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第二幕〜マティアス〜
54 12歳 リュカ
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私が12歳になった時、リュカが屋敷にやってくることになった。
私はたった一人の嫡男であり、万一のことがあった場合、領地の運営に支障をきたし、領民や使用人達を路頭に迷わせてしまうことになる。
時々社交界を賑わせる駆け落ち騒ぎや流行病、事故のリスクなどを考えると、公爵家の跡取りにはスペアが必要だった。母は不満に思っていたが、やむを得まい。自分の不幸や死までを前提にしたスペアを迎えるのは気持ちのいいものではない。当事者である私ですら、当然のこととして受け入れているのに、母が文句を言えるわけもなかった。
ただ、弟として父が外で作った子供を連れてくると聞いた時にはかすかに心が踊った。
あの時の可愛らしい弟。
世界中の愛らしさと光を一つにまとめてぎゅっと人の形にしたら、あの子になるに違いない。
あれから数年経ち、随分と成長したことだろう。家に来ればきっと話もできるだろう。
5歳年下と聞いたあの子どもは7歳になっているはずだ。
会える日を指折り数えて待ち、やっとその日が来た時、私は朝から少し浮かれていたように思う。
リュカを連れた馬車が屋敷に近づいてくる音が聞こえると、窓に駆け寄り車寄せに降りる姿を見ようと、身を乗り出した。ベネディクトが怪訝な顔をしていたが、気にすることはない。
車から降りてきた姿はよく見えなかったが、小さな黒い頭がちらりと見えた時には思わず目が輝いた。
素知らぬ顔を装いながら、そわそわと応接室に向かい、リュカを待つ。
リュカはこの屋敷を気にいるだろうか。
あの、小さな家は住み心地が良さそうだった。
家族と離れてここに引き取られ、不安に思っていないだろうか。
すぐに家に帰りたがって泣いてしまわないだろうか。
そんなことを考えていると、ノックの音とともに、ベネディクトに先導された家庭教師とリュカが入ってきた。
(なんて可愛いんだ)
リュカの可愛らしさは、成長とともに増していた。
三歳の時に天使の化身だった弟は、七歳になりより人間に近づいたが、まるで芸術作品の中にいるような美しい少年に成長していた。
ただ、失敗しないかと緊張しているのか、随分と肩に力が入っていた。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
挨拶をするためにリュカが視線を上げた。
その目は暗く、声はかすれていた。
伺うように教師を見たリュカは、父の褒め言葉に安堵したらしい。
続く父の言葉に、今までリュカが教師に厳しい指導を受けてきたことがわかった。
かばうように右手で左手の手首を押さえる仕草に暴力の痕跡が透けて見える。
私は眉を顰めて教師を見た。
教師は、父からの報奨金の話に浮かれているらしく、気が付きもしない。
愛らしいリュカに暴力を振るうなど・・・必ず仕返ししてやろう。
私の中にどす黒い怒りが渦を巻いた。
父も母もリュカを後継者のスペアとして扱うつもりすらないということはその後の態度でよくわかった。
どいつもこいつも、リュカを粗末に扱い腹が立つ。
許しがたいが今の私にできることは、リュカに優しく接してやることぐらいしかない。
それが、歯がゆかった。
「会えて嬉しいよ」
私が伝えると、リュカは陽だまりのように笑った。
音が消えた。
耳の奥でガンガンと鳴り響く音は私の命の音。
世界にはまるで私とリュカしかいないような。目の端には父も母も従僕も映っている。ただ、遠く、はっきりと実態のない存在のように思えた。
心臓は激しく音を立て、ただ、リュカだけしか見えなくなった。
それはなんて甘い思い。そして、少しだけほろ苦い。
リュカが笑った時に父がこちらに視線を向けた。
私はそっと体の位置をずらし、父からリュカが見えないように隠した。
リュカの笑顔を誰にも見られたくなかった。
リュカを本宅に引き取ることに、母は猛反対した。
別宅で教育だけ施してやれば十分だと。
あの女の産んだ子を屋敷に入れるのは許せないと強く反対していたが、程なくして、その不自然さに母も折れることになった。
母はいまだに父に愛されている妻でありたいと願っていたらしい。
しかしその願いは虚しく、父はリュカの母である愛人だけを溺愛していた。
そして不幸なことと言うべきか、リュカと愛人はそっくりだった。
リュカを見れば、必ず愛人の存在を思い出す。
そうなれば、自分のいまの不遇は全て愛人のせい、つまりはリュカのせいということになるらしい。
母はリュカを引き取ることには同意したものの、なんとか目の前から排除したいと強く願うようになっていった。
そのために、リュカを傷つけるようになっていくとは、その頃の私は思いもしなかったのだ。
私はたった一人の嫡男であり、万一のことがあった場合、領地の運営に支障をきたし、領民や使用人達を路頭に迷わせてしまうことになる。
時々社交界を賑わせる駆け落ち騒ぎや流行病、事故のリスクなどを考えると、公爵家の跡取りにはスペアが必要だった。母は不満に思っていたが、やむを得まい。自分の不幸や死までを前提にしたスペアを迎えるのは気持ちのいいものではない。当事者である私ですら、当然のこととして受け入れているのに、母が文句を言えるわけもなかった。
ただ、弟として父が外で作った子供を連れてくると聞いた時にはかすかに心が踊った。
あの時の可愛らしい弟。
世界中の愛らしさと光を一つにまとめてぎゅっと人の形にしたら、あの子になるに違いない。
あれから数年経ち、随分と成長したことだろう。家に来ればきっと話もできるだろう。
5歳年下と聞いたあの子どもは7歳になっているはずだ。
会える日を指折り数えて待ち、やっとその日が来た時、私は朝から少し浮かれていたように思う。
リュカを連れた馬車が屋敷に近づいてくる音が聞こえると、窓に駆け寄り車寄せに降りる姿を見ようと、身を乗り出した。ベネディクトが怪訝な顔をしていたが、気にすることはない。
車から降りてきた姿はよく見えなかったが、小さな黒い頭がちらりと見えた時には思わず目が輝いた。
素知らぬ顔を装いながら、そわそわと応接室に向かい、リュカを待つ。
リュカはこの屋敷を気にいるだろうか。
あの、小さな家は住み心地が良さそうだった。
家族と離れてここに引き取られ、不安に思っていないだろうか。
すぐに家に帰りたがって泣いてしまわないだろうか。
そんなことを考えていると、ノックの音とともに、ベネディクトに先導された家庭教師とリュカが入ってきた。
(なんて可愛いんだ)
リュカの可愛らしさは、成長とともに増していた。
三歳の時に天使の化身だった弟は、七歳になりより人間に近づいたが、まるで芸術作品の中にいるような美しい少年に成長していた。
ただ、失敗しないかと緊張しているのか、随分と肩に力が入っていた。
「本日はお招きいただきありがとうございます」
挨拶をするためにリュカが視線を上げた。
その目は暗く、声はかすれていた。
伺うように教師を見たリュカは、父の褒め言葉に安堵したらしい。
続く父の言葉に、今までリュカが教師に厳しい指導を受けてきたことがわかった。
かばうように右手で左手の手首を押さえる仕草に暴力の痕跡が透けて見える。
私は眉を顰めて教師を見た。
教師は、父からの報奨金の話に浮かれているらしく、気が付きもしない。
愛らしいリュカに暴力を振るうなど・・・必ず仕返ししてやろう。
私の中にどす黒い怒りが渦を巻いた。
父も母もリュカを後継者のスペアとして扱うつもりすらないということはその後の態度でよくわかった。
どいつもこいつも、リュカを粗末に扱い腹が立つ。
許しがたいが今の私にできることは、リュカに優しく接してやることぐらいしかない。
それが、歯がゆかった。
「会えて嬉しいよ」
私が伝えると、リュカは陽だまりのように笑った。
音が消えた。
耳の奥でガンガンと鳴り響く音は私の命の音。
世界にはまるで私とリュカしかいないような。目の端には父も母も従僕も映っている。ただ、遠く、はっきりと実態のない存在のように思えた。
心臓は激しく音を立て、ただ、リュカだけしか見えなくなった。
それはなんて甘い思い。そして、少しだけほろ苦い。
リュカが笑った時に父がこちらに視線を向けた。
私はそっと体の位置をずらし、父からリュカが見えないように隠した。
リュカの笑顔を誰にも見られたくなかった。
リュカを本宅に引き取ることに、母は猛反対した。
別宅で教育だけ施してやれば十分だと。
あの女の産んだ子を屋敷に入れるのは許せないと強く反対していたが、程なくして、その不自然さに母も折れることになった。
母はいまだに父に愛されている妻でありたいと願っていたらしい。
しかしその願いは虚しく、父はリュカの母である愛人だけを溺愛していた。
そして不幸なことと言うべきか、リュカと愛人はそっくりだった。
リュカを見れば、必ず愛人の存在を思い出す。
そうなれば、自分のいまの不遇は全て愛人のせい、つまりはリュカのせいということになるらしい。
母はリュカを引き取ることには同意したものの、なんとか目の前から排除したいと強く願うようになっていった。
そのために、リュカを傷つけるようになっていくとは、その頃の私は思いもしなかったのだ。
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