33 / 192
《第3章》 ロミオ at 玉川上水
吉祥寺で2
しおりを挟む
飛豪がその日彼女に会ったのは、本当に偶然だった。
なぜなら、翌日に会う約束をすでに取りつけていたからだ。
吉祥寺の北口にある外資系ファッションショップ。コストパフォーマンスとセンスが良い上、路面店らしくスペースも広いので人が多い。
神楽坂に住んでいる彼は、大抵の用事は有楽町か上野で済ませる。休日にわざわざ吉祥寺まで足を運んだのは、子供のころに観た古い香港映画がミニシアターでかかっていたからだった。
映画を終えて適当に昼食をとると、久しぶりに服を見ようかという気分になった。
少し歩いて、白をインテリアの基調にしたそのファッションショップに入る。スペイン時代の名残りで、買う気がなくともつい足を運んでしまう。実際に選ぶ服の系統とは違っても、一巡はしてみるのがいつもの行動パターンだった。
三階のメンズフロアを物色し、満足した飛豪は白亜の階段を、のんびりした気分で下りてゆく。文字通り、休日の午後を堪能していた。
レディスファッションのある二階と一階の踊り場にさしかかった時、下からのぼってくる細い女性の人影があった。
避けようとした彼がさっと横にずれると、彼女も同じ方向に動いた。正面衝突しそうになり、謝ろうと思って顔をあげると、同じことを考えたらしい彼女と、ちょうど目があった。
瞳子が、素っ頓狂な顔をして、こちらを見上げていた。
「飛豪さん……。どうして?」
「こっちこそ。俺も服見にきてて」
「え……もしかして飛豪さんも、ここで服買うの?」
「どっちかというと、冷やかし。昔よく来てたから」
「意外! もっとカジュアルっぽい服を選んでるイメージだった」
驚きの声をあげる彼女の唇がひび割れて血が滲んでいることに、飛豪は気づいた。
様子が、つい数日前に会ったときよりも酷くやつれている。肌つやが悪いというか、眼窩が落ちくぼんでいるというか、頬がこけているというか、とにかく疲弊している印象だ。
なのに彼を認識した途端、彼女は表情をゆるめてパッと笑顔をみせた。つくり笑いではない、気を許した表情だった。それが、心にじわりと染みた。
「瞳子は? 今から二階見るの?」
「えっ……と」彼女はバツが悪いような、迷ったような表情を浮かべた。「わたしも、出るところ」
「階段のぼってたのに?」
「そう」
彼女はこうして無茶な選択肢をいつも押しきる。嘘をついているのはバレバレだった。
「時間あるなら、どっかでコーヒーでも飲もう」
飛豪は言った瞬間、自分の発言に戸惑った。
――ン? なにか違うこと言ってないか、俺? そういうのは、この子とはしない筈では。
瞳子はきょとんとした顔をして、彼の発言を受けとめた。しばし、なにかを思案するように沈黙したのちに一つ提案してきた。
「あの、それってウチでだめですか? わたしの家、玉川上水ぞいにあって、そんなに遠くないです。インスタントコーヒーですけどちゃんと準備しますし」
――そう来るか。これは自宅で、と誘われているのだろうか。
飛豪は裏の意図を勘ぐった。
しかし、昼前にメールで入っていた藤原からの報告を思いだす。彼女はこの二日間、大学と公共図書館、ネットカフェを渡りあるいてばかりだった。
――むしろ、八田の嫌がらせで自宅に帰れていないやつだな。そして、俺と――男と――一緒にいれば自宅で襲われることはない、と予測したか。
おそらく、少しでも自宅に戻りたいのだろう。そちらのほうが状況的に合致する。
――俺も、この子の事情を知っていることと、セキュリティをつけてることを話さなきゃと思ってたし。都合は……まぁ自宅の方がいいだろうな。
彼が黙りこんだのを瞳子は誤解したらしい。慌てた様子で、早口につけ加えた。
「違うんです! そういうことしたいですって言ってるわけでなくて、ただ単に最近ちょっと疲れてて、自宅のほうがきちんとできるから……」
弁解を遮って、飛豪は彼女の手首を軽くとった。
これ以上、言わせたくなかった。本当なら、どこかホテルで好きなだけ眠らせてやりたい。それほどまでに痛々しかった。
「いいよ。迷惑じゃなかったら、今日は余計なこと抜きでコーヒーご馳走になりたい」
すると、彼女の顔のこわばりがほどけた。肩口の硬い輪郭からふわりと力が抜ける。
彼もまた、無意識のうちに身構えていた心がほぐれていくのを感じた。
なぜなら、翌日に会う約束をすでに取りつけていたからだ。
吉祥寺の北口にある外資系ファッションショップ。コストパフォーマンスとセンスが良い上、路面店らしくスペースも広いので人が多い。
神楽坂に住んでいる彼は、大抵の用事は有楽町か上野で済ませる。休日にわざわざ吉祥寺まで足を運んだのは、子供のころに観た古い香港映画がミニシアターでかかっていたからだった。
映画を終えて適当に昼食をとると、久しぶりに服を見ようかという気分になった。
少し歩いて、白をインテリアの基調にしたそのファッションショップに入る。スペイン時代の名残りで、買う気がなくともつい足を運んでしまう。実際に選ぶ服の系統とは違っても、一巡はしてみるのがいつもの行動パターンだった。
三階のメンズフロアを物色し、満足した飛豪は白亜の階段を、のんびりした気分で下りてゆく。文字通り、休日の午後を堪能していた。
レディスファッションのある二階と一階の踊り場にさしかかった時、下からのぼってくる細い女性の人影があった。
避けようとした彼がさっと横にずれると、彼女も同じ方向に動いた。正面衝突しそうになり、謝ろうと思って顔をあげると、同じことを考えたらしい彼女と、ちょうど目があった。
瞳子が、素っ頓狂な顔をして、こちらを見上げていた。
「飛豪さん……。どうして?」
「こっちこそ。俺も服見にきてて」
「え……もしかして飛豪さんも、ここで服買うの?」
「どっちかというと、冷やかし。昔よく来てたから」
「意外! もっとカジュアルっぽい服を選んでるイメージだった」
驚きの声をあげる彼女の唇がひび割れて血が滲んでいることに、飛豪は気づいた。
様子が、つい数日前に会ったときよりも酷くやつれている。肌つやが悪いというか、眼窩が落ちくぼんでいるというか、頬がこけているというか、とにかく疲弊している印象だ。
なのに彼を認識した途端、彼女は表情をゆるめてパッと笑顔をみせた。つくり笑いではない、気を許した表情だった。それが、心にじわりと染みた。
「瞳子は? 今から二階見るの?」
「えっ……と」彼女はバツが悪いような、迷ったような表情を浮かべた。「わたしも、出るところ」
「階段のぼってたのに?」
「そう」
彼女はこうして無茶な選択肢をいつも押しきる。嘘をついているのはバレバレだった。
「時間あるなら、どっかでコーヒーでも飲もう」
飛豪は言った瞬間、自分の発言に戸惑った。
――ン? なにか違うこと言ってないか、俺? そういうのは、この子とはしない筈では。
瞳子はきょとんとした顔をして、彼の発言を受けとめた。しばし、なにかを思案するように沈黙したのちに一つ提案してきた。
「あの、それってウチでだめですか? わたしの家、玉川上水ぞいにあって、そんなに遠くないです。インスタントコーヒーですけどちゃんと準備しますし」
――そう来るか。これは自宅で、と誘われているのだろうか。
飛豪は裏の意図を勘ぐった。
しかし、昼前にメールで入っていた藤原からの報告を思いだす。彼女はこの二日間、大学と公共図書館、ネットカフェを渡りあるいてばかりだった。
――むしろ、八田の嫌がらせで自宅に帰れていないやつだな。そして、俺と――男と――一緒にいれば自宅で襲われることはない、と予測したか。
おそらく、少しでも自宅に戻りたいのだろう。そちらのほうが状況的に合致する。
――俺も、この子の事情を知っていることと、セキュリティをつけてることを話さなきゃと思ってたし。都合は……まぁ自宅の方がいいだろうな。
彼が黙りこんだのを瞳子は誤解したらしい。慌てた様子で、早口につけ加えた。
「違うんです! そういうことしたいですって言ってるわけでなくて、ただ単に最近ちょっと疲れてて、自宅のほうがきちんとできるから……」
弁解を遮って、飛豪は彼女の手首を軽くとった。
これ以上、言わせたくなかった。本当なら、どこかホテルで好きなだけ眠らせてやりたい。それほどまでに痛々しかった。
「いいよ。迷惑じゃなかったら、今日は余計なこと抜きでコーヒーご馳走になりたい」
すると、彼女の顔のこわばりがほどけた。肩口の硬い輪郭からふわりと力が抜ける。
彼もまた、無意識のうちに身構えていた心がほぐれていくのを感じた。
1
お気に入りに追加
81
あなたにおすすめの小説
冷徹御曹司と極上の一夜に溺れたら愛を孕みました
せいとも
恋愛
旧題:運命の一夜と愛の結晶〜裏切られた絶望がもたらす奇跡〜
神楽坂グループ傘下『田崎ホールディングス』の創業50周年パーティーが開催された。
舞台で挨拶するのは、専務の田崎悠太だ。
専務の秘書で彼女の月島さくらは、会場で挨拶を聞いていた。
そこで、今の瞬間まで彼氏だと思っていた悠太の口から、別の女性との婚約が発表された。
さくらは、訳が分からずショックを受け会場を後にする。
その様子を見ていたのが、神楽坂グループの御曹司で、社長の怜だった。
海外出張から一時帰国して、パーティーに出席していたのだ。
会場から出たさくらを追いかけ、忘れさせてやると一夜の関係をもつ。
一生をさくらと共にしようと考えていた怜と、怜とは一夜の関係だと割り切り前に進むさくらとの、長い長いすれ違いが始まる。
再会の日は……。
冷徹秘書は生贄の恋人を溺愛する
砂原雑音
恋愛
旧題:正しい媚薬の使用法
……先輩。
なんて人に、なんてものを盛ってくれたんですか……!
グラスに盛られた「天使の媚薬」
それを綺麗に飲み干したのは、わが社で「悪魔」と呼ばれる超エリートの社長秘書。
果たして悪魔に媚薬は効果があるのか。
確かめる前に逃げ出そうとしたら、がっつり捕まり。気づいたら、悪魔の微笑が私を見下ろしていたのでした。
※多少無理やり表現あります※多少……?
家族愛しか向けてくれない初恋の人と同棲します
佐倉響
恋愛
住んでいるアパートが取り壊されることになるが、なかなか次のアパートが見つからない琴子。
何気なく高校まで住んでいた場所に足を運ぶと、初恋の樹にばったりと出会ってしまう。
十年ぶりに会話することになりアパートのことを話すと「私の家に住まないか」と言われる。
未だ妹のように思われていることにチクチクと苦しみつつも、身内が一人もいない上にやつれている樹を放っておけない琴子は同棲することになった。
私を溺愛してくれたのは同期の御曹司でした
日下奈緒
恋愛
課長としてキャリアを積む恭香。
若い恋人とラブラブだったが、その恋人に捨てられた。
40歳までには結婚したい!
婚活を決意した恭香を口説き始めたのは、同期で仲のいい柊真だった。
今更あいつに口説かれても……
エリート警視正の溺愛包囲網 クールな彼の激情に甘く囚われそうです
桜月海羽
恋愛
旧題:エリート警視正の溺愛包囲網~クールな彼の甘やかな激情~
「守ると約束したが、一番危ないのは俺かもしれない」
ストーカー被害に悩む咲良は、警察官の堂本桜輔に守ってもらうことに。
堅物で生真面目な雰囲気とは裏腹に、彼の素顔は意外にも甘くて――?
トラウマを抱えるネイリスト
深澤咲良(27)
×
堅物なエリート警察官僚
堂本桜輔(34)
「このまま帰したくない、と言ったら幻滅するか?」
「しません。私……あなたになら、触れられたい」
エリート警視正の溺愛包囲網に
甘く、激しく、溶かされて――。
アルファポリス 2023/5/10~2023/6/5
※別名義・旧題でベリーズカフェでも公開していました。
書籍化に伴い、そちらは非公開にしています。
クールな御曹司の溺愛ペットになりました
あさの紅茶
恋愛
旧題:クールな御曹司の溺愛ペット
やばい、やばい、やばい。
非常にやばい。
片山千咲(22)
大学を卒業後、未だ就職決まらず。
「もー、夏菜の会社で雇ってよぉ」
親友の夏菜に泣きつくも、呆れられるばかり。
なのに……。
「就職先が決まらないらしいな。だったら俺の手伝いをしないか?」
塚本一成(27)
夏菜のお兄さんからのまさかの打診。
高校生の時、一成さんに告白して玉砕している私。
いや、それはちょっと……と遠慮していたんだけど、親からのプレッシャーに負けて働くことに。
とっくに気持ちの整理はできているはずだったのに、一成さんの大人の魅力にあてられてドキドキが止まらない……。
**********
このお話は他のサイトにも掲載しています
ドS上司の溺愛と執着 〜お酒の勢いで憧れの人に『抱いて』と言ってみたら離してくれなくなった〜
Adria
恋愛
熱心に仕事に打ち込んでいた私はある日、父にお見合いを持ちかけられ、大好きな仕事を辞めろと言われてしまう。そのことに自暴自棄になり、お酒に溺れた翌日、私は処女を失っていた。そしてその相手は憧れていた勤務先の上司で……。
戸惑う反面、「酒を理由になかったことになんてさせない」と言われ、彼は私を離してくれない。彼の強すぎる愛情表現と一緒に過ごす時間があまりにも心地よくてどんどん堕ちていく。
表紙絵/灰田様
結婚なんてお断りです! ─強引御曹司のとろあま溺愛包囲網─
立花 吉野
恋愛
25歳の瀬村花純(せむら かすみ)は、ある日、母に強引にお見合いに連れて行かれてしまう。数時間後に大切な約束のある花純は「行かない!」と断るが、母に頼まれてしぶしぶ顔だけ出すことに。
お見合い相手は、有名企業の次男坊、舘入利一。イケメンだけど彼の性格は最悪!
遅刻したうえに人の話を聞かない利一に、花純はきつく言い返してお見合いを切り上げ、大切な『彼』との待ち合わせに向かった。
『彼』は、SNSで知り合った『reach731』。映画鑑賞が趣味の花純は、『jimiko』というハンドルネームでSNSに映画の感想をアップしていて、共通の趣味を持つ『reach731』と親しくなった。大人な印象のreach731と会えるのを楽しみにしていた花純だったが、約束の時間、なぜかやって来たのはさっきの御曹司、舘入利一で──?
出逢った翌日には同棲開始! 強引で人の話を聞かない御曹司から、甘く愛される毎日がはじまって──……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる