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第三幕〜空白の5年間 リュカ〜

87 【リュカ】ベネディクトの一撃

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(今度来てくれたら、ドアを開けよう)

心に決めた。きっと明日も来てくれるに違いない。
兄に本当の気持ちを伝えよう。

本当はつらいって。
にいちゃんを俺だけのものにしたい。
イネスにとられるのは嫌だって。

でも、兄に俺の気持ちを伝えられる日は来なかった。
兄が俺の部屋のドアの前で泣いているように聞こえた日を最後に、兄の訪れは無くなった。

見捨てられた。
嫌われたんだ。

気が付いたときには遅かった。
意地を張りすぎて一番大切な人を失ってしまった。

(あやまろう。今まで兄が俺を訪ねてきてくれていたように、ゆるしてもらえるまで、俺が兄を訪ねよう。)

だが、それはあまりにも甘い考えだった。
翌日、本屋敷をたずねると、兄はすでに学園にもどったあとだった。
もうすこし早くくれば兄に会えたのに、と唇をかむ俺をベネディクトが応接室に招きいれた。

来客用の応接室は、本来なら俺が入る場所ではない。
つまり、もう俺は「家の者ではない」ということを遠回しに伝えているのだろうか。
俺は思わずうつむき、金糸が織り込まれたで豪華なソファーの上で、もぞもぞとお尻を動かした。かつての家庭教師がいたらムチが飛んできただろう。
目の前の美しいモザイク模様の大理石のテーブルも、ここは俺なんかのいるべき場所じゃないと冷たく言っているように思えた。
美しい花の絵と金で装飾された最高級の茶器をメイドが運び込むと、ベネディクトは手を振って人払いをし、自ら茶を入れて俺の前に置いた。

「リュカ様」

一口飲むと、最高級の紅茶だとすぐにわかる。
俺が目をあげると、ベネディクトが優しくうなずいた。

「よいものがわかるようになられましたね」
「ああ、そうで・・だな」

俺がもう一口紅茶を口に含むと、部屋の中に沈黙が落ちた。
互いに距離をはかりながら、どう話そうかと考えている。

「兄上は」
「マティアス様は」

同時に口を開き、目があった。ベネディクトがどうぞとうながし、俺が先に口を開く。

「兄上にお会いできないか」
「学園にお戻りになりました」
「今度お戻りになったときにでも」
「しばらくお戻りにはならないと聞いております」
「それでは、学園までお訪ねすることはできないか?」
「学園ではお忙しいと聞いております」
「では、手紙を届けてくれないか」
「おそらく手紙を読む時間もおありにならないかと」

ベネディクトは使用人の鏡だ。
終始丁寧に、穏やかに、敬意を表しながら、主人の意向に沿って話していることをきっぱりと態度で示した。
つまり、兄は俺に会いたくないし、手紙も受け取りたくない、ということ。

目に映る部屋の調度品がゆれる。
うっすらと涙が浮かび、冷たく厳しい現実を思い知らされた。

兄は、俺を、捨てたのだ。

兄が望まなければ、話すことはおろか、会うことすら許されない。
じわじわと涙がでて、こぼれ落ちそうになった。泣いてはいけない。
俺はまたばきをしながら立ちあがり、窓の外に気をとられたふりをした。

「マティアス様からご伝言です。健康とそしてお父上に気をつけるように、と」
「父上・・・?」

俺は、錯乱した閣下に襲われ、兄に助けてもらったことを思い出した。
あのとき、あんなにも兄は俺を大切にしてくれたのに。なぜ、もっと大切にしなかったんだろう。
失ったものの大きさにたえかねて、思わず目を閉じると大粒の涙がこぼれ落ちた。後ろを向いているからベネディクトには気づかれていないはずだ。
すばやく涙をぬぐうとふり返った。

「そうか。兄上にご心配をおかけしたおわびを申しあげてくれ。これからは兄上の邪魔にならないようつとめるよ」
「邪魔などと、マティアス様は思われますまい。性根はおやさしい方ですから」

知っている。兄のやさしさも思いやりも。もらって当然だとおもっていた。
俺は、バカだ。これはきっと天罰にちがいない。

俺は口角をあげ、必死で笑顔をつくった。
ベネディクトにはお見通しだったらしい。目に同情するような色を浮かべると、俺を励ますように言った。

「これからも弟さまでいらしゃることには変わりありません。ご兄弟ですから行き違いもあるものですよ。

ベネディクトの一撃は、俺のわずかに残っていた希望すら打ちくだいた。
俺は、他の兄弟と同じ。ただの弟のひとり。
なんの根拠もなく、俺が兄のいちばんだと思っていた。
俺は、他の兄弟と同じなんて嫌だ。兄が俺の一番であるように、俺は兄の一番でありたかった・・・のに。
まるで、たったひとり、孤島にとりのこされた男のように、どうしたらいいのかわからず立ちつくしてしまう。
ベネディクトは優しく言葉をつないだ。

「あの方は嫡男としてのご自分の役割をよく理解し、つとめられております。幼少のみぎりから、おそばに置いていただき、その努力を目の当たりにしてまいりました。間違いなく、すばらしい当主になられる方です。並みの方ではございません。まわりにいる者たちは、あの方をお支えし、決して邪魔になるようなことがあってはなりません。使用人一同、常に肝に命じてお仕えしております」

言葉は丁寧だが、言わんとすることは明らかだった。



ベネディクトは知っている。
俺たちの秘め事も俺の気持ちも。

何か言わなくては。
でも、言葉は喉の奥にはりつき、ひっかかってどうしても出てこなかった。
俺は溺れた人のように必死で口をパクパクと開き、何か話そうとしたが、助けを求める声すら出せそうになかった。

「下屋敷まで、お送りいたしましょう」

下屋敷まで向かう馬車のなか、俺たちは一言も口をきかなかった。
口を開いたらわめき散らしてしまいそうだったから。それか、懇願するか。
どれもまずい選択肢だ。

下屋敷の玄関に馬車が着き、無言で降り、ベネディクトをふり返った。

「これからも、兄上をお支えしてくれ。頼む」

俺は小さく頭を下げ、急ぎ足で屋敷に入った。振り返らなかった。これ以上の醜態をさらしたくない。
愛人の生んだ虫けら以下の私生児だって、そのぐらいの誇りはあるんだよ。

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