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《第6章》 台湾・林森北路のサロメ
戦慄のティーパーティー2
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飛豪が怒りのあまり両手を卓について腰を浮かせかけると、美芳はすました顔で「大声あげすぎよ」と、たしなめた。
「でも、そんなにあり得ない選択肢かしら? あなたは若くて、容姿も平均そこそこで、特に、その才能と身体能力。世界レベルのコンクールで入賞できるなんて……今は故障して踊れないみたいだけど、それは怪我のせいでしょ。先天的には、欠陥のない遺伝子。アジア系というのを差し引いても、あなたの卵子に一万ドル以上の値段をつける人はいると思う。五〇〇〇ドルは確実よね」
カタログを読むように淀みなく、自分の遺伝子情報の素晴らしさを述べられていく。
それを、賞賛と受け取っていいのだろうか。理解の範疇をこえていて、瞳子はうまく判断できなかった。とにかく、自分の気持ちが置き去りにされている、ということだけは分かる。
「あの時は、そういう手段があるって知りませんでしたから。それにわたしは、飛豪さんに助けてもらえただけでも幸運だったと思ってます」
そつのない模範解答を、彼女はかえした。嘘のない範囲で応えられる、精一杯だ。
しかし、その精一杯にも美芳は不満だったようだ。「ふぅん」とつまらなげに鼻を鳴らした。次なる発言は、さらに意外なものだった。
「飛豪があなたを世話してるって聞いて、どうしても会いたいと希望したのには、ちゃんと理由があるの。だって私、数年前にあなたの『ロミオとジュリエット』を観てたから」
「え? それって……横浜のホールのですか?」
「そうよ。後援者チケットだったから、二列目であなたのジュリエットを観たわ」
「ありがとうございます」瞳子は、卓に額がつかんばかりに頭をさげた。
「ちょうど、あなたのCMが出た半年後の公演だったのよね。お教室の代表さんは、いい経営感覚してると思った。自分のところの生徒がテレビに出て話題になった直後に、チケット販売開始なんて。すぐに売り切れになったっていうのは、聞いてたわ」
「運が良かったんだと思います」
「あなたのジュリエット、今でも思いだせる。確かあなたは、一六歳だった。ロミオも一七か一八の若手で、ヨーロッパの男の子。原作のロミオとジュリエットが一六と一四だったから、リアルさが評判になってて」
「…………」
瞳子はつかのま、過去にひき戻された。
一六歳のあの一年間は、特別な時間だった。CMが公開されて、主演公演も成功させて、そしてローザンヌで賞をとるために毎日練習に打ち込んでいた日々。あの時は、賞をとりさえすれば一生踊りつづけられる、と確信していた。
でも現実は違った。ジュリエットが不幸なすれ違いの末に死んだように、桐島瞳子も不幸な怪我で死んだ。
過去の公演を褒められるのは、嬉しい。とても嬉しい。美芳の手をとってお礼を言いたいくらいだ。ただ、あの公演――ロミジュリ――の話を飛豪の前で話されるのは、とある事情があって、どうしても居心地が悪い。つい歯切れのわるい相槌になってしまった。
「私ね、最初あなたのCMを観た時は、テレビの編集で綺麗に加工してるだけなんだろうって思った。でも、実際に舞台を観たら、映像以上だった。第一幕の仮面舞踏会のシーンで、ロミオと最初に触れあったときのキラキラした表情や、最後、自分の命を絶つシーンの凛々しさ。技術の評価とか好みもあるんだろうけれど、私、あんなに潔くてチャーミングなジュリエットは初めてだった。だから、観てみたかったの。いつかあなたが踊るキトリを。きっと、火山のように激しくて華やかな魅力に溢れていたんだろうって」
「そこまで言っていただけたのに、今……もう踊れなくて、申し訳ないです」
瞳子は素直に詫びた。
怪我をしたとき、それこそ公演直前というタイミングもあって、全国から励ましの手紙をもらった。最初は心強く、リハビリで挫けそうになるたびに読みかえしていたが、最後は目を背けていた。リハビリをどんなに頑張っても思うように体が動かず、引退の二文字が見えていたからだ。
応えられない期待ほど重いものはない。バレエだけではなく、自分の踊りを好きになってくれた人の気持ちも裏切っている、とずっと罪悪感に苦しめられてきた。
「だから今日あなたに会えて、不思議で仕方ないの。ねぇ、教えて。あなたの顔から覇気が抜けたのは、バレエをやめたから? それとも、ウチの飛豪と付き合ってるから?」
だしぬけに、強烈な言葉に胸を撃ちぬかれた。
「でも、そんなにあり得ない選択肢かしら? あなたは若くて、容姿も平均そこそこで、特に、その才能と身体能力。世界レベルのコンクールで入賞できるなんて……今は故障して踊れないみたいだけど、それは怪我のせいでしょ。先天的には、欠陥のない遺伝子。アジア系というのを差し引いても、あなたの卵子に一万ドル以上の値段をつける人はいると思う。五〇〇〇ドルは確実よね」
カタログを読むように淀みなく、自分の遺伝子情報の素晴らしさを述べられていく。
それを、賞賛と受け取っていいのだろうか。理解の範疇をこえていて、瞳子はうまく判断できなかった。とにかく、自分の気持ちが置き去りにされている、ということだけは分かる。
「あの時は、そういう手段があるって知りませんでしたから。それにわたしは、飛豪さんに助けてもらえただけでも幸運だったと思ってます」
そつのない模範解答を、彼女はかえした。嘘のない範囲で応えられる、精一杯だ。
しかし、その精一杯にも美芳は不満だったようだ。「ふぅん」とつまらなげに鼻を鳴らした。次なる発言は、さらに意外なものだった。
「飛豪があなたを世話してるって聞いて、どうしても会いたいと希望したのには、ちゃんと理由があるの。だって私、数年前にあなたの『ロミオとジュリエット』を観てたから」
「え? それって……横浜のホールのですか?」
「そうよ。後援者チケットだったから、二列目であなたのジュリエットを観たわ」
「ありがとうございます」瞳子は、卓に額がつかんばかりに頭をさげた。
「ちょうど、あなたのCMが出た半年後の公演だったのよね。お教室の代表さんは、いい経営感覚してると思った。自分のところの生徒がテレビに出て話題になった直後に、チケット販売開始なんて。すぐに売り切れになったっていうのは、聞いてたわ」
「運が良かったんだと思います」
「あなたのジュリエット、今でも思いだせる。確かあなたは、一六歳だった。ロミオも一七か一八の若手で、ヨーロッパの男の子。原作のロミオとジュリエットが一六と一四だったから、リアルさが評判になってて」
「…………」
瞳子はつかのま、過去にひき戻された。
一六歳のあの一年間は、特別な時間だった。CMが公開されて、主演公演も成功させて、そしてローザンヌで賞をとるために毎日練習に打ち込んでいた日々。あの時は、賞をとりさえすれば一生踊りつづけられる、と確信していた。
でも現実は違った。ジュリエットが不幸なすれ違いの末に死んだように、桐島瞳子も不幸な怪我で死んだ。
過去の公演を褒められるのは、嬉しい。とても嬉しい。美芳の手をとってお礼を言いたいくらいだ。ただ、あの公演――ロミジュリ――の話を飛豪の前で話されるのは、とある事情があって、どうしても居心地が悪い。つい歯切れのわるい相槌になってしまった。
「私ね、最初あなたのCMを観た時は、テレビの編集で綺麗に加工してるだけなんだろうって思った。でも、実際に舞台を観たら、映像以上だった。第一幕の仮面舞踏会のシーンで、ロミオと最初に触れあったときのキラキラした表情や、最後、自分の命を絶つシーンの凛々しさ。技術の評価とか好みもあるんだろうけれど、私、あんなに潔くてチャーミングなジュリエットは初めてだった。だから、観てみたかったの。いつかあなたが踊るキトリを。きっと、火山のように激しくて華やかな魅力に溢れていたんだろうって」
「そこまで言っていただけたのに、今……もう踊れなくて、申し訳ないです」
瞳子は素直に詫びた。
怪我をしたとき、それこそ公演直前というタイミングもあって、全国から励ましの手紙をもらった。最初は心強く、リハビリで挫けそうになるたびに読みかえしていたが、最後は目を背けていた。リハビリをどんなに頑張っても思うように体が動かず、引退の二文字が見えていたからだ。
応えられない期待ほど重いものはない。バレエだけではなく、自分の踊りを好きになってくれた人の気持ちも裏切っている、とずっと罪悪感に苦しめられてきた。
「だから今日あなたに会えて、不思議で仕方ないの。ねぇ、教えて。あなたの顔から覇気が抜けたのは、バレエをやめたから? それとも、ウチの飛豪と付き合ってるから?」
だしぬけに、強烈な言葉に胸を撃ちぬかれた。
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