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《第9章》 オデュッセウスの帰還

今夜が初めて ☆

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 幸せは、失う恐怖が付きまとうからこそ輝くのかもしれない。

 狂ったように、駆り立てられているように抱きあっていると、姿勢を変えたときに飛豪は苦笑してみせた。

「君とはもう、全部やってるのに、今夜が初めてみたいだ」

「わたしも……そんな気がする」

 ベッドの上、正面から向きあって彼の腰を両脚ではさんで座る姿勢だと、すごく密着してしまう。

 最近の流行はやりだったエスキモーキスで鼻をこすりあわせて、二人とも笑みかわしながら甘噛みをしたり、舌や指で遊びをしかけていく。鼻だけのキスは自然に口へのキスに移行していた。

 瞳子は少し伸びあがって彼の頭部を胸にかきだき、香りをすんすんと嗅いでみながら髪を撫ぜた。正直なところ、硬い髪質が肌にちくちくするし、いつものシャンプーの匂いしかしない。

 ――ん? 感触はそんなに楽しく……ない? 男の人の頭、撫ぜてみるのは新鮮だけど。これは、サファリパークの飼育員の気分に近い? 猛獣が懐いてくれたみたいで、じわじわ幸せな気分がくる……かも。

 一度その感触が手になじんでしまうと、どうしてだか止められない。

 毛並みにそってグルーミングしていると、飛豪は退屈したのか眼前にあった瞳子の胸に歯を立てた。そのまま不意打ちで、乳首までもが舐め転がされる。

「……っひゃうっ‼」

「お、いい声出すじゃん」

「その反応、オッサンくさい」

「君さ、ことあるごとにオッサン扱いするけど、俺まだ三三だからね。社会人になって三〇代の上司にオッサン言ったら……まぁいいや、その声もっかい聞かせて」

 わざと音を立てながら胸の敏感なところを執拗に吸いあげ、舌でいじめぬきながら、飛豪は下から突き上げる。

「やッ……ふ……あ、あっ」

 胸と下肢を同時に攻められて、意識が灼ききれそうなほど甘い刺激に嬌声がはずむ。気が狂いそうなほどの快楽に、思わず瞳子は腰をうかせて体を外していた。

 シーツのなかに逃げこもうとした彼女の太腿を、飛豪ががっちりと摑まえる。次の瞬間、ずしりと全身で覆いかぶさってきた。

「逃がさないよ。絶対に」

 耳朶をしゃぶられながら囁かれた言葉に、狂気がトッピングされているように感じられるのは気のせいだろうか。瞳子の両脚を大きく開いて、飛豪は自身をゆっくりと内側に沈めてきた。

 先ほどまでの追いたてられるような激しさと違って、彼はもう急いでいなかった。

 内壁の襞の一つひとつと応答するかのようにこすりあげられて、瞳子はじわじわと悦楽に蝕まれていくのを感じる。

 彼女のすべてを堪能するため、飛豪はゆるやかな往復運動を繰りかえすが、意図的に深奥の一歩直前で引きかえしてゆく。それが、瞳子にはつらい。満たされなさは全身に広がる。彼が欲しくてたまらなくて、子宮から体を揺らしてしまう。

 ――奥に、最後まで来てほしいの。

 たまらずに小声で「もっと」とねだると、彼は「もっとどうして欲しいの?」と、うっすらと笑んだ。

「飛豪さん、が抜けても、普通にSですよね」

 彼女はブスッとしたしかめ面で苦情を言う。

「それはもう、分かってたんじゃないの? 瞳子はセックスの時、Mっぽくなるよね」

「腹立つな。今度あなたのこと、ドMになるよう調教してあげますから」

「へぇ、例えば?」

「裸にして首輪とリードつけます」

「わお。なんならそれで、お散歩行ってみるか?」

 同時に、彼は一回だけずぶりと深く、彼女の奥をえぐった。

「……っ、あ…ん」

 軽口を叩けるのはまだ余裕のある証拠と見なされたのか、飛豪はまだ先ほどの浅い抽送をやめない。

 理性も意識も徐々に奪われて、しまいには切望のあまり、彼の性器を迎えにいくように瞳子は腰を揺すっていた。それでもまだ足りなくて、自身の手で胸を揉んで、先端の尖りを指でもてあそびながら快感を増幅させる。

「お願い、飛豪さん。もう…これ以上……いじわるしないで……」

 切なげに焦がれた瞳、半開きの口からもれる性感そのものの吐息。薄紅色にほてった身体が彼を求めて、艶めかしくうねっている。

 その仕草といい、声といい。

 一言で表すならば、とんでもなく淫らだった。ギリシャ神話に出てくる男を惑わすニンフも、ここまで煽情的でなかったはずだ。

 感電したかのような衝撃を受けて、飛豪は彼女をかき抱いた。

 余裕も遊びもかなぐり捨て、獰猛に動く。瞳子の体と精神の最奥まで踏みこんで、果てまで味わいつくすことしか考えられなくなっていた。


 重なった肌から、二人の汗が溶けあっていく。

 瞳子は時折、細く高い悲鳴をもらした。その声に導かれるように、飛豪は彼女がひときわ大きく震える鉱脈を探しあてる。

 嬲るように弱い一点を貫かれ、容赦なく高められて、瞳子は涙目になってきれぎれに彼の名を呼んだ。

 そして最後の瞬間、二人は同時に絶頂をむかえたが、荒い呼吸のまま、体はいつまでもつながっていた――。







 何時間たったのだろう。彼女がふと目をさました時も、部屋はまだ暗がりに包まれていた。

「飛豪さん……」

 自分の上体に腕をかけている男の名を呼ぶと、暗闇のなかからすぐさま声が返ってきた。

「瞳子も、起きた?」

「うん……いま何時?」

「二時すぎ」

「いい時間だね」

「な。青椒肉絲チンジャオロース、食いはぐれた」

「お肉、冷蔵庫に入れるの忘れちゃった……」我にかえるとすぐに、些細なことが気になってくる。

「今回はしゃーない」

「ですね」

 顔が見えなくても、飛豪が笑っているのが分かる。同じ気持ちでいるのが、無性に嬉しかった。ほくほくした気分のまま二人でひとしきりじゃれ合うと、彼は大きく伸びをした。

「とりあえずシャワー浴びるか。瞳子はどうする?」

「わたしは……あの、飛豪さん、わたし、もう一つ言わなきゃいけないことある」

「ん?」暗がりのなか、彼の瞬きが、見えた気がした。

 もう一つの大切なこと。大好きな人と同じくらい、大切なこと。

 彼女の声が真面目なものに変わったのを察知して、彼はベッド横のデスクに手を伸ばして灯りをつけた。

「どうした?」

 瞳子も胸元をタオルケットで隠しながら身を起こす。この話は、雑な体勢でしたくなかった。

 一呼吸おくと、彼を見つめて口を開いた。飛豪に対してだけではなく、自分に対しても宣言するつもりだった。

「わたし、もう一度踊ろうと思います」
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