ。屋内バーベキューのような施設に入っていこうとしたとき、私のスマホが鳴った。
「ごめん、先入ってて。すぐ行く」
私は言って、列を離れる。
「もしもし?」
訝しく思いながら電話に出ると、
『もしもしぃ!』
弾んだ声が答えた。
「今、東京なんじゃないの?」
『そう、東京。そっちは北海道?』
「うん」
『さて問題です。東京といえば?』
「は?」
私は困惑しながら一息開け、
「……スカイツリー?」
『ぶっぶー』
ミチが楽しげに言った。隣で女子の浮き立つような笑い声がする。この声はきっとマキだ。中学のときは女バスのキャプテンだった。
『正解はっ』
ミチが張りきった声で言った後、しばらく向こうで、わやわやと声がする。
私が口を開きかけたとき、
『ったく、変わんねぇなぁ、お前ら』
聞こえた声に、思わず言葉を失った。
三年前に見た「彼」の呆れたような表情が、生々しく蘇ってくる。
まるで、ついこないだまで一緒にいたかのように。
一瞬で、俳優のアイザワさんの面影なんか、払拭してしまった。
私はとっさに口を押さえる。
『もしもし?』
静かな声は、以前よりもすこしだけ柔らかくなったような気がする。
私は震える息を吐き出した。
「ぐっちゃん、どうかしたん?」
マイコがただならぬ気配を察して、私の顔を覗き込んで来る。
待って、今はちょっとーーきっと私。
慌てて顔を反らしたが、ばっちり見られてしまったらしい。
「うはっ」
マイコは慌ててきびすを返すと、後ろにいるユウの腕に抱き着く。
「な、何よ急に」
「ぐっちゃんが乙女ー!」
「何だってー!」
私は騒ぐ二人を睨みつけたが、顔が赤いのは押さえきれない。
笑われた悔しさにまた顔を背ける。
『おーい。もしもし? 聞こえてるか?』
「き、聞こえてるよ」
声の震えを隠そうとしたら、やたらと語調が強くなった。私はちょっと眉を寄せる。
でも「彼」は笑った。
『お前も相変わらずみたいだな』
私は会話を続けようとしたが、うまく言葉が浮かばず口を閉じる。
『元気か? 家族のみんなも』
「うん、元気」
『そか。よかった』
本当に喜ばしそうに、「彼」はしみじみ言った。
少し訪れた沈黙の後、向こうで息を吸う気配がした。通話を終わりにされるような気がして、私は慌てて口を開く。
「か、神崎さん」
『何だ?』
穏やかな声がやたらと優しくて、泣きそうになった。
いつも、優しかった。この人は、何だかんだいいながら、いつでも見守ってくれていた。
私はそれが、とても嬉しかった。
私は息を吸って、吐いた。
「神崎さんって、どこの大学、出たの」
『はぁ? いきなりだな』
神崎さんは苦笑したようだった。
『でも、そうか。お前らもそういう歳か』
「どこなの」
『K大の英文学科だよ。それがどうした?』
K大、英文学科。心の中で呟く。
お父さんの言ってた有名校という要件も満たしそうだ。
「私もそこに行く」
『はぁ?』
神崎さんは噴き出して笑い始めた。
『何だよ、それ。そんなんで決めんの?』
「ち、違、都内の大学行こうと思ってて、でも見学もあんま行けないし、どこがいいかなって」
慌てて取り繕う私に、神崎さんは笑いながら相槌を打つ。
人には自分の人生は自分で決めろ、なんて偉そうなことを言ったくせに、私もあんまり変わらないみたいだ。
『ま、いいけどさ。来れたら一度来いよ。事前に連絡くれりゃ予定空けとくから。案内してやる』
神崎さんはさも簡単そうに言った。大人にしたら、東京ー福岡間なんて大した距離じゃないのかもしれない。
『こいつら、昨日いきなり会社に電話して来やがってさ。明日近くに行くけど会社にいるかって。たまたま出張なかったからいいものの、会社にいたって仕事中は出て来れねぇって言ったら、昼休みに来るとか言うし。せっかくの昼休みが潰れていい迷惑』
『そう言いながら、嬉しそうやん』
『そうだそうだー』
賑やかな声がした。私はふふ、と笑う。目を閉じると、神崎さんの笑顔が見えるような気がした。
『ヒカル』
不意に名前を呼ばれた瞬間、身体中をビリビリと何かが走った。目が潤む。鼓動が高鳴り、呼吸が浅くなる。
『学校、楽しいか?』
思いやりに溢れた声音は、鼓膜を刺激してじわりと私の中に入ってくる。
3年前、震える私を、黙って抱きしめてくれた温もりを思い出す。同じ男の人なのに、おじいちゃんともお父さんとも違う感じがした腕の中。筋肉質で硬いのに、驚くほど居心地がよくて、いつまでもそこにいられたらと思うほどだった。
「……うん、楽しいよ」
言ったとき、片方の目から涙が溢れた。
会いたい。この人にまた、会いたい。会って、変わらず笑う私を見てほしい。
もう大丈夫だよって、心配いらないよって、伝えたい。
「行くから。K大。絶対、行くから。受かったら何かおごってね」
『ははは。分かったよ。まあがんばれ』
神崎さんは三年前と変わらない口調で言った。
『楽しみに待ってる』
私は緩む口元を引き締めた。
「うん。待ってろ!」
神崎さんはまた声をあげて笑った。
三日目は自由行動もなく、バスに乗って牧場へ行き、ジンギスカンを食べて帰るだけだ。屋内バーベキューのような施設に入っていこうとしたとき、私のスマホが鳴った。
「ごめん、先入ってて。すぐ行く」
私は言って、列を離れる。
「もしもし?」
訝しく思いながら電話に出ると、
『もしもしぃ!』
弾んだ声が答えた。
「今、東京なんじゃないの?」
『そう、東京。そっちは北海道?』
「うん」
『さて問題です。東京といえば?』
「は?」
私は困惑しながら一息開け、
「……スカイツリー?」
『ぶっぶー』
ミチが楽しげに言った。隣で女子の浮き立つような笑い声がする。この声はきっとマキだ。中学のときは女バスのキャプテンだった。
『正解はっ』
ミチが張りきった声で言った後、しばらく向こうで、わやわやと声がする。
私が口を開きかけたとき、
『ったく、変わんねぇなぁ、お前ら』
聞こえた声に、思わず言葉を失った。
三年前に見た「彼」の呆れたような表情が、生々しく蘇ってくる。
まるで、ついこないだまで一緒にいたかのように。
一瞬で、俳優のアイザワさんの面影なんか、払拭してしまった。
私はとっさに口を押さえる。
『もしもし?』
静かな声は、以前よりもすこしだけ柔らかくなったような気がする。
私は震える息を吐き出した。
「ぐっちゃん、どうかしたん?」
マイコがただならぬ気配を察して、私の顔を覗き込んで来る。
待って、今はちょっとーーきっと私。
慌てて顔を反らしたが、ばっちり見られてしまったらしい。
「うはっ」
マイコは慌ててきびすを返すと、後ろにいるユウの腕に抱き着く。
「な、何よ急に」
「ぐっちゃんが乙女ー!」
「何だってー!」
私は騒ぐ二人を睨みつけたが、顔が赤いのは押さえきれない。
笑われた悔しさにまた顔を背ける。
『おーい。もしもし? 聞こえてるか?』
「き、聞こえてるよ」
声の震えを隠そうとしたら、やたらと語調が強くなった。私はちょっと眉を寄せる。
でも「彼」は笑った。
『お前も相変わらずみたいだな』
私は会話を続けようとしたが、うまく言葉が浮かばず口を閉じる。
『元気か? 家族のみんなも』
「うん、元気」
『そか。よかった』
本当に喜ばしそうに、「彼」はしみじみ言った。
少し訪れた沈黙の後、向こうで息を吸う気配がした。通話を終わりにされるような気がして、私は慌てて口を開く。
「か、神崎さん」
『何だ?』
穏やかな声がやたらと優しくて、泣きそうになった。
いつも、優しかった。この人は、何だかんだいいながら、いつでも見守ってくれていた。
私はそれが、とても嬉しかった。
私は息を吸って、吐いた。
「神崎さんって、どこの大学、出たの」
『はぁ? いきなりだな』
神崎さんは苦笑したようだった。
『でも、そうか。お前らもそういう歳か』
「どこなの」
『K大の英文学科だよ。それがどうした?』
K大、英文学科。心の中で呟く。
お父さんの言ってた有名校という要件も満たしそうだ。
「私もそこに行く」
『はぁ?』
神崎さんは噴き出して笑い始めた。
『何だよ、それ。そんなんで決めんの?』
「ち、違、都内の大学行こうと思ってて、でも見学もあんま行けないし、どこがいいかなって」
慌てて取り繕う私に、神崎さんは笑いながら相槌を打つ。
人には自分の人生は自分で決めろ、なんて偉そうなことを言ったくせに、私もあんまり変わらないみたいだ。
『ま、いいけどさ。来れたら一度来いよ。事前に連絡くれりゃ予定空けとくから。案内してやる』
神崎さんはさも簡単そうに言った。大人にしたら、東京ー福岡間なんて大した距離じゃないのかもしれない。
『こいつら、昨日いきなり会社に電話して来やがってさ。明日近くに行くけど会社にいるかって。たまたま出張なかったからいいものの、会社にいたって仕事中は出て来れねぇって言ったら、昼休みに来るとか言うし。せっかくの昼休みが潰れていい迷惑』
『そう言いながら、嬉しそうやん』
『そうだそうだー』
賑やかな声がした。私はふふ、と笑う。目を閉じると、神崎さんの笑顔が見えるような気がした。
『ヒカル』
不意に名前を呼ばれた瞬間、身体中をビリビリと何かが走った。目が潤む。鼓動が高鳴り、呼吸が浅くなる。
『学校、楽しいか?』
思いやりに溢れた声音は、鼓膜を刺激してじわりと私の中に入ってくる。
3年前、震える私を、黙って抱きしめてくれた温もりを思い出す。同じ男の人なのに、おじいちゃんともお父さんとも違う感じがした腕の中。筋肉質で硬いのに、驚くほど居心地がよくて、いつまでもそこにいられたらと思うほどだった。
「……うん、楽しいよ」
言ったとき、片方の目から涙が溢れた。
会いたい。この人にまた、会いたい。会って、変わらず笑う私を見てほしい。
もう大丈夫だよって、心配いらないよって、伝えたい。
「行くから。K大。絶対、行くから。受かったら何かおごってね」
『ははは。分かったよ。まあがんばれ』
神崎さんは三年前と変わらない口調で言った。
『楽しみに待ってる』
私は緩む口元を引き締めた。
「うん。待ってろ!」
神崎さんはまた声をあげて笑った。
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