上 下
19 / 279
第一幕〜リュカ〜

19 8歳 兄との約束

しおりを挟む
「危ないところでした。すぐに吐かせなければ、今頃はもうこの世におりませんでしたよ」

ぼんやりした意識の向こうで、医者が告げている。

「おかしいと思ったんだ。私にナッツ入りのクッキーを出すなんて。私が食べないことはわかっていたはずだから・・・標的はリュカだ」
「まさかこんな手に出るとは思いませんでした」
「私もだ。甘かった」

兄の悔しそうな声と震える手。兄は本気で怒っていた。

「にい・・・兄上」

自分の出したガラガラ声におどろく。
毒で喉を焼かれたらしい。ヒリヒリと焼け付くような痛みは、危うく命を落とすところだったと思い知らされる。

兄は、はっとしたように振り返り、その顔に柔和な笑みが貼り付けられた。

「心配したんだぞ、リュカ」
「兄上、心配をおかけして・・・申し訳ありません」

俺、奥様に殺されかけたんだ。そして、兄はそれを俺に知らせたくないと思っている。
微妙な空気のなか、医者が俺たちの間に割ってはいった。

「失礼します、診察させていただきますよ」

医者は舌やまぶたの裏を確認し、指を視線で追わせた。

「ふむ。大丈夫そうですな。1週間程度静養すれば元に戻るでしょう。マティアス様の機転のおかげですよ」
「先生、ありがとうございました、兄上も・・・」
「消化のいいものを食べて、ゆっくり休みなさい」

医師はうなずき、ベネディクトを伴って部屋を出て行った。



「リュカ、すまない」

兄はしょんぼりと肩を落としていた。まるで雨に濡れた犬みたいだ。

「にいちゃん、にいちゃんのせいじゃない、でしょ?」
「いや、私の責任だ。ナッツ入りのクッキーが入っていた時に、おかしいと思わなければならなかったのに。私はナッツが食べられないんだよ。この家のものなら誰でも知っている。気づくべきだったのに・・・」
「でも、にいちゃんのお陰で、俺の命が助かったって先生が」
「私が先に気づくべきだったんだよ。母はね、まあ、色々と難しくて・・・私はそれを知っていたのに・・・」
「俺のかあちゃんがあいじんだから?」

一瞬、兄はひるんだ。

「まあ、そうとも言うな」
「いつも先生に言われてたもん。かあちゃんはあいじんだし、俺はわきまえろって」
「そうか」

あの兄が困ったように目を泳がせた。

「でも、話をしたこともないのに、これ以上どうわきまえたらいいのかわかんない」
「そうだな。でも、お前が傷つくのは、苦しいよ」
「にいちゃん、俺が傷つくと苦しいの?」
「もちろんだよ。リュカ。お前はたった一人の私の弟だ。可愛くてたまらない。さっき、お前の顔が真っ白に変わって行った時、本当に怖かった。失ってしまうのかと・・・」
「にいちゃん」
「リュカ。これからは私がもっと気をつけるから。だからお前も気をつけておくれ。たのむよ」

切々と訴える兄の声。
俺は死にかかった恐怖よりも、ここまで心配してもらえることの方がうれしかった。
でも、兄が自分を責めるのは嫌だ。

「うん、にいちゃん。俺、気をつける」

それが俺にできる精一杯のことだから。



しばらくして、湖にルイスが浮かんでいた。

夜明け前、庭の手入れを始めようとした庭師が発見したそうだ。
その顔は目は見開いていたけれど、口元は笑うように上がっていたそうだ。ルイスの胸ポケットには、妙なほど大金が入っていたから自殺のはずがないから事故だろうって。多分、酔っ払って足を滑らせたってことだったけど、本当のことはわからない。
使用人達の噂話で、俺が仕入れられたのはここまでだった。


兄は翌年から入る予定だった寄宿舎への入寮を取りやめた。
理由は、「もっと勉強がしたいから」
高位貴族である兄は、寄宿舎に入ってしまったら役職を押し付けられ、家庭教師から学べる時間が限られてしまう。
閣下はさすが我が息子と喜んだそうだが、本当は違う。兄は俺を守るため、家に残ることにしたのだ。
隙あらば俺を害そうと手ぐすね引いている奥様から一人で逃げ延びるには、俺は幼すぎた。
あの頃、兄が俺を守ってくれなかったら、俺は生き延びることができなかっただろう。

だから、俺はどうあっても「兄のもの」、なのかもしれない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

獣の幸福

嘉野六鴉
BL
異能を持つ一族に生まれた欠陥品の青年・キオは、王族の中でも立場の弱い第五王子・フレンの護衛として、この一年間仕えている。 今では互いを深く信頼し合っている主従の穏やかな毎日は、平和そのものだった。 自分を必要としてくれる少年に依存しかけていることを自覚しながらも、この日々がいつまでも続くことをキオは密かに願っていたが、ある日を境にフレンの様子が変わってしまう。 どうやら、キオが一族の当主にして自らの異母兄であるジルヴェストと、定期的に肉体関係を持っていることを感づかれてしまったらしく――。 愛されたい気持ちの強い不憫系な青年主人公(美人だが多少口が悪い)を巡る、鬼才年下王子(最初はワンコ系)と最強異母兄(無愛想クール)の国を巻き込んだ執着愛ファンタジーの予定です。 ※R18はサブタイトルに*マーク有(残酷描写は予告なし) ※シリアス寄り、(異母)兄×弟、3P(予定では終盤)にご注意 ※ムーンライトノベルズ様でも掲載中です

運命の選択が見えるのですが、どちらを選べば幸せになれますか? ~私の人生はバッドエンド率99.99%らしいです~

日之影ソラ
恋愛
第六王女として生を受けたアイリスには運命の選択肢が見える。選んだ選択肢で未来が大きく変わり、最悪の場合は死へ繋がってしまうのだが……彼女は何度も選択を間違え、死んではやり直してを繰り返していた。 女神様曰く、彼女の先祖が大罪を犯したせいで末代まで呪われてしまっているらしい。その呪いによって彼女の未来は、99.99%がバッドエンドに設定されていた。 婚約破棄、暗殺、病気、仲たがい。 あらゆる不幸が彼女を襲う。 果たしてアイリスは幸福な未来にたどり着けるのか? 選択肢を見る力を駆使して運命を切り開け!

転生したらいろんな意味で兄に可愛がられています~ヴァルハラで死合いましょう~

夢咲まゆ
BL
 ヴァルハラに集められたオーディンの眷属ーーエインヘリヤル。不老不死の彼らは、「死合い」という命懸けの戦闘を行い、自らの能力を高め合っていた。  新人戦士・アクセルは、憧れの兄・フレインに追いつくべく、必死に戦士ランキングを上げていく。  何度死んでも変わらない兄への恋慕。もっと自分を見て欲しい。いつか本気で「死合い」たい。  アクセルの想いは、果たしてフレインに届くのか……? ◎美麗表紙イラスト:ずーちゃ(@zuchaBC) ※北欧神話のヴァルハラを舞台にしています。 ※戦闘シーンの練習のために始めたので、流血が多めです。苦手な人はご注意!(流血シーンには※をつけてあります) ※あくまで創作なので、ガチの「北欧神話」ではありません。設定を都合よく解釈してる部分も多々あり。 ※細かいことは抜きに、純粋に創作として楽しんでくだされば幸いです。 ※こちらに転載するに際して、タイトルを少し変えました。

【完結】復讐の館〜私はあなたを待っています〜

リオール
ホラー
愛しています愛しています 私はあなたを愛しています 恨みます呪います憎みます 私は あなたを 許さない

BLゲームのメンヘラオメガ令息に転生したら腹黒ドS王子に激重感情を向けられています

松原硝子
BL
小学校の給食調理員として働くアラサーの独身男、吉田有司。考案したメニューはどんな子どもの好き嫌いもなくしてしまうと評判の敏腕調理員だった。そんな彼の趣味は18禁BLのゲーム実況をすること。だがある日ユーツーブのチャンネルが垢バンされてしまい、泥酔した挙げ句に歩道橋から落下してしまう。 目が覚めた有司は死ぬ前に最後にクリアしたオメガバースの18禁BLゲーム『アルティメットラバー』の世界だという事に気がつく。 しかも、有司はゲームきっての悪役、攻略対象では一番人気の美形アルファ、ジェラルド王子の婚約者であるメンヘラオメガのユージン・ジェニングスに転生していた。 気に入らないことがあると自殺未遂を繰り返す彼は、ジェラルドにも嫌われている上に、ゲームのラストで主人公に壮絶な嫌がらせをしていたことがばれ、婚約破棄された上に島流しにされてしまうのだ。 だが転生時の年齢は14歳。断罪されるのは23歳のはず。せっかく大富豪の次男に転生したのに、断罪されるなんて絶対に嫌だ! 今度こそ好きに生ききりたい! 用意周到に婚約破棄の準備を進めるユージン。ジェラルド王子も婚約破棄に乗り気で、二人は着々と来るべき日に向けて準備を進めているはずだった。 だが、ジェラルド王子は突然、婚約破棄はしないでこのまま結婚すると言い出す。 王弟の息子であるウォルターや義弟のエドワードを巻き込んで、ユージンの人生を賭けた運命のとの戦いが始まる――!? 腹黒、執着強め美形王子(銀髪25歳)×前世は敏腕給食調理員だった恋愛至上主義のメンヘラ悪役令息(金髪23歳)のBL(の予定)です。

本物の恋、見つけましたⅡ ~今の私は地味だけど素敵な彼に夢中です~

日之影ソラ
恋愛
本物の恋を見つけたエミリアは、ゆっくり時間をかけユートと心を通わていく。 そうして念願が叶い、ユートと相思相愛になることが出来た。 ユートからプロポーズされ浮かれるエミリアだったが、二人にはまだまだ超えなくてはならない壁がたくさんある。 身分の違い、生きてきた環境の違い、価値観の違い。 様々な違いを抱えながら、一歩ずつ幸せに向かって前進していく。 何があっても関係ありません! 私とユートの恋は本物だってことを証明してみせます! 『本物の恋、見つけました』の続編です。 二章から読んでも楽しめるようになっています。

【完結】10引き裂かれた公爵令息への愛は永遠に、、、

華蓮
恋愛
ムールナイト公爵家のカンナとカウジライト公爵家のマロンは愛し合ってた。 小さい頃から気が合い、早いうちに婚約者になった。

異世界ゆるり紀行 ~子育てしながら冒険者します~

水無月 静琉
ファンタジー
神様のミスによって命を落とし、転生した茅野巧。様々なスキルを授かり異世界に送られると、そこは魔物が蠢く危険な森の中だった。タクミはその森で双子と思しき幼い男女の子供を発見し、アレン、エレナと名づけて保護する。格闘術で魔物を楽々倒す二人に驚きながらも、街に辿り着いたタクミは生計を立てるために冒険者ギルドに登録。アレンとエレナの成長を見守りながらの、のんびり冒険者生活がスタート! ***この度アルファポリス様から書籍化しました! 詳しくは近況ボードにて!

処理中です...