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第七章 織り姫危機一髪。(ヒメ/阿久津交互)

20 待ち人、来たる。

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 月曜の朝、いつも通りの電車で駅に降り立つと、いつもの場所には誰もいなかった。
 それを確認してから、少しだけ胸の軋みを感じる。
 そんな自分が情けなく思えて自嘲した。
 むしろ、喜んでやるべきだ。
 俺みたいなロクデナシに、まだ青春のさなかにあるような女が関わっているのは勿体ない。
 思いながら、改札へ向かおうと階段へ足を運ぶ。
 一段、階段を降りかけて、立ち止まった。
 俺の後ろに続いていたサラリーマンから舌打ちが聞こえる。謝りながら横へ避ける。
 腕時計を見た。まだ遅刻には縁遠い時間だ。ほぼ三分刻み電車の訪れを予告する電光掲示板を見て、息を吐き出す。
 次いで、いつもの場所に足を向けた。
 俺が澤田より先にここに立ったのは、一度だけ。
 来ないだろう。でも、来るかもしれない。
 来なければいい。自分にそう思い込ませようとして、無駄なことだと諦めた。
 無邪気に無垢に、懐に飛び込んでくる澤田の笑顔を、俺は自分から突き放し切れない。
 それが愛とか恋とかいうものかどうかはともかく、その事実は否定できなかった。
 俺はいつも、澤田が立っていた場所に立つ。
 次の電車ではマーシー達が乗ってきた。
 俺に気づかないまま、夫婦は話しながら人波に乗って改札へ向かう。
 遠い他人を見るように、その姿を目で追った。
 澤田は来るだろうか。
 もしも、来なければ。
 俺はポケットの中のスマホを握りしめる。
 あと二本。二本だけ待とう。
 思ったとき、また次の電車が着く。降車する人波に駅のホームはごたつき、次いで乗車する人が動き出す。
 そのとき、声がした。
「す、すみませんっ、すみません、私降ります! 降りまーすっ!!」
 慌てた声が、耳に届いた。
 小さな身体が人波に流されそうになりながら、どうにか顔を現す。
 澤田の髪はぐちゃぐちゃで、服もピンクと黄色というひどい組み合わせで、もみくちゃになって出てくるや、疲れたのかがくりと脱力した。
 息をつくその姿に笑いそうになりながら、俺は近づく。
「なーにやってんだ。人様に迷惑だろ」
「……だって、いるかいないかわかんなかったから」
 澤田はすねたように言った。
「いない方がよかったか?」
 俺の声はひどく優しくなった。それならそれでよかったのかもしれない。もう、会わずに終われたのかもしれない。
 澤田はおずおずと顔を上げた。
 俺はその顔を見て噴き出す。
「何お前、もしかしてすっぴん? 髪もひでぇぞ。寝起きそのままかよ」
 澤田ははっとして髪を押さえた。その動作が、危険を嗅ぎ付けたリスみたいに見えてまた笑いそうになる。
「だ、だっ、寝坊して、慌てて家出て」
「寝坊ぅ? 夜更かしして寝不足か?」
 にやりと言うと、澤田は黙って唇を尖らせた。それを肯定と見て取って、その頭に手を置く。
「ま、何にしろよかったよ、元気そうで」
 顔を上げた澤田の顔を見て、俺はまた噴き出した。
「な、何ですかー!」
 澤田は顔を赤くしてむくれる。
「いや、化粧っけないとホント成人と思えないな、お前」
「ひ、ひどいー!」
 俺は笑って背を向けた。
「ま、どうせいずれ歳取るんだからいいんじゃない、若く見えるってのは。じゃあな」
 言って立ち去ろうとしたが、顔だけ振り向いて、にやりと笑った。
「また明日」
 澤田はうんともすんとも言わないまま、真ん丸な目で俺を見ていた。
 俺は笑いながら、階段を降りていく。
 面白い奴。
 思いながら、ポケットに揺れるスマホの重さを感じる。
 ああ、そうか。
 消さなくていいんだ。連絡先。
 自分で勝手に決めたことだったのに、ほっとしていることに気づく。
  ーーぼちぼち、独り身を卒業するのもいいんじゃないの?
 歩きながら、マーシーの電話口の言葉を思い出す。
 ーー頭から否定せず、前向きに考えてみたら。
 前向き、ねぇ。
 俺は軽く頭を振って、歌を口ずさみそうになって渋面になった。
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