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第四章 雪解けの季節

オスカー様の呼び出し

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「リリア様! 大変ですぅぅ!」

 アンナがリリアの部屋に駆け込んできたのは、冬の寒さもゆるみ始めた、三月初めのよく晴れた日の朝のこと。

 ――今日は天気もいいし、冒険者ギルドへ薬を納めに行ったら、街を歩きがてら孤児院に行こうかしら。

 そんなことを考えながら、鏡の前でメイド服に着替えていた時だった。
 孤児院は冒険者ギルドから紹介された薬草の調達元で、最近のリリアのお気に入りの場所。
 薬草の処理方法の指導を兼ねて、よく訪れている。

「どうしたの、アンナ?」

 腰のリボンを結びながら訊ねたリリアに、アンナが白い封筒を差し出した。

「見てください! オスカー様からお手紙です」
「オスカー様から? あたしに?」

 リリアは思わず問い返す。
 これまでずっと無視されてきただけに、なんだがピンとこない。

「もちろんです。執事長から、リリア様にお渡しするようにと」
「表には何も書かれてないのね……」

 事務用の白い封筒。
 宛名はなく、裏返すとグリンウッド家の紋章で封蝋が押されていた。

 ――もしかして、薬を認めてくれるのかしら。

 そう思って慎重に封を切ったが、出てきたのは一枚のメモ用紙。

「オスカー様はなんと?」

 アンナが身を乗り出した。
 その勢いに、リリアは思わず苦笑する。

「話があるから屋敷へ来い」
「えっ」
「そう書いてあるのよ……。どうしたものかしら」

 メモ用紙をアンナに渡す。
 書かれていたのは、ほんの一行。
 いや、本人のサインを入れれば二行か。
 甘い展開など期待できそうにない、まるで事務連絡のような手紙。

「……これは命令でしょうか?」

 手紙を裏返したり光に透かしたりしていたアンナが、ぽつりとつぶやいた。

「そこなのよねえ……」

 リリアは腕組みをして、じっと考え込む。
 どうしたものだろうか、と。

 この別邸に住み始めて四か月。
 オスカー様に腕を認めてもらいたくて、とにかく薬を作ってきた。王宮の資格を持つ薬草師として、名に恥じない仕事をしてきたつもりだ。

 美容薬に育毛薬、そして回復薬
 メイドや執事たちはとても喜んでくれたし、騎士からは忠誠まで頂いた。
 自分の薬はこんなにも喜ばれるのかと、正直、驚いている。――しかし。

 肝心のオスカー様からは、何の反応もない。
 アンナによると、リリアが薬を作っていることは、確かにオスカー様まで伝わっている。回復薬に至っては、カレンのお姉さんが遠征先で直接アピールしてくれたらしい。

 だけど遠征から戻ってきても全く音沙汰がなく、やっと手紙が来たと思ったら「話があるから屋敷へ来い」である。

 もしかして、これは罠だろうか。
 そんな疑いが頭をよぎる。
 薬を認められるまで顔を見せないのが、オスカー様との約束。
 のこのこ出かけて行ったりすれば、「顔を見せたから出ていけ」と言われるかもしれない――

「あたし、行かないわ」

 迷いを断ち切るように、リリアが告げた。

「えっ――」

 アンナが目を丸くする。

「よろしいのですか? 薬を認めてくださるのかもしれないのですよ?」

 薬を認めてくださるかも、と言われて、リリアは首を横に振る。

「それはないわ。薬を認めてくれるなら、こんな書き方はしないもの。ちゃんと『薬の話をしたい』って書くはずよ。封筒だってこんなだし」
「確かにそうですが……」

 納得していない顔のアンナに、リリアはつい本音を口にする。

「あたしね、実は怖いの。オスカー様にお会いして、『そんな顔を見せるな!』って怒鳴られたら、もう二度と立ち直れそうにないもの」
「リリア様……」

 ここに着いた日に、オスカー様から言われた言葉だ。
 あの時は荒れた肌に変な髪だと自覚していたから、言われても仕方がない、と諦めることができた。
 だけど今は大好きなお母様と同じ顔。この顔であの言葉を浴びせられたら、一生引きずりそうだ。

 傷つくくらいなら、会わないほうがいい――。

「だからね、アンナ。オスカー様には、『薬を認めていただくまでは、会えません』って答えてくれる?」
「よろしいのですか?」
「いいの。もともとそういう約束なの。オスカー様は曲がったことがお嫌いだから、『約束を守るため』って言えば、きっと大丈夫よ」

 ここに残ることになった経緯いきさつを、アンナには話していない。
 それでも「約束」と聞いた途端、表情が変わった。ここの使用人になって日の浅い彼女にも、オスカー様の性格は浸透しているのだろう。

「約束ですか……。そういうことなら、確かにこの命令は無効ですね」
「そうなの。だから、行かなくてもいいはずよ」

 自信を持って告げたリリアに、アンナはしばらく思案していたが、やがて力強くうなずいた。

「そうですよ! 話があるなら、オスカー様が来るべきです。リリア様は、もっと大事にされるべき女性です!」

 そこまで言ったつもりはないが、わかってくれたのは嬉しい。

「ありがとう、アンナ。念のため、今日は丸一日お出かけしちゃおうかしら。留守なら、屋敷に行けなくても仕方ないじゃない?」
「ええ、ぜひそうしましょう。追いかけるより追いかけさせるのが、いい女の証です。それでいきましょう」
「うふふ。アンナったら。そんなんじゃないわよ」

 顔を見合わせて、くすりと笑う。
 なんだか二人でいたずらをしている気分だ。
 気心の知れた女同士というのは、やっぱり楽しい。

「それじゃあ、アンナ。カレンも呼んで出かけましょうか」
「私なら、ここに」

 リリアが名前を口にすると、扉が開いて、カレンが顔を出した。
 専属の護衛騎士になった彼女は、この別邸で寝泊まりしている。

「すぐに出ますか?」
「ううん、朝食を食べてからでいいわ。急ぐ必要はないし、せっかくのテッドのお料理だもの、みんなで美味しく頂きましょ」
「「はい、ぜひ!」」

 カレンとアンナの声が重なり、それがおかしくて、三人でくすくすと笑う。

 ――もし、あたしがここを追い出されても、この二人はお友達でいてくれるかしら。

 並んで廊下を歩きながら、そんな考えが浮かんでくる。

 実のところ、オスカー様には認めてもらえないと、リリアは覚悟している。
 彼が結婚したかったのはディアナで、リリアは勘違いで求婚されただけなのだから。
 きっと、二か月後にはここを追い出される。

(その時はすっぱり諦めて出て行こう。そして、この街のどこかに住まわせてもらって、少しずつでもいいからお金を返していこう)

 たとえここを追い出されても、オスカー様を恨む気持ちは、これっぽっちもない。
 いや、むしろ感謝でいっぱいだ。
 彼の勘違いのおかげで、リリアはあの家から抜け出せたし、大好きなお母様とそっくりな自分にもなれたのだ。

(それだけで、もう充分に幸せだもの)

 この恩をどうにかして返したいが、リリアが何をしようと、喜んでもらえない気がする。
 だから、せめて親が騙し取ったお金だけは返したい。
 ハーブ家の十年分の収入なんて想像もつかないけれど、一生懸命に働けば、きっとなんとかなるはず。
 仲の良い人たちに囲まれて、薬を作って暮らしていければそれでいい――。


「あのぉ……リリア様。街歩きのときに、孤児院に寄っても構いませんか? シスターから、この前のご提案について話したいと、言付かっておりまして……」

 テーブルに座ると、アンナがおずおずと口を開いた。
 子供たちのお世話をしているシスターに、ある提案を持ちかけたのだが、そのことだろう。

「いいわよ。あたしも行くつもりだったから」
「すみません。朝からバタバタして、お伝えするのを忘れてました」
「謝らなくても大丈夫よ。本当に行くつもりだったから。今日は時間もあるし、冒険者ギルドのあとは、街でお買い物をしてから、孤児院へ行きましょ」

 答えながら、リリアは心がウキウキしてくる。
 孤児院に行くのは楽しい。
 子供たちは元気いっぱいで、見ていて飽きないし、教えたことを素直に吸収するので、指導のしがいがある。
 薬草の根の処理のしかたや乾燥の方法など、目を輝かせながら聞いてくれるのも嬉しい。

「カレンもいいかしら? 一日仕事になっちゃうけど」
「どうぞお気遣いなく。私はどこへでもお供します」
「なら、決まりね。それじゃあ、朝ごはんをいただきましょ。――テッド、今日もありがとう」
「いえいえ。そうやって喜んでくださるから、リリア様に食事を作るのは楽しいですよ」

 テッドがにっこり微笑んだ。
 ここを出るときには彼も来てくれないかしら――そう思いながら、リリアは朝食のサンドイッチにかぶりついた。


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