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イベント1 刺繍のハンカチ(2)
しおりを挟む刺繍のハンカチのイベントの日――
授業が終わった昼下がり、約束の時間の少し前に中庭にやって来たマーガレットは、周りに誰もいないことを確認してから、自分のハンカチを足元に置いた。
折り畳まれたハンカチの刺繍の面が上になるように、また、遠くからでもよく見えるように、慎重に向きを確認する。
(せっかく頑張ったんだもん、ちゃんと刺繍を見てほしいもんね)
今度は後ろ向きに三歩ほど離れ、ハンカチが草に隠れてしまってないか、しっかりと確かめる。
(うん、緑の草に白いハンカチが映えて、いい感じ! これなら絶対に見落とされないわ)
準備が整い、マーガレットはハンカチを背にして立つと、顔を上げて空を眺める姿勢になった。
頭の上には、澄んだ心のような、きれいに晴れわたった青空が広がっている。
「うふふっ、あとはレオンが王子様を連れてくるのを待つだけだわ……!」
両手で胸を押さえ、小さな声でつぶやく。
朝から心臓がドキドキしっぱなし。
やっと、大好きなランバート王子と話ができる。
そう思うと、嬉しくて、嬉しくて、叫び出したい気分だ。
学園の講義や実習の合間に、話しかける機会があるかどうか、ずっと様子をうかがってきた。
しかし、彼のガードは思っていた以上に堅く、マーガレットを全く寄せ付けなかった。
少しでも視界に入れば、違う方向を向く。
近くに行こうとすれば、気配を察してその場を離れる。
たまにマーガレットと視線が合っても、氷点下五十度はあろうかという冷たい視線で睨みつけてくる。
とても話のできるような雰囲気ではなかった。
その一方で、ヒロインとは気さくに話をしているようだった。
講義は相変わらず隣に座って受けているし、廊下を並んで歩いているところや、優しく笑いかけるところも、何度も目にしている。
ヒロインの名前はクララ。
ゲームの初期設定と同じだ。
彼女のことを考えるとつらい気持ちになるので、顔も名前もなるべく思い浮かべないように、「ヒロイン」と呼ぶことにしている。
つらくなる理由は簡単。
どうせ転生するならヒロインになりたかったから。
前世の知識があってヒロインとして転生できていたなら、今頃は大好きな王子様とラブラブになっていたはず。
悪役令嬢のマーガレットでは、話すらできない。
「ああ、ヤだ、ヤだ。もう考えるのはやめよう……。そろそろ約束の時間だし……」
イヤなものを追い出すように頭をぶんぶんと振ると、再び空を見上げた。
その時だった。
背後から声がしたのは――
「あの……、ハンカチ落としましたよ」
誰かがマーガレットに呼びかけた。
ランバート王子の声ではない――女性の声。
慌てて振り返ったマーガレットの前には、ヒロインが控えめな微笑みを浮かべて立っていた。
「!」
驚きつつその手元に目をやると、なんと、マーガレットのハンカチを持っているではないか。
彼女の顔をキッと睨みつける。
「ちょっと、どうしてあんたがハンカチ拾うのよ!」
このハンカチは、王子様に拾ってもらうためのもの。
よりによって、ヒロインに拾われるなんて。
「……えっ? い、いえ、わたしは……」
「それ、返しなさいよ!」
つい大きな声を上げて、後ずさる彼女の手から、ハンカチを取り戻した。――その瞬間。
「おい! そこで何をしている!」
鋭い声が、中庭に響き渡った。
マーガレットは、突然の大声に身体がビクッと縮み上がり、そして、声のほうにおそるおそる顔を向けた。
「ひぃっ」
意図せずして喉元から悲鳴が漏れる。
それくらい、恐ろしい光景だった。
ランバート王子が、氷点下百度はありそうな冷たい目で、マーガレットを睨みつけていた。
彼の後ろには、困惑顔のレオナルドもいる。
「何をしているのか、と聞いている」
ランバート王子の、静かな、しかし確実に怒気を含んだ声が耳に響く。
前世の乙女ゲームでは一度も聞いたことのない、怒りの声だ。
「……な、なにって、あたしはただ、自分のハンカチを……」
あまりの剣幕に、マーガレットは全身がぎゅっと縮こまり、言葉に詰まってしまう。
それでも、なんとか声を絞り出した。
しかし、その言葉が終わるか終わらないかのうちに、ランバート王子が再び大声を上げた。
「うそをつくな! オレは見た! たった今、お前はクララ嬢からハンカチを奪い取っただろう!」
公爵令嬢として大切に育てられたマーガレットにとって、怒鳴られること自体が初めてのこと。
女子高生だった前世でも、親や先生に頭ごなしに怒鳴りつけられたことなんて、一度もない。
それだけでも心が折れそうなのに、ヒロインのハンカチを奪い取ったのだと誤解されてしまった。
怒鳴られた怖さで、足がぶるぶると震えている。
それでも、勇気を振り絞って無実を主張する。――大好きな人に誤解されたままなのはイヤだ。
「ち、ちがうの……、これは、あたしのハンカチで……。返してもらったの……」
刺繍のイニシャルを見てもらおうと、右手に持ったハンカチをおずおずと差し出す。
マーガレットのイニシャルの二文字が、ちゃんと読める字で刺されている。
しかし、ランバート王子はそれを一瞥すると、冷たく言い放った。
「フンッ、つまりお前はクララ嬢がハンカチを盗んだとでも言いたいのか? 言いがかりもたいがいにしろ!」
吐き捨てるように告げ、そのまま身を翻した。
いつの間にか中庭の隅のほうに移動していたヒロインに向かって歩いていく。
マーガレットの顔など一秒たりとも見ていたくない、そんな声が聞こえてきそうな背中だった。
(お、お願い……、あたしの話を聞いてよ……)
冷たい背中に向かって無言で訴えるが、もちろん、そんな心の声が届くはずもない。
ランバート王子は、後ろを振り返ることなく、ヒロインに話しかけた。
「クララ嬢、嫌な思いをしなかったか」
「は、はい。わたしは大丈夫です」
「そうか、では、向こうの日陰に行こう。ここは暑くて不快だ」
「あっ、ランバート様。汗をかいてますわ。……これをどうぞ」
「ああ、ありがとう。貴女は優しいな……。おっ、このハンカチ、きれいな刺繍だね……」
遠ざかっていくふたりの会話が、風に乗って聞こえてくる。
やがて、その後ろ姿が建物の向こうに消えた――
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