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《第2章》 西新宿のエウリュディケ
新宿西口の本屋さん
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四月も月末に近づくと、どこもかしこもゴールデンウィークの気配が立ちこめている。すれ違うすべての人が連休を待ちわびて、活気づいているようだ。
金曜日の夕方一七時、JR新宿駅におりた瞳子は、複雑怪奇な駅の構造に惑わされず、スムーズに都庁方面の地下街へと向かった。
――西口なんて久しぶり。昔は新宿に来たら、まず南口のバレエショップでいろいろ見てたな。
もう二度と立ち寄ることのない場所だ。そして新宿といえば、京王線に乗りかえて一駅の初台のオペラシティに行くことが多かった。
彼女にとっては、新宿駅、バレエショップ、オペラシティの新国立劇場までがワンセットだった。なんとなく気になって直近の公演を調べると、五月の連休に「オルフェウスとエウリュディケ」がかかっていることが分かった。
しばらく前に亡くなったドイツの有名な女性振付家の作品だ。瞳子は映像でしか観たことがない。おそらく、日本で公演するのは初めてだろう。昔の自分だったら、半年以上前から楽しみにしていたに違いない。
「あ、これは観たい」
ぽつりと瞳子はつぶやいた。今の彼女も、まだそちらの世界に未練がある。恋焦がれている。
いけない、いけない、足を洗ったんだから。そう思いなおして、待ちあわせに指定された地下街の書店へと足どりをはやめた。
飛豪から連絡が来たのは、昨日木曜の夜だった。近所にあるパン工場のライン作業のアルバイトを終えてスマートフォンを開くと、ショートメールが届いていた。
金曜夜は大抵、時給のいい夜勤ラインにはいっている。今週もそのつもりだったが、瞳子はすぐにキャンセルをした。彼のお陰で首がつながったのだから、彼の予定を最優先にしよう。今後、どのくらいのペースになるのかは今日話をして、上手く調整しておきたい。
書店に到着したのは、待ち合わせよりも三〇分ほど早い時間だった。
本や雑誌を読むのは好きだけれど、この数年、もっぱら図書館ばかりだ。大学のテキストだって中古で買っているくらいなのだ。新刊などとても手が出せない。そんな余裕があったら、食費か返済にあてる。
ファッション誌や映画雑誌のピカピカのカバーを眺めていると、心が浮きたった。気の向くまま、旅行ガイドのコーナーに足をはこぶ。最初に手にとったのは、台湾の旅行ガイドだった。
今日の二限後、ゼミの友達二人と学食でお昼を食べていた時、彼女らがゴールデンウィークに台湾に行く、と話していた。台湾はところどころで日本語が通じるし、食べ物もおいしく、雰囲気も素敵なカフェが多いようだ。
コンクールやワークショップでヨーロッパには行ったことがあるが、アジア圏はない。魯肉飯、豆花、日本とは違う色彩のテキスタイルや小物がカラーページに溢れていた。
「いいなぁ」
つい、羨望の声が漏れてしまっていた。
「何が?」突然ぬっと真横にあらわれた大きな人影に、ページが暗がりとなった。
「きゃっ」
至近距離の他者の気配に、瞳子は小さく悲鳴をあげ、勢いよく本をとじる。
薄いクリーム色のTシャツに、いかにも穿きつぶした感のある古びたデニムと、ダークカラーのウィンブレを着た大男――李飛豪――が隣に立っていた。
金曜日の夕方一七時、JR新宿駅におりた瞳子は、複雑怪奇な駅の構造に惑わされず、スムーズに都庁方面の地下街へと向かった。
――西口なんて久しぶり。昔は新宿に来たら、まず南口のバレエショップでいろいろ見てたな。
もう二度と立ち寄ることのない場所だ。そして新宿といえば、京王線に乗りかえて一駅の初台のオペラシティに行くことが多かった。
彼女にとっては、新宿駅、バレエショップ、オペラシティの新国立劇場までがワンセットだった。なんとなく気になって直近の公演を調べると、五月の連休に「オルフェウスとエウリュディケ」がかかっていることが分かった。
しばらく前に亡くなったドイツの有名な女性振付家の作品だ。瞳子は映像でしか観たことがない。おそらく、日本で公演するのは初めてだろう。昔の自分だったら、半年以上前から楽しみにしていたに違いない。
「あ、これは観たい」
ぽつりと瞳子はつぶやいた。今の彼女も、まだそちらの世界に未練がある。恋焦がれている。
いけない、いけない、足を洗ったんだから。そう思いなおして、待ちあわせに指定された地下街の書店へと足どりをはやめた。
飛豪から連絡が来たのは、昨日木曜の夜だった。近所にあるパン工場のライン作業のアルバイトを終えてスマートフォンを開くと、ショートメールが届いていた。
金曜夜は大抵、時給のいい夜勤ラインにはいっている。今週もそのつもりだったが、瞳子はすぐにキャンセルをした。彼のお陰で首がつながったのだから、彼の予定を最優先にしよう。今後、どのくらいのペースになるのかは今日話をして、上手く調整しておきたい。
書店に到着したのは、待ち合わせよりも三〇分ほど早い時間だった。
本や雑誌を読むのは好きだけれど、この数年、もっぱら図書館ばかりだ。大学のテキストだって中古で買っているくらいなのだ。新刊などとても手が出せない。そんな余裕があったら、食費か返済にあてる。
ファッション誌や映画雑誌のピカピカのカバーを眺めていると、心が浮きたった。気の向くまま、旅行ガイドのコーナーに足をはこぶ。最初に手にとったのは、台湾の旅行ガイドだった。
今日の二限後、ゼミの友達二人と学食でお昼を食べていた時、彼女らがゴールデンウィークに台湾に行く、と話していた。台湾はところどころで日本語が通じるし、食べ物もおいしく、雰囲気も素敵なカフェが多いようだ。
コンクールやワークショップでヨーロッパには行ったことがあるが、アジア圏はない。魯肉飯、豆花、日本とは違う色彩のテキスタイルや小物がカラーページに溢れていた。
「いいなぁ」
つい、羨望の声が漏れてしまっていた。
「何が?」突然ぬっと真横にあらわれた大きな人影に、ページが暗がりとなった。
「きゃっ」
至近距離の他者の気配に、瞳子は小さく悲鳴をあげ、勢いよく本をとじる。
薄いクリーム色のTシャツに、いかにも穿きつぶした感のある古びたデニムと、ダークカラーのウィンブレを着た大男――李飛豪――が隣に立っていた。
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