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《第7章》 元カレは、王子様
六年前のロミオ
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永遠に取りもどすことのできない過去の輝き。
その映像を観たくなかったのは、喪失に心が痛むからだけではない。
もう一つ、気がすすまない理由があった。特に彼の隣で観るなど、冗談ではない。でも、別室で一人で観られるのも許容できなかった。
ロミジュリと聞いた瞬間、背筋を冷たい汗がつたっていった。
――やばい。バレる。どうしよう。いや、飛豪さんはなにも知らない。ひょっとして最後まで気づかない……かな? とにかく、いきなり大ピンチ。
なにがピンチかと言えば、他でもない。六年前に一か月だけ付きあっていた元彼で、初体験の相手が、その公演に出演していて、DVD映像にはっきりと映っているのだ――ロミオ役として。
バレエの『ロミオとジュリエット』には、二人で踊るパ・ドゥ・ドゥシーンも、ベッドシーンもある。
六年前当時、瞳子が一六歳、ロミオ役のサーシャ・ノイマンが一八歳。彼はオーストリアのダンサーで、母親が日本人、父親がオーストリア人という生まれだった。
中学生のころに参加したモナコのワークショップで知りあって話がはずみ、その後、彼はアメリカのコンクールで賞を獲得した。各地のコンクールで頭角をあらわしてきていた瞳子にいつもアドバイスや励ましをくれるお兄さん的存在で、そして、憧れの王子様だった。
彼が瞳子のバレエ団で踊ったのは、ほんの偶然からだった。
ジュリエット役としてはCMのオファーが来た際に、前年から早々に決まっていたのだが、元々のロミオ役のダンサーが不調を訴えていた。
サーシャが、当時所属していたイギリスのバレエ団でアンダースタディとしてロミオ役の控えを準備していた公演の直後に、日本へ帰省することになっていた。瞳子のバレエ団はサーシャとやりとりをして、全四回の公演のうち半分を彼に依頼し、一緒に踊ることになった。
ロミオとジュリエットとして過ごしたあの夏の二か月は鮮烈で、とても忘れられない時間だった。
朝も、昼も、夜も一緒で、稽古場では誰よりも長く一緒にいた。
課題はとにかく、二人で踊るパ・ドゥ・ドゥのシーンだった。時間をかけて準備していたソロのシーンと違って、瞳子もサーシャも若手だったために、とにかくペアで踊った経験が圧倒的に足りなかった。
もう一人のロミオ役は各地で実績をつんできた二〇代のダンサーで、不調だと言いつつも形になるのは早かった。しかし、サーシャのロミオとのパ・ドゥ・ドゥは、練習映像を振りかえる必要もないくらい、もたつき、危なっかしく、しかもたどたどしいラブシーンで、指導陣全員が青ざめたほどだった。
二人ともソロは抜群に華やかなのにパ・ドゥ・ドゥになった途端、良さを殺しあっていた。どころか、個性さえ消滅していた。「『初めてのパ・ドゥ・ドゥ』ではなく、『初めてのおつかい』レベル」と、演出家にけなされた。
しかし最終的に、見事なロミオとジュリエットを踊りきった。
初々しくて情熱的で、死へと疾走していく少年少女。公演の時にはすでに、二人は役と同様に一線をこえていた。
サーシャからは、告白めいたものはなかった。瞳子も、そういった言葉を口にすることはなかった。
彼の文化圏では、付きあい始めるのに区切りの言葉はないと聞いていたし、言葉には意味がないと分かっていたからだ。
踊りで、絡まりあう視線で、体にふれる時の手つきで、体温で、すべてが手にとるように分かっていた。原始的な欲望で、触れずにはいられなかった。
それに、最後までジュリエットになってみたかったのだ。
劇中で、ジュリエットはロミオと結婚の誓いをたてて一夜を共にする。ロミオと――サーシャと――体を重ねたら、よりジュリエットに近づけるのではないかと思った。
瞳子もジュリエットも処女なのだから、サーシャがもっとロミオに感じられるはずだった。
その映像を観たくなかったのは、喪失に心が痛むからだけではない。
もう一つ、気がすすまない理由があった。特に彼の隣で観るなど、冗談ではない。でも、別室で一人で観られるのも許容できなかった。
ロミジュリと聞いた瞬間、背筋を冷たい汗がつたっていった。
――やばい。バレる。どうしよう。いや、飛豪さんはなにも知らない。ひょっとして最後まで気づかない……かな? とにかく、いきなり大ピンチ。
なにがピンチかと言えば、他でもない。六年前に一か月だけ付きあっていた元彼で、初体験の相手が、その公演に出演していて、DVD映像にはっきりと映っているのだ――ロミオ役として。
バレエの『ロミオとジュリエット』には、二人で踊るパ・ドゥ・ドゥシーンも、ベッドシーンもある。
六年前当時、瞳子が一六歳、ロミオ役のサーシャ・ノイマンが一八歳。彼はオーストリアのダンサーで、母親が日本人、父親がオーストリア人という生まれだった。
中学生のころに参加したモナコのワークショップで知りあって話がはずみ、その後、彼はアメリカのコンクールで賞を獲得した。各地のコンクールで頭角をあらわしてきていた瞳子にいつもアドバイスや励ましをくれるお兄さん的存在で、そして、憧れの王子様だった。
彼が瞳子のバレエ団で踊ったのは、ほんの偶然からだった。
ジュリエット役としてはCMのオファーが来た際に、前年から早々に決まっていたのだが、元々のロミオ役のダンサーが不調を訴えていた。
サーシャが、当時所属していたイギリスのバレエ団でアンダースタディとしてロミオ役の控えを準備していた公演の直後に、日本へ帰省することになっていた。瞳子のバレエ団はサーシャとやりとりをして、全四回の公演のうち半分を彼に依頼し、一緒に踊ることになった。
ロミオとジュリエットとして過ごしたあの夏の二か月は鮮烈で、とても忘れられない時間だった。
朝も、昼も、夜も一緒で、稽古場では誰よりも長く一緒にいた。
課題はとにかく、二人で踊るパ・ドゥ・ドゥのシーンだった。時間をかけて準備していたソロのシーンと違って、瞳子もサーシャも若手だったために、とにかくペアで踊った経験が圧倒的に足りなかった。
もう一人のロミオ役は各地で実績をつんできた二〇代のダンサーで、不調だと言いつつも形になるのは早かった。しかし、サーシャのロミオとのパ・ドゥ・ドゥは、練習映像を振りかえる必要もないくらい、もたつき、危なっかしく、しかもたどたどしいラブシーンで、指導陣全員が青ざめたほどだった。
二人ともソロは抜群に華やかなのにパ・ドゥ・ドゥになった途端、良さを殺しあっていた。どころか、個性さえ消滅していた。「『初めてのパ・ドゥ・ドゥ』ではなく、『初めてのおつかい』レベル」と、演出家にけなされた。
しかし最終的に、見事なロミオとジュリエットを踊りきった。
初々しくて情熱的で、死へと疾走していく少年少女。公演の時にはすでに、二人は役と同様に一線をこえていた。
サーシャからは、告白めいたものはなかった。瞳子も、そういった言葉を口にすることはなかった。
彼の文化圏では、付きあい始めるのに区切りの言葉はないと聞いていたし、言葉には意味がないと分かっていたからだ。
踊りで、絡まりあう視線で、体にふれる時の手つきで、体温で、すべてが手にとるように分かっていた。原始的な欲望で、触れずにはいられなかった。
それに、最後までジュリエットになってみたかったのだ。
劇中で、ジュリエットはロミオと結婚の誓いをたてて一夜を共にする。ロミオと――サーシャと――体を重ねたら、よりジュリエットに近づけるのではないかと思った。
瞳子もジュリエットも処女なのだから、サーシャがもっとロミオに感じられるはずだった。
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