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本編
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食後のコーヒーを飲む頃には、気持ちも落ち着いた。花田に簡単に返事を送ると、またスマホをポケットにおさめる。
入った店は昨日あゆみと会った本屋の横にあるカフェだ。食事にはサンドイッチの盛り合わせを食べた。カフェは本屋に併設されていて、購入前の本も読みながら利用することができる。
(せっかくだし、何か見るか)
思いながら、皿を下げて席を立つ。雑誌を二冊と専門書を一冊持って戻って来ると、コーヒー片手に本屋側のカウンター席へ腰掛けた。
席の前はガラス張りになっていて、本屋の様子が見える。ぱらぱらと興味もない雑誌をめくりながら、ときどき思い出したように時間を確かめた。
(……何やってんだか)
自分がどうしたいのかは、なんとなく分かっている。
昨日と同じような偶然を望んでいるのだ。
(連絡すりゃいいだけじゃねぇか)
あゆみの連絡先は知っている。花田からの連絡を受けたと言えば、それなりの理由もたつ。
だが、自分が彼女に会いたがっているということを、まだ認める勇気がなかった。
(それこそ中学生並だな)
女と過ごした経験は人並みにある。いや、もしかしたら人並み以上にあるかもしれない。
最初から一晩だけの関係を持とうとするような馬鹿な遊び方はしなかったが、放っておいても女が近寄ってきた。その中から、誠実に付き合えそうな気がする女を選んだこともあれば、アクセサリーに適した女を見繕いつき合ったこともある。
しかしあゆみへの気持ちは、今までに感じたどの感情とも違った。これをただの恋愛の情とは到底思えない。感覚的には、母への情に近いのではないか。
今まで出会った女に感じていたのは、あくまで他人としての女だった。一時を共に過ごすことになるとはいえ、彼女には彼女の人生がある。生き方がある。場合によっては別れもあるだろう。それを前提につき合っていた気がする。
だがあゆみはそうではなかった。もしもあゆみが一時でも側にいてくれたとしたら、冬彦はそこから離れることを極度に恐れるだろう。冬彦が帰る場所にあゆみがいる。あゆみが帰る場所に冬彦がいる。それが確信できなければ、冬彦は気が狂ってしまうだろう。そう思われた。
広げた雑誌の内容は、全く頭に入って来ない。
冬彦は息をついて雑誌を閉じた。
机に肘をつき、手にあごを載せて目を閉じる。
背に触れたあゆみの手を思い出した。
ただ静かに、そっと添えられた手。
込み上げた思いを、口を引き結んで飲み込む。
そのとき、コンコンとガラス戸を叩く音がして、はっと目を開いた。
そこには心配そうな顔のあゆみが立っていた。
冬彦はゆっくりと、息を吐き出す。
(……会えた)
じわり、と胸に喜びが広がった。
同時に、不思議な切なさも。
時計を見ると、もう午後三時を過ぎていた。
待ってろ、と口で言い、冬彦はコーヒーを飲み干すとカウンターにカップを下げた。
読みもせず持っていた雑誌と専門書を手に店を出る。
「どうしたの。今日」
「あ、うん。ちょっと出かけてて、今帰り」
「そう。待ってて。本返してくる」
「え? あーーうん」
あゆみが困惑した顔で頷いたのを確認し、冬彦は本をもとの場所に戻した。
「お待たせ」
「うん。えと、その」
「花田のとこの生徒、大丈夫だったらしいな」
冬彦の言葉に、あゆみはほっとした顔をした。
困惑していた表情が安堵に綻ぶ。
「そうなんだ。ーーよかった」
「うん」
歩き出す冬彦に、あゆみがついていく。
二人の振る舞いは互いに驚くほど自然だった。
「よかった。ほんとよかった」
「そうだな」
「花田くんにとっても、小野田くんにとっても」
下階に行くエレベーターのボタンを押した冬彦は、あゆみの言葉に振り返る。
あゆみはいつも通り穏やかな笑顔で冬彦を見上げていた。
「……何で俺?」
「え……何でって」
あゆみは困ったように首を傾げた。
「小野田くん、昨日辛そうだったから」
じわりと、また胸に温かさが広がる。
空っぽなはずの何かが、じわりとにじんだ気がした。
(ーーこの女なら、満たしてくれる)
感覚的に気づいていたはずのことが、初めて具体的な言葉になった。
エレベーターが到着を告げた。開いたドアの中には、それなりの客が乗っている。
動かない冬彦の顔を、あゆみが不思議そうに見上げた。
「乗らないの?」
「ああ……」
冬彦はエレベーターに乗り込んだ。あゆみも黙って続く。
一階のボタンは既に押されていた。他の客とそれとなく距離を置いて立つと、日頃よりも近くにあゆみの頭があった。
ふわりと、シャンプーの匂いが鼻腔に漂う。
艶やかな髪は、今日は後ろで一つにくくられていた。
シュシュすらついていない。味気ない黒いゴムでくくられた黒い髪。
耳の上にかかった眼鏡のつる。その縁沿いにライトが反射している。
冬彦の視線を感じたのか、あゆみが不意に冬彦を見上げた。
「小野田くん? どうかした?」
冬彦は目を反らした。
「いや……何でもない」
動揺のせいで答えは口の中にくぐもったが、あゆみはエレベーターの中なので控えめに答えたのだと思ったらしい。ただ数度頷くと、黙ってエレベーターの階表示を眺めていた。
入った店は昨日あゆみと会った本屋の横にあるカフェだ。食事にはサンドイッチの盛り合わせを食べた。カフェは本屋に併設されていて、購入前の本も読みながら利用することができる。
(せっかくだし、何か見るか)
思いながら、皿を下げて席を立つ。雑誌を二冊と専門書を一冊持って戻って来ると、コーヒー片手に本屋側のカウンター席へ腰掛けた。
席の前はガラス張りになっていて、本屋の様子が見える。ぱらぱらと興味もない雑誌をめくりながら、ときどき思い出したように時間を確かめた。
(……何やってんだか)
自分がどうしたいのかは、なんとなく分かっている。
昨日と同じような偶然を望んでいるのだ。
(連絡すりゃいいだけじゃねぇか)
あゆみの連絡先は知っている。花田からの連絡を受けたと言えば、それなりの理由もたつ。
だが、自分が彼女に会いたがっているということを、まだ認める勇気がなかった。
(それこそ中学生並だな)
女と過ごした経験は人並みにある。いや、もしかしたら人並み以上にあるかもしれない。
最初から一晩だけの関係を持とうとするような馬鹿な遊び方はしなかったが、放っておいても女が近寄ってきた。その中から、誠実に付き合えそうな気がする女を選んだこともあれば、アクセサリーに適した女を見繕いつき合ったこともある。
しかしあゆみへの気持ちは、今までに感じたどの感情とも違った。これをただの恋愛の情とは到底思えない。感覚的には、母への情に近いのではないか。
今まで出会った女に感じていたのは、あくまで他人としての女だった。一時を共に過ごすことになるとはいえ、彼女には彼女の人生がある。生き方がある。場合によっては別れもあるだろう。それを前提につき合っていた気がする。
だがあゆみはそうではなかった。もしもあゆみが一時でも側にいてくれたとしたら、冬彦はそこから離れることを極度に恐れるだろう。冬彦が帰る場所にあゆみがいる。あゆみが帰る場所に冬彦がいる。それが確信できなければ、冬彦は気が狂ってしまうだろう。そう思われた。
広げた雑誌の内容は、全く頭に入って来ない。
冬彦は息をついて雑誌を閉じた。
机に肘をつき、手にあごを載せて目を閉じる。
背に触れたあゆみの手を思い出した。
ただ静かに、そっと添えられた手。
込み上げた思いを、口を引き結んで飲み込む。
そのとき、コンコンとガラス戸を叩く音がして、はっと目を開いた。
そこには心配そうな顔のあゆみが立っていた。
冬彦はゆっくりと、息を吐き出す。
(……会えた)
じわり、と胸に喜びが広がった。
同時に、不思議な切なさも。
時計を見ると、もう午後三時を過ぎていた。
待ってろ、と口で言い、冬彦はコーヒーを飲み干すとカウンターにカップを下げた。
読みもせず持っていた雑誌と専門書を手に店を出る。
「どうしたの。今日」
「あ、うん。ちょっと出かけてて、今帰り」
「そう。待ってて。本返してくる」
「え? あーーうん」
あゆみが困惑した顔で頷いたのを確認し、冬彦は本をもとの場所に戻した。
「お待たせ」
「うん。えと、その」
「花田のとこの生徒、大丈夫だったらしいな」
冬彦の言葉に、あゆみはほっとした顔をした。
困惑していた表情が安堵に綻ぶ。
「そうなんだ。ーーよかった」
「うん」
歩き出す冬彦に、あゆみがついていく。
二人の振る舞いは互いに驚くほど自然だった。
「よかった。ほんとよかった」
「そうだな」
「花田くんにとっても、小野田くんにとっても」
下階に行くエレベーターのボタンを押した冬彦は、あゆみの言葉に振り返る。
あゆみはいつも通り穏やかな笑顔で冬彦を見上げていた。
「……何で俺?」
「え……何でって」
あゆみは困ったように首を傾げた。
「小野田くん、昨日辛そうだったから」
じわりと、また胸に温かさが広がる。
空っぽなはずの何かが、じわりとにじんだ気がした。
(ーーこの女なら、満たしてくれる)
感覚的に気づいていたはずのことが、初めて具体的な言葉になった。
エレベーターが到着を告げた。開いたドアの中には、それなりの客が乗っている。
動かない冬彦の顔を、あゆみが不思議そうに見上げた。
「乗らないの?」
「ああ……」
冬彦はエレベーターに乗り込んだ。あゆみも黙って続く。
一階のボタンは既に押されていた。他の客とそれとなく距離を置いて立つと、日頃よりも近くにあゆみの頭があった。
ふわりと、シャンプーの匂いが鼻腔に漂う。
艶やかな髪は、今日は後ろで一つにくくられていた。
シュシュすらついていない。味気ない黒いゴムでくくられた黒い髪。
耳の上にかかった眼鏡のつる。その縁沿いにライトが反射している。
冬彦の視線を感じたのか、あゆみが不意に冬彦を見上げた。
「小野田くん? どうかした?」
冬彦は目を反らした。
「いや……何でもない」
動揺のせいで答えは口の中にくぐもったが、あゆみはエレベーターの中なので控えめに答えたのだと思ったらしい。ただ数度頷くと、黙ってエレベーターの階表示を眺めていた。
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