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《第3章》 ロミオ at 玉川上水

吉祥寺で2

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 飛豪がその日彼女に会ったのは、本当に偶然だった。

 なぜなら、翌日に会う約束をすでに取りつけていたからだ。

 吉祥寺の北口にある外資系ファッションショップ。コストパフォーマンスとセンスが良い上、路面店らしくスペースも広いので人が多い。

 神楽坂に住んでいる彼は、大抵の用事は有楽町か上野で済ませる。休日にわざわざ吉祥寺まで足を運んだのは、子供のころに観た古い香港映画がミニシアターでかかっていたからだった。

 映画を終えて適当に昼食をとると、久しぶりに服を見ようかという気分になった。

 少し歩いて、白をインテリアの基調にしたそのファッションショップに入る。スペイン時代の名残りで、買う気がなくともつい足を運んでしまう。実際に選ぶ服の系統とは違っても、一巡はしてみるのがいつもの行動パターンだった。

 三階のメンズフロアを物色し、満足した飛豪は白亜の階段を、のんびりした気分で下りてゆく。文字通り、休日の午後を堪能していた。

 レディスファッションのある二階と一階の踊り場にさしかかった時、下からのぼってくる細い女性の人影があった。

 避けようとした彼がさっと横にずれると、彼女も同じ方向に動いた。正面衝突しそうになり、謝ろうと思って顔をあげると、同じことを考えたらしい彼女と、ちょうど目があった。

 瞳子が、素っ頓狂な顔をして、こちらを見上げていた。

「飛豪さん……。どうして?」

「こっちこそ。俺も服見にきてて」

「え……もしかして飛豪さんも、ここで服買うの?」

「どっちかというと、冷やかし。昔よく来てたから」

「意外! もっとカジュアルっぽい服を選んでるイメージだった」

 驚きの声をあげる彼女の唇がひび割れて血が滲んでいることに、飛豪は気づいた。

 様子が、つい数日前に会ったときよりも酷くやつれている。肌つやが悪いというか、眼窩が落ちくぼんでいるというか、頬がこけているというか、とにかく疲弊している印象だ。

 なのに彼を認識した途端、彼女は表情をゆるめてパッと笑顔をみせた。つくり笑いではない、気を許した表情だった。それが、心にじわりと染みた。

「瞳子は? 今から二階見るの?」

「えっ……と」彼女はバツが悪いような、迷ったような表情を浮かべた。「わたしも、出るところ」

「階段のぼってたのに?」

「そう」

 彼女はこうして無茶な選択肢をいつも押しきる。嘘をついているのはバレバレだった。

「時間あるなら、どっかでコーヒーでも飲もう」

 飛豪は言った瞬間、自分の発言に戸惑った。

 ――ン? なにか違うこと言ってないか、俺? そういうのは、この子とはしない筈では。

 瞳子はきょとんとした顔をして、彼の発言を受けとめた。しばし、なにかを思案するように沈黙したのちに一つ提案してきた。

「あの、それってウチでだめですか? わたしの家、玉川上水ぞいにあって、そんなに遠くないです。インスタントコーヒーですけどちゃんと準備しますし」

 ――そう来るか。これは自宅で、と誘われているのだろうか。

 飛豪は裏の意図を勘ぐった。

 しかし、昼前にメールで入っていた藤原からの報告を思いだす。彼女はこの二日間、大学と公共図書館、ネットカフェを渡りあるいてばかりだった。

 ――むしろ、八田の嫌がらせで自宅に帰れていないやつだな。そして、俺と――男と――一緒にいれば自宅で襲われることはない、と予測したか。

 おそらく、少しでも自宅に戻りたいのだろう。そちらのほうが状況的に合致する。

 ――俺も、この子の事情を知っていることと、セキュリティをつけてることを話さなきゃと思ってたし。都合は……まぁ自宅の方がいいだろうな。

 彼が黙りこんだのを瞳子は誤解したらしい。慌てた様子で、早口につけ加えた。

「違うんです! したいですって言ってるわけでなくて、ただ単に最近ちょっと疲れてて、自宅のほうがきちんとできるから……」

 弁解を遮って、飛豪は彼女の手首を軽くとった。

 これ以上、言わせたくなかった。本当なら、どこかホテルで好きなだけ眠らせてやりたい。それほどまでに痛々しかった。


「いいよ。迷惑じゃなかったら、今日は余計なこと抜きでコーヒーご馳走になりたい」

 すると、彼女の顔のこわばりがほどけた。肩口の硬い輪郭からふわりと力が抜ける。

 彼もまた、無意識のうちに身構えていた心がほぐれていくのを感じた。
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