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第三幕〜空白の5年間 リュカ〜
116 間奏曲 ピアノの音色
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ぽつぽつと雨だれのようなピアノの音が聞こえてくる。
頭を上げると、目に映る景色は、全てが極彩色に輝いていた。まるで、子供の頃のように。
ああ、これは夢か。
一体いつのことだろう。
俺は、板敷きの小さな部屋で、膝を抱えてうつむいている。
板敷きとはいえ、寄せ木細工で作られた豪華な床はただの家ではない。
目の前には、音楽室で使われる装飾品や、日頃は片付けられている種々の楽器類が置かれていた。
笛とか、太鼓とか、何に使うのかわからない。芸人が来たときに貸してやるんだろうか。まさかね。
段々と意識がはっきりしてきた。
そうだ、これはたぶん、幼いとき。
公爵家に引き取られて間もない頃だ。
俺がピアノをうまく弾けないことに癇癪を起こした教師が、心を入れ替えるまで出てくるなと怒鳴って、ピアノ室の隣りにある小さな控室兼物置に押し込められたことがあった。
目の前に見える楽器類は、音楽室を美しく維持するために、ごちゃごちゃと控室に入れられたままになっている。
ピアノの音に誘われるように控室の扉をそっと開けると、誰かが鍵盤をぽろんぽろんと叩いていた。
どうやら、下手くそらしい。
やる気があるのかないのかわからないが、熱心に練習しているとはとても思えなかった。
静かに近づいていくと、鍵盤を弾いていた誰かがはっとしたように顔を上げた。
「リュカ」
「兄上」
まさか、あのやる気のないピアノを引いていたのが完璧な兄上だなんて思いもしなかった。
「リュカ・・・いたのか。はは、格好悪いところを見られてしまったな」
「え、あの・・・ごめんなさい。ぼく、先生に怒られて・・・控室で眠ってしまったみたいです」
「リュカを控室に閉じ込めたのか。なんてやつだ。おいで」
兄は招くように自分の膝を叩いた。
俺は遠慮がちに兄の膝に座った。
「こんなにちいさなリュカを閉じ込めるなんて許せないな。私がやっつけてやろう」
「やっつける?でも、叩いちゃだめだよ」
「ははは」
兄は俺の頭をなでた。
「リュカは気が優しいんだな。大丈夫叩いたりしないよ。だが、泣いただろう?」
兄はおれの頬を伝う涙の痕を指でそっとなでた。
「かわいそうに」
兄の唇が俺の頬にそっとふれそうになり、かすめることすらなく、離れた。
キスしてくれるのかと思ったのに。
「母ちゃんは、いつも俺が泣くと、頭をなでながらほっぺにキスしてくれたんだけど」
兄がビクリと体を反らせた。
「にいちゃんは母ちゃんとは違うもんね。しかたないんだよね。おれ、わきまえないと・・・」
「リュカ」
兄は俺の体を包むようにギュッと抱きしめた。
「リュカは私の大切な弟だよ。わきまえる必要などない。そんな教えは窓から捨ててしまえ」
俺が窓を見ると、兄は大きくうなずいた。
「ポイッと?」
「そう」
思わず、笑ってしまう。完璧な兄上がそんなことを言うなんて思いもしなかった。
「えへへ。兄ちゃん大好き」
「私もだよ。かわいいリュカ。一緒にピアノを練習しようか」
「うん!」
俺は兄の膝の上でピアノに向かった。
「今何を習ってるんだ?」
「練習曲の15番」
「そうか。弾いてみろ」
俺がたどたどしく鍵盤を弾くと兄が、左手を添えた。
「右手だけで弾いてみなさい。私が左手を演奏するよ」
兄が左手のパートを受け持ってくれると、嘘のように上手に右手を弾くことができた。
部屋の中に、木漏れ日と涼やかな風があふれ、俺たちを包むようにぐるりと一周し、窓から踊るように天に上っていく。
「わあ」
「できるじゃないか。自信を持って」
互いにほほえみあうと、目の前がキラキラと輝いた。
兄ちゃんは素敵なものがたくさんつまってできているんだな。
兄に抱きしめられているようなこの感触をずっと感じていたい。俺はそっと背中を兄の胸にあて、頭を兄の首と肩の下に入るように押し付けた。
「本当はね。私もピアノは苦手なんだ」
「うん、なんとなくさっきの様子でわかった」
「ははは。まあ、貴族のたしなみだから仕方なく多少は練習するが・・・打楽器は苦手なんだよ」
「兄ちゃん、何も知らないんだな。ピアノは打楽器じゃないぞ」
「そうか。リュカはものしりなんだな」
「へへへ。中にいっぱい鉄の紐みたいなもんがあるんだ。俺、知ってるもん」
「こんなにかわいくて利口な子が弟だなんて、夢みたいだね」
兄はそう言うと、俺の体をギュッと強く抱きしめた。
まるで愛しくてたまらない、というように。
頭を上げると、目に映る景色は、全てが極彩色に輝いていた。まるで、子供の頃のように。
ああ、これは夢か。
一体いつのことだろう。
俺は、板敷きの小さな部屋で、膝を抱えてうつむいている。
板敷きとはいえ、寄せ木細工で作られた豪華な床はただの家ではない。
目の前には、音楽室で使われる装飾品や、日頃は片付けられている種々の楽器類が置かれていた。
笛とか、太鼓とか、何に使うのかわからない。芸人が来たときに貸してやるんだろうか。まさかね。
段々と意識がはっきりしてきた。
そうだ、これはたぶん、幼いとき。
公爵家に引き取られて間もない頃だ。
俺がピアノをうまく弾けないことに癇癪を起こした教師が、心を入れ替えるまで出てくるなと怒鳴って、ピアノ室の隣りにある小さな控室兼物置に押し込められたことがあった。
目の前に見える楽器類は、音楽室を美しく維持するために、ごちゃごちゃと控室に入れられたままになっている。
ピアノの音に誘われるように控室の扉をそっと開けると、誰かが鍵盤をぽろんぽろんと叩いていた。
どうやら、下手くそらしい。
やる気があるのかないのかわからないが、熱心に練習しているとはとても思えなかった。
静かに近づいていくと、鍵盤を弾いていた誰かがはっとしたように顔を上げた。
「リュカ」
「兄上」
まさか、あのやる気のないピアノを引いていたのが完璧な兄上だなんて思いもしなかった。
「リュカ・・・いたのか。はは、格好悪いところを見られてしまったな」
「え、あの・・・ごめんなさい。ぼく、先生に怒られて・・・控室で眠ってしまったみたいです」
「リュカを控室に閉じ込めたのか。なんてやつだ。おいで」
兄は招くように自分の膝を叩いた。
俺は遠慮がちに兄の膝に座った。
「こんなにちいさなリュカを閉じ込めるなんて許せないな。私がやっつけてやろう」
「やっつける?でも、叩いちゃだめだよ」
「ははは」
兄は俺の頭をなでた。
「リュカは気が優しいんだな。大丈夫叩いたりしないよ。だが、泣いただろう?」
兄はおれの頬を伝う涙の痕を指でそっとなでた。
「かわいそうに」
兄の唇が俺の頬にそっとふれそうになり、かすめることすらなく、離れた。
キスしてくれるのかと思ったのに。
「母ちゃんは、いつも俺が泣くと、頭をなでながらほっぺにキスしてくれたんだけど」
兄がビクリと体を反らせた。
「にいちゃんは母ちゃんとは違うもんね。しかたないんだよね。おれ、わきまえないと・・・」
「リュカ」
兄は俺の体を包むようにギュッと抱きしめた。
「リュカは私の大切な弟だよ。わきまえる必要などない。そんな教えは窓から捨ててしまえ」
俺が窓を見ると、兄は大きくうなずいた。
「ポイッと?」
「そう」
思わず、笑ってしまう。完璧な兄上がそんなことを言うなんて思いもしなかった。
「えへへ。兄ちゃん大好き」
「私もだよ。かわいいリュカ。一緒にピアノを練習しようか」
「うん!」
俺は兄の膝の上でピアノに向かった。
「今何を習ってるんだ?」
「練習曲の15番」
「そうか。弾いてみろ」
俺がたどたどしく鍵盤を弾くと兄が、左手を添えた。
「右手だけで弾いてみなさい。私が左手を演奏するよ」
兄が左手のパートを受け持ってくれると、嘘のように上手に右手を弾くことができた。
部屋の中に、木漏れ日と涼やかな風があふれ、俺たちを包むようにぐるりと一周し、窓から踊るように天に上っていく。
「わあ」
「できるじゃないか。自信を持って」
互いにほほえみあうと、目の前がキラキラと輝いた。
兄ちゃんは素敵なものがたくさんつまってできているんだな。
兄に抱きしめられているようなこの感触をずっと感じていたい。俺はそっと背中を兄の胸にあて、頭を兄の首と肩の下に入るように押し付けた。
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「うん、なんとなくさっきの様子でわかった」
「ははは。まあ、貴族のたしなみだから仕方なく多少は練習するが・・・打楽器は苦手なんだよ」
「兄ちゃん、何も知らないんだな。ピアノは打楽器じゃないぞ」
「そうか。リュカはものしりなんだな」
「へへへ。中にいっぱい鉄の紐みたいなもんがあるんだ。俺、知ってるもん」
「こんなにかわいくて利口な子が弟だなんて、夢みたいだね」
兄はそう言うと、俺の体をギュッと強く抱きしめた。
まるで愛しくてたまらない、というように。
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