キミロマン

松丹子

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07 未知

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 東の家を訪れるようになる前の冬のこと。
 ミスキャンパスがいる、とサークル仲間に言われて見ると、予想外に地味な女子だった。
 でも、それは決して手を抜いているとか、美意識が低いとか、そういう地味さではない。
 そもそもごちゃごちゃと華美なものを身にまとわなくても、充分魅力的な女子で、そしてそれを、多分自分でも大切にしているのだろう。
 彼女は一人でキャンパスを歩いていた。青々と晴れた冬空は彼女の紺色のコートを引き立てていて、葉を枯らした味気ない冬の植栽もまた、彼女のみずみずしさを際立たせる材料になっていた。
 誰も彼女に話しかけることはなく、不躾な視線を送る人は誰もいない。それでも、確かに彼女の佇まいに、誰もが惹かれているのが分かった。

「あんま、見ない顔だね」
「理系の学部らしいよ。ちょっと意外な専攻だったな……林業? 農業? そんな感じ」

 農業なら、東と一緒だ。ぼんやり、そうとだけ思った。
 どうしてミスキャンパスに応募したのか、誰かが聞いた。文化祭のステージを見たという男子は、「審査員ウケ狙いだろうけど」と前置きした後、

「ミスキャンになれたら、好きな人に告白できる自信が得られるかと思って、つってたよ」

 と言った。

「なに、もしかしてそれで男子たち投票したとか?」
「マジそれな。俺がその好きな人かもってちょっと期待するしな」
「なにそれぇ。ミスキャンの趣旨と違うじゃん。男子の印象操作で反則じゃね? 見た目はちょっと探せばいそうな感じじゃん」

 小馬鹿にしながら、みんなも内心、分かっているのだ。彼女は確かに、綺麗だ。顔立ちとかスタイルとかだけじゃない、生き方や姿勢がキチンとしていて、それが佇まいに現れているのだろう。
 それを、他の女子たちはひがんでいる節があった。自分だってチャントすればあのくらいになれる、と言いながら、実際にはできないのだとも分かっている。だから余計悔しい。
 どの講義が面倒だとか、明日バイトあるから代返よろしくとか、楽なゼミの調べ方とかを話しながら、私たちはダラダラとその場を離れた。
 きっと、こんな会話を、彼女はしないのだろう。
 そう思いながら、私はミスキャンを眺めていた。
 私とは、違う世界にいる人。言葉を交わすことも、互いの名前を認識することも、きっと、ないのだろう。
 そうして忘れていた彼女のことを思い出したのは、思わぬところで見かけたからだ。


 ***


 私はその日、講義終わりにサークル仲間とひと飲みして、珍しく二次会なしで帰宅した。
 ほろ酔い気分で歩きながら、ふんふんとご機嫌な鼻歌を口ずさんでいた私は、自宅のドアの前まで来たところで、数メートル前に佇む人影に気づいた。
 そこが東の部屋の前だと思ったから顔を見れば、綺麗な佇まいの人がいた。街灯に照らされた黒髪は艶やかで、白い肌はきめ細かい。化粧っけはなかったけど、瞳と唇の潤いが際立って見えた。
 ほんとうの美人は、夜の方が魅力が増すらしい。
 思いながらも混乱する。こんな夜中に、東をミスキャンが訪ねてる。なんで? 部屋を間違ってるんじゃないですか、そこは冴えない男がひとりで住んでるだけですよ。そんなことを、言いたくても言えずに、乾いた喉にありもしない唾を飲み込む。
 私とは違う世界の人。
 彼女を見たとき、そう思った。

 でも、東とは?

 分からなかった。私が知ってる東はごくごく一部で、小学生のときと中学生のときと、ときどき見かけた学ランの背中、そしてけだるげに私を受け入れる姿だけ。キャンパスでどんな生活を送っているのか、今までどういう女性と過ごしてきたのか、どんな進路選択をしてどんな姿勢で講義を受けているのか、全然、想像もつかなかった。
 寒くもないのに悪寒が走って身震いする。東の家のドアが開いた。ミスキャンは途端にほっとした笑顔を浮かべて数言話し、そして会釈しながら、東の家に入って行った。

 お邪魔します。

 聞こえなかったはずの声が聞こえた気がした。

 ごめんね、こんな遅くに。

 彼女の佇まいから、そんな気遣いの言葉を想像する。

 東はそれにどう答えるのだろう。
 どんな顔で、彼女を迎え入れたのだろう。

 好きな人に告白する自信をーー

 そう言った彼女は、きっと照れ臭そうに微笑んだに違いない。
 見てもいない文化祭のステージをありありと想像して、東の家のドアに向いていた視線を無理矢理引きはがす。
 取り出してあった鍵を、自分のドアの鍵穴に突っ込もうとして、出っ張りが逆で、ひっくり返そうとして、取り落とす。かちゃん、と乾いた音がした。手が震えていることに気づく。
 ほろ酔い気分はすっかり消え去ってしまっていた。身体は震えて、寒くなんてないはずなのに、ぶるぶるする手元で不器用に鍵を開け、へたり込むように玄関に入った。ドアを閉め、膝を抱えて座り込む。露出した膝から続く、肉々しい太股が見える。きっとこんな露出度の高い服を、彼女は選んだりしないだろう。
 ゆっくり息を吐き出す。呼吸困難になったみたいに、息の仕方を忘れたみたいに、ぶるぶる震える息の合間に、彼女の横顔を思い出す。
 ほっくりと優しい笑顔は、理想の女子そのものだ。学芸会でお姫様役が必要だとしたら、きっと誰もがためらいなく彼女を推薦しただろう。ドアが開く前の緊張した空気と、開いた途端に花開いたような紅潮した頬は、恋する乙女そのものに見えた。

 恋。
 東に?
 ミスキャンが?

 笑い飛ばそうとしたけど、無理だった。
 東は、優しい。
 ちょっと華奢で、私好みじゃないけど、東は確かに、魅力的な男になった。
 なった、んだろうか。元々、そうだったんだろうか。
 分からない。
 私はあまりに、近くにいすぎた。
 近くにいすぎて……互いの役割を勝手に決めつけて、そこに収まって満足していた。

 私は這いずるように、玄関の鍵を締めた。
 がちゃんと、思ったよりも大きな音がした。

 何かの終わりを告げるような。
 指先に残った金属の冷たさに、震える息を吐き出す。

 東が誰かのものになる日が来ることを、今まで私は考えていなかった。
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