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第一幕〜リュカ〜

44 現在 間奏曲

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ドアの向こうから生まれたばかりの赤子の泣く声が聞こえてくる。
マティアスはドアの前で足を止め、か細いけれども命の存在をしっかりと主張するその声に耳をすませた。
なにかを求めて泣いているはずなのに、こちらに来いと誘っているように聞こえる甘い声に口元が緩む。

そっとノブを回すと、小さな赤ん坊は乳母の腕の中で顔を真っ赤にして、激しく泣いていた。願いが叶えられないのなら死んでやると言わんばかりに体を突っ張らせ、乳母を困らせている。
まだ生まれて3ヶ月にも満たない子はすでに未来の公爵として、小さな子供部屋の中に君臨していた。
設えられた家具も寝具も職人たちが技術の粋を集めた最高の品ばかり。生まれる前から持つ当然の権利として、国で一番高級な子供部屋の主として、多くの乳母やメイドたちにかしずかれていた。
女たちは入れ替わり立ち替わり赤ん坊の機嫌を取り、ベッドで寝てる時はないのではと思えるほど、いつも大切に誰かの腕の中で守られている。

(一歳になるまでには、友人を見つけてやらねばなるまい)

マティアスはいつのまにか自分が父となり、子の将来を案じていることに軽く驚いた。でも、それは意外と心地よいものだった。

「閣下!あの、ちょっとだけかんしゃくをおこしているだけなんです」

乳母の慌てたような声。
子供を泣かせたことを叱責されると思ったのか、年若い乳母の顔は半泣きだった。
マティアスは手のひらを下に向け、安心しろと微笑むと、赤子の顔をのぞきこんだ。
真っ白な産着に包まれた赤ん坊はミルクの甘い匂いがした。肌は日の香り。
さっきまでの大声の名残に、まつげには涙の粒が光っていた。
マティアスが顔を近づけると、驚いたようにぴたりと泣き止み、そして嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

「おいで」

促すように両手を差し出すと、乳母がこわごわと公爵様の腕の中に次期公爵様をそっと押し出した。
絶対に落とさないように。

マティアスが慣れた手つきで息子を抱き、体を揺らす。
ゆっくりと、怖がらせないように、大切に、大切に。
まだ小さくていとけない存在は、温かく、マティアスの心を満たしていく。

「愛おしいものだな」

そう言って赤子に頬を寄せ、甘い匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。
知らずと笑みがこぼれる。

「大切に育ててやってくれ。母親の分も・・・な」
「かしこまりましてございます」

乳母がぴょんと跳ねるように頭を下げた。ぴんと張った肩の線が乳母の緊張を伝えている。
強大な権力を持つ公爵の前に、恐れをなす使用人。この屋敷にいる者は全て私のもの。手打ちにしても何の罪にも問われない。絶対的な神にも等しい存在。マティアスは小さくため息をついた。
父が息抜きを求めていた気持ちがわかる気がする。公爵からただの人になる時間を楽しんでいたのだろう。

(父を思い出すのは久しぶりだ)

腕の中に小さな温もりを感じながら、マティアスは父とともにかつての痛みを思い出した。
思いは過去へと向かっていく。


学園の裏庭。

足元に転がっていた石ころ。
土と草の匂いが妙に強く感じられた。
頬を撫でた風。
他人行儀な顔。

一瞬だけ見せた傷ついたような目つき。
冷たい言葉。
逸らした頬。
産毛を光が照らし、輪郭が輝いていた。

全てが愛しかった。
その唇から出るため息の一つすら、とらえておきたいほど。
視線の先にある花にすら嫉妬するほど。
その体を温める外套になってしまいたいと、どれほど願ったか。

「私など、何の意味も持たない存在ですのに」
「どうか、お幸せに」

冷たい声。

「リュカ」

なぜわかってくれないんだ。

お前は簡単に私を捨てた。
どれだけ呼んでも届かないと知っている。
いつでも言葉は虚しくて、本当に大切なことは伝わらない。

捉えたと思った次の瞬間にはするりと手の内から離れてしまう。
追っても追っても決して届かない。

お前がいなくても私は平気だと?
お前にとって私は、目の前にいなければ消え去る程度の存在なのか?

私は、違う。
どんな時もお前なしでは、ただ虚しいだけ。
もう何も感じない。

胸に開いた穴は塞がらないまま。
時が経ち、残る痛みは鈍くなっても、冷たく凍えたまま。
お前が色付けた世界は灰色に戻り、今もなお暗いままだ。

何故あんな酷いことができたんだ?なぁ、教えてくれ。リュカ。





***************************************************

お読みいただきましてありがとうございました。
少しでも楽しんでいただければ、嬉しいです。

次の話からマティアスのお話に移ります。
整理のため、少しお休みします。多分1週間程度になる予定です。
なるべく早く戻れるように頑張ります!




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