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《第1章》 午前二時のジゼル

階段のふたり2

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 あっけにとられた飛豪は、青いドレスのドナドナ女――もとい、青柳瞳子――を、思わずまじまじと見つめてしまった。

 綺麗な黒髪ロング。真珠色をした首筋と華奢な骨格、アンニュイな印象の顔立ちと猫を思わせる瞳には確かにそそるものがある。特筆すべき事項として、佇まいや身ごなしに人目をひくところがある。

 この女を今夜一晩抱いて五〇〇万。彼にとっては、高くもないが低くもない金額だ。しかし、飛豪の口から出てきたのは、

「馬鹿じゃねぇの?」

 思わず素が出てしまった。とはいえ、本音である。

「おっと失礼。でも、真面目に訊く。今夜一晩で、あんたが上手いこと売春行為にいたって金ヅルつかまえたとして、そいつが本当に気前よく五〇〇万くれると思ってるのか?」

「だってここに来る人は、島とか山とか買えるくらい裕福な人たちなんでしょ?」

「それぐらいの資産家は、投資とリターンの効率に激しくシビアだからこそ金持ってるんだ。あんたと一晩ヤッて、あのVIPルームのオッサンたちに何が得になる? 毎日テレビに出てる芸能人クラスの女ならプレミアがつくだろうけど、素人よりちょっとマシくらいの女に、いきなりそんな金を支払う奴なんざ、あの部屋にはいない。トータルで最終的に五百万、一千万を女につぎこむことがあっても、最初には出さない」

 彼が断言すると、今度は瞳子が茫然とする番だった。

「うそ……」

 絶句した彼女をさすがに憐れに思ったが、飛豪は仕事に徹した。

「というわけで、申し訳ないがお帰りいただきたい。あんた、見たところ学生サンだろ。お金のことは、意地はってないで親なり親戚なりに頼ればいい」

 自分でも冷たいと思ったが、それ以外のセリフはなかった。話を聞けば聞くほど厄介になるのは目に見えている。

「親も、親戚も、いません」

 言い捨てた彼女の目はもう、飛豪を映していなかった。黒のクレヨンで出鱈目に塗りつぶされたような、虚無の色をしていた。

「友達は?」

 訊くべきでない、深入りすべきでもない、と分かっていたのに、彼はつい質問をしてしまった。彼女の瞳の色が、かつて見たことのあるものだったからだ。興味をそそられた。

「自分のことで精いっぱいの友人に、迷惑なんてかけられない」

「それで、五〇〇万をあんたは何に使うんだ?」

「借金です」

「へぇ、なんの借金?」

「……家賃滞納」

 青いドレスの女は、嘲るような薄笑いを浮かべていた。嘘なのは明らかだった。

 ――馬鹿にしてんのか、この女。

 飛豪は無性に腹がたってきた。この状況で笑って嘘をいう胆力があることに、まず違和感があるし、小娘としか言いようのない子供ガキが自分に交渉しようとしているのが気にいらなかった。

「つまらない理由だな」

「面白いこと言ったら、あなたがわたしを買ってくれますか?」

 女は、青白く細い腕をするりと伸ばして、大胆にも彼のネクタイをとった。彼女が、二〇センチ下から飛豪をじっと見上げる。

 最初パーティールームで見たときは真面目そうな素人の女だと思ったが、今あらためて対峙してみると、一筋縄でいかないタイプなのは明らかだ。

 素人ではあるが、底知れない何か、強靭な核心がある人間だ。なのに、もろさや自信のなさ、不安もまた隠しきれずに揺らいでいる。そのアンバランスさは、他人の神経を逆なでする類のものだ。

 なにかを言いかけているように突きだされた、真っ赤な唇が妖艶に誘いかけていた。無自覚なのだろう。

 ――あぁ、さっきの男二人がこの女で遊ぼうとしていたのが分かるな。単にセックスして楽しむんじゃなくて、人格を踏みにじるように滅茶苦茶にしてやりたいところがある。

 彼は冷静に立ちかえって、自分のネクタイをつかむ細い手を振りはらった。「こんな場所に来てるから分かってるんだろうけど、あんた男を舐めてるのか? さっきのクスリ見ただろ。廃人にされるぞ」

「来たくて来てるわけじゃないです」

 不快げに、彼女は眉根を寄せた。

「あぁ……五〇〇万だっけ? 頑張って」

 からかうように飛豪は手をふった。さっさと帰れ、の意図もこめていた。

「あなた、イヤな人ですね」

「光栄だ。じゃ、出口に案内するから」

 彼が女に背をむけた。次の瞬間、どんと体当たりするように女がぶつかってきた。そのまま、後ろからスーツの背中にしがみつかれた。
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