39 / 49
第2章 王子様は低空飛行
17
しおりを挟む
「愛里、こっちこっちー!」
私と一言交わしたいからと、純がホテル前まで迎えに出てきてくれた。手招きをされて向かってみると、純が目を輝かせる。
「すごい大人っぽい! なんかいつもと違くない!?」
「あの……美容師の友達から、モデル頼まれて」
ごにょごにょと答えたのは、花音からのアドバイス通りの言葉だ。「そっか、専門学校のときの?」と言われて頷くと、純はうんうんと頷く。
「いつものメイクもいいけど、今日のもいいよ。え、どうしよ。太鼓(バッテリー)の先輩たち結構酒癖悪いから、誰か愛里を守ってあげないと……」
私が「そんなの要らないよ」と笑おうとしたとき、純が私の後ろに目を止めて動きを止める。
「? 純、どうし……」
振り向いた先に立っていたのは、スーツ姿の曽根だった。むすっとした相変わらずの仏頂面だけど、その服装はしゃれている。
紺ストライプがおしゃれなライトグレーのスーツに、ミントグリーンのワイシャツ。ボタンがダークグリーンだから、ビジネス向きではなさそうだ。
「えっ、曽根、スーツ?」
「……仕事だったんだよ、午前中」
不満げに言う曽根は、夏の日差しに眉を寄せる。
「暑っち。とっとと入るぞ、西野」
「え、あ、うん」
「会場、8階だよー」
「あ、ありがとー」
ぐいと手を引かれて、半ばたたらを踏むようにホテルへ入る。開いた自動ドアの中は冷えていて気持ちよかった。
「寒くねぇの、肩出して」
「曽根は暑そうだね」
「暑いよ」
言ったけどジャケットを脱ごうとはしない。私が不思議に思っていると、唇を尖らせた返事があった。
「……先輩指令で脱げない」
「は?」
「百貨店員たるもの、仲間に一着売るくらいの気持ちで見せつけて来いって言われた」
私は一瞬ぽかんとして、込み上げた笑いを堪えきれずに噴き出す。
それを言う遠藤さんの顔が思い浮かんで、笑いが止まらなくなった。
「笑いすぎじゃね」
「だって、なんか、曽根、遠藤さんの言うことには素直に従うよね」
私の指摘に曽根が唇を尖らせた。エレベーターの前に立ち、ボタンを押す。
「尊敬してんの?」
茶化すつもりで聞くと、その頬が少し赤くなる。
「うるせーよ、放っとけ」
「あはは」
私は笑った。
「確かに、カッコいいもんね」
私の言葉を聞いて、曽根が黙り込む。思わず笑った。
「サービス業の先輩として、だよ。ああいう軽い感じの人、タイプじゃないし」
エレベーターのドアが開いた。曽根がボタンを押したまま、私が入っていくのを待つ。私が乗り込むと、するりとドア横に滑り込み、6階のボタンを押した。
ラブホテルのエレベーターではあんまり見ない動きをしているなぁ、と思ってから、気づく。このホテルは少し、職場の雰囲気に似てるんだ。
もしかしたら遠藤さん、そういうの織り込み済みでスーツ推奨した……?
日頃の立ち振る舞いが出るのだろう。曽根は6階につくとドア横に手を差し伸べて私が降りるのを促した。目の前に、【音羽高校吹奏楽部 お祝い会】と案内がある。不安と期待の入り混じった複雑な気持ちがこみ上げてきた。
私に続いてエレベーターを降りてきた曽根の方を振り返ると、息を吸って、呼びかけた。
「曽根」
曽根はちらりと私を見下ろす。その顔は無表情だけれど、私を拒む気配はない。
仕事のときとはまた違う、少し緩いながらも計算されたヘアセットも、遠藤さんの助言だろうか。短い髪を嫌味なく上げた額に、涼やかな目が一層引き立つ。
「……一緒に、いてくれる?」
勇気を出して口にした言葉は、まるで迷子の子どものようにか弱かった。
いつもの化粧も、気張った衣装もない。
裸で衆目に立たされるような心境に、不安が膨れていく。
曽根は一瞬私の顔をじっと見て、
そして笑った。
「いつもそれくらい素直ならな」
私は気恥ずかしさに顔が上げられず、「行くぞ」とポケットに手を突っ込んで歩き始めた曽根の横にうつむいたままついていく。
会場のドアの前で立ち止まると、曽根はためらいなくノブに手をかけた。
「胸、張れよ。お前が気に病むことは何もないだろ」
開けたドアの向こうに、シャンデリアが見える。立食形式で並ぶ机は、やっぱりホテルらしく豪華な装いだ。
「行くぞ、”眠り姫”」
曽根が耳元で囁く。久々に感じた息遣いに、身体が震えた。私が見上げるよりも先に、曽根は前を向いてしまって、表情は見えない。
……曽根。
ポケットに手を突っ込んだ曽根の肘に、手を添える。
嫌がられるかと緊張したけど、曽根は黙って歩いていく。
元からそのつもりで、肘を張っていたのだろう。
素直じゃないのは、どっちよ。
尖らせようとした唇は、不思議と引き上がった。
私の前を歩く曽根は、ちょっとだけ機嫌がよさそうに見えた。
私と一言交わしたいからと、純がホテル前まで迎えに出てきてくれた。手招きをされて向かってみると、純が目を輝かせる。
「すごい大人っぽい! なんかいつもと違くない!?」
「あの……美容師の友達から、モデル頼まれて」
ごにょごにょと答えたのは、花音からのアドバイス通りの言葉だ。「そっか、専門学校のときの?」と言われて頷くと、純はうんうんと頷く。
「いつものメイクもいいけど、今日のもいいよ。え、どうしよ。太鼓(バッテリー)の先輩たち結構酒癖悪いから、誰か愛里を守ってあげないと……」
私が「そんなの要らないよ」と笑おうとしたとき、純が私の後ろに目を止めて動きを止める。
「? 純、どうし……」
振り向いた先に立っていたのは、スーツ姿の曽根だった。むすっとした相変わらずの仏頂面だけど、その服装はしゃれている。
紺ストライプがおしゃれなライトグレーのスーツに、ミントグリーンのワイシャツ。ボタンがダークグリーンだから、ビジネス向きではなさそうだ。
「えっ、曽根、スーツ?」
「……仕事だったんだよ、午前中」
不満げに言う曽根は、夏の日差しに眉を寄せる。
「暑っち。とっとと入るぞ、西野」
「え、あ、うん」
「会場、8階だよー」
「あ、ありがとー」
ぐいと手を引かれて、半ばたたらを踏むようにホテルへ入る。開いた自動ドアの中は冷えていて気持ちよかった。
「寒くねぇの、肩出して」
「曽根は暑そうだね」
「暑いよ」
言ったけどジャケットを脱ごうとはしない。私が不思議に思っていると、唇を尖らせた返事があった。
「……先輩指令で脱げない」
「は?」
「百貨店員たるもの、仲間に一着売るくらいの気持ちで見せつけて来いって言われた」
私は一瞬ぽかんとして、込み上げた笑いを堪えきれずに噴き出す。
それを言う遠藤さんの顔が思い浮かんで、笑いが止まらなくなった。
「笑いすぎじゃね」
「だって、なんか、曽根、遠藤さんの言うことには素直に従うよね」
私の指摘に曽根が唇を尖らせた。エレベーターの前に立ち、ボタンを押す。
「尊敬してんの?」
茶化すつもりで聞くと、その頬が少し赤くなる。
「うるせーよ、放っとけ」
「あはは」
私は笑った。
「確かに、カッコいいもんね」
私の言葉を聞いて、曽根が黙り込む。思わず笑った。
「サービス業の先輩として、だよ。ああいう軽い感じの人、タイプじゃないし」
エレベーターのドアが開いた。曽根がボタンを押したまま、私が入っていくのを待つ。私が乗り込むと、するりとドア横に滑り込み、6階のボタンを押した。
ラブホテルのエレベーターではあんまり見ない動きをしているなぁ、と思ってから、気づく。このホテルは少し、職場の雰囲気に似てるんだ。
もしかしたら遠藤さん、そういうの織り込み済みでスーツ推奨した……?
日頃の立ち振る舞いが出るのだろう。曽根は6階につくとドア横に手を差し伸べて私が降りるのを促した。目の前に、【音羽高校吹奏楽部 お祝い会】と案内がある。不安と期待の入り混じった複雑な気持ちがこみ上げてきた。
私に続いてエレベーターを降りてきた曽根の方を振り返ると、息を吸って、呼びかけた。
「曽根」
曽根はちらりと私を見下ろす。その顔は無表情だけれど、私を拒む気配はない。
仕事のときとはまた違う、少し緩いながらも計算されたヘアセットも、遠藤さんの助言だろうか。短い髪を嫌味なく上げた額に、涼やかな目が一層引き立つ。
「……一緒に、いてくれる?」
勇気を出して口にした言葉は、まるで迷子の子どものようにか弱かった。
いつもの化粧も、気張った衣装もない。
裸で衆目に立たされるような心境に、不安が膨れていく。
曽根は一瞬私の顔をじっと見て、
そして笑った。
「いつもそれくらい素直ならな」
私は気恥ずかしさに顔が上げられず、「行くぞ」とポケットに手を突っ込んで歩き始めた曽根の横にうつむいたままついていく。
会場のドアの前で立ち止まると、曽根はためらいなくノブに手をかけた。
「胸、張れよ。お前が気に病むことは何もないだろ」
開けたドアの向こうに、シャンデリアが見える。立食形式で並ぶ机は、やっぱりホテルらしく豪華な装いだ。
「行くぞ、”眠り姫”」
曽根が耳元で囁く。久々に感じた息遣いに、身体が震えた。私が見上げるよりも先に、曽根は前を向いてしまって、表情は見えない。
……曽根。
ポケットに手を突っ込んだ曽根の肘に、手を添える。
嫌がられるかと緊張したけど、曽根は黙って歩いていく。
元からそのつもりで、肘を張っていたのだろう。
素直じゃないのは、どっちよ。
尖らせようとした唇は、不思議と引き上がった。
私の前を歩く曽根は、ちょっとだけ機嫌がよさそうに見えた。
0
お気に入りに追加
170
あなたにおすすめの小説
こじらせ女子の恋愛事情
あさの紅茶
恋愛
過去の恋愛の失敗を未だに引きずるこじらせアラサー女子の私、仁科真知(26)
そんな私のことをずっと好きだったと言う同期の宗田優くん(26)
いやいや、宗田くんには私なんかより、若くて可愛い可憐ちゃん(女子力高め)の方がお似合いだよ。
なんて自らまたこじらせる残念な私。
「俺はずっと好きだけど?」
「仁科の返事を待ってるんだよね」
宗田くんのまっすぐな瞳に耐えきれなくて逃げ出してしまった。
これ以上こじらせたくないから、神様どうか私に勇気をください。
*******************
この作品は、他のサイトにも掲載しています。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
隣人はクールな同期でした。
氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。
30歳を前にして
未婚で恋人もいないけれど。
マンションの隣に住む同期の男と
酒を酌み交わす日々。
心許すアイツとは
”同期以上、恋人未満―――”
1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され
恋敵の幼馴染には刃を向けられる。
広報部所属
●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳)
編集部所属 副編集長
●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳)
本当に好きな人は…誰?
己の気持ちに向き合う最後の恋。
“ただの恋愛物語”ってだけじゃない
命と、人との
向き合うという事。
現実に、なさそうな
だけどちょっとあり得るかもしれない
複雑に絡み合う人間模様を描いた
等身大のラブストーリー。
イケメンエリート軍団の籠の中
便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある
IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC”
謎多き噂の飛び交う外資系一流企業
日本内外のイケメンエリートが
集まる男のみの会社
唯一の女子、受付兼秘書係が定年退職となり
女子社員募集要項がネットを賑わした
1名の採用に300人以上が殺到する
松村舞衣(24歳)
友達につき合って応募しただけなのに
何故かその超難関を突破する
凪さん、映司さん、謙人さん、
トオルさん、ジャスティン
イケメンでエリートで華麗なる超一流の人々
でも、なんか、なんだか、息苦しい~~
イケメンエリート軍団の鳥かごの中に
私、飼われてしまったみたい…
「俺がお前に極上の恋愛を教えてやる
他の奴とか? そんなの無視すればいいんだよ」
溺愛ダーリンと逆シークレットベビー
葉月とに
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。
立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。
優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?
副社長氏の一途な恋~執心が結んだ授かり婚~
真木
恋愛
相原麻衣子は、冷たく見えて情に厚い。彼女がいつも衝突ばかりしている、同期の「副社長氏」反田晃を想っているのは秘密だ。麻衣子はある日、晃と一夜を過ごした後、姿をくらます。数年後、晃はミス・アイハラという女性が小さな男の子の手を引いて暮らしているのを知って……。
イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。
すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。
そこで私は一人の男の人と出会う。
「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」
そんな言葉をかけてきた彼。
でも私には秘密があった。
「キミ・・・目が・・?」
「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」
ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。
「お願いだから俺を好きになって・・・。」
その言葉を聞いてお付き合いが始まる。
「やぁぁっ・・!」
「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」
激しくなっていく夜の生活。
私の身はもつの!?
※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
では、お楽しみください。
【R18】エリートビジネスマンの裏の顔
白波瀬 綾音
恋愛
御社のエース、危険人物すぎます───。
私、高瀬緋莉(27)は、思いを寄せていた業界最大手の同業他社勤務のエリート営業マン檜垣瑤太(30)に執着され、軟禁されてしまう。
同じチームの後輩、石橋蓮(25)が異変に気付くが……
この生活に果たして救いはあるのか。
※サムネにAI生成画像を使用しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる