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第九章 七夕を待たずとも(ヒメ視点)

03 お揃いのストラップ

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「おはよ」
「……おはよう、ございます」
 一人でベッドを借りた私は、台所で音がすることに気づいて起き出した。
 昨夜の優しい阿久津さんのキスと、いつも阿久津さんが使っている寝具の香りに興奮しすぎた私の睡眠時間、正味2時間。
 睡眠、というより、ちょっとウトウトしただけって感じ。
「眠れなかったか」
 私の顔を見て、朝食の準備をしていたらしい阿久津さんが笑う。
 その笑顔にも、私の胸はきゅんとする。
 私はあえてむすっとしたまま、部屋着のままの阿久津さんにぺたぺたと近づいた。
「どうした?」
「えいっ」
 問答無用で抱き着くと、阿久津さんが慌てる。
「お、おい」
「眠れませんでしたぁ」
 ぐりぐりと頭を押し付ける。
 でも、朝起きたら阿久津さんがいるだなんて、し・あ・わ・せ。
 一人悦に浸っていると、阿久津さんが私の腕を引きはがそうと手をかけた。私はぎゅっと力を込める。
「は・な・せ」
「ぃやん」
「なんっつー声出してんだ。とっとと離せよ」
 しばらく攻防していたけど、結局阿久津さんが私の手首を引きはがしてしまった。私はぷくっと頬を膨らませ、上目遣いで睨みつける。
「むー」
「何だよ、ったく」
 阿久津さんがあきれた顔で、コップに牛乳を注いだ。
「お前、朝食う派?」
「食べます」
「食パンと牛乳しかねぇけど」
 言われてはっとする。これはもしや、女子力をアピールするチャンスでは?
「わ、私作りましょうか、何か」
 阿久津さんは笑った。
「どーぞご自由に。冷蔵庫の中見りゃ分かるよ」
「え?」
 阿久津さんは冷蔵庫のドアを開けた。冷たい空気が流れて来る。
 中には、缶ビールとマヨネーズくらいしか入ってなかった。
 思わず唖然として黙り込んだ私に、阿久津さんは笑う。
「これで何か作れたら、ほとんど魔法使いだな」
「……せめて、卵くらい……」
「自炊しないからな。ま、作りたいなら自分で買ってこいよ」
 言いながら、阿久津さんは牛乳とパンを食卓に置く。
「ってことで、これパン。コップと皿も置いとくな。セルフサービスでどうぞ」
 私は恨めしげな目をして、阿久津さんを見た。

 ジャムやバターすらないので、ただパンを牛乳で流し込む食事になったが、阿久津さんはあっという間に食べ終えてしまって、テレビをつけた。
 朝のニュースが始まっている。日曜版だから一週間の総まとめみたいなやつだ。
 私もはやく食べ終わろうと、懸命に口を動かす。阿久津さんはそれをちらりと見て、
「別に急がなくてもいいぞ」
「ふぁい」
 口の中にものが入っているので、情けない返事になる。阿久津さんが笑った。
 それでも、阿久津さんは席を立たない。
 テレビをぼんやり見ているけれど、私が食べ終わるのを待っていてくれるのだと分かった。
 そういうの、優しさって言うんじゃないのかなぁ。
 思いながら、ちらりちらりと阿久津さんの横顔を見つめる。
 カーテンから差し込む朝の光。
 賑やかなテレビの音。
 ゆったりとした服装で食卓を囲む私たち。
 なんか、まるで……
 新婚さん、みたい?
 にやり、と口元が緩む。
「何にやにやしてんだ」
 阿久津さんがそれに気づいて毒づいた。
「えええ、だって」
 私はにやにやする頬を押さえつつ答える。
「毎朝こうだといいなぁ」
「こうって」
「阿久津さんと、朝ごはん」
 阿久津さんは黙って眉を寄せ、立ち上がった。
 私は最後の一口をもぐもぐしながら、阿久津さんを見上げる。
「食ったら帰れよ」
「えー」
 私は唇を尖らせた。
「つれなぁい」
「仕様だ、諦めろ」
 それを聞いて、私は笑う。阿久津さんが訝しんで私を小さく睨みつける。
「何だよ」
「何でもないです」
「笑っただろ、今」
「だって、なんか幸せだから」
 阿久津さんの目が揺らいだ。
「ごちそうさまでしたっ。洗い物、しまーす」
 私も食器を手に立ち上がる。阿久津さんがシンクに置いた食器と自分が使った食器を、スポンジで洗いはじめる。
 阿久津さんから借りたTシャツは袖が長いから、めいっぱいまくり上げた。
「……着替えて来る」
「はい、どうぞー」
 阿久津さんは寝室に引っ込んだ。そこに服があるんだろう。
 私も洗い物を終えたら着替えよう。
 思いながら手を動かした。

 洗い物を終えると、着替えを済ませた阿久津さんが出てきた。ジーパンに薄手のニット。臙脂に近い赤がよく似合っている。
「お前も着替えて来いよ」
「あ、はい」
 私は言って、キャリーバッグに近づき、服を手にする。
 そのとき、お土産を思い出した。
「阿久津さん、これ」
 お土産は結婚式場にもなったホテルの中で、待ち時間に買った。
 音楽の街浜松らしい、小さな小さなハーモニカのストラップ。
 阿久津さんはそれを見て、へぇと感心した声を出した。まじまじと手のひらで転がしながら見る。
「ほんとに吹けるやつ?」
「そのはずです」
「へぇ」
「私もお揃い」
 言って見せたのはもう一つのストラップだ。阿久津さんのはブルーの紐だけど、私のはピンク。
 阿久津さんはまたあきれ顔になった。
「それを吹いたら俺が駆けつけるとか、ないからな」
 念押しのような冗談に、私は笑う。
「じゃあ、私は阿久津さんがそれ吹いたら駆けつけることにします」
 阿久津さんはやれやれと嘆息した。

 私は阿久津さんの寝室を借りて着替えた。そういえば化粧も落としたままだ。また子どもみたいと言われるのも嫌だし、はやく化粧しよう。
 思いながら服を整えていると、ふぁん、と小さな高音がした。
「呼びました?」
 ひょこりと部屋から顔を出すと、小さいハーモニカを手にした阿久津さんが笑う。
「そういう登場?」
 私もつられて笑った。
「まるでアラビアンナイトみたいだな」
「アラビアンナイト……」
 私は首を傾げる。
「ご要望は何でしょう、ご主人様」
 冗談めかして言うと、阿久津さんははっとしたように私の顔を見た。
 思わぬ反応に、私はちょっとうろたえる。
「……あの?」
 おずおず聞くと、阿久津さんは自嘲気味の苦笑を浮かべた。
「何でもない」
 言って、ストラップを掲げて見る。
「どこにつけるかな。スマホにつけたら傷つきそう」
「あ、確かに。私は化粧ポーチにつけるつもりだったんですけど」
「ふぅん」
 阿久津さんは首を傾げながら、定期入れらしいものを手にした。リールがついているタイプだ。その金具にストラップを通す。
 本当につけてくれると思っていなかった私は、びっくりしながらそれを見守る。
「吹いたら来んの?」
 冗談めかして阿久津さんは言った。
 その目が穏やかに見えて、少しだけ照れる。
「来ます」
 笑って、一歩近づく。袖をつまみ、肩にこつりと額を寄せる。
「……吹かなくても、来ちゃうかも」
 阿久津さんはただふっと笑って、私の頭をぽんぽんと叩いた。
 それだけで、胸の中がじわっと温かくなった。
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