上 下
69 / 279
第二幕〜マティアス〜

68 17歳 父の興味

しおりを挟む
「マティアス、世話をかけたな」

執務室で、書面をめくる父は、まるで元の父のようだった。
その目の焦点さえ合っていれば。
そして、言葉とは不似合いに、皺だらけのシャツと無精髭、櫛も通していない髪からは、垢じみた匂いがした。

「まだ、体調が悪いのではありませんか?ご無理なさらず・・・」

私が気遣うと、父は突然激昂した。

「お前まで、私を病人扱いするのか!!!」

部屋の隅では、ベネディクトが唇を噛み、頭を下げていた。
どうやらこのやり取りはすでに行われたらしい。
静まり返った部屋の中で、父の荒い息の音だけが響いた。

「まさか。偉大なる父上にそんなこと、思うことすらあり得ません」

私が表情を変えずに言い返すと、父はイライラしたように書類をめくった。

「これも・・・これも・・・どれもダメだ!まともなものは一つもない。ベネディクト、領地から上がってきた税の報告はどこに行ったのだ。隣国を調査させた報告書は・・・領地境界線の付近で牛が盗まれていた件についての調査書はまだか!」

税の報告書は先月上がってきたものに不手際があり、戻したものだった。
隣国を調査させた報告書は、2年前。その後、国レベルでの合意に至り、現在は小康状態が続いている。無用な刺激をしないように、調査は中止しているところだ。
領地の境界線付近における牛の窃盗事件は、大規模な窃盗団の首領を絞首刑にしてから1年経っていた。
私とベネディクトは目を見合わせた。
今、父の要求した書類や事件はすでに過去のものであり、全て父が中心となって解決した問題だったからだ。

「大変申し訳ありません。ご準備いたしますので、少々お待ちください」

ベネディクトは一礼して執務室を出た。おそらく、過去の書類を持ってくるつもりだろう。

「父上、不手際があり、申し訳ございません」

父は焦ったように書面をめくり、乱暴にサインを書き入れている。
まさか正本ではないよな・・・?用意周到なベネディクトならさりげなく書面の差し替えぐらいやりそうなものだが、ここまで父が壊れているとは・・・

父がふと顔を上げた。

「アディ」

思い出したようにその名を呟くと、窓の外を眺めた。

そこには、庭師に花を見せられているリュカがいた。
おそらく、療養のため、庭を案内してやっているところだろう。
リュカは未だ目が覚めたり、起きたりを繰り返し、ぼんやりと、まるで夢の中の住人のような状態のため、意識がはっきりしている日には、少しでもと歩かせる治療を行なっていた。

(まさか)

「父上、ご冗談を。あれは弟のリュカですよ?」

父は苛立ったように私を見た。

「知っておる」

そしてまた窓の外に目を移すと、その視線は食い入るように一点を見つめ、動かなくなった。
慌てて書面をもって部屋に入ってきたベネディクトが、その様子を見て、首を振る。

「父上、そろそろお休みになられては?お茶をご用意いたしましょう」
「いらん」

父はそのままリュカをじっと見つめ続けた。食い入るように、時折まるで愛しいものでも見るように陶然として。


(このままではまずい)

どこかで警報が鳴り始めた。

リュカは兄弟の中でも一番アディに似ている。
黒髪に若草色の瞳。
父の興味がリュカに向いても不思議はない。

(何が何でも阻止しなければ)

父とリュカを争う気はさらさらない。
リュカは私のものだ。リュカの視線の一瞥すら与えてなるものか。
しかも、気にかけていなかったとはいえ、実の息子だ。
恥を知れ。

私の中で暗い怒りが炎のように舞い上がった。

「ベネディクト、絶対にリュカを一人にしないように。父の目に触れないように注意しろ」
「承りましてございます」

即座に返ってきたベネディクトの声から、彼も父がリュカに興味を持つことを恐れていたことがわかった。


しかし、危機はすぐ訪れた。


その日、明るい日差しの中でリュカは眠っていた。
父がリュカの部屋に入る姿を見たメイドが私のところまで走って知らせに来た。

慌ててリュカの部屋に入ると、父の黒い影がリュカに覆いかぶさり、唇を貪っていた。
さらにその手はリュカの体をまさぐり、もどかしげに服の合わせ目を外そうとしていた。

沸騰するような激しい怒りが、私の中を駆け抜けた。

「何をしているんですか!」

父を怒鳴りつけると、父は見られてはいけない場面を見られたと理解しているのか、下手に出てごまかそうとした。
そうはいかない。

「アディが死んだからって急にリュカに近づくのはおやめください」

これまでどれほど、リュカが辛い思いをしたと思っているだ。
実の父でありながら、閣下と呼ばせ、体罰を容認し、目を合わせたこともなければ、優しい言葉の一つもかけたことがない。
しかも、アディの代わり?ふざけるな。リュカは唯一の存在だ。

「いいですか、父上。これはあなたの子で愛人ではありません」
図星をつかれた父がひるんだ。

「今すぐこの部屋から出て行ってください」力づくでも、出て行ってもらいますよ。なんなら殺してでも。私の目に宿った凶暴な光に、父は感づいたらしい。

「マティアス、お前、まさか」
見開いた瞳に、衝撃が浮かんでいた。
だからなんだ。義務は果たす。それ以上の要求をされる覚えはない。
そもそも、あなたにそんな資格があるとでも?

「何をくらだないことをおっしゃっているのですか」
ばかばかしい。
どちらが理にかなっているかなんて、考えるまでもない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

獣の幸福

嘉野六鴉
BL
異能を持つ一族に生まれた欠陥品の青年・キオは、王族の中でも立場の弱い第五王子・フレンの護衛として、この一年間仕えている。 今では互いを深く信頼し合っている主従の穏やかな毎日は、平和そのものだった。 自分を必要としてくれる少年に依存しかけていることを自覚しながらも、この日々がいつまでも続くことをキオは密かに願っていたが、ある日を境にフレンの様子が変わってしまう。 どうやら、キオが一族の当主にして自らの異母兄であるジルヴェストと、定期的に肉体関係を持っていることを感づかれてしまったらしく――。 愛されたい気持ちの強い不憫系な青年主人公(美人だが多少口が悪い)を巡る、鬼才年下王子(最初はワンコ系)と最強異母兄(無愛想クール)の国を巻き込んだ執着愛ファンタジーの予定です。 ※R18はサブタイトルに*マーク有(残酷描写は予告なし) ※シリアス寄り、(異母)兄×弟、3P(予定では終盤)にご注意 ※ムーンライトノベルズ様でも掲載中です

運命の選択が見えるのですが、どちらを選べば幸せになれますか? ~私の人生はバッドエンド率99.99%らしいです~

日之影ソラ
恋愛
第六王女として生を受けたアイリスには運命の選択肢が見える。選んだ選択肢で未来が大きく変わり、最悪の場合は死へ繋がってしまうのだが……彼女は何度も選択を間違え、死んではやり直してを繰り返していた。 女神様曰く、彼女の先祖が大罪を犯したせいで末代まで呪われてしまっているらしい。その呪いによって彼女の未来は、99.99%がバッドエンドに設定されていた。 婚約破棄、暗殺、病気、仲たがい。 あらゆる不幸が彼女を襲う。 果たしてアイリスは幸福な未来にたどり着けるのか? 選択肢を見る力を駆使して運命を切り開け!

転生したらいろんな意味で兄に可愛がられています~ヴァルハラで死合いましょう~

夢咲まゆ
BL
 ヴァルハラに集められたオーディンの眷属ーーエインヘリヤル。不老不死の彼らは、「死合い」という命懸けの戦闘を行い、自らの能力を高め合っていた。  新人戦士・アクセルは、憧れの兄・フレインに追いつくべく、必死に戦士ランキングを上げていく。  何度死んでも変わらない兄への恋慕。もっと自分を見て欲しい。いつか本気で「死合い」たい。  アクセルの想いは、果たしてフレインに届くのか……? ◎美麗表紙イラスト:ずーちゃ(@zuchaBC) ※北欧神話のヴァルハラを舞台にしています。 ※戦闘シーンの練習のために始めたので、流血が多めです。苦手な人はご注意!(流血シーンには※をつけてあります) ※あくまで創作なので、ガチの「北欧神話」ではありません。設定を都合よく解釈してる部分も多々あり。 ※細かいことは抜きに、純粋に創作として楽しんでくだされば幸いです。 ※こちらに転載するに際して、タイトルを少し変えました。

【完結】復讐の館〜私はあなたを待っています〜

リオール
ホラー
愛しています愛しています 私はあなたを愛しています 恨みます呪います憎みます 私は あなたを 許さない

BLゲームのメンヘラオメガ令息に転生したら腹黒ドS王子に激重感情を向けられています

松原硝子
BL
小学校の給食調理員として働くアラサーの独身男、吉田有司。考案したメニューはどんな子どもの好き嫌いもなくしてしまうと評判の敏腕調理員だった。そんな彼の趣味は18禁BLのゲーム実況をすること。だがある日ユーツーブのチャンネルが垢バンされてしまい、泥酔した挙げ句に歩道橋から落下してしまう。 目が覚めた有司は死ぬ前に最後にクリアしたオメガバースの18禁BLゲーム『アルティメットラバー』の世界だという事に気がつく。 しかも、有司はゲームきっての悪役、攻略対象では一番人気の美形アルファ、ジェラルド王子の婚約者であるメンヘラオメガのユージン・ジェニングスに転生していた。 気に入らないことがあると自殺未遂を繰り返す彼は、ジェラルドにも嫌われている上に、ゲームのラストで主人公に壮絶な嫌がらせをしていたことがばれ、婚約破棄された上に島流しにされてしまうのだ。 だが転生時の年齢は14歳。断罪されるのは23歳のはず。せっかく大富豪の次男に転生したのに、断罪されるなんて絶対に嫌だ! 今度こそ好きに生ききりたい! 用意周到に婚約破棄の準備を進めるユージン。ジェラルド王子も婚約破棄に乗り気で、二人は着々と来るべき日に向けて準備を進めているはずだった。 だが、ジェラルド王子は突然、婚約破棄はしないでこのまま結婚すると言い出す。 王弟の息子であるウォルターや義弟のエドワードを巻き込んで、ユージンの人生を賭けた運命のとの戦いが始まる――!? 腹黒、執着強め美形王子(銀髪25歳)×前世は敏腕給食調理員だった恋愛至上主義のメンヘラ悪役令息(金髪23歳)のBL(の予定)です。

本物の恋、見つけましたⅡ ~今の私は地味だけど素敵な彼に夢中です~

日之影ソラ
恋愛
本物の恋を見つけたエミリアは、ゆっくり時間をかけユートと心を通わていく。 そうして念願が叶い、ユートと相思相愛になることが出来た。 ユートからプロポーズされ浮かれるエミリアだったが、二人にはまだまだ超えなくてはならない壁がたくさんある。 身分の違い、生きてきた環境の違い、価値観の違い。 様々な違いを抱えながら、一歩ずつ幸せに向かって前進していく。 何があっても関係ありません! 私とユートの恋は本物だってことを証明してみせます! 『本物の恋、見つけました』の続編です。 二章から読んでも楽しめるようになっています。

【完結】10引き裂かれた公爵令息への愛は永遠に、、、

華蓮
恋愛
ムールナイト公爵家のカンナとカウジライト公爵家のマロンは愛し合ってた。 小さい頃から気が合い、早いうちに婚約者になった。

異世界ゆるり紀行 ~子育てしながら冒険者します~

水無月 静琉
ファンタジー
神様のミスによって命を落とし、転生した茅野巧。様々なスキルを授かり異世界に送られると、そこは魔物が蠢く危険な森の中だった。タクミはその森で双子と思しき幼い男女の子供を発見し、アレン、エレナと名づけて保護する。格闘術で魔物を楽々倒す二人に驚きながらも、街に辿り着いたタクミは生計を立てるために冒険者ギルドに登録。アレンとエレナの成長を見守りながらの、のんびり冒険者生活がスタート! ***この度アルファポリス様から書籍化しました! 詳しくは近況ボードにて!

処理中です...