上 下
11 / 247
1 聖女開眼

11 専属侍女デボラ(現・男爵夫人の専属侍女)

しおりを挟む
私は、ヴァイオレットお嬢様の乳姉妹として育った。

美しく、天真爛漫で優しいお嬢様。
伯爵家の令嬢という高い身分にも関わらず、気取らず、優しく接してくださるお嬢様。
こんなに優しいお嬢様にお仕えできる私はなんて恵まれているのだろう、そう思って育ってきた。

ちょっと夢見がちなところはあるけれど、いつも楽しそうな声で笑っているお嬢様。
もうそのお姿は私の心の中にしかいらっしゃらないけれど。
今でも、お嬢様の笑い声が私の心に響いている。

いつの日からか、お嬢様から明るさが失われていった。
あの男、ヘンリー・ディライト男爵が現れてからだ。

ディライト卿は、美しい男性だった。
濃い茶色の髪に真っ青な瞳。優しく微笑む細身の姿を見ると女性たちはさざめきたつ。
こんなに美しい男性がいらっしゃるのだと、淡い憧れを抱いたのは私だけではなかったはず。
もちろん私とは身分が違うので分不相応な夢など抱かない。
でも不思議なことに、私にとってディライト卿は現実の人間であるようには思えなかった。
いつも、どこか別の所、別の人のところに心を置いているような方。
そう、絵画の中で微笑む人のように。
目の前で微笑んでいても、その笑みが私たちに向けられていないような。
いつもそういう印象を持たせる方だった。

夢見がちなお嬢様は初めてあった日からディライト卿に夢中になり、いつしか婚約者として過ごされるようになった。ディライト卿はいつも丁寧に、格上の伯爵家の令嬢に対する礼節を守った態度を貫き続けた。
ただ、どこか違和感が拭いきれない。
美しい男性だが、何かが足りないのではないか。そう、あの方がお嬢様を見つめる目には「情」がなかった。
お嬢様の瞳の中に輝く愛を映し照らすような「情」。
愛はなくともせめて、生涯をともにする相手に対する「情」。
そういった感情をまるで映さない瞳であることに、ふと、気が付いた。

もちろん、ディライト卿に夢中になっているお嬢様にはそんなことは言えない。

月に一度のお茶会のため、うきうきしながらディライト卿のためにドレスや髪型を選ぶお嬢様の姿。
から回っているようにしか思えない。でも、お喜びになっているお嬢様のご機嫌を損ねるようなことはしたくない。
私にとってとても大切なお嬢様なのだ。大切に、大切にお守りしてお仕えしてきた方。その方の幸せのためなら私はどんなことでもする覚悟ができていた。

婚約から1年ほど経つと、お嬢様はふと考え込まれるような様子をお見せになることが増えてきた。
寂しそうなそのお姿に、どうにかお慰めできないかと気をもんだが、誰よりもお嬢様が悩んでいることを誰にも知られたくないのではないかと思えた。

お輿入れの2週間前、ディライト卿が突然訪ねてきた日の夜にお嬢様を苦しめていた悩みの正体を知ることになった。

毎日、お嬢様がお眠りの前になるお茶をお持ちするのは私の仕事だ。
その日もいつもの時間にお部屋に伺ったところ、お嬢様が声を殺すようにして泣いていた。
美しい瞳は真っ赤になり、悄然と消え入りそうな悲しげなご様子に心配が募る。

「お嬢様、どうなさったのですか?」
「デボラ‥‥‥」
「何かあったのですか?まさかディライト卿にご無体なことでも‥‥‥」
「いいえ、そうじゃないわ。あの方は紳士よ。そのようなことは決してなさらない。いえむしろ、私を愛するあまり情熱が溢れてしまい、そのようなことが起こってしまったのであれば良かったぐらいよ」

お嬢様は唇を噛んだ。
「そうじゃない‥‥‥そうじゃないのよ‥‥‥デボラ‥‥‥」

しばらくすすり泣いた後、何度か逡巡し、目を伏せて何かを決意したように言葉を絞り出す。

「あの方、私を愛していらっしゃらないんですって‥‥‥これからも愛することはないと。結婚を取りやめにできないか、お話にいらっしゃったのよ」

声を震わせ、囁くように話すお嬢様はこのまま消えてしまうのではないかと思えるくらい、儚く見えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

運命の歯車が壊れるとき

和泉鷹央
恋愛
 戦争に行くから、君とは結婚できない。  恋人にそう告げられた時、子爵令嬢ジゼルは運命の歯車が傾いで壊れていく音を、耳にした。    他の投稿サイトでも掲載しております。

もう彼女でいいじゃないですか

キムラましゅろう
恋愛
ある日わたしは婚約者に婚約解消を申し出た。 常にわたし以外の女を腕に絡ませている事に耐えられなくなったからだ。 幼い頃からわたしを溺愛する婚約者は婚約解消を絶対に認めないが、わたしの心は限界だった。 だからわたしは行動する。 わたしから婚約者を自由にするために。 わたしが自由を手にするために。 残酷な表現はありませんが、 性的なワードが幾つが出てきます。 苦手な方は回れ右をお願いします。 小説家になろうさんの方では ifストーリーを投稿しております。

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

嫌われ者の側妃はのんびり暮らしたい

風見ゆうみ
恋愛
「オレのタイプじゃないんだよ。地味過ぎて顔も見たくない。だから、お前は側妃だ」 顔だけは良い皇帝陛下は、自らが正妃にしたいと希望した私を側妃にして別宮に送り、正妃は私の妹にすると言う。 裏表のあるの妹のお世話はもううんざり! 側妃は私以外にもいるし、面倒なことは任せて、私はのんびり自由に暮らすわ! そう思っていたのに、別宮には皇帝陛下の腹違いの弟や、他の側妃とのトラブルはあるし、それだけでなく皇帝陛下は私を妹の毒見役に指定してきて―― それって側妃がやることじゃないでしょう!? ※のんびり暮らしたかった側妃がなんだかんだあって、のんびりできなかったけれど幸せにはなるお話です。

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

婚約破棄されたら魔法が解けました

かな
恋愛
「クロエ・ベネット。お前との婚約は破棄する。」 それは学園の卒業パーティーでの出来事だった。……やっぱり、ダメだったんだ。周りがザワザワと騒ぎ出す中、ただ1人『クロエ・ベネット』だけは冷静に事実を受け止めていた。乙女ゲームの世界に転生してから10年。国外追放を回避する為に、そして后妃となる為に努力し続けて来たその時間が無駄になった瞬間だった。そんな彼女に追い打ちをかけるかのように、王太子であるエドワード・ホワイトは聖女を新たな婚約者とすることを発表した。その後はトントン拍子にことが運び、冤罪をかけられ、ゲームのシナリオ通り国外追放になった。そして、魔物に襲われて死ぬ。……そんな運命を辿るはずだった。 「こんなことなら、転生なんてしたくなかった。元の世界に戻りたい……」 あろうことか、最後の願いとしてそう思った瞬間に、全身が光り出したのだ。そして気がつくと、なんと前世の姿に戻っていた!しかもそれを第二王子であるアルベルトに見られていて……。 「……まさかこんなことになるなんてね。……それでどうする?あの2人復讐でもしちゃう?今の君なら、それができるよ。」 死を覚悟した絶望から転生特典を得た主人公の大逆転溺愛ラブストーリー! ※最初の5話は毎日18時に投稿、それ以降は毎週土曜日の18時に投稿する予定です

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

処理中です...