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書籍化記念小話

風邪ひきました グレアムバージョン

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 朝です。小鳥がのんきに鳴いています。ああ、今日もいい一日になりそうですね。さて、起きて朝の掃除をしなくては!
 がばっと起きると、いつもは絡みついてくる腕がありません。お? やっと悪戯はやめる気になったのかしら? そう思って隣を見下ろしてみたら。
「……グレアム?」
「う……」
 真っ赤な顔をして唸っていました。グレアムが。何だか息も荒いですよ。ああ、具合悪いから悪戯できなかったんですねー。って違う!
「ちょ! もしかして風邪? 熱は?」
 慌てて彼の額に手を当てると、すごく熱いですよ! 私は慌てて水場にいって、濡らした布を持ってきました。

 そういえば春の頃になると、必ず一回は風邪ひいて熱出して寝込んでたんですよね、彼。今回のはそれでしょう。ともかく神殿に行って治療施してもらわないと……って、あれ?
 彼は勇者で、その能力の中には治癒も入ってませんでしたか? それ使えば熱くらい簡単にさげられるのではないかしら?
 私はベッドに沈み込んでいるグレアムの耳元で、小声で聞いてみました。
「グレアムー。その熱、治癒の能力で治せないの?」
 しばらく待ってみましたが、返事はなしです。こちらの声も聞こえているのかどうか、怪しいですね。たまにうーだのなんだの唸っています。これじゃあ自分で自分を治癒するのは難しそうです。
 さて困りました。さすがに私じゃグレアムを担いで神殿に行くのは無理です。かといって、高熱の彼を置いて、神官を呼びに行くのも気が引けるし。第一来てくれるかしら?
 まあ、勇者の一大事となれば来てくれるかも知れませんね。誰かに神殿まで行ってもらった方がいいんでしょうか。でもみんなが工房に来るのはもうちょっと後なんです。
 さて困りました。朝の掃除も放り出してうんうん唸っていると、工房の扉の呼び鈴が鳴ります。誰かしら? こんな朝早くに来るなんて。工房に一番最初に来るエセルは、鍵を持っていますから呼び鈴を鳴らす必要はないんです。
 出入りの業者、という線もないですね。彼らが来るのはお昼少し前くらいですし、まだ店も開いていないような朝に来る事はありません。じゃあ、誰?
 出てみなければ始まらないか、と扉を開けると、そこにいたのはゴードンさんでした。
「ゴードンさん。どうしたんですか? こんな朝早く」
「すみません、勇者殿を王宮までお連れするよう言付かって参りました」
 また狸陛下の使いっ走りですか。毎度お疲れ様です。あの陛下、近衛の使い方を間違えてますよね、絶対に。おっと、今はそんな事考えてる場合じゃありません。
「ごめんなさい、ゴードンさん。今日はグレアムを外に出すのは無理です」
「どういう事ですか?」
「実は……」
 私は扉の所で簡単に事情を説明しました。いくら狸陛下でも、さすがに風邪で熱を出している人を連れて来いとまでは言わないでしょう。……言ったらどうしましょう? 私はゴードンさんの反応をじっと見てしまいました。
「そうですか。風邪を……」
「あの、熱が高くて意識がもうろうとしているみたいなんです。それで治癒も使えないみたいで」
 少しの熱なら、自身で治せるんでしょう。神官が使う治癒術なら、熱を下げることが出来ますから。子供の頃も、熱を出す度おばさんがグレアムを担いで神殿まで行っていたんですよね。あの頃はまだ小さかったからできた事です。今は無理ですよ、ええ。
「熱の他に症状は?」
「今の所は何も。今朝熱を出しているって気づいたので」
 普段通りの風邪なら熱だけのはずですが、本人に確認していませんから何も言えません。吐き気とか頭痛とかあるのかしら。聞こうにも本人の意識がはっきりしていませんし。
 昨夜は何ともなかったんですけどね。これもいつもの事で、前日まではぴんしゃんしていたのに、急に明け方あたりから高熱を出すんです。
「医療神官には診せましたか?」
 ちなみに、医療神官というのは神殿で医療に携わる特別な神官の事をいいます。
「いえ、まだです」
 私一人じゃ神殿まで運べませんから。グレアムは背が高いだけでなく、体格もいいから重いんですよね。毎朝のし掛かられるので知ってるんです……。ま、まあそれはいいんですよ、それは。今はどうやってグレアムを運ぶか、ですよね! 他の誰かが手伝ってくれれば……って。
「ゴードンさん!」
「はい?」
 いるじゃないですか、目の前に。
「グレアムの事、抱き上げてもらえませんか?」
「……は?」
 ゴードンさんが目を丸くしています。あれ? 私何か変な事、言いましたか?
「だって私一人じゃグレアムを神殿まで運べません。ここから一番近い神殿でも、距離はそこそこありますし。だからゴードンさんがグレアムを運ぶのを手伝ってくれないか、と思って」
「……ああ、そういう意味ですか」
 他に何か意味があるんでしょうか? 今日朝っぱらからゴードンさんが来たのも、女神様の采配ですよ、きっと。グレアムは女神様と関わりのある勇者ですからね。
 ゴードンさんなら力もありそうだし、グレアムを抱えてもなんとかなるんじゃないでしょうか。騎士って、鍛えていますよね?
 考えたら、女神様がグレアムを治してくれればいいんですよ。神殿で使う治癒術も、勇者の使う治癒術も、元を辿ればどちらも女神様のお力なんですから。どうして熱で苦しんでいる勇者を助けてくれないのかしら。
 あれですか? もう大魔王を討伐し終わったから、お役御免って事ですか? だからもう助けないし力も貸さないよって事ですか?
 ついつい女神様の事を悪い方に悪い方にって考えてしまいます。仕方ないですよね、前世三回分の記憶を持っているんですから。ちょっと恨んだって、当然ですよね。
 改めてゴードンさんの方を見て見ると、何やら考え込んでいるようです。え? そんなに迷うところですか? それともやっぱり重い男を運ぶのは嫌だとか?
「そういう事でしたら、お力になれるかも知れません」
「本当ですか!?」
 ああ、さすがです、ゴードンさん。勇者一行の唯一の良心のあなたなら、きっと手伝ってくれると信じていました。
「とりあえず、ルイザさんは勇者殿についていてください」
 そう言い残すと、ゴードンさんはどこかへと行ってしまいました。私はその背中を見送ってから、工房に書き置きを置いて部屋に上がりました。グレアムがあの調子なら、今日は看病で一日つぶれるでしょう。仕事を休むのは気が引けますが、彼を放っておく訳にもいきません。

 工房が賑やかになり始めた頃、下から呼ぶ声がありました。
「ルイザー、近衛の騎士様が来たわよー」
 ゴードンさんですね。部屋を出ると、既に階段を上がってきていたゴードンさんとかち合いました。後ろに神官を連れています。あれ、男性の神官ですか。珍しいですね。
 神官はその大半が女性です。女神様に仕える存在だから同じ性である女性の方がいい、とも、女神様を奉じる神殿は女性上位だから、とも言われています。でも男性の神官も、いない訳ではないんですよ。
「遅くなりました。陛下には勇者殿が風邪で寝込んでいると伝えておきました。それと、医療神官を伴いましたので」
 そう言って後ろの神官を振り返ります。ああ、やっぱり医療神官を連れてきてくれたんですね。そういえば医療神官は半数が男性だというのを聞いた事があります。医療神官自体、数が少ないですが。
「ありがとうございます、ゴードンさん」
 私がそう言うと、神官が何だか妙な表情になりましたが、まあいいか。
「彼女はルイザ嬢。勇者殿の婚約者です」
 うん、それ了承した覚えはないんだけどなー。周囲はそういう認識なんですねー。
「そ、そうでしたか……申し遅れました、私、医療神官のヴィンセント・ハバードです」
 そう言って会釈するハバード神官は、とても堅苦しそうな人物です。四角四面っていうのかしら、こういうの。それでも私に対して神妙な態度なのは、勇者の婚約者だと紹介されたからでしょうか。
 グレアムはまだ熱で唸っています。一応首筋とかを濡れた布で冷やしてはおきましたが、私に出来る事なんてたかが知れていますからね。
 医療神官は部屋に入ってグレアムの様子を見ると、すぐさまベッドに近寄り彼の額に手をかざしました。口元は何かを低く囁いています。
「彼は王宮付きの医療神官ですから、腕は確かですよ」
 なんと! 王宮付きですか。という事は優秀なんでしょうね。
「詳しくは知りませんが、聖地で修行をしていた事もあるそうです」
 神殿組織の中心である聖地は、行くのは誰でも出来ますが、そこで修行となると限られた人しかできないと聞きます。何でも聖地の大祭司に認められた人でないとだめなんだとか。
 じゃあ今グレアムの治療をしている人は、その選ばれた一人という訳ですね。
 彼が手をかざしてから、グレアムの呼吸が穏やかになって顔の赤みも薄くなっていきました。おお、効いてる効いてる。熱は無事下がったようですね。

 グレアムの容態が落ち着いたのを確認してから、ゴードンさんは神官を連れて帰りました。私本日お休みにしてもらったので、部屋でグレアムの看病ですよ。
 熱は下がりましたけど、医療神官の話では体力回復には時間がかかるそうです。何をするでもなく、寝かせておけばいいだけだそうですけど。
 でも困りましたね。今夜私はどこに寝ればいいのかしら。この部屋ベッドは一台しかないんですよ。やっぱりもう一台買った方がいいかしら。その場合この大きいベッドを使うのは、やっぱりグレアム? 寝心地良くて気にいっているんだけどなー。
 グレアムの方を覗き込むと、呼吸は安定しているし、咳も出ていないようです。汗かいているだろうから着替えさせたいんだけど、私じゃ重くて無理ですよね。しまったー、ゴードンさんが帰る前に手伝ってもらえば良かった。
 起こして着替えさせた方がいいかしら。身体も拭いておいた方がいいですよね。
「グレアム、起き上がれそう?」
 私は彼の耳元で囁きました。大きな声を出すと、それだけで負担になるような気がしたんです。具合の悪い時って、大きな音は聞きたくないですよね。
 反応がなかったので、無理に起こすのはやめようかと思います。この間にキッチンに行ってスープでも作っておきましょうか。
 ベッドから離れようとした私の手を、まだすこし熱い手が握りました。あれ? 起きてたの?
「グレアム? 目が覚めたの?」
 それとも先程の囁きで起こしたんでしょうか。
「……イザ」
「え? 何?」
 何か言っているんですが、声がかすれていて聞き取れません。口元に耳を寄せると、やっと何を言っているか理解出来ました。
 傍にいて。
 子供みたいな事を、と思いますが、相手は病人ですからね。仕方ない、今日は甘やかすとしましょう。
「はいはい」
 そう言って手近にあった椅子を引っ張ってきました。腰を下ろしてグレアムの手を握り返します。それに気づいたのか、彼がふわっと笑ってまた眠りについたようです。
 こうして寝顔を見ていると、子供の頃と変わらないなあ、って思います。……子供の頃にはなかった悪戯を毎朝仕掛けてきますけどね!
 もしかしたら、今回の風邪って討伐の疲れが出てきたんじゃないでしょうか。本来なら数年かかってもおかしくはない旅を、約一年で終えて帰ってきたんですから。相当急いだものだったんでしょう。そりゃ疲れますよ。
 額に汗で張り付いた前髪を、指ですくって流します。旅の話は面白くないだろうって詳しくは話してくれませんでしたけど、苦労は多かったはずです。
 前の勇者も、その前の勇者もその前の前の勇者も、やはり旅は苦しかったんでしょうか。故郷に残した恋人を忘れる程に。
 「勇者」であるグレアムを前にしてしまうと、つい考えてしまいます。彼の意識があれば、そんな事考えずに済むんですけど。……特に朝は考えている余裕はないですよね。
 眠る彼の顔を見ると、やっぱり疲労が見えるようです。普段はそんな風には見えないんですけど。隠していたのかしら。私が心配するから?
「隠される方が心配するのよ」
 私は軽く彼の鼻をつつきました。わずかに顔をしかめるだけで、起きる気配はありません。よく眠ってます。
 私はしばらくグレアムの寝顔を眺めていました。

 小鳥の鳴き声が聞こえます。カーテン越しに、窓から差し込む朝日のまぶしさも感じます。ああ、朝ですね。いつも通りに掃除に……って、朝!? え? 私、いつの間に寝たの!?
 起き上がって自分がどこに寝ていたか見ると、ベッドにしっかり寝ています。隣にはグレアムも寝ています。さすがに風邪ひいた翌日だからか、今朝は悪戯なしです。
 でも待って、ベッドに入った記憶、ないんだけど。
「……グレアム?」
 返答はありません。じーっと見ていると、口元がひくっと動きました。起きてるな!? 狸寝入りか!!
「グレアム! あんた私を引きずり込んだわね!!」
 別に悪い事した訳じゃないんですけど、風邪ひいた人間の傍にべったりくっついていたら、こっちまで風邪ひきますよ!

 結局この後、私も風邪をひいて熱を出しました。絶対グレアムのが移ったんだ!! なのに当人はへらっとしているのって、すごく理不尽じゃないですか!?
 あーもー! グレアムのばかー!!


※風邪をひいたグレアムからうつされるのが恒例行事です。
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