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第一幕〜リュカ〜
24 10歳 気に入らない女
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貴族の務め。その一つに”社交”がある。
主人は家の外で、仕事や社交クラブでの付き合いを重ね、家に有利になるために人脈を形成する。
夫人は主に女性同士の社交のために、日中行われるお茶会や夜の舞踏会に熱心に参加し、また自宅でのパーティーを取り仕切る。
かなりの資金と労力をつぎ込んでおこなれるこの行事に、俺も時々付き合わされていた。歌う余興係ってところだ。
「あなた、可愛いわね。初めて見た顔だけど。公爵家の次男って本当なの?」
いやいやながら参加したお茶会で歌を披露したあと、初対面なのに遠慮なしに話しかけてきた女がいた。
名前はイネス。
俺と同い年だそうだ。
どういった理由か、その日俺とイネスは隣り合った席に座らされていた。
大きな青い目に金髪のふわふわとした巻き毛。
まるで人形のように整った容姿に最高級品をふんだんにあしらったドレス。
その全てがこの少女が豊かな家の娘であり、甘やかされ苦労知らずに育ったことを示していた。
手に入らないものなどない、美しい少女。
将来は、非の打ち所のない婚約者を与えられ、成功を約束された人生が待っている。
ただ、その瞳に宿る高慢さだけが、少女の未来に一点の影を落としていた。
「イネス、ようこそ」
兄が優しく微笑みながら俺たちのテーブルに近づいてきた。
「マティアス!」
イネスは満面の笑みを浮かべ立ち上がると、まるで兄が自分のものであるかのように親しげに腕に触れた。
俺の胸が鈍い音を立てて痛み、思わずにらみつけそうになる視線をあわてて伏せた。
兄はそんな俺にまるで気づかず、イネスと天気や音楽の話をしている。
「もう、どうして今日はマティアスの隣じゃなかったの?私マティアスと話すために、お母様についてきたのに。今日のドレスはどうかしら?」イネスが可愛らしく頬をふくらませる。
「とても可愛いね。君に似合っている。この胸元に飾られたレースは、特に美しいね」
兄が人目で誰かの手作りとわかる下手くそなレースを褒めた。
くだらない。いくら社交辞令にも限度がある、どこのあほがそんなお世辞を真に受けるんだよ。
「マティアスったら・・・これは私が編んだの。そんなに褒めてくれるなんて・・・」
イネスは真っ赤になって、うつむいた。
・・・おいおい、まさか本気じゃないんだろうな?俺はなんの茶番を見せられてるんだ?
兄に色目を使うガキも、そんな女に愛想よく返事をする兄も見たくない。
俺は黙って席を立った。
「リュカ?」兄が驚いたように俺を見た。へえ、俺がいることに気がついてたんだ。ふん。
「少し気分が良くないものですから、失礼いたします。兄上、イネス嬢、席を離れるご無礼をお許しください」
俺は口元に手を置き、気分が悪いことを装った。
「まあ、どうしたのかしら?なにか悪いものでも食べたのかしら?」
「今日も皆の前で歌を披露して緊張していたんじゃないのか?日陰で休んだほうがいいのかもしれないな。後で様子を見に行くよ」
「ご心配なく」
俺はピシャリと兄のことばをさえぎった。兄が戸惑っている気配を感じたが、俺は目も合わせずに兄に背中を向けた。
「にいちゃんは俺のなのに。馴れ馴れしくしやがって」
知ってはいた。
兄は俺一人のものじゃない。
未来の公爵様。たった一人のご嫡男様だ。
吹けば飛ぶような俺とは違い、社会の中での役割もある。
でも、我慢できなかった。
腹ただしい気持ちを抑えきれず、兄と釣りをした湖に向かう。
二人で笑い合いながらする釣りはあんなに楽しかったのに。
世界にふたりしかいなければいいのに。
足元に転がっていた小石を湖に投げ入れると、小石はぽちゃんと音をたて、水面に吸い込まれていった。
胸の中のざわつきはおさまらない。いっそ湖に飛び込んで上等な服をだめにしてやろうか。
かさっ
背後から、誰かが足音を殺すようにそっと近づいてきた。
(もしかして、にいちゃん?やっぱり、俺の気持ちを分かってくれるのは・・・)
勢いよく振り返ると、そこにいたのは、
「イネス?・・・さん?」
頬を染め、少しだけ髪を乱したイネスがそこにいた。
期待した分だけ、失望も大きい。胸の中で膨らんだ風船がぺちゃんこにへこんだような気分だ。
なんでこんな奴が俺たちの大切な場所に来るんだよ。
「リュカ・・・?」イネスが瞳をうるませながら俺に近づいてくる。
「あなた、私とマティアス様が仲良く話していたから、嫉妬したんでしょ?」
俺は思わず息を飲んだ。なんでバレたんだ。こんな女に。
「ふふふ。正直に言っていいのよ。かわいい。やきもちを焼くなんて」
思わず俺はイネスを置いて逃げ出した。
(なんで、なんでわかったんだ。あんな奴に。絶対、バレてないと思ったのに)
頭が真っ白になり、とにかく逃げることしか考えられなかった。
目の前はぐるぐる回り、耳には何も聞こえない。ただ、俺が兄に抱いている知られてはならない思いを、初対面の、しかも絶対に知られたくないタイプの女に知られてしまった。
どうしよう。どうしたらいい?
森の奥深くでぜいぜいと呼吸を整えながら、木の幹に手をおくと手のひらがぶるぶるとふるえていた。
いや、手だけじゃない、全身がふるえている。
(落ち着け。落ち着くんだ。そして何もなかったことにしろ。)
俺は自分に言い聞かせ、さっきまで座っていた席に戻った。
兄は心配そうに何度も俺を見ていたが、俺は、あいまいな笑みを浮かべたまま、素知らぬ顔でお茶を飲み続けた。お茶は、なんの味もしなかった。
主人は家の外で、仕事や社交クラブでの付き合いを重ね、家に有利になるために人脈を形成する。
夫人は主に女性同士の社交のために、日中行われるお茶会や夜の舞踏会に熱心に参加し、また自宅でのパーティーを取り仕切る。
かなりの資金と労力をつぎ込んでおこなれるこの行事に、俺も時々付き合わされていた。歌う余興係ってところだ。
「あなた、可愛いわね。初めて見た顔だけど。公爵家の次男って本当なの?」
いやいやながら参加したお茶会で歌を披露したあと、初対面なのに遠慮なしに話しかけてきた女がいた。
名前はイネス。
俺と同い年だそうだ。
どういった理由か、その日俺とイネスは隣り合った席に座らされていた。
大きな青い目に金髪のふわふわとした巻き毛。
まるで人形のように整った容姿に最高級品をふんだんにあしらったドレス。
その全てがこの少女が豊かな家の娘であり、甘やかされ苦労知らずに育ったことを示していた。
手に入らないものなどない、美しい少女。
将来は、非の打ち所のない婚約者を与えられ、成功を約束された人生が待っている。
ただ、その瞳に宿る高慢さだけが、少女の未来に一点の影を落としていた。
「イネス、ようこそ」
兄が優しく微笑みながら俺たちのテーブルに近づいてきた。
「マティアス!」
イネスは満面の笑みを浮かべ立ち上がると、まるで兄が自分のものであるかのように親しげに腕に触れた。
俺の胸が鈍い音を立てて痛み、思わずにらみつけそうになる視線をあわてて伏せた。
兄はそんな俺にまるで気づかず、イネスと天気や音楽の話をしている。
「もう、どうして今日はマティアスの隣じゃなかったの?私マティアスと話すために、お母様についてきたのに。今日のドレスはどうかしら?」イネスが可愛らしく頬をふくらませる。
「とても可愛いね。君に似合っている。この胸元に飾られたレースは、特に美しいね」
兄が人目で誰かの手作りとわかる下手くそなレースを褒めた。
くだらない。いくら社交辞令にも限度がある、どこのあほがそんなお世辞を真に受けるんだよ。
「マティアスったら・・・これは私が編んだの。そんなに褒めてくれるなんて・・・」
イネスは真っ赤になって、うつむいた。
・・・おいおい、まさか本気じゃないんだろうな?俺はなんの茶番を見せられてるんだ?
兄に色目を使うガキも、そんな女に愛想よく返事をする兄も見たくない。
俺は黙って席を立った。
「リュカ?」兄が驚いたように俺を見た。へえ、俺がいることに気がついてたんだ。ふん。
「少し気分が良くないものですから、失礼いたします。兄上、イネス嬢、席を離れるご無礼をお許しください」
俺は口元に手を置き、気分が悪いことを装った。
「まあ、どうしたのかしら?なにか悪いものでも食べたのかしら?」
「今日も皆の前で歌を披露して緊張していたんじゃないのか?日陰で休んだほうがいいのかもしれないな。後で様子を見に行くよ」
「ご心配なく」
俺はピシャリと兄のことばをさえぎった。兄が戸惑っている気配を感じたが、俺は目も合わせずに兄に背中を向けた。
「にいちゃんは俺のなのに。馴れ馴れしくしやがって」
知ってはいた。
兄は俺一人のものじゃない。
未来の公爵様。たった一人のご嫡男様だ。
吹けば飛ぶような俺とは違い、社会の中での役割もある。
でも、我慢できなかった。
腹ただしい気持ちを抑えきれず、兄と釣りをした湖に向かう。
二人で笑い合いながらする釣りはあんなに楽しかったのに。
世界にふたりしかいなければいいのに。
足元に転がっていた小石を湖に投げ入れると、小石はぽちゃんと音をたて、水面に吸い込まれていった。
胸の中のざわつきはおさまらない。いっそ湖に飛び込んで上等な服をだめにしてやろうか。
かさっ
背後から、誰かが足音を殺すようにそっと近づいてきた。
(もしかして、にいちゃん?やっぱり、俺の気持ちを分かってくれるのは・・・)
勢いよく振り返ると、そこにいたのは、
「イネス?・・・さん?」
頬を染め、少しだけ髪を乱したイネスがそこにいた。
期待した分だけ、失望も大きい。胸の中で膨らんだ風船がぺちゃんこにへこんだような気分だ。
なんでこんな奴が俺たちの大切な場所に来るんだよ。
「リュカ・・・?」イネスが瞳をうるませながら俺に近づいてくる。
「あなた、私とマティアス様が仲良く話していたから、嫉妬したんでしょ?」
俺は思わず息を飲んだ。なんでバレたんだ。こんな女に。
「ふふふ。正直に言っていいのよ。かわいい。やきもちを焼くなんて」
思わず俺はイネスを置いて逃げ出した。
(なんで、なんでわかったんだ。あんな奴に。絶対、バレてないと思ったのに)
頭が真っ白になり、とにかく逃げることしか考えられなかった。
目の前はぐるぐる回り、耳には何も聞こえない。ただ、俺が兄に抱いている知られてはならない思いを、初対面の、しかも絶対に知られたくないタイプの女に知られてしまった。
どうしよう。どうしたらいい?
森の奥深くでぜいぜいと呼吸を整えながら、木の幹に手をおくと手のひらがぶるぶるとふるえていた。
いや、手だけじゃない、全身がふるえている。
(落ち着け。落ち着くんだ。そして何もなかったことにしろ。)
俺は自分に言い聞かせ、さっきまで座っていた席に戻った。
兄は心配そうに何度も俺を見ていたが、俺は、あいまいな笑みを浮かべたまま、素知らぬ顔でお茶を飲み続けた。お茶は、なんの味もしなかった。
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