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第一部
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高校二年の十月にある修学旅行の行き先は、五月に先生から言い渡された。
候補になっていたのは東京と北海道だ。北海道に決まったと聞き、教室の中では喜びと悲嘆の声が半々で上がった。
「ぐっちゃんは、どっちに一票入れたん?」
仲のいい友人の一人、ユウに問われた私は「北海道」と答える。その横で、えー、とマイコがこうべを垂れた。ボブショートの髪がさらりと顔に垂れる。
「マイコは東京に入れたの?」
私が問うと、大きく頷いた。
「東京行ったことないもん。渋谷のスクランブル交差点、スカイツリー、浅草の雷門」
「雷門は渋いな」
私が噴き出すと、マイコは頬を膨らませた。
「そりゃ、東京出身のぐっちゃんには分からんかも知れんけど。やっぱり、首都だもん。憧れよ」
私はそんなもんかなぁと思いながら笑った。
「そういえば、進路の紙、出した?」
「まだー」
「早すぎよね。まだ二年なったばっかりやもん」
言って、ユウは私に目を向けた。
うちの高校は多くが進学するが、四大、短大・専門学校、そして就職がそれぞれ同じくらいになる。
そんな中で、私は比較的、成績のいい方だった。
「そういえば、ぐっちゃん、どうするん。東京の大学も候補にしてたりするん?」
私は苦笑を返した。
「どうしようかなって、考え中」
「えー! 一緒に九州にいようよー。東京行ったら遊べんやん!」
「むしろ東京行ったら訪ねて行くけん、案内してー!」
「あ、それもいい!」
私を差し置いて、二人はわいわいと盛り上がりはじめた。
その日、部活を終えて帰って来ると、帰宅していたおじいちゃんに修学旅行の案内のプリントを渡した。
おじいちゃんはもう70くらいだけど、まだ仕事をしていて、職場は家のすぐ隣にある。社長をしているおじいちゃんの職場は、自宅横にある事務所だ。工場が更にその横にある。
おじいちゃんはプリントを見ると、ふうんと声を出した。
「東京にならなかったんか」
「うん。北海道、初めてだから楽しみ」
「東京だって行ったことない子もいたやろ」
「そうみたい。マイコがぶーたれてた」
私が言うと、そうやろう、とおじいちゃんは笑う。おじいちゃんは怒ると結構怖いけど、カラッと笑うその顔は、私の好きな顔だ。
「そうだ。おじいちゃん、今日話があるんだけど」
「お父さんと話すんやったろ」
「うん、そうなんだけど。おじいちゃんも一緒に聞いてくれる?」
おじいちゃんは不思議そうな顔をして首を傾げた後、頷いた。
お父さんが帰って来たのは私が夜ご飯を食べ終わる頃だった。外回りで疲れていたけど、冷蔵庫からビールを出して、嬉しそうに喉を鳴らして飲んだ。
「ぷはー。これこれ。一仕事の後のビールはたまらんな」
「ふぅん」
まだお酒の飲めない私には分からないけど、おじいちゃんもお酒は好きだ。おばあちゃんもお母さんも飲めるから、きっと私も飲めるクチなんだろう。一緒に飲める日が楽しみだ、と最近おじいちゃんがよく言っている。
「あと三年かぁ」
「何が?」
「私がお酒飲めるようになるまで」
「ははぁ」
お父さんは相槌と笑い声の間くらいの声を出して、目を丸くして私を見た。
「そういえば、そうやったなぁ。あっと言う間やね」
「そうだね」
言いながら、自分の三年前を思い出してみる。
三年前。中学二年生。その頃私は、自分のことを、僕、と言っていた。
懐かしい半面、自分の幼さを思い出す。照れ臭さを隠すように唇をきゅっと結ぶ。そういう顔をするとお母さんによく似ている、とお父さんが嬉しそうに言うけど、私はあんまり嬉しくない。お母さんは美人な方だと思うけど、しかめっつら顔をすると、あんまり美人に見えないからだ。
「おい、お前、ビールなんか飲んでいいんか。何か大事な話があるんやろ」
「あ、そうだそうだ。ごめん」
言ってお父さんはビールを置いた。缶ビール一本を飲んだところで酔っ払う人ではないと分かっているので、私はううんと首を振る。
「とにかく、先に食べたら。今あっためるけん」
「うん、ありがと」
おばあちゃんが台所から声をかけて、お父さんは頷くと、私の前に腰掛けた。その手の甲にはだいぶシワが寄って見える。
お父さんも老けたんだなぁ。
と言っても、まだ五十にもならない。私はお父さんが三十のときの子どもだから、今四十七か。でも、昔とはやっぱり違うんだなぁ、とその手を握って道を歩いた幼い日のことを思い出す。
少しして、おばあちゃんが料理を運んできた。お父さんは嬉しそうに手を合わせてご飯を食べはじめる。
私はその様子を見ながら、黙って食事を平らげた。
候補になっていたのは東京と北海道だ。北海道に決まったと聞き、教室の中では喜びと悲嘆の声が半々で上がった。
「ぐっちゃんは、どっちに一票入れたん?」
仲のいい友人の一人、ユウに問われた私は「北海道」と答える。その横で、えー、とマイコがこうべを垂れた。ボブショートの髪がさらりと顔に垂れる。
「マイコは東京に入れたの?」
私が問うと、大きく頷いた。
「東京行ったことないもん。渋谷のスクランブル交差点、スカイツリー、浅草の雷門」
「雷門は渋いな」
私が噴き出すと、マイコは頬を膨らませた。
「そりゃ、東京出身のぐっちゃんには分からんかも知れんけど。やっぱり、首都だもん。憧れよ」
私はそんなもんかなぁと思いながら笑った。
「そういえば、進路の紙、出した?」
「まだー」
「早すぎよね。まだ二年なったばっかりやもん」
言って、ユウは私に目を向けた。
うちの高校は多くが進学するが、四大、短大・専門学校、そして就職がそれぞれ同じくらいになる。
そんな中で、私は比較的、成績のいい方だった。
「そういえば、ぐっちゃん、どうするん。東京の大学も候補にしてたりするん?」
私は苦笑を返した。
「どうしようかなって、考え中」
「えー! 一緒に九州にいようよー。東京行ったら遊べんやん!」
「むしろ東京行ったら訪ねて行くけん、案内してー!」
「あ、それもいい!」
私を差し置いて、二人はわいわいと盛り上がりはじめた。
その日、部活を終えて帰って来ると、帰宅していたおじいちゃんに修学旅行の案内のプリントを渡した。
おじいちゃんはもう70くらいだけど、まだ仕事をしていて、職場は家のすぐ隣にある。社長をしているおじいちゃんの職場は、自宅横にある事務所だ。工場が更にその横にある。
おじいちゃんはプリントを見ると、ふうんと声を出した。
「東京にならなかったんか」
「うん。北海道、初めてだから楽しみ」
「東京だって行ったことない子もいたやろ」
「そうみたい。マイコがぶーたれてた」
私が言うと、そうやろう、とおじいちゃんは笑う。おじいちゃんは怒ると結構怖いけど、カラッと笑うその顔は、私の好きな顔だ。
「そうだ。おじいちゃん、今日話があるんだけど」
「お父さんと話すんやったろ」
「うん、そうなんだけど。おじいちゃんも一緒に聞いてくれる?」
おじいちゃんは不思議そうな顔をして首を傾げた後、頷いた。
お父さんが帰って来たのは私が夜ご飯を食べ終わる頃だった。外回りで疲れていたけど、冷蔵庫からビールを出して、嬉しそうに喉を鳴らして飲んだ。
「ぷはー。これこれ。一仕事の後のビールはたまらんな」
「ふぅん」
まだお酒の飲めない私には分からないけど、おじいちゃんもお酒は好きだ。おばあちゃんもお母さんも飲めるから、きっと私も飲めるクチなんだろう。一緒に飲める日が楽しみだ、と最近おじいちゃんがよく言っている。
「あと三年かぁ」
「何が?」
「私がお酒飲めるようになるまで」
「ははぁ」
お父さんは相槌と笑い声の間くらいの声を出して、目を丸くして私を見た。
「そういえば、そうやったなぁ。あっと言う間やね」
「そうだね」
言いながら、自分の三年前を思い出してみる。
三年前。中学二年生。その頃私は、自分のことを、僕、と言っていた。
懐かしい半面、自分の幼さを思い出す。照れ臭さを隠すように唇をきゅっと結ぶ。そういう顔をするとお母さんによく似ている、とお父さんが嬉しそうに言うけど、私はあんまり嬉しくない。お母さんは美人な方だと思うけど、しかめっつら顔をすると、あんまり美人に見えないからだ。
「おい、お前、ビールなんか飲んでいいんか。何か大事な話があるんやろ」
「あ、そうだそうだ。ごめん」
言ってお父さんはビールを置いた。缶ビール一本を飲んだところで酔っ払う人ではないと分かっているので、私はううんと首を振る。
「とにかく、先に食べたら。今あっためるけん」
「うん、ありがと」
おばあちゃんが台所から声をかけて、お父さんは頷くと、私の前に腰掛けた。その手の甲にはだいぶシワが寄って見える。
お父さんも老けたんだなぁ。
と言っても、まだ五十にもならない。私はお父さんが三十のときの子どもだから、今四十七か。でも、昔とはやっぱり違うんだなぁ、とその手を握って道を歩いた幼い日のことを思い出す。
少しして、おばあちゃんが料理を運んできた。お父さんは嬉しそうに手を合わせてご飯を食べはじめる。
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