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本編

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 しばらく行為の余韻に浸った後、二人はシャワーを浴びた。
 あゆみは足腰が立たず、ほとんど冬彦が抱えて連れていった。上がった後もあゆみは座らせ、冬彦が飲み物をいれて差し出す。
 あゆみは紅潮したままの頬をぷくっと膨らませた。
 その肌の艶やかさに、行為の名残を見てつい冬彦は手指を走らせる。
 それをくすぐったそうに払って、あゆみは言った。

「もう。あんな無茶苦茶、しなくたって」

 ベッドを抜け出た後で何度か目になる台詞を口にし、あゆみは冬彦がいれた麦茶で喉を潤した。
 冬彦は微笑んで首を傾げる。

「気持ち良くなかった?」
「……き、気持ち、良かった、けど」
「それはよかった。麦茶まだいる?」
「……いる」

 あゆみは唇を尖らせて空いたグラスを差し出した。冬彦はその額にキスを落として、台所でグラスを満たし、またあゆみに手渡す。と同時に、今度は頬にキスをした。

「も、もう。いちいち給仕の度にそんなことされたら、むずがゆいよ」
「慣れるよ、きっと。多分。いずれ」
「そ、そんなん慣れてもーー」

 あゆみの後ろに回り込んだ冬彦が、背中から抱きしめる。同時にあゆみの首もとに口づけて、息をついた。

「充電……」
「さっき充分したでしょう!」
「うーん。三十年分の充電」
「な、何よそれぇ……」

 うろたえて泣き声になるあゆみの首もとで冬彦はくつくつ笑う。
 三十年間餓え続けていた男を満たすのは相当のエネルギーが必要だろう。
 冬彦はそっとあゆみの肩をさすり、頬に頬を寄せる。

「はぁ……あゆみぃ」
「もー」

 頬を擦り寄せて来る男に、あゆみはやれやれといった体で肩をすくめる。
 えい、と無遠慮に冬彦の胸に体重を預けてきた。冬彦はその柔らかな重みを幸福感と共に受け止める。

「……で、豊く……坂下くんから、何か言われたの?」

 あゆみは少しだけ顔を傾け、頭を寄せた冬彦の目を見上げた。
 まっすぐに見つめて来る目は変わらないのに、上目遣いになったその眼差しに冬彦の胸がきゅっと締め付けられる。

「言われた。あゆみは俺にはもったいないって。心配かけるなって。馬鹿じゃねーのって」

 はしょりすぎている気もするが、まああらかた間違いではない。
 冬彦の言葉にあゆみが苦笑を浮かべて、おずおずと手を伸ばしてきた。冬彦はおとなしく目を閉じ、あゆみの手に頭を撫でられる。

「何でそんなこと。冬彦くんに釣り合わないのは私の方でしょうに」
「そっちこそ、何でそんなこと」

 むっとして言い返したが、無意味な水掛け論になりそうだと気づいた。あゆみもそう思ったのだろう、合った目で互いに苦笑を交わしてから、話を坂下に戻す。

「出産祝いは何がいいか、奥さんに聞いておいてねって連絡したの。そしたらゆた、坂下くんから電話があって、互いの近況について話してて……」
「俺とのこと、話したの?」
「……坂下くん、『小野田はどうしてるの?』って、知ったような口きくんだもん。今考えたらいつものはったりだったのかなぁ。てっきり、どっかから話が伝わったのかなぁなんて思って……」

 あゆみは言って、頬をわずかに赤く染めた。
 冬彦はその頬を撫で、キスをする。

「だからその……なんか今ちょっと大変みたいって、無事解決するといいんだけどって……そんな感じで、答えて」
「……それだけ?」
「うん、それだけ」

 あゆみの言葉を信じるのなら、確かに冬彦が怒る意味もわからなかっただろう。
 冬彦は息を吐き出して、あゆみの身体に回した手に力を込めた。

「な、何よぅ。坂下、くんと電話したこと怒ってるの?」
「ううん。違う……怒ってない……今怒るとしたら、あゆみに怒った自分なんだけど、そういう訳じゃなくて」

 冬彦は腹の底からため息をついた。あゆみの頭に顎をのせる。
 じんわりと、あゆみの背中から伝わる体温が、冬彦の胸を温めていく。

「……坂下は、あゆみのこと、本当に大切に思ってるんだな」

 ぽつりとつぶやいて、渋面になった。
 あゆみが途端に噴き出す。

「なに、それ。いや、うん……確かに、大切な友達だと思ってくれてるけど」

 冬彦は苦笑した。あゆみの言葉を信じない訳ではない。信じた上で、思うのだ。坂下はあゆみの言葉だけでなく、電話で話すその気配から、あゆみの想いを察したのだろう。
 それが相手への理解と思いやりなくしてできることだとは思えない。
 確かに、恋愛の相手ではないのかもしれない。しかし二人の間には、にわかには切り離せない堅い何かがある。

(敵わねぇなぁ……)

 思う。今まで散々、自分勝手に生きてしまった。いや、自分自身にすら投げやりに生きてきた。
 だから、そういう濃厚な人間関係を築いてきた彼らが羨ましくも、妬ましくもある。

「冬彦、くん?」
「ああ、うんーーごめん」

 急に黙った冬彦に、あゆみが心配そうな眼差しを投げかけて来る。冬彦は微笑みを返した。

「……どうかした?」

 あゆみの伸ばす手が冬彦の頬を覆う。その手に感じる温もりは、体温だけではない。
 あゆみの手にそっと自分の手を重ね、苦笑を返した。

「敵わないな、って思っただけ」
「誰に?」
「坂下にも。あゆみにも」

 あゆみは数度、まばたきをした。
 それから噴き出し、破顔する。

「なにそれ」

 あゆみは身体を反転させ、冬彦の首に腕を絡めた。
 笑いながら、冬彦の首もとに顔を寄せる。

「それ、坂下くんがしょっちゅう言ってた台詞」

 笑うあゆみから冬彦に、小さな振動が伝わってきた。

「そうなの?」
「そうだよ」

 心底楽しげに笑うあゆみは、弓なりに細められた目で冬彦の目を覗き込んだ。

「私も、今思ってる」

 冬彦はそのまっすぐな目を、戸惑いながら見つめ返す。

「ーーつまり?」
「冬彦くんには、敵わない」

 あゆみは囁いて、冬彦の唇に唇を重ねた。
 小さな音とともに、唇が離れる。
 至近距離からあゆみの目が、女の色を宿して冬彦を見つめた。

「……離れたくないよ」

 心臓を捕まれたような感覚をおぼえ、冬彦はとっさにあゆみをかき抱く。唇を重ね、身体を引き寄せる。強く、強く。これ以上密着することなどできないほどに。深い深いキスの合間を塗って、息継ぎをしたあゆみが喘いだ。

「ま、待ってよぅ。今日はもう、おしまい! 明日から、新学期なんだから!」

 あゆみの言葉に、冬彦は動きを止める。あゆみの困惑した視線を受けて、視線をさまよわせた。

「……新学期……か」
「……なに、その反応」
「いや……その」

 冬彦は罪悪感に駆られつつ、あゆみの首筋をそっと指で撫でた。あゆみの目が揺らぐのを見て、ごめん、と口中で謝る。

「……跡、つけちゃった。首」
「えっ」

 あゆみは真っ赤になって首を押さえた。

「えっ、えっ、えっーー」
「ごめんって。そんな慌てなくても」
「く、首とか。まだ暑いのに。隠せないじゃん。スカーフとか? いや、いつも飾り気ないのに、変すぎる」

 あゆみがわたわたしている。

 新学期ってことで、イメチェンっていえば、行けるか? いや、でも結構鋭いしあの子たち。何かつっこまれたらきっとバレちゃう。ていうか先生たちもだ、きっとなんか言われる、動揺したらすぐわかっちゃうよねーー

 口早に一人ごちるあゆみを見つつ、冬彦は肩をすくめた。

「……婚約指輪でも、していく?」
「はぁっ?」
「そしたらほら、キスマークあっても、まあ許されるかなってーー」

 あゆみは顔を真っ赤にして、冬彦の肩をたたいた。

「っ、もう、小野田くんは、そんなこと言ってる場合があったら親御さんと仲直りしなさい!」

 言われた冬彦は、また小野田くんに戻ってる、と少しすねて見せた。
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