上 下
9 / 100
本編

08

しおりを挟む
 二杯目のウイスキーを空けて、冬彦は坂下の横から抜け出た。

「俺、ちょっとトイレ」
「あ、俺も行く」

 冬彦は嫌そうな顔を坂下に向けた。

「連れションの趣味はねぇぞ」
「奇遇だね。俺もないよ」

 にこりと笑う坂下は、アルコールで少し顔が赤いが、酔っている訳ではないとその目で分かった。
 冬彦は嘆息して歩き出す。坂下もその隣を歩いた。
 男子トイレに入り、並んで用を足して、手を洗う。
 不意に坂下が口を開いた。

「小野田さぁ」

 冬彦はちらりと坂下に目を向ける。
 坂下は洗い終えた手を振って、乾燥機へ向かった。

「見たでしょ、俺とあゆみがキスするとこ」

 坂下が乾燥機に手を入れた。ブオオオオ、と風が吹く音が響く。冬彦は目をそらした。
 音が止まる。坂下は後ろに立つ冬彦の肩をぽんと叩く。

「その所為で別れたんだよね、俺たち」

 その眼鏡の下の目は到底穏やかとは言えない。冷たい視線から目を反らし、冬彦も手を乾かす。
 その間に坂下は去っていた。乾燥機から手を引きだし、冬彦は息を吐き出す。

(……一体、何のこっちゃ)

 ちっ、と舌打ちをして、会場のレストランへ戻った。

 * * *

 レストランの前には、受付の撤収を前に会費の確認をするあゆみがいた。冬彦は会費を支払っていないことを思い出し、ズボンのポケットから財布を引き出す。

「……いくらだっけ」
「えーと。5000円」

 言って、あゆみはちらりと冬彦を見上げた。
 いたずらっぽく唇の端を引き上げて笑う。

「ギャラってことでまけとこうか?」
「冗談」

 冬彦は財布から一万円札を引き出して吐き捨てた。

「お前に恩を売りたくない」
「あらそうお」

 あゆみは集めた会費の中から五千円札を引き出して冬彦に返す。

「おかげで盛り上がってよかった。ありがと」

 言うや、手元の札束を数えはじめる。十枚ごとに一組にしているのだ。
 冬彦は嘆息して、置かれた札束の一つを手に取った。あゆみが意外そうに目を上げる。

「お前、飲んでないんだろ」
「だって幹事だもん」
「つまんねぇなぁ、幹事って」
「そう?」

 あゆみは笑いながら、十枚の束を作って一枚で挟む動きを繰り返す。

「みんなが笑ってくれてるの見たら、それで充分楽しいけど」

 一通り十枚の束を作り終わり、冬彦に手を差し出した。冬彦は逆にあゆみの手に残った数枚を手に取る。

「……いつの間に撮ったんだよ、あんな写真」
「私のお父さん、カメラが趣味で」

 あゆみは微笑んだ。眼鏡の奥の目は知らない女のもののように優しい。

「絵になるからって、小野田くんを追ってたみたい。あれ撮ったとき、懇心の一枚だって胸張ってた」

 冬彦は息を吐き出した。数えた札束をあゆみの手に渡す。

「……確かにな。それは否定しない」
「ふふ」

 あゆみは笑った。

「可愛い顔してるよね、あの写真」

 冬彦は顔を歪めた。あゆみがまた笑う。

「中学生男子らしいヤンチャ顔。他のはほら、クールガイ気取ってツンケンして写ってるでしょ。ネガはあげられないけど現像できるよ。あげようか?」
「ちょっと待て。ネガはあげられないって何だそれ」

 あゆみははっとうかがうように冬彦を見上げて、肩を竦めた。

「……お父さんの作品だから。著作権はカメラマンに帰属します」
「肖像権は本人に帰属するはずだぞ」
「やぁだ」

 取ってつけたような理由に冬彦がつっこみを入れると、あゆみは口元に手を当てて笑った。

「そうだ、小野田くんてば弁護士先生だった。失礼、失礼。今のは忘れてください」

 もちろん互いに冗談なのは分かっている。あゆみは笑いながら冬彦の肩を叩いた。その遠慮のない触れ方に、既視感を覚える。
 ちり、と小さく、胸中に痺れのような痛みが走った。
 会場に戻ろうとするあゆみの手首を掴む。
 驚いたあゆみが、眼鏡の奥の目を丸くして冬彦を見上げた。
 今日初めて見る長い髪が、ふわりと風を孕んで浮く。
 眼鏡ごしの目は、何の躊躇もなく冬彦の目を見返して来る。
 中学生のときと変わらず。

「……飲んでねぇんだろ」

 冬彦の声は掠れた。

「終わったら、一軒つき合ってやるよ」

 あゆみが一瞬の間の後、噴き出す。

「俺様すぎじゃない? その発言」

 笑った拍子に冬彦の手はあゆみから離れた。あゆみはまた冬彦の肩を叩く。

「女を誘う文句にしては落第だね」

 冬彦は舌打ちした。

「女だと思ってねぇ」
「分かってるよ」

 あゆみが唇を尖らせる。

「モッテモテな小野田先生のことだから、どうせ私みたいな色気もない中学教諭は興味もないでしょ。安心して二人で飲みに行けます、ああ有り難い有り難い」

 わざとらしく手を合わせて言うと、あゆみは会場に一歩踏み出す。冬彦もついて行こうとしたが、あゆみが立ち止まったのでつんのめりかけた。
 文句を言おうとしたが、まっすぐな目がまた見上げてきて口を閉じる。

「……今日、他の子誘うくらいなら、私にしてね」

 その目には厳しい色が宿っている。

「せっかくの同窓会なんだから」

 呟いて、あゆみは中へ入って行った。
 言葉の意味をとらえかね、冬彦は棒立ちになる。

(同窓会なんだから?)

 他の子誘うくらいなら、私にしてねーー

(意味が……分からない)

 冬彦は初めて、自分の読解力に不安を感じた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

ズボラ上司の甘い罠

松丹子
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。 仕事はできる人なのに、あまりにももったいない! かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。 やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか? 上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。

My Doctor

west forest
恋愛
#病気#医者#喘息#心臓病#高校生 病気系ですので、苦手な方は引き返してください。 初めて書くので読みにくい部分、誤字脱字等あると思いますが、ささやかな目で見ていただけると嬉しいです! 主人公:篠崎 奈々 (しのざき なな) 妹:篠崎 夏愛(しのざき なつめ) 医者:斎藤 拓海 (さいとう たくみ)

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

イケメンドクターは幼馴染み!夜の診察はベッドの上!?

すずなり。
恋愛
仕事帰りにケガをしてしまった私、かざね。 病院で診てくれた医師は幼馴染みだった! 「こんなにかわいくなって・・・。」 10年ぶりに再会した私たち。 お互いに気持ちを伝えられないまま・・・想いだけが加速していく。 かざね「どうしよう・・・私、ちーちゃんが好きだ。」 幼馴染『千秋』。 通称『ちーちゃん』。 きびしい一面もあるけど、優しい『ちーちゃん』。 千秋「かざねの側に・・・俺はいたい。」 自分の気持ちに気がついたあと、距離を詰めてくるのはかざねの仕事仲間の『ユウト』。 ユウト「今・・特定の『誰か』がいないなら・・・俺と付き合ってください。」 かざねは悩む。 かざね(ちーちゃんに振り向いてもらえないなら・・・・・・私がユウトさんを愛しさえすれば・・・・・忘れられる・・?) ※お話の中に出てくる病気や、治療法、職業内容などは全て架空のものです。 想像の中だけでお楽しみください。 ※お話は全て想像の世界です。現実世界とはなんの関係もありません。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 ただただ楽しんでいただけたら嬉しいです。 すずなり。

わんこ系王太子に婚約破棄を匂わせたら監禁されたので躾けます

冴西
恋愛
※なお、ヒロインはサディストではない※ 妙に冷静だがちょっとズレてる鎖引きちぎれる系エルフ美少女と健気で病んでるわんこ系狼耳美青年の純愛。多分純愛。 *** 「アレクシスと婚約破棄、してみない?」 「……はい?」 辺境伯令嬢である主人公サラージュは国王陛下の『お願い』によって婚約者のアレクシスに婚約破棄(仮)を匂わせることになった。 まあそう大事にはならないだろうと油断していたら、次に目を覚ました時にはばっちり監禁されていて……!? ◎コメント・感想・誤字脱字指摘お気軽にどうぞ! ※コメディみたいなあらすじにしかならないけど純愛のつもりで書いてます。 ※直接描写はありませんが主人公カップルは既に肉体関係があります。作中でも直球で触れている為ユニコーン族の方はお気を付けください。 ※被害者側が武力に長けていても現実における監禁は犯罪です。ファンタジー世界と現実の区別がつくことを前提にしてお読みください。 ※女性優位のSMに見えなくもない場面があります。

処理中です...