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本編
08
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二杯目のウイスキーを空けて、冬彦は坂下の横から抜け出た。
「俺、ちょっとトイレ」
「あ、俺も行く」
冬彦は嫌そうな顔を坂下に向けた。
「連れションの趣味はねぇぞ」
「奇遇だね。俺もないよ」
にこりと笑う坂下は、アルコールで少し顔が赤いが、酔っている訳ではないとその目で分かった。
冬彦は嘆息して歩き出す。坂下もその隣を歩いた。
男子トイレに入り、並んで用を足して、手を洗う。
不意に坂下が口を開いた。
「小野田さぁ」
冬彦はちらりと坂下に目を向ける。
坂下は洗い終えた手を振って、乾燥機へ向かった。
「見たでしょ、俺とあゆみがキスするとこ」
坂下が乾燥機に手を入れた。ブオオオオ、と風が吹く音が響く。冬彦は目をそらした。
音が止まる。坂下は後ろに立つ冬彦の肩をぽんと叩く。
「その所為で別れたんだよね、俺たち」
その眼鏡の下の目は到底穏やかとは言えない。冷たい視線から目を反らし、冬彦も手を乾かす。
その間に坂下は去っていた。乾燥機から手を引きだし、冬彦は息を吐き出す。
(……一体、何のこっちゃ)
ちっ、と舌打ちをして、会場のレストランへ戻った。
* * *
レストランの前には、受付の撤収を前に会費の確認をするあゆみがいた。冬彦は会費を支払っていないことを思い出し、ズボンのポケットから財布を引き出す。
「……いくらだっけ」
「えーと。5000円」
言って、あゆみはちらりと冬彦を見上げた。
いたずらっぽく唇の端を引き上げて笑う。
「ギャラってことでまけとこうか?」
「冗談」
冬彦は財布から一万円札を引き出して吐き捨てた。
「お前に恩を売りたくない」
「あらそうお」
あゆみは集めた会費の中から五千円札を引き出して冬彦に返す。
「おかげで盛り上がってよかった。ありがと」
言うや、手元の札束を数えはじめる。十枚ごとに一組にしているのだ。
冬彦は嘆息して、置かれた札束の一つを手に取った。あゆみが意外そうに目を上げる。
「お前、飲んでないんだろ」
「だって幹事だもん」
「つまんねぇなぁ、幹事って」
「そう?」
あゆみは笑いながら、十枚の束を作って一枚で挟む動きを繰り返す。
「みんなが笑ってくれてるの見たら、それで充分楽しいけど」
一通り十枚の束を作り終わり、冬彦に手を差し出した。冬彦は逆にあゆみの手に残った数枚を手に取る。
「……いつの間に撮ったんだよ、あんな写真」
「私のお父さん、カメラが趣味で」
あゆみは微笑んだ。眼鏡の奥の目は知らない女のもののように優しい。
「絵になるからって、小野田くんを追ってたみたい。あれ撮ったとき、懇心の一枚だって胸張ってた」
冬彦は息を吐き出した。数えた札束をあゆみの手に渡す。
「……確かにな。それは否定しない」
「ふふ」
あゆみは笑った。
「可愛い顔してるよね、あの写真」
冬彦は顔を歪めた。あゆみがまた笑う。
「中学生男子らしいヤンチャ顔。他のはほら、クールガイ気取ってツンケンして写ってるでしょ。ネガはあげられないけど現像できるよ。あげようか?」
「ちょっと待て。ネガはあげられないって何だそれ」
あゆみははっとうかがうように冬彦を見上げて、肩を竦めた。
「……お父さんの作品だから。著作権はカメラマンに帰属します」
「肖像権は本人に帰属するはずだぞ」
「やぁだ」
取ってつけたような理由に冬彦がつっこみを入れると、あゆみは口元に手を当てて笑った。
「そうだ、小野田くんてば弁護士先生だった。失礼、失礼。今のは忘れてください」
もちろん互いに冗談なのは分かっている。あゆみは笑いながら冬彦の肩を叩いた。その遠慮のない触れ方に、既視感を覚える。
ちり、と小さく、胸中に痺れのような痛みが走った。
会場に戻ろうとするあゆみの手首を掴む。
驚いたあゆみが、眼鏡の奥の目を丸くして冬彦を見上げた。
今日初めて見る長い髪が、ふわりと風を孕んで浮く。
眼鏡ごしの目は、何の躊躇もなく冬彦の目を見返して来る。
中学生のときと変わらず。
「……飲んでねぇんだろ」
冬彦の声は掠れた。
「終わったら、一軒つき合ってやるよ」
あゆみが一瞬の間の後、噴き出す。
「俺様すぎじゃない? その発言」
笑った拍子に冬彦の手はあゆみから離れた。あゆみはまた冬彦の肩を叩く。
「女を誘う文句にしては落第だね」
冬彦は舌打ちした。
「女だと思ってねぇ」
「分かってるよ」
あゆみが唇を尖らせる。
「モッテモテな小野田先生のことだから、どうせ私みたいな色気もない中学教諭は興味もないでしょ。安心して二人で飲みに行けます、ああ有り難い有り難い」
わざとらしく手を合わせて言うと、あゆみは会場に一歩踏み出す。冬彦もついて行こうとしたが、あゆみが立ち止まったのでつんのめりかけた。
文句を言おうとしたが、まっすぐな目がまた見上げてきて口を閉じる。
「……今日、他の子誘うくらいなら、私にしてね」
その目には厳しい色が宿っている。
「せっかくの同窓会なんだから」
呟いて、あゆみは中へ入って行った。
言葉の意味をとらえかね、冬彦は棒立ちになる。
(同窓会なんだから?)
他の子誘うくらいなら、私にしてねーー
(意味が……分からない)
冬彦は初めて、自分の読解力に不安を感じた。
「俺、ちょっとトイレ」
「あ、俺も行く」
冬彦は嫌そうな顔を坂下に向けた。
「連れションの趣味はねぇぞ」
「奇遇だね。俺もないよ」
にこりと笑う坂下は、アルコールで少し顔が赤いが、酔っている訳ではないとその目で分かった。
冬彦は嘆息して歩き出す。坂下もその隣を歩いた。
男子トイレに入り、並んで用を足して、手を洗う。
不意に坂下が口を開いた。
「小野田さぁ」
冬彦はちらりと坂下に目を向ける。
坂下は洗い終えた手を振って、乾燥機へ向かった。
「見たでしょ、俺とあゆみがキスするとこ」
坂下が乾燥機に手を入れた。ブオオオオ、と風が吹く音が響く。冬彦は目をそらした。
音が止まる。坂下は後ろに立つ冬彦の肩をぽんと叩く。
「その所為で別れたんだよね、俺たち」
その眼鏡の下の目は到底穏やかとは言えない。冷たい視線から目を反らし、冬彦も手を乾かす。
その間に坂下は去っていた。乾燥機から手を引きだし、冬彦は息を吐き出す。
(……一体、何のこっちゃ)
ちっ、と舌打ちをして、会場のレストランへ戻った。
* * *
レストランの前には、受付の撤収を前に会費の確認をするあゆみがいた。冬彦は会費を支払っていないことを思い出し、ズボンのポケットから財布を引き出す。
「……いくらだっけ」
「えーと。5000円」
言って、あゆみはちらりと冬彦を見上げた。
いたずらっぽく唇の端を引き上げて笑う。
「ギャラってことでまけとこうか?」
「冗談」
冬彦は財布から一万円札を引き出して吐き捨てた。
「お前に恩を売りたくない」
「あらそうお」
あゆみは集めた会費の中から五千円札を引き出して冬彦に返す。
「おかげで盛り上がってよかった。ありがと」
言うや、手元の札束を数えはじめる。十枚ごとに一組にしているのだ。
冬彦は嘆息して、置かれた札束の一つを手に取った。あゆみが意外そうに目を上げる。
「お前、飲んでないんだろ」
「だって幹事だもん」
「つまんねぇなぁ、幹事って」
「そう?」
あゆみは笑いながら、十枚の束を作って一枚で挟む動きを繰り返す。
「みんなが笑ってくれてるの見たら、それで充分楽しいけど」
一通り十枚の束を作り終わり、冬彦に手を差し出した。冬彦は逆にあゆみの手に残った数枚を手に取る。
「……いつの間に撮ったんだよ、あんな写真」
「私のお父さん、カメラが趣味で」
あゆみは微笑んだ。眼鏡の奥の目は知らない女のもののように優しい。
「絵になるからって、小野田くんを追ってたみたい。あれ撮ったとき、懇心の一枚だって胸張ってた」
冬彦は息を吐き出した。数えた札束をあゆみの手に渡す。
「……確かにな。それは否定しない」
「ふふ」
あゆみは笑った。
「可愛い顔してるよね、あの写真」
冬彦は顔を歪めた。あゆみがまた笑う。
「中学生男子らしいヤンチャ顔。他のはほら、クールガイ気取ってツンケンして写ってるでしょ。ネガはあげられないけど現像できるよ。あげようか?」
「ちょっと待て。ネガはあげられないって何だそれ」
あゆみははっとうかがうように冬彦を見上げて、肩を竦めた。
「……お父さんの作品だから。著作権はカメラマンに帰属します」
「肖像権は本人に帰属するはずだぞ」
「やぁだ」
取ってつけたような理由に冬彦がつっこみを入れると、あゆみは口元に手を当てて笑った。
「そうだ、小野田くんてば弁護士先生だった。失礼、失礼。今のは忘れてください」
もちろん互いに冗談なのは分かっている。あゆみは笑いながら冬彦の肩を叩いた。その遠慮のない触れ方に、既視感を覚える。
ちり、と小さく、胸中に痺れのような痛みが走った。
会場に戻ろうとするあゆみの手首を掴む。
驚いたあゆみが、眼鏡の奥の目を丸くして冬彦を見上げた。
今日初めて見る長い髪が、ふわりと風を孕んで浮く。
眼鏡ごしの目は、何の躊躇もなく冬彦の目を見返して来る。
中学生のときと変わらず。
「……飲んでねぇんだろ」
冬彦の声は掠れた。
「終わったら、一軒つき合ってやるよ」
あゆみが一瞬の間の後、噴き出す。
「俺様すぎじゃない? その発言」
笑った拍子に冬彦の手はあゆみから離れた。あゆみはまた冬彦の肩を叩く。
「女を誘う文句にしては落第だね」
冬彦は舌打ちした。
「女だと思ってねぇ」
「分かってるよ」
あゆみが唇を尖らせる。
「モッテモテな小野田先生のことだから、どうせ私みたいな色気もない中学教諭は興味もないでしょ。安心して二人で飲みに行けます、ああ有り難い有り難い」
わざとらしく手を合わせて言うと、あゆみは会場に一歩踏み出す。冬彦もついて行こうとしたが、あゆみが立ち止まったのでつんのめりかけた。
文句を言おうとしたが、まっすぐな目がまた見上げてきて口を閉じる。
「……今日、他の子誘うくらいなら、私にしてね」
その目には厳しい色が宿っている。
「せっかくの同窓会なんだから」
呟いて、あゆみは中へ入って行った。
言葉の意味をとらえかね、冬彦は棒立ちになる。
(同窓会なんだから?)
他の子誘うくらいなら、私にしてねーー
(意味が……分からない)
冬彦は初めて、自分の読解力に不安を感じた。
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