5月の雨の、その先に

藍音

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第十三話 正餐

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伯爵家では、特別の事情がない限りは、全員が正餐に集まる。
昼間、大広間に集まり、豪華な食事をゆっくりと時間をかけてとるのだ。

村にいたときは、仕事の合間に同じ場所で働いている者たちが集まって、黒パンや野菜を食べていた。わきあいあいとその日の仕事や噂話なども楽しんでいたが、ここでは全く違う。
伯爵家の家族が集まり、給仕のほかに側仕えまでいるにもかかわらず、大広間は、しん、と静まり返っていた。

皿やナイフの擦れる音、誰かの咀嚼音。
料理を切り分ける音。

テーブルの上には、照りのあるカモのローストや牛や豚などをふんだんに使った豪華な料理が並んでいる。
空を飛ぶ鳥や薔薇をかたどった野菜が飾られていたこともある。
スープやケーキ、山盛りのパン。
真っ赤なプラムやいちじくは足のついた豪華な銀器からこぼれ落ち、美しくカッティングされたデキャンタの中で真っ赤にきらめくワインやぽこぽこと泡立つシードルが出番を待っている。
それなのに。

リオがはじめて正餐の給仕の手伝いに入ったとき、最初は伯爵一家の華麗な雰囲気に驚いた。だが、だんだんなれるに従い、どうも居心地の悪い場所だと感じるようになってきた。

当主である伯爵はアウレリオによく似ている。ベルナルド・リカルド様。伯爵家では、跡を継ぐ者が「リカルド」の名を名乗るそうで、兄弟の中ではアウレリオだけがその名を継いでいる。
ウエーブのかかった濃い金髪に碧い瞳の伯爵は、長年辺境を守り抜いている勇士らしく、大きな節くれだった手と筋肉質な体つきをしていた。

いつもその日のメインの肉料理にナイフを入れると、まずは第一夫人に、次に第二夫人の皿の上に切り分けた肉をのせ、その後はその三倍ぐらいの量を自分の皿に載せる。
ゴブレットになみなみと注がれたワインを勢いよく飲みながら、脇目もふらずに肉を食べる。
まるで、戦場の野営地にいると言われても納得するような食べっぷりだった。

第一夫人のソフィアはアウレリオの母親で、子はひとりしかいない。
金髪に青白い肌を持つ貴婦人は、家政を一手に担っているそうで、使用人たちからは尊敬されていた。
だが、頬がゆるんだところを見た人はいない。いつもにこりともせず、首元までひっつめた地味な色のドレスをきて、淡々と食事をとっていた。

それに対して第二夫人のジョゼフィーヌは明るく華やかな雰囲気を持っていた。
ドレスの胸元はぎりぎりまで開き、色っぽい黒い巻き毛が誘うように揺れている。肉感的に輝く唇や付けぼくろ、伯爵に話しかけるときの甘ったるい声。さり気なく伯爵の腕やももに触れるたび、無表情な第一夫人の眉がほんの少し歪められる。

まるで正反対なのに、ふたりはよく似ていた。

「お二人は姉妹なんだよ」

従僕仲間のフリオが耳元にこっそりささやいた。
「アウレリオ様とイサーク様は三月しか産まれ月が違わないんだ」、と。

リオには意味がわからなかったが、どうやらあんまりいい意味ではないらしい。

「誰にも言うなよ」フリオはそう言って小さくめくばせした。


少しずつ慣れてくると、伯爵家の子どもたちのこともだんだん見えてきた。

いばりんぼうのイサーク。
いじわるなマリア。
わがままなカリナ。
いつもおびえているラファエル。

(やっぱり俺の御主人様が一番だな)

兄弟たちを見比べていると、胸の奥から自慢したくなる気持ちがふつふつとわいてきた。
アウレリオは人前では表情を崩さないが、誰よりもかっこよく見える。

壁際でにこにこと満足気に立っていると、第二夫人のジョゼフィーヌの目に留まった。

(ふうん。ずいぶん器量良しの子が入ったのね。伯爵様に釘を刺しておかないと)

姉の婚約者を寝取って第二夫人にまで入り込んだジョゼフィーヌは、最近、伯爵の興味が薄れてきているのを肌で感じていた。
三年間立て続けに子を産むほど寵愛されていたのに、最近の伯爵は閨ごともおざなりで、用がすめばそそくさと自室に引き上げてしまう。本当に自室に帰っているのか疑わしいと思っていたらメイドに子まで産ませてしまった。

(しかも男の子を!)

本当に腹立たしい。美しい男の子だって油断はならない。特に武人にはよくあることだ。
息子のイサークのじゃまになるようなことがあってはならない。
あんな目立つ子がはいったのも、すべてアウレリオのせいだ。



「子どもたちの側仕えに新しい子が入ったと聞きましたが」

ジョゼフィーヌがシードルを口に運びながら、口火を切った。

「勤めていた子どもたちが一斉に体調を崩してしまうなんて、まともじゃありませんわ」そう言うとおもむろに口の端をナプキンで拭いた。「ねえ、そう思いませんこと?アウレリオ様?」

目の前の皿だけを見つめていたアウレリオは、つと視線を上げた。
ジョゼフィーヌとアウレリオの視線が絡み合い、ばちばちと火花が散る。

「ふ・・・む。まあ、そういうこともあるでしょう」
「あら、そう?」

二人の声のトーンに、伯爵の目が面白そうに光った。

「新顔が増えたのか?」

伯爵が声をかけると、「そのとおりで」と侍従長が頭を下げた。
「先日、近隣の村から子どもたちを招集し、見どころのある子どもたちを新たに雇い入れたところです」
「へえ」

伯爵は壁際に立つ少年や少女を見回した。
視線がリオに止まると、アウレリオとジョゼフィーヌが同時にテーブルにナプキンを叩きつけた。

「旦那様!」
「父上!」
「なんだ」
「当然のルールは守っていただきたいものですね」

アウレリオの言い分は、「私の召使に手を出すな」という意味だ。
個人の使用人に手を出すのは、家族の中でもご法度だった。

「なにをそんなにカリカリしているのだ。お前らしくもない」

伯爵はくすくすと笑いながらワインに口をつけた。
伯爵の好みはもっと年上の少年だった。いくらなんでも、息子よりも幼いこどもに手を出す趣味は持ち合わせていない。ジョゼフィーヌにバレないように細心の注意を払っていたが、実は騎士の中に恋人がいる。

「大体、誰のせいで」

ジョセフィーヌが声を荒げると、アウレリオの声が一段低くなった。

「そういえば。先日お贈りした”香辛料”入りの焼き菓子はお気に召しましたか」
「なんですって・・・」ジョゼフィーヌの目がつり上がった。
「いつもいつもお気遣いいただいて・・・毎日のように”香辛料”入りの贈り物をいただいているので、ささやかながらお返しをさせていただきました。粗末な贈り物でお恥ずかしいのですが。せっかくなので兄弟全員に送らせていただいた焼き菓子はお気に召しましたか?」

アウレリオの片頬が歪んだ。

「そういえば、イサークは”香辛料”を食べつけないせいか、一晩寝込んだそうですね。そのせいで、おつきの少年を激しく折檻されたとも聞きました。たかがひ弱な子どものはらいたで使用人を殴りつけるとは」いやはやと首を振ると、ため息を付く。「恵まれた方はうらやましいですね」

「ぶ、ぶ、無礼な・・・」

ジョゼフィーヌの手が震え、フィンガーボウルの水が床にこぼれた。

「続くわけがありませんよ。そんな理不尽では。そういえば、”お人形あそび”が好きな子どももいるそうですね。気に入らないと、つねったり、踏んだり、殴りつけたりと。やはり親譲りですかね?」 

アウレリオが品よくフィンガーボウルに指をつけ、ナプキンで拭った。

「それでは私は失礼いたします。あ、そうそう。最近聞いた話ですが」立ち上がろうとして、もう一度座り直した。
「”香辛料”の中にはただれを引き起こすものもあるようです。まだ婚約も整わない女子が、そんな”香辛料”を口に含むことがないように、くれぐれも注意しないとなりませんね」

「お、お前・・・なんてこと・・・」

アウレリオは目を細めた。

「いいですか?次は、ありませんよ。今度、”贈り物”をいただいてしまっては・・・どれほどのお礼を差し上げたらよろしいのか、私のような愚か者の手には余りますのでね」
「アウレリオ殿!」ジョゼフィーヌの金切り声が響きわたった。
「そうそう、伯爵になるためには、生まれだけでは足りませんよ。剣術だけではなく、頭も必要です」

とんとんとゆびさきで頭を叩き、静かに立ち上がった。
大広間を立ち去るアウレリオの後ろから、伯爵の笑い声とジョゼフィーヌの金切り声が追いかけてきたが、振り返りもしなかった。



**********************

(お礼)

お読みいただきましてありがとうございました。
本日もハートを投げてくださった方、ありがとうございます。
なにかいいこと起こるように願ってます。
まずは、風邪を引きませんように!

また明日おあいしましょう♡
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