1 / 35
第一話 厳しい現実
しおりを挟む
国境の川を渡ると、がらりと空気が変わった。
道に落ちている石の感触がそのまま背中に伝わる。無骨な馬車の振動は、骨をきしませ、ルシアナは自分を慰めるように、腰をなでた。
(きっと、もう少しがまんすれば目的に着くはず。もう少し、もう少し・・・)
だが、考えすぎて「もう少し」がどのぐらいなのか、自分でもわからなくなってしまった。
窓枠に近づき、指先に力をこめて、外を覗こうと明り取りの窓を開こうとしたが、湿気を含んだ木の扉は固く閉まったままびくともしない。
ルシアナはためいきとともに自分の指先を見つめた。
指先にはいったひびも、手入れの行き届かない爪もすべて今の自分の置かれた立場を物語っている。
自分は、もう尊敬を集める令嬢でも、王妃候補と謳われた国一番のレディでもない。
「負けるもんか」
どこかからその思いが浮かび、それに気が付くとうっすらと涙がにじんだ。
馬車は荷馬車に申し訳程度に屋根がついた粗悪な代物で、とてもレディが乗るようなものではない。
ルシアナは、聖女を害した存在として、2年間修道院でこき使われてきた。皆が敬愛する聖女の敵に回った令嬢の居場所など、この国にはない。だが、静かに贖罪の日々を送り、目立たず息を殺して日々を過ごしてきたことで、今回、王太子の結婚を契機に恩赦が与えられた。
修道院を出てもいいし、どこへなりとも好きに行くように、と。
ただ、すでに実家は取り潰され、行くところはない。何よりも、先立つものがない。
自分を助けてくれるのは、皮肉にも、修道院で身につけた生きるためのすべだった。
掃除も、料理も、薬草を使った治療も、何もかも修道院でときには当たり散らされながら覚えた技術だ。
完璧なマナーも、令嬢としてつちかってきた社交術や人間関係も、今となってはすべてが無駄だった。
辺境を守るガウデン侯爵は聖女の最も熱烈な支持者として知られている。そして、その息子のランドール伯爵は、ルシアナや実家が差し向けた刺客から聖女を守り抜き、無傷で王都まで送り届けた。彼のことを、人は「聖女の盾」と呼んだ。どう考えても、ルシアナとランドール伯は縁がない。むしろ逆だ。
だが、恩赦が与えられたルシアナに与えられた唯一の選択肢は、ランドール伯との結婚だった。そしていま、迎えに来た馬車で辺境に向かっている。
どんどんと愛想のないノックの音が響き、外側から明り取りの窓が開けられた。
護衛騎士が、さきほどルシアナが窓を揺らしたことに気がついたんだろう。
急に光が差し込み、暗い馬車の中にいたルシアナはまぶしさに目を細め、左手で顔の前に影を作った。
「何ですか」
愛想のない騎士がぶっきらぼうに声をかけた。「ランドール伯の代理で迎えに来た」と名乗った騎士は、いつも必要最低限しか話さない。面倒臭そうに眉をしかめ、ルシアナをちらりと見ると、鼻を鳴らした。
「いえ、その・・・あと、どのくらいかしら?もう何日も馬車に乗っているし・・・」
「まだ、たったの4日でしょ。あと3日はかかりますよ。馬車は騎馬よりも移動に時間がかかるんです」
ルシアナの乗っている馬車もどきのせいで時間がかかると言わんばかりの口調に、思わず視線を伏せる。
「・・・ありがとうございます・・・」
小声で答えたが、最後まで言い切らないうちに、明かり取りの窓がピシャリと閉められた。
小さくため息をつき、目を閉じる。
思っていたよりも遥かに辺境は遠い。
隣国との境にあり、王家の配下、というよりは同盟国家の立ち位置にある一族が、なぜルシアナとの見合いに同意したのかわからない。まあ、結婚はないだろう。でも、見合いに行って断られれば、言い訳もできる。
それに・・・
そう自分に言い聞かせ、ガタゴト揺れる馬車の振動に耐えた。
あと3日・・・あと3日・・・長い。
********************
3日後、ようやくガウデン候の居城にたどり着いた。
腰も背中も痛い。
でも、それ以上に誰とも話せない日々が辛かった。無愛想な騎士は、迷惑そうにちらりと見るだけ。
人間らしい会話に飢えていた。
跳ね橋をわたり、子どもたちの笑い声が聞こえてくると、つい話がしたくなり、馬車の天井を叩いた。
「なんですか」
「子どもたちと話してはだめ?」
「だめに決まってるでしょう」
「なぜ」
「だってあなたは・・・」
困った様子の騎士の後ろから誰かが大きな声ではやしたてた。
「悪女だ!」
「聖女様の敵だ!」
「あーくやく!あーくやく!」
声とともに石が投げられ、馬車に当たって鈍い音を立てた。
「こら!無礼者!」
騎士が石が飛んできた方向に向かって怒鳴りつけると、子どもたちが甲高い叫び声を上げて逃げていった。
2年間、修道院で暮らしていたときには、気にいらないとこづかれることも、叩かれることもあった。
だが、見知らぬ人に石を投げられたことはなかった。
「公爵閣下のお客人に石を投げるとは!こどもでも容赦せんぞ!」
陽気に叫びながら逃げていく子どもたちを諫める声が響く。
ルシアナは唇をかみ、そして笑顔を貼り付けた。
「こどもですもの。それに・・・」仕方がないことだから。言葉を飲みこみ首をふる。
「早くお城にうかがいましょう。足止めするようなことをして申し訳なかったわ」
かつて、公爵令嬢だったとき、孤児院に慰問に行くと、子どもたちはルシアナにまとわりつき、離れなかった。
自分が好かれているのだと、慕われているのだと思っていた。単に公爵令嬢、という身分が魅了していただけだったのに。
道に落ちている石の感触がそのまま背中に伝わる。無骨な馬車の振動は、骨をきしませ、ルシアナは自分を慰めるように、腰をなでた。
(きっと、もう少しがまんすれば目的に着くはず。もう少し、もう少し・・・)
だが、考えすぎて「もう少し」がどのぐらいなのか、自分でもわからなくなってしまった。
窓枠に近づき、指先に力をこめて、外を覗こうと明り取りの窓を開こうとしたが、湿気を含んだ木の扉は固く閉まったままびくともしない。
ルシアナはためいきとともに自分の指先を見つめた。
指先にはいったひびも、手入れの行き届かない爪もすべて今の自分の置かれた立場を物語っている。
自分は、もう尊敬を集める令嬢でも、王妃候補と謳われた国一番のレディでもない。
「負けるもんか」
どこかからその思いが浮かび、それに気が付くとうっすらと涙がにじんだ。
馬車は荷馬車に申し訳程度に屋根がついた粗悪な代物で、とてもレディが乗るようなものではない。
ルシアナは、聖女を害した存在として、2年間修道院でこき使われてきた。皆が敬愛する聖女の敵に回った令嬢の居場所など、この国にはない。だが、静かに贖罪の日々を送り、目立たず息を殺して日々を過ごしてきたことで、今回、王太子の結婚を契機に恩赦が与えられた。
修道院を出てもいいし、どこへなりとも好きに行くように、と。
ただ、すでに実家は取り潰され、行くところはない。何よりも、先立つものがない。
自分を助けてくれるのは、皮肉にも、修道院で身につけた生きるためのすべだった。
掃除も、料理も、薬草を使った治療も、何もかも修道院でときには当たり散らされながら覚えた技術だ。
完璧なマナーも、令嬢としてつちかってきた社交術や人間関係も、今となってはすべてが無駄だった。
辺境を守るガウデン侯爵は聖女の最も熱烈な支持者として知られている。そして、その息子のランドール伯爵は、ルシアナや実家が差し向けた刺客から聖女を守り抜き、無傷で王都まで送り届けた。彼のことを、人は「聖女の盾」と呼んだ。どう考えても、ルシアナとランドール伯は縁がない。むしろ逆だ。
だが、恩赦が与えられたルシアナに与えられた唯一の選択肢は、ランドール伯との結婚だった。そしていま、迎えに来た馬車で辺境に向かっている。
どんどんと愛想のないノックの音が響き、外側から明り取りの窓が開けられた。
護衛騎士が、さきほどルシアナが窓を揺らしたことに気がついたんだろう。
急に光が差し込み、暗い馬車の中にいたルシアナはまぶしさに目を細め、左手で顔の前に影を作った。
「何ですか」
愛想のない騎士がぶっきらぼうに声をかけた。「ランドール伯の代理で迎えに来た」と名乗った騎士は、いつも必要最低限しか話さない。面倒臭そうに眉をしかめ、ルシアナをちらりと見ると、鼻を鳴らした。
「いえ、その・・・あと、どのくらいかしら?もう何日も馬車に乗っているし・・・」
「まだ、たったの4日でしょ。あと3日はかかりますよ。馬車は騎馬よりも移動に時間がかかるんです」
ルシアナの乗っている馬車もどきのせいで時間がかかると言わんばかりの口調に、思わず視線を伏せる。
「・・・ありがとうございます・・・」
小声で答えたが、最後まで言い切らないうちに、明かり取りの窓がピシャリと閉められた。
小さくため息をつき、目を閉じる。
思っていたよりも遥かに辺境は遠い。
隣国との境にあり、王家の配下、というよりは同盟国家の立ち位置にある一族が、なぜルシアナとの見合いに同意したのかわからない。まあ、結婚はないだろう。でも、見合いに行って断られれば、言い訳もできる。
それに・・・
そう自分に言い聞かせ、ガタゴト揺れる馬車の振動に耐えた。
あと3日・・・あと3日・・・長い。
********************
3日後、ようやくガウデン候の居城にたどり着いた。
腰も背中も痛い。
でも、それ以上に誰とも話せない日々が辛かった。無愛想な騎士は、迷惑そうにちらりと見るだけ。
人間らしい会話に飢えていた。
跳ね橋をわたり、子どもたちの笑い声が聞こえてくると、つい話がしたくなり、馬車の天井を叩いた。
「なんですか」
「子どもたちと話してはだめ?」
「だめに決まってるでしょう」
「なぜ」
「だってあなたは・・・」
困った様子の騎士の後ろから誰かが大きな声ではやしたてた。
「悪女だ!」
「聖女様の敵だ!」
「あーくやく!あーくやく!」
声とともに石が投げられ、馬車に当たって鈍い音を立てた。
「こら!無礼者!」
騎士が石が飛んできた方向に向かって怒鳴りつけると、子どもたちが甲高い叫び声を上げて逃げていった。
2年間、修道院で暮らしていたときには、気にいらないとこづかれることも、叩かれることもあった。
だが、見知らぬ人に石を投げられたことはなかった。
「公爵閣下のお客人に石を投げるとは!こどもでも容赦せんぞ!」
陽気に叫びながら逃げていく子どもたちを諫める声が響く。
ルシアナは唇をかみ、そして笑顔を貼り付けた。
「こどもですもの。それに・・・」仕方がないことだから。言葉を飲みこみ首をふる。
「早くお城にうかがいましょう。足止めするようなことをして申し訳なかったわ」
かつて、公爵令嬢だったとき、孤児院に慰問に行くと、子どもたちはルシアナにまとわりつき、離れなかった。
自分が好かれているのだと、慕われているのだと思っていた。単に公爵令嬢、という身分が魅了していただけだったのに。
0
お気に入りに追加
68
あなたにおすすめの小説
性悪という理由で婚約破棄された嫌われ者の令嬢~心の綺麗な者しか好かれない精霊と友達になる~
黒塔真実
恋愛
公爵令嬢カリーナは幼い頃から後妻と義妹によって悪者にされ孤独に育ってきた。15歳になり入学した王立学園でも、悪知恵の働く義妹とカリーナの婚約者でありながら義妹に洗脳されている第二王子の働きにより、学園中の嫌われ者になってしまう。しかも再会した初恋の第一王子にまで軽蔑されてしまい、さらに止めの一撃のように第二王子に「性悪」を理由に婚約破棄を宣言されて……!? 恋愛&悪が報いを受ける「ざまぁ」もの!! ※※※主人公は最終的にチート能力に目覚めます※※※アルファポリスオンリー※※※皆様の応援のおかげで第14回恋愛大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございます※※※
すみません、すっきりざまぁ終了したのでいったん完結します→※書籍化予定部分=【本編】を引き下げます。【番外編】追加予定→ルシアン視点追加→最新のディー視点の番外編は書籍化関連のページにて、アンケートに答えると読めます!!
愚者(バカ)は不要ですから、お好きになさって?
海野真珠
恋愛
「ついにアレは捨てられたか」嘲笑を隠さない言葉は、一体誰が発したのか。
「救いようがないな」救う気もないが、と漏れた本音。
「早く消えればよろしいのですわ」コレでやっと解放されるのですもの。
「女神の承認が下りたか」白銀に輝く光が降り注ぐ。
処刑から始まる私の新しい人生~乙女ゲームのアフターストーリー~
キョウキョウ
恋愛
前世の記憶を保持したまま新たな世界に生まれ変わった私は、とあるゲームのシナリオについて思い出していた。
そのゲームの内容と、今の自分が置かれている状況が驚くほどに一致している。そして私は思った。そのままゲームのシナリオと同じような人生を送れば、16年ほどで生涯を終えることになるかもしれない。
そう思った私は、シナリオ通りに進む人生を回避することを目的に必死で生きた。けれど、運命からは逃れられずに身に覚えのない罪を被せられて拘束されてしまう。下された判決は、死刑。
最後の手段として用意していた方法を使って、処刑される日に死を偽装した。それから、私は生まれ育った国に別れを告げて逃げた。新しい人生を送るために。
※カクヨムにも投稿しています。
存在感と取り柄のない私のことを必要ないと思っている人は、母だけではないはずです。でも、兄たちに大事にされているのに気づきませんでした
珠宮さくら
恋愛
伯爵家に生まれた5人兄弟の真ん中に生まれたルクレツィア・オルランディ。彼女は、存在感と取り柄がないことが悩みの女の子だった。
そんなルクレツィアを必要ないと思っているのは母だけで、父と他の兄弟姉妹は全くそんなことを思っていないのを勘違いして、すれ違い続けることになるとは、誰も思いもしなかった。
男爵令息と王子なら、どちらを選ぶ?
mios
恋愛
王家主催の夜会での王太子殿下の婚約破棄は、貴族だけでなく、平民からも注目を集めるものだった。
次期王妃と人気のあった公爵令嬢を差し置き、男爵令嬢がその地位に就くかもしれない。
周りは王太子殿下に次の相手と宣言された男爵令嬢が、本来の婚約者を選ぶか、王太子殿下の愛を受け入れるかに、興味津々だ。
【完結】もしかして悪役令嬢とはわたくしのことでしょうか?
桃田みかん
恋愛
ナルトリア公爵の長女イザベルには五歳のフローラという可愛い妹がいる。
天使のように可愛らしいフローラはちょっぴりわがままな小悪魔でもあった。
そんなフローラが階段から落ちて怪我をしてから、少し性格が変わった。
「お姉様を悪役令嬢になんてさせません!」
イザベルにこう高らかに宣言したフローラに、戸惑うばかり。
フローラは天使なのか小悪魔なのか…
ある王国の王室の物語
朝山みどり
恋愛
平和が続くある王国の一室で婚約者破棄を宣言された少女がいた。カップを持ったまま下を向いて無言の彼女を国王夫妻、侯爵夫妻、王太子、異母妹がじっと見つめた。
顔をあげた彼女はカップを皿に置くと、レモンパイに手を伸ばすと皿に取った。
それから
「承知しました」とだけ言った。
ゆっくりレモンパイを食べるとお茶のおかわりを注ぐように侍女に合図をした。
それからバウンドケーキに手を伸ばした。
カクヨムで公開したものに手を入れたものです。
ヒロインでも悪役でもない…モブ?…でもなかった
callas
恋愛
お互いが転生者のヒロインと悪役令嬢。ヒロインは悪役令嬢をざまぁしようと、悪役令嬢はヒロインを返り討ちにしようとした最終決戦の卒業パーティー。しかし、彼女は全てを持っていった…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる