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《第7章》 元カレは、王子様
渋谷のカフェで4
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瞳子は落ちこみながら呟いた。
「ケーキ焼こうかな……。ダイニングテーブルがお皿で埋まるくらい料理して」
「え?」
これまでの話の流れを断ち切る言葉に、怪訝そうな二人の声がかさなる。
事情を説明すると、「あぁー。そりゃ悩むよね」とスミレがテーブルに上体を突っ伏すようにした。「短期でアルバイトしてみたら?」と、ヒガチカが勧めてくれる。
「わたしはバイトしたいんですけど、就活もあるし、なにより飛豪さんに禁止されてて……。禁止でなくても、事前に許可とらないと気分害するんじゃないかなって」
アルバイトに向かっている時、拉致されかかったことまでは言わない。ただ、あれがあったから、彼は瞳子の行動に今も敏感になっている。
「学生とはいえハタチ過ぎた女の子相手に、あの人過保護ね。さっきはあっさりしてるなって思ったけど、一度束縛がはじまったらギッチギチかもしれないねー」
「…………」
スミレにもヒガチカにも言えない事情があるので、瞳子は黙ってやりすごす。
別れることを前提に一緒にいるので、彼が束縛してくるなんて、とても想像できない。ただしこの前、嫉妬の片鱗らしきものは見られた。あれはあれで珍しいのだろう。
複雑な表情を浮かべて彼女がふつりと口を閉ざしたのを、スミレは心配してくれたようだ。気持ちを明るく引き立てるように、「そうだ!」と両手をぱんと叩いた。
「ね、ウチの服着てマネキンのバイトする? 私の店、ECの通販サイト開いてるから、瞳子ちゃんみたいにスタイル良い子が着てくれて、サイト用の写真を撮らせてくれると助かる。冬物のページ、そろそろ考えようと思ってたし。天気次第だけど、二、三日もらって、日当はこれくらい出せるかな」
片手で報酬の数字を示してくる。これは、万円ということなのだろう。
「そのバイトなら、飛豪さんも許可してくれそう」
ヒガチカも弾んだ声で後押ししてくれる。しかし瞳子は、申し訳なさげな表情を作って「ごめんなさい」と謝った。
「すごく良いお話なんですけど……写真撮られたり、画像をネットにアップされるのは怖いんです。前にトラブったことがあって」
せっかく声をかけてくれたのに申し訳ない。金額も魅力的だった。
ただ、五月の動画拡散のこともあるので、慎重にならざるをえなかった。
一度ウェブにアップされたら最後、誰が見ているのか、保存されたのか、どこで拡散されるのか分からない。今にして思うと、基本的に誰とも会話せず、マスクと専用のユニフォームで全身を覆い、しかもお土産までもらえるパン工場のアルバイトは最高だったと瞳子は思う。時給は、最低賃金スレスレだったが。
「躊躇する気持ちは分かるから、謝らなくていいよ。でも難しいなぁ。就活にかぶらなくて、飛豪くんの許可がおりるバイトかぁ。瞳子ちゃん、特技とかある?」
「英会話とフランス語の日常会話は問題なくできます」
「うんうん。あとは?」
「――バレエ」
言うつもりはなかったのに、つい口をついて出てきた。
「子供のときから長くやってたので。故障したけど、少しは踊れるし用語も分かります」
「姿勢が綺麗なのは、だからだったんだ。道理で! うち、ヨーロッパから服の輸入してるから、バレエでひょっとして何か繋がるかもしれない。念のため、レベル訊いておいていい?」
「コンクールに、出れるくらい」
答えるとき、心臓が震えた。
もうこの世に桐島瞳子はいない。彼女は死んだ。なのに瞳子は、彼女に遠慮していた。今さら、ともう一人の自分の声が聞こえた気がした。
「相当頑張ってたんですね、すごい!」
ヒガチカの素直な賞賛が痛い。
「……好きだったんです。ただ、踊るのが好きで、大好きで」
「もう踊らないの? ダンスって、バレエだけじゃないじゃん。コンテンポラリーも、サルサもやってみればハマるんじゃない?」
「わたし、靱帯ケガして止めちゃったんですよ。だから、バリバリ踊るのはもう無理かなって。自宅ではリハビリかねて、いろいろ体動かしてみてるんですけど」
彼が不在のあいだ一つだけ嬉しいことがあって、それは広いリビングで好きなだけ音楽をかけて踊れることだった。
「ケーキ焼こうかな……。ダイニングテーブルがお皿で埋まるくらい料理して」
「え?」
これまでの話の流れを断ち切る言葉に、怪訝そうな二人の声がかさなる。
事情を説明すると、「あぁー。そりゃ悩むよね」とスミレがテーブルに上体を突っ伏すようにした。「短期でアルバイトしてみたら?」と、ヒガチカが勧めてくれる。
「わたしはバイトしたいんですけど、就活もあるし、なにより飛豪さんに禁止されてて……。禁止でなくても、事前に許可とらないと気分害するんじゃないかなって」
アルバイトに向かっている時、拉致されかかったことまでは言わない。ただ、あれがあったから、彼は瞳子の行動に今も敏感になっている。
「学生とはいえハタチ過ぎた女の子相手に、あの人過保護ね。さっきはあっさりしてるなって思ったけど、一度束縛がはじまったらギッチギチかもしれないねー」
「…………」
スミレにもヒガチカにも言えない事情があるので、瞳子は黙ってやりすごす。
別れることを前提に一緒にいるので、彼が束縛してくるなんて、とても想像できない。ただしこの前、嫉妬の片鱗らしきものは見られた。あれはあれで珍しいのだろう。
複雑な表情を浮かべて彼女がふつりと口を閉ざしたのを、スミレは心配してくれたようだ。気持ちを明るく引き立てるように、「そうだ!」と両手をぱんと叩いた。
「ね、ウチの服着てマネキンのバイトする? 私の店、ECの通販サイト開いてるから、瞳子ちゃんみたいにスタイル良い子が着てくれて、サイト用の写真を撮らせてくれると助かる。冬物のページ、そろそろ考えようと思ってたし。天気次第だけど、二、三日もらって、日当はこれくらい出せるかな」
片手で報酬の数字を示してくる。これは、万円ということなのだろう。
「そのバイトなら、飛豪さんも許可してくれそう」
ヒガチカも弾んだ声で後押ししてくれる。しかし瞳子は、申し訳なさげな表情を作って「ごめんなさい」と謝った。
「すごく良いお話なんですけど……写真撮られたり、画像をネットにアップされるのは怖いんです。前にトラブったことがあって」
せっかく声をかけてくれたのに申し訳ない。金額も魅力的だった。
ただ、五月の動画拡散のこともあるので、慎重にならざるをえなかった。
一度ウェブにアップされたら最後、誰が見ているのか、保存されたのか、どこで拡散されるのか分からない。今にして思うと、基本的に誰とも会話せず、マスクと専用のユニフォームで全身を覆い、しかもお土産までもらえるパン工場のアルバイトは最高だったと瞳子は思う。時給は、最低賃金スレスレだったが。
「躊躇する気持ちは分かるから、謝らなくていいよ。でも難しいなぁ。就活にかぶらなくて、飛豪くんの許可がおりるバイトかぁ。瞳子ちゃん、特技とかある?」
「英会話とフランス語の日常会話は問題なくできます」
「うんうん。あとは?」
「――バレエ」
言うつもりはなかったのに、つい口をついて出てきた。
「子供のときから長くやってたので。故障したけど、少しは踊れるし用語も分かります」
「姿勢が綺麗なのは、だからだったんだ。道理で! うち、ヨーロッパから服の輸入してるから、バレエでひょっとして何か繋がるかもしれない。念のため、レベル訊いておいていい?」
「コンクールに、出れるくらい」
答えるとき、心臓が震えた。
もうこの世に桐島瞳子はいない。彼女は死んだ。なのに瞳子は、彼女に遠慮していた。今さら、ともう一人の自分の声が聞こえた気がした。
「相当頑張ってたんですね、すごい!」
ヒガチカの素直な賞賛が痛い。
「……好きだったんです。ただ、踊るのが好きで、大好きで」
「もう踊らないの? ダンスって、バレエだけじゃないじゃん。コンテンポラリーも、サルサもやってみればハマるんじゃない?」
「わたし、靱帯ケガして止めちゃったんですよ。だから、バリバリ踊るのはもう無理かなって。自宅ではリハビリかねて、いろいろ体動かしてみてるんですけど」
彼が不在のあいだ一つだけ嬉しいことがあって、それは広いリビングで好きなだけ音楽をかけて踊れることだった。
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