96 / 100
後日談② 花田先生と事務員さんのその後の話
事務員さんと理科教諭(2)
しおりを挟む
そんな由希子の想いを知ってか知らずか、花田はときどき、由希子を茶化して遊ぶときすらあった。
例えば名前。
夏に幹事を一緒に引き受けて依頼、やたらと声をかけてくる数学教諭の杉山が、由希子の許可も得ずに「由希子ちゃん」と呼ぶようになった。
それを聞いた花田が「俺もそう呼んでいい?」などと言ったものだから、由希子は混乱しすぎて動きが止まってしまったくらいだ。
「え、やっぱり嫌?」
「い、嫌っていうか、あの、その」
混乱しすぎて目が潤んできた由希子に、花田はにこにこしながら自分を指差し、続ける、
「あ、ちなみに俺、花田康太ね」
「え?」
「コータ先生って呼んでいいよ」
ただにっこりしているだけなのに、ウィンクを投げられたような気がして、由希子はまた固まってしまった。
それからというもの、花田は他の人がいないタイミングを見はからっては「由希子ちゃん」と声をかけてくる。
その度にガッチガチに緊張してしまう由希子は、答える声も震えたり裏返ったりして、また花田に笑われるのだ。
花田はそうやって、由希子が動揺する様を見て楽しんでいる。
そんな毎日が続いて行くことは、ただただ幸せなはずなのに、由希子の胸は、段々と苦しくなるっていく。
それでもなお、由希子は積極的になれずにいた。
* * *
そんな秋が過ぎ、12月中旬。
冬が本格化するのはまだ先だが、玄関が近く、一階に位置する事務室は、かなり冷え込む。
由希子は膝かけを使い、フリースを着込んでデスクに向かうようになっていた。
「おっはよー、由希子ちゃん」
毎朝恒例となった花田の挨拶。
びくりと振り返った由希子に、「お邪魔します」と声をかけつつ花田がにこやかに近づいて来る。
「ここって寒いよね。はい、あげる」
差し出したのは使い捨て懐炉だ。おずおずと手を差し出すと、ぽんとそれを上に置いて花田は微笑んだ。
「鍋とか食いたい時期だよね、そろそろ」
「へ? え、あ、はい」
「でも一人暮らしだとさー、一人鍋とかつまんないし」
「ええと……そ、そうです、ね」
「そういえば、水炊きの旨い店、駅近くにあるの知ってる?」
「そ、そうなんですか?」
「うん」
花田はにこりと、また笑った。
「一緒にどう?」
由希子の動きが止まる。
しかし花田もその動揺っぷりには慣れっこなのだろう。笑って続けた。
「いやー、こないだ、俺の友達が婚約してさー。惚気に惚気られて、俺は逆に寒くて仕方ないんだよね」
言いながら、身震いすらして見せる花田はやはり、いつも通り穏やかに笑っている。
由希子はそれを見て息を吐き出した。
(そっか、きっと杉山先生と一緒だ)
杉山が由希子に好意を持っているらしい、とは、さすがの由希子も薄々気づいている。
そして、花田がそれを間接的に助けていたらしいことも。
途端に、感じた高揚は落ち着いていった。
由希子は口の端を引き上げて、頷く。
(花田先生は、私のことを面白がっているだけだ)
ただそれだけ。そんなことは分かっている。
「はい、それなら……」
期待しているわけではない。ただ、
(私は少しでも、一緒にいたいから)
花田の笑顔を、少しでも長く、近くで見られるなら。
「じゃ、今週の木曜は?」
「大丈夫、です」
「オッケー。予約しとくね」
(杉山先生には、先に予定聞いてたのかな)
現実逃避のように考えつつ、胸奥の痛みにはあくまで鈍感なふりをした。
* * *
「お疲れ」
「お疲れさま……です」
駅で待ち合わせて向かおう、と言ったのは花田だ。由希子は不思議に思っていたのだが、待ち合わせ場所に着くなりキョロキョロと辺りを見回した。
「なに?」
「いえ、あの……」
杉山がいない。
どうしたのかと聞こうとして、やめる。
(きっと、遅れて来るんだろう)
自問自答してうつむいた。
緩む頬を、どうにか抑える。
少しの間とはいえ、学校の外で花田と二人きり。
まるでデートのようだ。
普段あまり着飾らない由希子は、今日の服にも迷った。
あまり気合いを入れて、杉山に気があると勘違いされても困る。でも、せっかくなら花田に少しでも可愛いと思ってもらいたい。
そうは言ってもさしてファッションセンスに自信があるわけではないし、買い物する時間もなかった。行ったとしても優柔不断なので結局何も買わずに帰っただろうが。
Vネックのベージュニットと、ひだのある臙脂色のスカート、黒いタイツ。
少しでも若く、可愛く……見えるように。
(……痛い女かな……)
こんな陰気な女が、不釣り合いなことを思っている。気づかれたら花田に引かれるのではないか。
不意に心が暗くなる。
由希子の頭を、花田が指先で小突いた。
「何考えてんの。行くよ」
「あ、はいっ」
花田が笑った。
その笑顔が、ただの同僚に向けるものにしては色気を帯びて見えて、由希子は困惑した。
例えば名前。
夏に幹事を一緒に引き受けて依頼、やたらと声をかけてくる数学教諭の杉山が、由希子の許可も得ずに「由希子ちゃん」と呼ぶようになった。
それを聞いた花田が「俺もそう呼んでいい?」などと言ったものだから、由希子は混乱しすぎて動きが止まってしまったくらいだ。
「え、やっぱり嫌?」
「い、嫌っていうか、あの、その」
混乱しすぎて目が潤んできた由希子に、花田はにこにこしながら自分を指差し、続ける、
「あ、ちなみに俺、花田康太ね」
「え?」
「コータ先生って呼んでいいよ」
ただにっこりしているだけなのに、ウィンクを投げられたような気がして、由希子はまた固まってしまった。
それからというもの、花田は他の人がいないタイミングを見はからっては「由希子ちゃん」と声をかけてくる。
その度にガッチガチに緊張してしまう由希子は、答える声も震えたり裏返ったりして、また花田に笑われるのだ。
花田はそうやって、由希子が動揺する様を見て楽しんでいる。
そんな毎日が続いて行くことは、ただただ幸せなはずなのに、由希子の胸は、段々と苦しくなるっていく。
それでもなお、由希子は積極的になれずにいた。
* * *
そんな秋が過ぎ、12月中旬。
冬が本格化するのはまだ先だが、玄関が近く、一階に位置する事務室は、かなり冷え込む。
由希子は膝かけを使い、フリースを着込んでデスクに向かうようになっていた。
「おっはよー、由希子ちゃん」
毎朝恒例となった花田の挨拶。
びくりと振り返った由希子に、「お邪魔します」と声をかけつつ花田がにこやかに近づいて来る。
「ここって寒いよね。はい、あげる」
差し出したのは使い捨て懐炉だ。おずおずと手を差し出すと、ぽんとそれを上に置いて花田は微笑んだ。
「鍋とか食いたい時期だよね、そろそろ」
「へ? え、あ、はい」
「でも一人暮らしだとさー、一人鍋とかつまんないし」
「ええと……そ、そうです、ね」
「そういえば、水炊きの旨い店、駅近くにあるの知ってる?」
「そ、そうなんですか?」
「うん」
花田はにこりと、また笑った。
「一緒にどう?」
由希子の動きが止まる。
しかし花田もその動揺っぷりには慣れっこなのだろう。笑って続けた。
「いやー、こないだ、俺の友達が婚約してさー。惚気に惚気られて、俺は逆に寒くて仕方ないんだよね」
言いながら、身震いすらして見せる花田はやはり、いつも通り穏やかに笑っている。
由希子はそれを見て息を吐き出した。
(そっか、きっと杉山先生と一緒だ)
杉山が由希子に好意を持っているらしい、とは、さすがの由希子も薄々気づいている。
そして、花田がそれを間接的に助けていたらしいことも。
途端に、感じた高揚は落ち着いていった。
由希子は口の端を引き上げて、頷く。
(花田先生は、私のことを面白がっているだけだ)
ただそれだけ。そんなことは分かっている。
「はい、それなら……」
期待しているわけではない。ただ、
(私は少しでも、一緒にいたいから)
花田の笑顔を、少しでも長く、近くで見られるなら。
「じゃ、今週の木曜は?」
「大丈夫、です」
「オッケー。予約しとくね」
(杉山先生には、先に予定聞いてたのかな)
現実逃避のように考えつつ、胸奥の痛みにはあくまで鈍感なふりをした。
* * *
「お疲れ」
「お疲れさま……です」
駅で待ち合わせて向かおう、と言ったのは花田だ。由希子は不思議に思っていたのだが、待ち合わせ場所に着くなりキョロキョロと辺りを見回した。
「なに?」
「いえ、あの……」
杉山がいない。
どうしたのかと聞こうとして、やめる。
(きっと、遅れて来るんだろう)
自問自答してうつむいた。
緩む頬を、どうにか抑える。
少しの間とはいえ、学校の外で花田と二人きり。
まるでデートのようだ。
普段あまり着飾らない由希子は、今日の服にも迷った。
あまり気合いを入れて、杉山に気があると勘違いされても困る。でも、せっかくなら花田に少しでも可愛いと思ってもらいたい。
そうは言ってもさしてファッションセンスに自信があるわけではないし、買い物する時間もなかった。行ったとしても優柔不断なので結局何も買わずに帰っただろうが。
Vネックのベージュニットと、ひだのある臙脂色のスカート、黒いタイツ。
少しでも若く、可愛く……見えるように。
(……痛い女かな……)
こんな陰気な女が、不釣り合いなことを思っている。気づかれたら花田に引かれるのではないか。
不意に心が暗くなる。
由希子の頭を、花田が指先で小突いた。
「何考えてんの。行くよ」
「あ、はいっ」
花田が笑った。
その笑顔が、ただの同僚に向けるものにしては色気を帯びて見えて、由希子は困惑した。
0
お気に入りに追加
394
あなたにおすすめの小説
【実話】高1の夏休み、海の家のアルバイトはイケメンパラダイスでした☆
Rua*°
恋愛
高校1年の夏休みに、友達の彼氏の紹介で、海の家でアルバイトをすることになった筆者の実話体験談を、当時の日記を見返しながら事細かに綴っています。
高校生活では、『特別進学コースの選抜クラス』で、毎日勉強の日々で、クラスにイケメンもひとりもいない状態。ハイスペックイケメン好きの私は、これではモチベーションを保てなかった。
つまらなすぎる毎日から脱却を図り、部活動ではバスケ部マネージャーになってみたが、意地悪な先輩と反りが合わず、夏休み前に退部することに。
夏休みこそは、楽しく、イケメンに囲まれた、充実した高校生ライフを送ろう!そう誓った筆者は、海の家でバイトをする事に。
そこには女子は私1人。逆ハーレム状態。高校のミスターコンテスト優勝者のイケメンくんや、サーフ雑誌に載ってるイケメンくん、中学時代の憧れの男子と過ごしたひと夏の思い出を綴ります…。
バスケ部時代のお話はコチラ⬇
◇【実話】高1バスケ部マネ時代、個性的イケメンキャプテンにストーキングされたり集団で囲まれたり色々あったけどやっぱり退部を選択しました◇
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
【R18】鬼上司は今日も私に甘くない
白波瀬 綾音
恋愛
見た目も中身も怖くて、仕事にストイックなハイスペ上司、高濱暁人(35)の右腕として働く私、鈴木梨沙(28)。接待で終電を逃した日から秘密の関係が始まる───。
逆ハーレムのチームで刺激的な日々を過ごすオフィスラブストーリー
法人営業部メンバー
鈴木梨沙:28歳
高濱暁人:35歳、法人営業部部長
相良くん:25歳、唯一の年下くん
久野さん:29歳、一個上の優しい先輩
藍沢さん:31歳、チーフ
武田さん:36歳、課長
加藤さん:30歳、法人営業部事務
My Doctor
west forest
恋愛
#病気#医者#喘息#心臓病#高校生
病気系ですので、苦手な方は引き返してください。
初めて書くので読みにくい部分、誤字脱字等あると思いますが、ささやかな目で見ていただけると嬉しいです!
主人公:篠崎 奈々 (しのざき なな)
妹:篠崎 夏愛(しのざき なつめ)
医者:斎藤 拓海 (さいとう たくみ)
大嫌いな次期騎士団長に嫁いだら、激しすぎる初夜が待っていました
扇 レンナ
恋愛
旧題:宿敵だと思っていた男に溺愛されて、毎日のように求められているんですが!?
*こちらは【明石 唯加】名義のアカウントで掲載していたものです。書籍化にあたり、こちらに転載しております。また、こちらのアカウントに転載することに関しては担当編集さまから許可をいただいておりますので、問題ありません。
――
ウィテカー王国の西の辺境を守る二つの伯爵家、コナハン家とフォレスター家は長年に渡りいがみ合ってきた。
そんな現状に焦りを抱いた王家は、二つの伯爵家に和解を求め、王命での結婚を命じる。
その結果、フォレスター伯爵家の長女メアリーはコナハン伯爵家に嫁入りすることが決まった。
結婚相手はコナハン家の長男シリル。クールに見える外見と辺境騎士団の次期団長という肩書きから女性人気がとても高い男性。
が、メアリーはそんなシリルが実は大嫌い。
彼はクールなのではなく、大層傲慢なだけ。それを知っているからだ。
しかし、王命には逆らえない。そのため、メアリーは渋々シリルの元に嫁ぐことに。
どうせ愛し愛されるような素敵な関係にはなれるわけがない。
そう考えるメアリーを他所に、シリルは初夜からメアリーを強く求めてくる。
――もしかして、これは嫌がらせ?
メアリーはシリルの態度をそう受け取り、頑なに彼を拒絶しようとするが――……。
「誰がお前に嫌がらせなんかするかよ」
どうやら、彼には全く別の思惑があるらしく……?
*WEB版表紙イラストはみどりのバクさまに有償にて描いていただいたものです。転載等は禁止です。
優しい微笑をください~上司の誤解をとく方法
栗原さとみ
恋愛
仕事のできる上司に、誤解され嫌われている私。どうやら会長の愛人でコネ入社だと思われているらしい…。その上浮気っぽいと思われているようで。上司はイケメンだし、仕事ぶりは素敵過ぎて、片想いを拗らせていくばかり。甘々オフィスラブ、王道のほっこり系恋愛話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる