上 下
181 / 192
《終章》 ふたりは非常階段で

帰国

しおりを挟む
 翌年の三月中旬、瞳子は大学の卒業式を迎えた。

 学生生活の最後の一年は、思いのほか静かに過ぎていった。卒業必要単位が三年次でほぼ取り終わって、大学はゼミでの卒論報告だけになったからだ。

 就職活動も終わった夏休みからは、ダンス・レッスンも増やしていた。昔、コンクールでコンテンポラリー作品をつくってもらった振付家に連絡をとって、今は月に二回、彼と個人レッスンをしている。学生である間に、できるだけ実力の底上げをしたかった。

 でも、飛豪が日本にいるときは彼とだけ向きあっていたかった。

 トータルで年に三か月くらいは日本に居られるようにする、と言ってくれたとおり、彼はスケジュールをやりくりして二、三か月に一度帰国してくれる。一二月一日の誕生日は一人(というか、奈津子と)だったが、クリスマスから年末年始にかけては二人で長く過ごすことができた。

 卒業式に保護者枠で出席してくれることになっている飛豪は、前日に到着するフライトで帰国することになっていた。

 迎えにこなくていいと言われているので、空港には行かない。

 かわりに買い物に行って、冷蔵庫いっぱいに食材を詰めておく。簡単につまめる物や、レンジで温めるだけの物も欠かさない。彼が帰ってきたら、もう外に出なくていいように。抱きあっているだけの日々をしばらく送れるように。

 最悪、デリバリーピザがあれば何とでもなるのだけれど。

 その日は午前中にレッスンがあって昼すぎに自宅に戻ると、飛豪はすでに帰宅してソファでタブレットを操作しながら寛いでいた。服が自宅用のパーカーだし、髪の毛が湿っている。シャワーを浴びたようだ。

「お帰りなさい!」

 満面の笑みで駆けよると、彼も「お、久しぶり」と手を伸ばしてきた。声も、手のひらの感触も、すべてが懐かしくて、愛しくて、瞳子のリミッターを外していく。

 ――うわぁ、本物だ。飛豪さんだ。

 抱き寄せられるのと、コートのまま倒れこむのはほぼ同時だった。

 二か月ぶりなので、キスをするのが恥ずかしい。鼻がふれあう至近距離で視線が交錯するのが、嬉しいのに照れてしまう。

 彼が唇を重ねようとしてくるのに角度をずらして逃げつづけていると、とうとう両頬を押さえられた。こわごわと目をつぶって、おもてを伏せる。

「あれ、今日レッスンだったんだろ? なんか顔がいつも通り」

「顔?」

 キス回避の会話の流れに、瞳子は目蓋をひらく。飛豪が、まじまじとこちらを見つめていた。

「言ってなかったっけ。君、ダンス帰りはいつも、顔、目つき……がちょっと怖い。怖いっていうか……神聖sacredで、月の裏側に取りこまれた感じ……神職みたいな近寄りがたさがあるんだけど。今日は、普通。いつもどおりの俺の瞳子」

「黒川さんにも似たようなこと、言われたことがある。今日はレッスン中、ずっとソワソワしてたからなぁ。飛豪さん帰ってくるし、明日は卒業式だし。先生に『集中できないなら止めるわよ』って怒られちゃった……」

「怒られるくらいダメだったの?」彼が鼻を鳴らしてククッと笑う。

「って、なんで笑ってるんですか? 飛豪さんのせいです」

「俺のせいじゃないって」

 さもおかしげで、笑いを噛み殺しきれていない彼を前に、一つ思い出したことがあった。

「ひょっとして前に一緒に暮らしてた時、レッスンのあと結構な頻度でセックスしてたの、それが原因ですか? 疲れてるって言っても、わたしが半分寝落ちしてても、『俺が動くから大丈夫』ってワケ分かんないこと言って襲ってきてたじゃないですか」

「君さ……その情緒も配慮もない言い方、ホント変わんないね……二週間後の君の最初の上司が、不憫ふびんでしかたない」

 彼はあわれみの眼ざしのまま、瞳子の頬を軽くつねる。しばらく間をおくと、憮然としたように言い添えた。

「まぁいいや。認めるよ。指摘どおり。踊ってきたあとの君は、すごく綺麗だけど人をはねつける表情してるから、不安になるんだよ。……それに、君がそういう顔してると、俺は泣かしてやりたくなる」

「うっわぁ……」

「なんか文句ある?」セリフがジャイアンそのものだ。

「いえ、わたしはセフレですので家主様に文句は言いません」

 瞳子がかつての二人の関係を茶化した、セフレと家主ごっこを始めたところで、飛豪は目を細めて唇を舐めた。

 ――あぁ、始まる。

 体の奥――彼を迎えいれる秘裂――が期待に疼いて、ひくひくと喘ぎながら舌なめずりをした。

「だよな。じゃあ続行ね」

 躊躇もなく唇がかさねられて、舌がずいと割りこんできた。今度は瞳子もかわさない。ずっと、この瞬間を待ち望んでいた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

俺様エリートは独占欲全開で愛と快楽に溺れさせる

春宮ともみ
恋愛
旧題:愛と快楽に溺れて ◆第14回恋愛小説大賞【奨励賞】受賞いたしました  応援頂き本当にありがとうございました*_ _) --- 私たちの始まりは傷の舐めあいだった。 結婚直前の彼女にフラれた男と、プロポーズ直前の彼氏に裏切られた女。 どちらからとなく惹かれあい、傷を舐めあうように時間を共にした。 …………はずだったのに、いつの間にか搦めとられて身動きが出来なくなっていた。 肉食ワイルド系ドS男子に身も心も溶かされてじりじりと溺愛されていく、濃厚な執着愛のお話。 --- 元婚約者に全てを砕かれた男と 元彼氏に"不感症"と言われ捨てられた女が紡ぐ、 トラウマ持ちふたりの時々シリアスじれじれ溺愛ストーリー。 --- *印=R18 ※印=流血表現含む暴力的・残酷描写があります。苦手な方はご注意ください。 ◎タイトル番号の横にサブタイトルがあるものは他キャラ目線のお話です。 ◎恋愛や人間関係に傷ついた登場人物ばかりでシリアスで重たいシーン多め。腹黒や悪役もいますが全ての登場人物が物語を経て成長していきます。 ◎(微量)ざまぁ&スカッと・(一部のみ)下品な表現・(一部のみ)無理矢理の描写あり。稀に予告無く入ります。苦手な方は気をつけて読み進めて頂けたら幸いです。 ◎作中に出てくる企業、情報、登場人物が持つ知識等は創作上のフィクションです。 ◆20/5/15〜(基本)毎日更新にて連載、20/12/26本編完結しました。  処女作でしたが長い間お付き合い頂きありがとうございました。 ▼ 作中に登場するとあるキャラクターが紡ぐ恋物語の顛末  →12/27完結済 https://www.alphapolis.co.jp/novel/641789619/770393183 (本編中盤の『挿話 Our if story.』まで読まれてから、こちらを読み進めていただけると理解が深まるかと思います)

この人以外ありえない

鳳雛
恋愛
「好きな人は大切に"傷つけたい"」 依(より)は恋人の糸(いと)のことが好きだ。もっと言うと、自分の手によって苦しめられる糸の姿がたまらなく好きだ。日々、愛ゆえに糸の体を傷つけては快感に浸っている。 糸はそんな依の行動を止めるどころか受け入れている。依に殺されかけるのは日常茶飯事。落ち着いた性格で、依を誤解させることもあるが 依のことを心から愛している。しかし、依が暴走した時には… これは 完全な愛に溢れた2人の物語。

最強賢者、ヒヨコに転生する。~最弱種族に転生してもやっぱり最強~

深園 彩月
ファンタジー
最強の賢者として名を馳せていた男がいた。 魔法、魔道具などの研究を第一に生活していたその男はある日間抜けにも死んでしまう。 死んだ者は皆等しく転生する権利が与えられる。 その方法は転生ガチャ。 生まれてくる種族も転生先の世界も全てが運任せ。その転生ガチャを回した最強賢者。 転生先は見知らぬ世界。しかも種族がまさかの…… だがしかし、研究馬鹿な最強賢者は見知らぬ世界だろうと人間じゃなかろうとお構い無しに、常識をぶち壊す。 差別の荒波に揉まれたり陰謀に巻き込まれたりしてなかなか研究が進まないけれど、ブラコン拗らせながらも愉快な仲間に囲まれて成長していくお話。 ※拙い作品ですが、誹謗中傷はご勘弁を…… 只今加筆修正中。 他サイトでも投稿してます。

抱かれたい男の闇の深さは二人だけの秘密です!

たまりん
恋愛
らすじ ごく普通の地味なOLである相場茜には人に隠しているヒミツが一つだけあった。 それは、実弟の圭吾と弟同様の泰叶が超人気ユニットであることだった。 姉として陰から彼らの活動を応援するだけだった茜だが、ある日突然、物理的距離を置いていたはずの抱かれたい男である泰叶が恨めしそうに玄関扉の前に蹲っていた。その瞳には恨めしさと嫉妬の炎がほとばしっていて… ■二話完結予定です! ヒーローの闇が深い為、回想シーンの行動が危ない(変態)です!! ⭐︎ムーンライトノベルズさまでも別作者の名前で投稿してますが、同一作者です。

『桜の護王』

segakiyui
恋愛
花は風に煽られて、ときおりはらはらと散っていた。それを洋子は見上げている。ずっとずっと見上げている。降ってくる桜の花びらの下、まるで逆に自分が桜の木の枝の彼方に吸い上げられていきそうだ。ごう、と風が鳴る………。 護るべき姫を慕い続けた護王と、姫であることを捨てた洋子の恋が、今始まる。

首無し王と生首王后 くびなしおうとなまくびおうごう

nionea
恋愛
 かつて精霊王が創ったアイデル国。  魔法は遠い昔の伝説になったその国で、精霊王の先祖返りと言われる王が生まれた。  このお話は、   《首無し王》 レンフロ と《生首王后》と呼ばれたかった アンネリザ  の、結婚までの物語。  奇々怪々不思議大好きな辺境育ちの田舎伯爵令嬢、アンネリザが主人公になります。  シリアスな人生を歩んでいる登場人物はいますが、全体的にはコメディタッチです。  ※グロいつもりはないですが、   首無し王、とか、生首、という響きに嫌な予感がする方は、お逃げください。

勇者パーティーを追放された転生テイマーの私が、なぜかこの国の王子様をテイムしてるんですけど!

柚子猫
ファンタジー
「君はもういらないんだ。勇者パーティーから抜けてもらうよ」   勇者パーティーを追い出された私は、故郷の村で静かに生きて行くことに決めた。 大好きだった勇者様の言葉は胸に刺さったままだけど。強く生きていかなくちゃ。 私には、前世の記憶と神様からもらった『調教師(テイマー)』の能力があるし、平気よね。 でも。 偶然テイムした、まるいドラゴンが、実はこの国の王子さまだったみたい!? せっかく動物にかこまれてスローライフを過ごそうと思っていたのに、いきなり計画がつぶれたんですけど! おまけに、何故か抜けたはずの勇者パーティーメンバーも、次々に遊びにくるし。 私のおだやかな異世界生活、どうなっちゃうの?! ◆転生した主人公と王子様の溺愛ストーリーです。 ◆小説家になろう様、カクヨム様でも公開中です。

【完結】限界離婚

仲 奈華 (nakanaka)
大衆娯楽
もう限界だ。 「離婚してください」 丸田広一は妻にそう告げた。妻は激怒し、言い争いになる。広一は頭に鈍器で殴られたような衝撃を受け床に倒れ伏せた。振り返るとそこには妻がいた。広一はそのまま意識を失った。 丸田広一の息子の嫁、鈴奈はもう耐える事ができなかった。体調を崩し病院へ行く。医師に告げられた言葉にショックを受け、夫に連絡しようとするが、SNSが既読にならず、電話も繋がらない。もう諦め離婚届だけを置いて実家に帰った。 丸田広一の妻、京香は手足の違和感を感じていた。自分が家族から嫌われている事は知っている。高齢な姑、離婚を仄めかす夫、可愛くない嫁、誰かが私を害そうとしている気がする。渡されていた離婚届に署名をして役所に提出した。もう私は自由の身だ。あの人の所へ向かった。 広一の母、文は途方にくれた。大事な物が無くなっていく。今日は通帳が無くなった。いくら探しても見つからない。まさかとは思うが最近様子が可笑しいあの女が盗んだのかもしれない。衰えた体を動かして、家の中を探し回った。 出張からかえってきた広一の息子、良は家につき愕然とした。信じていた安心できる場所がガラガラと崩れ落ちる。後始末に追われ、いなくなった妻の元へ向かう。妻に頭を下げて別れたくないと懇願した。 平和だった丸田家に襲い掛かる不幸。どんどん倒れる家族。 信じていた家族の形が崩れていく。 倒されたのは誰のせい? 倒れた達磨は再び起き上がる。 丸田家の危機と、それを克服するまでの物語。 丸田 広一…65歳。定年退職したばかり。 丸田 京香…66歳。半年前に退職した。 丸田 良…38歳。営業職。出張が多い。 丸田 鈴奈…33歳。 丸田 勇太…3歳。 丸田 文…82歳。専業主婦。 麗奈…広一が定期的に会っている女。 ※7月13日初回完結 ※7月14日深夜 忘れたはずの思い~エピローグまでを加筆修正して投稿しました。話数も増やしています。 ※7月15日【裏】登場人物紹介追記しました。 ※7月22日第2章完結。 ※カクヨムにも投稿しています。

処理中です...