170 / 279
第四幕〜終わりの始まり〜
169 【リュカ】ジュスタンの弟
しおりを挟む
自業自得だ。
いまさら兄さんを愛しているなどと、どの面下げて言える?
正直、あそこまで兄さんが怒るとは思わなかった。
イネスの裏切りを知れば、少し怒り、数時間たてば「縁がなかったな」と笑って婚約を解消すると思っていた。
そうなると信じ込んでいた。
いや、そう思いたかった。
悲しませる気はなかった。
ただ、未来の不幸を避けたかった。それだけなのに・・・
すべて都合のいい言い訳だ。
どこかで冷静な自分が冷たく告げる。
「お前は兄さんとイネスの仲を知っていただろう?」
「兄さんに目がいかないように、イネスの気持ちを奪ってやろうと思っただろう?」
「イネスと寝ただろう?」
自分にとってはそれほどの重要な出来事だとは思っていなかった。
女と寝ることは大したことじゃない。兄さんとあいつの結婚を阻止するためには、処女でなくなってもらう必要があっただけ。
まさか妊娠したなんて・・・
「ぼっちゃま、到着いたしました」
はっと気がつくと、公爵家の馬車に揺られ、寮に到着したところだった。
寮の部屋のドアを力なく開けると、イヴァンが驚いたように振り返った。
「リュカ?もう帰ってきて大丈夫なのか?ご実家は・・・」
「ああ、ありがとう。心配をかけたな。俺がいなくても公爵家はまわってるから」
俺がぼそっと言うと、「まあそれはそうか」と納得したような声が返ってきた。
「あのさ、あの子、来たぞ?」
「あの子?」
「黒髪のかわいい子」
ピンときた。
「ミラ?」
すっかり忘れていた。兄さんがいない間、オレの心に入り込んだ唯一の存在。
俺のミラ。いや、もう俺のミラじゃない。
俺の動揺に気づかず、イヴァンは陽気にしゃべりつづけている。
「なんか不思議な魅力がある子だな。もしかして付き合ってるとか?」
「ちがう・・・そう・・・ちがう・・・」
「どっちだよ」
「あの子は・・・ちがう。そんな風に扱っていい子じゃないんだ」
ミラ。かわいいミラ。たいせつなミラ。
大切だからこそ、別れを告げないと。
恋人になってくれってミラに伝えた日はもう大昔に思える。
あの時の気持には嘘はなかった。
でも、兄さんが帰ってきたらもうだめだ。
一瞬で引き戻される。
ミラが泣いても、すべてを失っても、俺は兄さんの姿を一目見たら、どこであろうと裸足で駆け寄るだろう。
それに・・・
「あの子、心配してたぞ?公爵閣下が亡くなっても身分違いで弔問に行けないからって」
「・・・そうか」
きっとミラにもおじさんにも心配をかけたにちがいない。
「後で行ってくるよ」
とんとん。
俺の声とノックの音が重なった。
「リュカ様?」舎監が顔を出した。
「家庭教師のジュスタンさんのご家族という方がお見えになっていますが」
「ジュスタンの家族が?」
********************************************
階下に降りていくと、みすぼらしい身なりの青年がソワソワと辺りを見回しながら俺を待っていた。
彼のズボンにはツギが当てられている。平民であれば当たり前だが、この貴族の師弟が集う学び舎では随分とカネに困っているように見えてしまう。
「こ、こんにちは」
気の良さそうな青年は、手に持った帽子を固く握りしめ、引きつった笑みを浮かべた。その顔を見たら冷たくあしらうことなどできそうにない。
「俺は、いや、ぼくはその・・・ランベール公爵家でお世話になっているジュスタンの弟です。兄がしばらく家に戻っていないので、こちらに伺えばなにかわかるかなと思いまして・・・」
「戻っていない?」
「はい」
ジュスタンと最後に会ったのは、兄の帰還の日だった。かれこれ一月ほどになるのか・・・閣下が亡くなったり、葬式があったりと次から次に何かが起こり、すっかりジュスタンのことは忘れていた。むしろ思い出したくもなかった。
「そういえばずっと会ってないな」
「いつからですか?」
青年は勢い込んで質問した。
「あれは・・・王太子殿下の帰還の日、戦勝パレードの日だった。あなたは王太子殿下を見に行ったの?」
俺が微笑むと、青年は少年のように照れくさそうに笑い、「もちろん」と答えた。
「弟のことで報告があると訪ねてきたが、少しいて帰った・・・それだけしか役に立てそうにない」
「・・・」
青年は黙って俺の顔を見ていたが、慎重に口を開いた。
「兄は・・・その、兄は変人ですが・・・母のことは愛していて、心配していたんです。いま病気なんで。それで、その、兄はあなたになにかしませんでしたか?」
「え?」胸がどきんといやな音を立てた。
「兄さんは少し特殊は趣味をもっていまして、特にあなたのように美しい少年には目がないんです。ご存知でしたか?」
ほんの僅かな、一秒にも満たない俺の迷いを青年は敏感に感じとった。
「やはり・・・なにかご迷惑をおかけしませんでしたか?」
「いや・・・その・・・そんなことはなかった。もう、帰ってくれないか。これ以上話すことはないから」
誰が聞いてもあやしい答えに青年が納得したわけがない。
だが、これ以上は無理だとおもったのか、青年は無言で頭を下げ、帰っていった。
あの、見ず知らずの青年にも俺とジュスタンの情事は知られていた?
イネスの妊娠、兄の怒り、そしてジュスタンの弟に情事がばれたこと・・・俺は思わず胸を押さえた。足元が揺れているような気がする。
「大丈夫か?」
イヴァンの声がやけに遠くにきこえたが、もう立っていられそうになかった。
いまさら兄さんを愛しているなどと、どの面下げて言える?
正直、あそこまで兄さんが怒るとは思わなかった。
イネスの裏切りを知れば、少し怒り、数時間たてば「縁がなかったな」と笑って婚約を解消すると思っていた。
そうなると信じ込んでいた。
いや、そう思いたかった。
悲しませる気はなかった。
ただ、未来の不幸を避けたかった。それだけなのに・・・
すべて都合のいい言い訳だ。
どこかで冷静な自分が冷たく告げる。
「お前は兄さんとイネスの仲を知っていただろう?」
「兄さんに目がいかないように、イネスの気持ちを奪ってやろうと思っただろう?」
「イネスと寝ただろう?」
自分にとってはそれほどの重要な出来事だとは思っていなかった。
女と寝ることは大したことじゃない。兄さんとあいつの結婚を阻止するためには、処女でなくなってもらう必要があっただけ。
まさか妊娠したなんて・・・
「ぼっちゃま、到着いたしました」
はっと気がつくと、公爵家の馬車に揺られ、寮に到着したところだった。
寮の部屋のドアを力なく開けると、イヴァンが驚いたように振り返った。
「リュカ?もう帰ってきて大丈夫なのか?ご実家は・・・」
「ああ、ありがとう。心配をかけたな。俺がいなくても公爵家はまわってるから」
俺がぼそっと言うと、「まあそれはそうか」と納得したような声が返ってきた。
「あのさ、あの子、来たぞ?」
「あの子?」
「黒髪のかわいい子」
ピンときた。
「ミラ?」
すっかり忘れていた。兄さんがいない間、オレの心に入り込んだ唯一の存在。
俺のミラ。いや、もう俺のミラじゃない。
俺の動揺に気づかず、イヴァンは陽気にしゃべりつづけている。
「なんか不思議な魅力がある子だな。もしかして付き合ってるとか?」
「ちがう・・・そう・・・ちがう・・・」
「どっちだよ」
「あの子は・・・ちがう。そんな風に扱っていい子じゃないんだ」
ミラ。かわいいミラ。たいせつなミラ。
大切だからこそ、別れを告げないと。
恋人になってくれってミラに伝えた日はもう大昔に思える。
あの時の気持には嘘はなかった。
でも、兄さんが帰ってきたらもうだめだ。
一瞬で引き戻される。
ミラが泣いても、すべてを失っても、俺は兄さんの姿を一目見たら、どこであろうと裸足で駆け寄るだろう。
それに・・・
「あの子、心配してたぞ?公爵閣下が亡くなっても身分違いで弔問に行けないからって」
「・・・そうか」
きっとミラにもおじさんにも心配をかけたにちがいない。
「後で行ってくるよ」
とんとん。
俺の声とノックの音が重なった。
「リュカ様?」舎監が顔を出した。
「家庭教師のジュスタンさんのご家族という方がお見えになっていますが」
「ジュスタンの家族が?」
********************************************
階下に降りていくと、みすぼらしい身なりの青年がソワソワと辺りを見回しながら俺を待っていた。
彼のズボンにはツギが当てられている。平民であれば当たり前だが、この貴族の師弟が集う学び舎では随分とカネに困っているように見えてしまう。
「こ、こんにちは」
気の良さそうな青年は、手に持った帽子を固く握りしめ、引きつった笑みを浮かべた。その顔を見たら冷たくあしらうことなどできそうにない。
「俺は、いや、ぼくはその・・・ランベール公爵家でお世話になっているジュスタンの弟です。兄がしばらく家に戻っていないので、こちらに伺えばなにかわかるかなと思いまして・・・」
「戻っていない?」
「はい」
ジュスタンと最後に会ったのは、兄の帰還の日だった。かれこれ一月ほどになるのか・・・閣下が亡くなったり、葬式があったりと次から次に何かが起こり、すっかりジュスタンのことは忘れていた。むしろ思い出したくもなかった。
「そういえばずっと会ってないな」
「いつからですか?」
青年は勢い込んで質問した。
「あれは・・・王太子殿下の帰還の日、戦勝パレードの日だった。あなたは王太子殿下を見に行ったの?」
俺が微笑むと、青年は少年のように照れくさそうに笑い、「もちろん」と答えた。
「弟のことで報告があると訪ねてきたが、少しいて帰った・・・それだけしか役に立てそうにない」
「・・・」
青年は黙って俺の顔を見ていたが、慎重に口を開いた。
「兄は・・・その、兄は変人ですが・・・母のことは愛していて、心配していたんです。いま病気なんで。それで、その、兄はあなたになにかしませんでしたか?」
「え?」胸がどきんといやな音を立てた。
「兄さんは少し特殊は趣味をもっていまして、特にあなたのように美しい少年には目がないんです。ご存知でしたか?」
ほんの僅かな、一秒にも満たない俺の迷いを青年は敏感に感じとった。
「やはり・・・なにかご迷惑をおかけしませんでしたか?」
「いや・・・その・・・そんなことはなかった。もう、帰ってくれないか。これ以上話すことはないから」
誰が聞いてもあやしい答えに青年が納得したわけがない。
だが、これ以上は無理だとおもったのか、青年は無言で頭を下げ、帰っていった。
あの、見ず知らずの青年にも俺とジュスタンの情事は知られていた?
イネスの妊娠、兄の怒り、そしてジュスタンの弟に情事がばれたこと・・・俺は思わず胸を押さえた。足元が揺れているような気がする。
「大丈夫か?」
イヴァンの声がやけに遠くにきこえたが、もう立っていられそうになかった。
0
お気に入りに追加
223
あなたにおすすめの小説
獣の幸福
嘉野六鴉
BL
異能を持つ一族に生まれた欠陥品の青年・キオは、王族の中でも立場の弱い第五王子・フレンの護衛として、この一年間仕えている。
今では互いを深く信頼し合っている主従の穏やかな毎日は、平和そのものだった。
自分を必要としてくれる少年に依存しかけていることを自覚しながらも、この日々がいつまでも続くことをキオは密かに願っていたが、ある日を境にフレンの様子が変わってしまう。
どうやら、キオが一族の当主にして自らの異母兄であるジルヴェストと、定期的に肉体関係を持っていることを感づかれてしまったらしく――。
愛されたい気持ちの強い不憫系な青年主人公(美人だが多少口が悪い)を巡る、鬼才年下王子(最初はワンコ系)と最強異母兄(無愛想クール)の国を巻き込んだ執着愛ファンタジーの予定です。
※R18はサブタイトルに*マーク有(残酷描写は予告なし)
※シリアス寄り、(異母)兄×弟、3P(予定では終盤)にご注意
※ムーンライトノベルズ様でも掲載中です
運命の選択が見えるのですが、どちらを選べば幸せになれますか? ~私の人生はバッドエンド率99.99%らしいです~
日之影ソラ
恋愛
第六王女として生を受けたアイリスには運命の選択肢が見える。選んだ選択肢で未来が大きく変わり、最悪の場合は死へ繋がってしまうのだが……彼女は何度も選択を間違え、死んではやり直してを繰り返していた。
女神様曰く、彼女の先祖が大罪を犯したせいで末代まで呪われてしまっているらしい。その呪いによって彼女の未来は、99.99%がバッドエンドに設定されていた。
婚約破棄、暗殺、病気、仲たがい。
あらゆる不幸が彼女を襲う。
果たしてアイリスは幸福な未来にたどり着けるのか?
選択肢を見る力を駆使して運命を切り開け!
転生したらいろんな意味で兄に可愛がられています~ヴァルハラで死合いましょう~
夢咲まゆ
BL
ヴァルハラに集められたオーディンの眷属ーーエインヘリヤル。不老不死の彼らは、「死合い」という命懸けの戦闘を行い、自らの能力を高め合っていた。
新人戦士・アクセルは、憧れの兄・フレインに追いつくべく、必死に戦士ランキングを上げていく。
何度死んでも変わらない兄への恋慕。もっと自分を見て欲しい。いつか本気で「死合い」たい。
アクセルの想いは、果たしてフレインに届くのか……?
◎美麗表紙イラスト:ずーちゃ(@zuchaBC)
※北欧神話のヴァルハラを舞台にしています。
※戦闘シーンの練習のために始めたので、流血が多めです。苦手な人はご注意!(流血シーンには※をつけてあります)
※あくまで創作なので、ガチの「北欧神話」ではありません。設定を都合よく解釈してる部分も多々あり。
※細かいことは抜きに、純粋に創作として楽しんでくだされば幸いです。
※こちらに転載するに際して、タイトルを少し変えました。
BLゲームのメンヘラオメガ令息に転生したら腹黒ドS王子に激重感情を向けられています
松原硝子
BL
小学校の給食調理員として働くアラサーの独身男、吉田有司。考案したメニューはどんな子どもの好き嫌いもなくしてしまうと評判の敏腕調理員だった。そんな彼の趣味は18禁BLのゲーム実況をすること。だがある日ユーツーブのチャンネルが垢バンされてしまい、泥酔した挙げ句に歩道橋から落下してしまう。
目が覚めた有司は死ぬ前に最後にクリアしたオメガバースの18禁BLゲーム『アルティメットラバー』の世界だという事に気がつく。
しかも、有司はゲームきっての悪役、攻略対象では一番人気の美形アルファ、ジェラルド王子の婚約者であるメンヘラオメガのユージン・ジェニングスに転生していた。
気に入らないことがあると自殺未遂を繰り返す彼は、ジェラルドにも嫌われている上に、ゲームのラストで主人公に壮絶な嫌がらせをしていたことがばれ、婚約破棄された上に島流しにされてしまうのだ。
だが転生時の年齢は14歳。断罪されるのは23歳のはず。せっかく大富豪の次男に転生したのに、断罪されるなんて絶対に嫌だ! 今度こそ好きに生ききりたい!
用意周到に婚約破棄の準備を進めるユージン。ジェラルド王子も婚約破棄に乗り気で、二人は着々と来るべき日に向けて準備を進めているはずだった。
だが、ジェラルド王子は突然、婚約破棄はしないでこのまま結婚すると言い出す。
王弟の息子であるウォルターや義弟のエドワードを巻き込んで、ユージンの人生を賭けた運命のとの戦いが始まる――!?
腹黒、執着強め美形王子(銀髪25歳)×前世は敏腕給食調理員だった恋愛至上主義のメンヘラ悪役令息(金髪23歳)のBL(の予定)です。
本物の恋、見つけましたⅡ ~今の私は地味だけど素敵な彼に夢中です~
日之影ソラ
恋愛
本物の恋を見つけたエミリアは、ゆっくり時間をかけユートと心を通わていく。
そうして念願が叶い、ユートと相思相愛になることが出来た。
ユートからプロポーズされ浮かれるエミリアだったが、二人にはまだまだ超えなくてはならない壁がたくさんある。
身分の違い、生きてきた環境の違い、価値観の違い。
様々な違いを抱えながら、一歩ずつ幸せに向かって前進していく。
何があっても関係ありません!
私とユートの恋は本物だってことを証明してみせます!
『本物の恋、見つけました』の続編です。
二章から読んでも楽しめるようになっています。
異世界ゆるり紀行 ~子育てしながら冒険者します~
水無月 静琉
ファンタジー
神様のミスによって命を落とし、転生した茅野巧。様々なスキルを授かり異世界に送られると、そこは魔物が蠢く危険な森の中だった。タクミはその森で双子と思しき幼い男女の子供を発見し、アレン、エレナと名づけて保護する。格闘術で魔物を楽々倒す二人に驚きながらも、街に辿り着いたタクミは生計を立てるために冒険者ギルドに登録。アレンとエレナの成長を見守りながらの、のんびり冒険者生活がスタート!
***この度アルファポリス様から書籍化しました! 詳しくは近況ボードにて!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる