5月の雨の、その先に

藍音

文字の大きさ
上 下
6 / 44

第四話 干し草のベッド

しおりを挟む
石がのどに詰まったような気まずい沈黙が流れ、遠くでのんきに鳴く牛の声に赤ん坊の泣き声が混ざった。

「その・・・まだ、奉公にも出せないし・・・たったの一年だけだ。勘弁してやってくれ」

女の顔は真っ赤に染まり、憎々しげにリオをにらみつけた。

「ふん!小綺麗な格好したってだまされないからね!あんたからは汚い匂いがプンプンするよ!」
「パストラ!言い過ぎだ!」
「あんただって同類だよ!思い出すだけで虫唾が走る!」

怒りの矛先は村長にも向いた。
二人はにらみ合い、硬直した空気が流れた。

「一年だけだ」
「母屋のベッドでは寝かさないよ」
「・・・わかった」
「あたしの家族じゃない」
「・・・お前に母親になることは求めない」
「約束は守って」

そう言うと、女はもう一度リオをにらみ、茶色の長いスカートをひるがえして出てきたドアに戻っていった。
村長は肩をすくめ、首を振り、ひとつため息をついた。

「・・・まあ、そういうことだ。こっちに来い」

どういうことなのかわからないが、初めてみたときは山のように大きく見えた村長は、一回り小さくなったように見えた。



案内された先は母屋の脇にある、先程にわとりが逃げ込んでいった家畜小屋だった。
入口の柱の横には小さなドアがあり、小さな歌声が聞こえてくる。赤ん坊の笑い声もかすかに混じっている。

「悪いが、そこじゃない」

村長はドアと反対側に親指を向けたが、そこは薄暗く、大きな動物がひしめいていた。

(うわ、でっかい)

通りを走る馬や畑を耕す牛を見たことはあったが、こんなに近くで見たことはなかった。

「用もなく近づくな。柵から中には絶対に入っちゃいかん。お前みたいな子どもは踏み殺されるぞ」

牛がムウォーと大きな声で鳴き、びくっと肩が跳ね上がった。獣臭い匂いにもぞっとする。
少しでも距離を取るため、こわごわと壁際を進んだ。
どの牛も恐ろしく、馬もまた恐ろしい。
ただ、馬はリオには関心がないらしく、村長をおもねるように見つめ、足元の土を掻いていた。

「今は何も持っていないんだ」

村長はポケットを裏返してみせると、馬は諦めきれないと鼻を擦り寄せてくる。それを軽くかわし、一番奥のはしごをするすると登っていった。

「お前も登れ」



ホコリ臭い空気の中、はしごをのぼると、その奥は意外なほど広々としていた。
先に登った村長は、ひょいひょいと干し草の束を重ね、リオの居場所を作っていた。

「あとでシーツを持ってきてやる。いいな」

リオが村長の言っている意味がわからず、首をかしげると、村長は言いづらそうに口を開いた。

「その、おまえは今夜からここで寝るってことだ。干し草にシーツを乗せれば、ふかふかのベッドと同じだ。いいだろう?」

ようやく言っている意味がわかった。
あの怒っていた女は「母屋のベッドでは寝かせない」と言った。つまり、ここは母屋ではないということなんだ。

いままで一間しかない家しか知らないリオには母屋も家畜小屋も違いがわからなかった。

「馬や牛がいるから、冬も温かいし・・・下の部屋には家畜番の家族が住んでいるから、お前をいれるのは難しいだろう。赤ん坊もいるし・・・だから・・・」
「はい」

リオは平気なふりをして頭を下げた。
本当は、牛や馬が恐ろしかった。だが、ここにおいてくれると言うならそれでいい。
もしかして、寝ている間に牛や馬が上がってきて食われてしまうかもしれないけど・・・
でも、今目の前の男の機嫌を損ねて殴られるよりはマシだろう。

「ありがとうございます。村長様」

習ったばかりの言葉を使い、深々と頭を下げると、村長は困ったような顔になった。

「いや・・・その・・・悪いな?今のところはここで勘弁してくれ」
「・・・・」

これ以上言う言葉もなくなり、黙り込んでしまったリオに、気まずくなったのか、村長は慌てて立ち上がった。

「また、後でな」



ひとりになると、急に牛や馬の蹄の音や鳴き声が聞こえてきた。
だが、牛や馬がはしごをはしごを登ってくる気配はない。

(ここにいれば安全なのかもしれない)

大きく伸びをして干し草の山に身をあずけると、ふわりと全身を包みこまれ、干し草のいい香りがした。

(ここで寝ていいんだ・・・こんないいところで・・・)

干し草に潜り込むと、暖かく、ホッとした。

(村長様って、すごい人なんだな。俺にこんないいねどこをくださるなんて・・・明日からたくさん働いて追い出されないようにしないと・・・メイに教わったように清潔にして。臭いって言われないように・・・)

緊張がとけたのか、眠りの底に引きずり込まれていった。


********************


半年が過ぎた。

リオの朝は早い。
一番鶏の鳴き声とともに跳ね起きると、井戸に走り、素早く顔を洗い、次に台所の水瓶をいっぱいにする。
家畜小屋に駆け戻って卵を集め、台所に届けたあと、また家畜小屋に戻り乳搾りを手伝う。
最初は怖くて近づけなかったが、今ではすっかり慣れてしまった。
牛の鳴き声も、リオに甘えているのか怒っているのかもわかるようになった。

家長の子どもを、いくら私生児とはいえ家畜小屋で寝かしていることについて、ヒソヒソと話すものはいたが、当の本人は幸せだった。

ここでは、無体に殴られることはない。
朝と夕方に食事がもらえ、干し草のベッドは快適だった。

何よりも、リオは「まともな人間」の生活がどういうものなのか、知ることができた。
毎日朝からずっと飲んだくれている人間はいない。
雨だから、酒瓶が空だから、と殴りつける人間もいない。
挨拶をする。
頑張ればほめてもらえることもある。

たまには殴られたり小突かれたりすることもあるが、今までの生活とは大違いだった。

三月みつきもすると、枝のようだった腕に少しずつ肉がついてきた。
男たちや女たちの冗談に少しずつ反応するようになり、心の奥で何かが芽吹き始めた。

引き取られてしばらくしてから、村長を怒鳴りつけていた女は村長の妻で、この家の奥様だと知ったが、リオを母屋で寝かさないことで溜飲を下げたのか、冷ややかな態度のまま存在を無視することに決めたようだった。

「リオ!今日は床磨きをしてちょうだい」

手伝いの女が声をかけ、リオは「はい」と元気に返事をする。

(このままここに置いてもらえたらいいのに・・・)

ただ、そうはいかないこともわかっていた。7歳になったら遠くの街のどこかに奉公に出されることは、最初からの約束だったからだ。
自分の人生で自分で選べることなどないんだろうな、とぼんやりと感じながら女の手伝いをするために母屋に向かった。

***********************

その日の夕方、夕焼けが真っ赤に空を染めた時刻に、黒い馬に乗った男たちの集団が、突然村長の屋敷の中庭に現れた。

「東の村の村長はここに参れ」

家畜小屋にいる馬たちよりも一回り大きな、猛々しい馬の馬具がガシャガシャと音を立てながら、夕日を受けて輝いている。
男も女も遠巻きにその姿をこわごわと見つめるばかり。
その中を転がるように村長が駆け出してきた。
いつも男たちを取りまとめる堂々とした姿はなく、小さく背中を丸めて地面に額をすりつけた。

銀色に輝く軍装の大男が大声を出した。

「お前たちの領主様よりありがたいお達しである。8歳から10歳の男子をお城に奉公に出すように。刻限は1週間後。わかったな」







************************
(ここからはお礼です)
本日もお読みいただきまして、ありがとうございました。
ハート♡もありがとうございます。
とてもうれしいです。
いよいよリオの運命が動き出します(ゆっくりですけど)
相手役がでてくるまでもう少しです!

しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜

飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。 でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。 しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。 秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。 美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。 秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

市川先生の大人の補習授業

夢咲まゆ
BL
笹野夏樹は運動全般が大嫌い。ついでに、体育教師の市川慶喜のことも嫌いだった。 ある日、体育の成績がふるわないからと、市川に放課後の補習に出るよう言われてしまう。 「苦手なことから逃げるな」と挑発された夏樹は、嫌いな教師のマンツーマンレッスンを受ける羽目になるのだが……。 ◎美麗表紙イラスト:ずーちゃ(@zuchaBC) ※「*」がついている回は性描写が含まれております。

「今夜は、ずっと繋がっていたい」というから頷いた結果。

猫宮乾
BL
 異世界転移(転生)したワタルが現地の魔術師ユーグと恋人になって、致しているお話です。9割性描写です。※自サイトからの転載です。サイトにこの二人が付き合うまでが置いてありますが、こちら単独でご覧頂けます。

イケメンの後輩にめちゃめちゃお願いされて、一回だけやってしまったら、大変なことになってしまった話

ゆなな
BL
タイトルどおり熱烈に年下に口説かれるお話。Twitterに載せていたものに加筆しました。Twitter→@yuna_org

愛され末っ子

西条ネア
BL
本サイトでの感想欄は感想のみでお願いします。全ての感想に返答します。 リクエストはTwitter(@NeaSaijou)にて受付中です。また、小説のストーリーに関するアンケートもTwitterにて行います。 (お知らせは本編で行います。) ******** 上園琉架(うえぞの るか)四男 理斗の双子の弟 虚弱 前髪は後々左に流し始めます。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い赤みたいなのアースアイ 後々髪の毛を肩口くらいまで伸ばしてゆるく結びます。アレルギー多め。その他の設定は各話で出てきます! 上園理斗(うえぞの りと)三男 琉架の双子の兄 琉架が心配 琉架第一&大好き 前髪は後々右に流します。髪の毛の色はご想像にお任せします。深い緑みたいなアースアイ 髪型はずっと短いままです。 琉架の元気もお母さんのお腹の中で取っちゃった、、、 上園静矢 (うえぞの せいや)長男 普通にサラッとイケメン。なんでもできちゃうマン。でも弟(特に琉架)絡むと残念。弟達溺愛。深い青色の瞳。髪の毛の色はご想像にお任せします。 上園竜葵(うえぞの りゅうき)次男 ツンデレみたいな、考えと行動が一致しないマン。でも弟達大好きで奮闘して玉砕する。弟達傷つけられたら、、、 深い青色の瞳。兄貴(静矢)と一個差 ケンカ強い でも勉強できる。料理は壊滅的 上園理玖斗(うえぞの りくと)父 息子達大好き 藍羅(あいら・妻)も愛してる 家族傷つけるやつ許さんマジ 琉架の身体が弱すぎて心配 深い緑の瞳。普通にイケメン 上園藍羅(うえぞの あいら) 母 子供達、夫大好き 母は強し、の具現化版 美人さん 息子達(特に琉架)傷つけるやつ許さんマジ。 てか普通に上園家の皆さんは顔面偏差値馬鹿高いです。 (特に琉架)の部分は家族の中で順列ができているわけではなく、特に琉架になる場面が多いという意味です。 琉架の従者 遼(はる)琉架の10歳上 理斗の従者 蘭(らん)理斗の10歳上 その他の従者は後々出します。 虚弱体質な末っ子・琉架が家族からの寵愛、溺愛を受ける物語です。 前半、BL要素少なめです。 この作品は作者の前作と違い毎日更新(予定)です。 できないな、と悟ったらこの文は消します。 ※琉架はある一定の時期から体の成長(精神も若干)がなくなる設定です。詳しくはその時に補足します。 皆様にとって最高の作品になりますように。 ※作者の近況状況欄は要チェックです! 西条ネア

コネクト

大波小波
BL
 オメガの少年・加古 青葉(かこ あおば)は、安藤 智貴(あんどう ともたか)に仕える家事使用人だ。  18歳の誕生日に、青葉は智貴と結ばれることを楽しみにしていた。  だがその当日に、青葉は智貴の客人であるアルファ男性・七浦 芳樹(ななうら よしき)に多額の融資と引き換えに連れ去られてしまう。  一時は芳樹を恨んだ青葉だが、彼の明るく優しい人柄に、ほだされて行く……。

転生悪役令息、雌落ち回避で溺愛地獄!?義兄がラスボスです!

めがねあざらし
BL
人気BLゲーム『ノエル』の悪役令息リアムに転生した俺。 ゲームの中では「雌落ちエンド」しか用意されていない絶望的な未来が待っている。 兄の過剰な溺愛をかわしながらフラグを回避しようと奮闘する俺だが、いつしか兄の目に奇妙な影が──。 義兄の溺愛が執着へと変わり、ついには「ラスボス化」!? このままじゃゲームオーバー確定!?俺は義兄を救い、ハッピーエンドを迎えられるのか……。 ※タイトル変更(2024/11/27)

【BL】国民的アイドルグループ内でBLなんて勘弁してください。

白猫
BL
国民的アイドルグループ【kasis】のメンバーである、片桐悠真(18)は悩んでいた。 最近どうも自分がおかしい。まさに悪い夢のようだ。ノーマルだったはずのこの自分が。 (同じグループにいる王子様系アイドルに恋をしてしまったかもしれないなんて……!) (勘違いだよな? そうに決まってる!) 気のせいであることを確認しようとすればするほどドツボにハマっていき……。

処理中です...