91 / 279
第三幕〜空白の5年間 リュカ〜
90 【リュカ】ともだちと戦争の足音
しおりを挟む
そんなことがあっても淡々と日々は過ぎ、いつしかネルと俺はともだちになっていた。
男女の友情は成り立たない?
そんなことはない。
ネルは無味無臭とでもいう存在で、女でも男でもないただのネルだった。
そして、互いに恋に落ちることはないと最初から「知って」いた。
「あの人は一体どういうつもりなの?」
目の前にいるイネスの瞳の奥で何かが燃えていた。
俺とネルは、男と女という性別でへだてられてるがゆえに、イネスの邪推の的となった。
いつものようにネルとランチをとったあと、腹ごなしに校内をぶらついていると、突然イネスに袖を引かれた。
不思議なほど性別を感じず、孤独な魂に寄り添ってくれる相手。
それはともだちというもんだろう?
でも、イネスにはそれが理解できないらしい。
俺とネルが一緒にいて話していると、いつもいらだった声で邪魔をしてきた。
「どういうつもりも、こういうつもりもない。ただのともだちだよ」
俺が返事をすると、イネスは口元を引き結び、立ちつくす。
イネスが何かを言いたいが、言うべきなのか言葉を探しているすきに、これ以上の騒ぎはごめんだと、その場から逃げ出すのがいつものパターンだった。
絶対に振り返らない。
前に一度だけ振り返ったとき、イネスは食い入るようにこちらを見ていた。
その目つきは俺をぞっとさせたから。
なぜそんなに騒ぐのかわからない。
だが、イネスはともかく、時々憂鬱の虫にとりつかれたとき、互いにそばにいて、肩をだき、ひとりじゃないと伝えあえるひと。
そんなともだちの存在は、しずみきった俺の心を少しずついやしてくれた。
「お兄様とお話をしてみたら?」
ネルには、俺が兄の姿を探していることは気づかれていたらしい。
話しかけられて振り返ると、ネルのみどりの瞳があたたかく俺を包みこんだ。
「話せる時に話さないと。先延ばししている間に、お兄様は卒業してしまうわよ?」
「うん・・・そうなんだけど・・・」
俺は口ごもった。認めたくないことを口にするとき、雄弁に、とはいかない。
「その・・・俺、兄さんに・・・いや、兄上に嫌われているんだ」
「そうなの?」
ため息がのどの奥からおしだされ、押し殺したうめきに変わった。
「・・・たぶん、なかっことにされているんだと思う」
「何が?」
「俺の存在が」
苦しみは堰を切ったように流れ出した。
「俺が近づくと、兄上はいつも冷たい表情になる。そう、さっきだって」
俺は、友人たちに取り巻かれ、談笑していた兄とすれ違った先ほどのことを思い出した。
校舎をつなぐ渡り廊下。兄は5、6人の男の友人たちと連れ立って歩いていた。仲の良い友人たちらしく、オーバーアクションで笑わせようとしている者、楽しそうにそれをたしなめている者もいる。
兄はその様子を柔和な笑みを浮かべながら、見つめていた。その目の色から兄が本当に楽しんでいることがわかる。
時折兄が口を挟むと、皆はぴたりと話をやめ、心から尊敬しているというように兄の言葉に耳を傾けていた。
俺は兄の目に入らないように、校舎のかげに隠れていたが、どうしても兄の姿が見たくてその場から動けなくなっていた。
友人たちと楽しそうに会話をしながら、友人のおどけた仕草を見ていた兄が、通りすがりに俺に気がついた。
その瞬間、兄の顔からほほえみが消えた。拭き取ったように表情を消した兄の顔には、何の感情も表れていなかった。
永遠とも思えるほんの数秒のあと、兄は俺から目をそらし、柔和な表情をはりつけた。
俺たちは一言も言葉を交わさないまま、すれ違い、ただ、俺の胸には痛みだけが残った。
微笑みを向ける価値も、小さく会釈をする価値もない俺。
そんな事実を突きつけられ、身動きが取れなくなっていた。
「もう、嫌われたんだよ」
その声は自分からしても情けないほど、小さく、そして震えていた。
ネルは俺の様子を見て、これ以上は無理だと思ったらしい。てのひらで、背中を数回やさしく叩くと、何も言わずに授業までの時間、静かにすわっていた。
国境をめぐる長く続く小競り合いは、隣国の後継争いをきっかけに、激化していた。
隣国では、このまま平和協定を結ぶべき、と考える王太子を筆頭とする穏健派と、いや、戦争も辞さずに領土拡大に努めるべき、という第二王子を押す急進派に分かれ、きな臭い動きが続いていた。
戦争が起これば、貴族は軍役につく義務がある。ただし、男子全員を徴兵すれば家門が立ちいかなくなるため、一つの家につき一人の軍役を課す慣例となっていた。
しかし、高位貴族であればあるほど、嫡男をだすのを嫌がる傾向にあった。死んでしまっては血筋が途絶える、高貴な血に身分の低い血が混じってしまう、などが理由だ。
一般的には高位貴族は愛人をもっているため、私生児を兵として出すケースがほとんどだった。
なぜ俺が無理やり公爵家に引き取られたのか、この話を聞いた時に初めて理解した。
戦争の足音はそこまで聞こえ、高位貴族からももれずに軍役を課すうわさはあちこちでささやかれていた。そうなれば当然のこととして、私生児として生まれた自分は成人と同時に戦地に送られるのだろう。
夫人が俺を自分の子として扱ったのは、軍役をまぬがれるために私生児を出したと言われないためだったのだ。
でも、兄の役に立てるのならば、スペアとして生まれてきた甲斐もあったというものだ。
俺が兄の命を守る。
その考えは、俺の自尊心をくすぐった。
いてもいなくてもいい存在ではない。あってよかったという存在になれる。
それに何よりも、俺が死ねば、兄は俺のことを忘れないでくれるかもしれない。
男女の友情は成り立たない?
そんなことはない。
ネルは無味無臭とでもいう存在で、女でも男でもないただのネルだった。
そして、互いに恋に落ちることはないと最初から「知って」いた。
「あの人は一体どういうつもりなの?」
目の前にいるイネスの瞳の奥で何かが燃えていた。
俺とネルは、男と女という性別でへだてられてるがゆえに、イネスの邪推の的となった。
いつものようにネルとランチをとったあと、腹ごなしに校内をぶらついていると、突然イネスに袖を引かれた。
不思議なほど性別を感じず、孤独な魂に寄り添ってくれる相手。
それはともだちというもんだろう?
でも、イネスにはそれが理解できないらしい。
俺とネルが一緒にいて話していると、いつもいらだった声で邪魔をしてきた。
「どういうつもりも、こういうつもりもない。ただのともだちだよ」
俺が返事をすると、イネスは口元を引き結び、立ちつくす。
イネスが何かを言いたいが、言うべきなのか言葉を探しているすきに、これ以上の騒ぎはごめんだと、その場から逃げ出すのがいつものパターンだった。
絶対に振り返らない。
前に一度だけ振り返ったとき、イネスは食い入るようにこちらを見ていた。
その目つきは俺をぞっとさせたから。
なぜそんなに騒ぐのかわからない。
だが、イネスはともかく、時々憂鬱の虫にとりつかれたとき、互いにそばにいて、肩をだき、ひとりじゃないと伝えあえるひと。
そんなともだちの存在は、しずみきった俺の心を少しずついやしてくれた。
「お兄様とお話をしてみたら?」
ネルには、俺が兄の姿を探していることは気づかれていたらしい。
話しかけられて振り返ると、ネルのみどりの瞳があたたかく俺を包みこんだ。
「話せる時に話さないと。先延ばししている間に、お兄様は卒業してしまうわよ?」
「うん・・・そうなんだけど・・・」
俺は口ごもった。認めたくないことを口にするとき、雄弁に、とはいかない。
「その・・・俺、兄さんに・・・いや、兄上に嫌われているんだ」
「そうなの?」
ため息がのどの奥からおしだされ、押し殺したうめきに変わった。
「・・・たぶん、なかっことにされているんだと思う」
「何が?」
「俺の存在が」
苦しみは堰を切ったように流れ出した。
「俺が近づくと、兄上はいつも冷たい表情になる。そう、さっきだって」
俺は、友人たちに取り巻かれ、談笑していた兄とすれ違った先ほどのことを思い出した。
校舎をつなぐ渡り廊下。兄は5、6人の男の友人たちと連れ立って歩いていた。仲の良い友人たちらしく、オーバーアクションで笑わせようとしている者、楽しそうにそれをたしなめている者もいる。
兄はその様子を柔和な笑みを浮かべながら、見つめていた。その目の色から兄が本当に楽しんでいることがわかる。
時折兄が口を挟むと、皆はぴたりと話をやめ、心から尊敬しているというように兄の言葉に耳を傾けていた。
俺は兄の目に入らないように、校舎のかげに隠れていたが、どうしても兄の姿が見たくてその場から動けなくなっていた。
友人たちと楽しそうに会話をしながら、友人のおどけた仕草を見ていた兄が、通りすがりに俺に気がついた。
その瞬間、兄の顔からほほえみが消えた。拭き取ったように表情を消した兄の顔には、何の感情も表れていなかった。
永遠とも思えるほんの数秒のあと、兄は俺から目をそらし、柔和な表情をはりつけた。
俺たちは一言も言葉を交わさないまま、すれ違い、ただ、俺の胸には痛みだけが残った。
微笑みを向ける価値も、小さく会釈をする価値もない俺。
そんな事実を突きつけられ、身動きが取れなくなっていた。
「もう、嫌われたんだよ」
その声は自分からしても情けないほど、小さく、そして震えていた。
ネルは俺の様子を見て、これ以上は無理だと思ったらしい。てのひらで、背中を数回やさしく叩くと、何も言わずに授業までの時間、静かにすわっていた。
国境をめぐる長く続く小競り合いは、隣国の後継争いをきっかけに、激化していた。
隣国では、このまま平和協定を結ぶべき、と考える王太子を筆頭とする穏健派と、いや、戦争も辞さずに領土拡大に努めるべき、という第二王子を押す急進派に分かれ、きな臭い動きが続いていた。
戦争が起これば、貴族は軍役につく義務がある。ただし、男子全員を徴兵すれば家門が立ちいかなくなるため、一つの家につき一人の軍役を課す慣例となっていた。
しかし、高位貴族であればあるほど、嫡男をだすのを嫌がる傾向にあった。死んでしまっては血筋が途絶える、高貴な血に身分の低い血が混じってしまう、などが理由だ。
一般的には高位貴族は愛人をもっているため、私生児を兵として出すケースがほとんどだった。
なぜ俺が無理やり公爵家に引き取られたのか、この話を聞いた時に初めて理解した。
戦争の足音はそこまで聞こえ、高位貴族からももれずに軍役を課すうわさはあちこちでささやかれていた。そうなれば当然のこととして、私生児として生まれた自分は成人と同時に戦地に送られるのだろう。
夫人が俺を自分の子として扱ったのは、軍役をまぬがれるために私生児を出したと言われないためだったのだ。
でも、兄の役に立てるのならば、スペアとして生まれてきた甲斐もあったというものだ。
俺が兄の命を守る。
その考えは、俺の自尊心をくすぐった。
いてもいなくてもいい存在ではない。あってよかったという存在になれる。
それに何よりも、俺が死ねば、兄は俺のことを忘れないでくれるかもしれない。
0
お気に入りに追加
224
あなたにおすすめの小説
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…
死んだら男女比1:99の異世界に来ていた。SSスキル持ちの僕を冒険者や王女、騎士が奪い合おうとして困っているんですけど!?
わんた
ファンタジー
DVの父から母を守って死ぬと、異世界の住民であるイオディプスの体に乗り移って目覚めた。
ここは、男女比率が1対99に偏っている世界だ。
しかもスキルという特殊能力も存在し、イオディプスは最高ランクSSのスキルブースターをもっている。
他人が持っているスキルの効果を上昇させる効果があり、ブースト対象との仲が良ければ上昇率は高まるうえに、スキルが別物に進化することもある。
本来であれば上位貴族の夫(種馬)として過ごせるほどの能力を持っているのだが、当の本人は自らの価値に気づいていない。
贅沢な暮らしなんてどうでもよく、近くにいる女性を幸せにしたいと願っているのだ。
そんな隙だらけの男を、知り合った女性は見逃さない。
家で監禁しようとする危険な女性や子作りにしか興味のない女性などと、表面上は穏やかな生活をしつつ、一緒に冒険者として活躍する日々が始まった。
くまさんのマッサージ♡
はやしかわともえ
BL
ほのぼの日常。ちょっとえっちめ。
2024.03.06
閲覧、お気に入りありがとうございます。
m(_ _)m
もう一本書く予定です。時間が掛かりそうなのでお気に入りして頂けると便利かと思います。よろしくお願い致します。
2024.03.10
完結しました!読んで頂きありがとうございます。m(_ _)m
今月25日(3/25)のピクトスクエア様のwebイベントにてこの作品のスピンオフを頒布致します。詳細はまたお知らせ致します。
2024.03.19
https://pictsquare.net/skaojqhx7lcbwqxp8i5ul7eqkorx4foy
イベントページになります。
25日0時より開始です!
※補足
サークルスペースが確定いたしました。
一次創作2: え5
にて出展させていただいてます!
2024.10.28
11/1から開催されるwebイベントにて、新作スピンオフを書いています。改めてお知らせいたします。
2024.11.01
https://pictsquare.net/4g1gw20b5ptpi85w5fmm3rsw729ifyn2
本日22時より、イベントが開催されます。
よろしければ遊びに来てください。
親友だと思ってた完璧幼馴染に執着されて監禁される平凡男子俺
toki
BL
エリート執着美形×平凡リーマン(幼馴染)
※監禁、無理矢理の要素があります。また、軽度ですが性的描写があります。
pixivでも同タイトルで投稿しています。
https://www.pixiv.net/users/3179376
もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿
感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_
Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109
素敵な表紙お借りしました!
https://www.pixiv.net/artworks/98346398
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる