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1 聖女開眼
11 専属侍女デボラ(現・男爵夫人の専属侍女)
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私は、ヴァイオレットお嬢様の乳姉妹として育った。
美しく、天真爛漫で優しいお嬢様。
伯爵家の令嬢という高い身分にも関わらず、気取らず、優しく接してくださるお嬢様。
こんなに優しいお嬢様にお仕えできる私はなんて恵まれているのだろう、そう思って育ってきた。
ちょっと夢見がちなところはあるけれど、いつも楽しそうな声で笑っているお嬢様。
もうそのお姿は私の心の中にしかいらっしゃらないけれど。
今でも、お嬢様の笑い声が私の心に響いている。
いつの日からか、お嬢様から明るさが失われていった。
あの男、ヘンリー・ディライト男爵が現れてからだ。
ディライト卿は、美しい男性だった。
濃い茶色の髪に真っ青な瞳。優しく微笑む細身の姿を見ると女性たちはさざめきたつ。
こんなに美しい男性がいらっしゃるのだと、淡い憧れを抱いたのは私だけではなかったはず。
もちろん私とは身分が違うので分不相応な夢など抱かない。
でも不思議なことに、私にとってディライト卿は現実の人間であるようには思えなかった。
いつも、どこか別の所、別の人のところに心を置いているような方。
そう、絵画の中で微笑む人のように。
目の前で微笑んでいても、その笑みが私たちに向けられていないような。
いつもそういう印象を持たせる方だった。
夢見がちなお嬢様は初めてあった日からディライト卿に夢中になり、いつしか婚約者として過ごされるようになった。ディライト卿はいつも丁寧に、格上の伯爵家の令嬢に対する礼節を守った態度を貫き続けた。
ただ、どこか違和感が拭いきれない。
美しい男性だが、何かが足りないのではないか。そう、あの方がお嬢様を見つめる目には「情」がなかった。
お嬢様の瞳の中に輝く愛を映し照らすような「情」。
愛はなくともせめて、生涯をともにする相手に対する「情」。
そういった感情をまるで映さない瞳であることに、ふと、気が付いた。
もちろん、ディライト卿に夢中になっているお嬢様にはそんなことは言えない。
月に一度のお茶会のため、うきうきしながらディライト卿のためにドレスや髪型を選ぶお嬢様の姿。
から回っているようにしか思えない。でも、お喜びになっているお嬢様のご機嫌を損ねるようなことはしたくない。
私にとってとても大切なお嬢様なのだ。大切に、大切にお守りしてお仕えしてきた方。その方の幸せのためなら私はどんなことでもする覚悟ができていた。
婚約から1年ほど経つと、お嬢様はふと考え込まれるような様子をお見せになることが増えてきた。
寂しそうなそのお姿に、どうにかお慰めできないかと気をもんだが、誰よりもお嬢様が悩んでいることを誰にも知られたくないのではないかと思えた。
お輿入れの2週間前、ディライト卿が突然訪ねてきた日の夜にお嬢様を苦しめていた悩みの正体を知ることになった。
毎日、お嬢様がお眠りの前になるお茶をお持ちするのは私の仕事だ。
その日もいつもの時間にお部屋に伺ったところ、お嬢様が声を殺すようにして泣いていた。
美しい瞳は真っ赤になり、悄然と消え入りそうな悲しげなご様子に心配が募る。
「お嬢様、どうなさったのですか?」
「デボラ‥‥‥」
「何かあったのですか?まさかディライト卿にご無体なことでも‥‥‥」
「いいえ、そうじゃないわ。あの方は紳士よ。そのようなことは決してなさらない。いえむしろ、私を愛するあまり情熱が溢れてしまい、そのようなことが起こってしまったのであれば良かったぐらいよ」
お嬢様は唇を噛んだ。
「そうじゃない‥‥‥そうじゃないのよ‥‥‥デボラ‥‥‥」
しばらくすすり泣いた後、何度か逡巡し、目を伏せて何かを決意したように言葉を絞り出す。
「あの方、私を愛していらっしゃらないんですって‥‥‥これからも愛することはないと。結婚を取りやめにできないか、お話にいらっしゃったのよ」
声を震わせ、囁くように話すお嬢様はこのまま消えてしまうのではないかと思えるくらい、儚く見えた。
美しく、天真爛漫で優しいお嬢様。
伯爵家の令嬢という高い身分にも関わらず、気取らず、優しく接してくださるお嬢様。
こんなに優しいお嬢様にお仕えできる私はなんて恵まれているのだろう、そう思って育ってきた。
ちょっと夢見がちなところはあるけれど、いつも楽しそうな声で笑っているお嬢様。
もうそのお姿は私の心の中にしかいらっしゃらないけれど。
今でも、お嬢様の笑い声が私の心に響いている。
いつの日からか、お嬢様から明るさが失われていった。
あの男、ヘンリー・ディライト男爵が現れてからだ。
ディライト卿は、美しい男性だった。
濃い茶色の髪に真っ青な瞳。優しく微笑む細身の姿を見ると女性たちはさざめきたつ。
こんなに美しい男性がいらっしゃるのだと、淡い憧れを抱いたのは私だけではなかったはず。
もちろん私とは身分が違うので分不相応な夢など抱かない。
でも不思議なことに、私にとってディライト卿は現実の人間であるようには思えなかった。
いつも、どこか別の所、別の人のところに心を置いているような方。
そう、絵画の中で微笑む人のように。
目の前で微笑んでいても、その笑みが私たちに向けられていないような。
いつもそういう印象を持たせる方だった。
夢見がちなお嬢様は初めてあった日からディライト卿に夢中になり、いつしか婚約者として過ごされるようになった。ディライト卿はいつも丁寧に、格上の伯爵家の令嬢に対する礼節を守った態度を貫き続けた。
ただ、どこか違和感が拭いきれない。
美しい男性だが、何かが足りないのではないか。そう、あの方がお嬢様を見つめる目には「情」がなかった。
お嬢様の瞳の中に輝く愛を映し照らすような「情」。
愛はなくともせめて、生涯をともにする相手に対する「情」。
そういった感情をまるで映さない瞳であることに、ふと、気が付いた。
もちろん、ディライト卿に夢中になっているお嬢様にはそんなことは言えない。
月に一度のお茶会のため、うきうきしながらディライト卿のためにドレスや髪型を選ぶお嬢様の姿。
から回っているようにしか思えない。でも、お喜びになっているお嬢様のご機嫌を損ねるようなことはしたくない。
私にとってとても大切なお嬢様なのだ。大切に、大切にお守りしてお仕えしてきた方。その方の幸せのためなら私はどんなことでもする覚悟ができていた。
婚約から1年ほど経つと、お嬢様はふと考え込まれるような様子をお見せになることが増えてきた。
寂しそうなそのお姿に、どうにかお慰めできないかと気をもんだが、誰よりもお嬢様が悩んでいることを誰にも知られたくないのではないかと思えた。
お輿入れの2週間前、ディライト卿が突然訪ねてきた日の夜にお嬢様を苦しめていた悩みの正体を知ることになった。
毎日、お嬢様がお眠りの前になるお茶をお持ちするのは私の仕事だ。
その日もいつもの時間にお部屋に伺ったところ、お嬢様が声を殺すようにして泣いていた。
美しい瞳は真っ赤になり、悄然と消え入りそうな悲しげなご様子に心配が募る。
「お嬢様、どうなさったのですか?」
「デボラ‥‥‥」
「何かあったのですか?まさかディライト卿にご無体なことでも‥‥‥」
「いいえ、そうじゃないわ。あの方は紳士よ。そのようなことは決してなさらない。いえむしろ、私を愛するあまり情熱が溢れてしまい、そのようなことが起こってしまったのであれば良かったぐらいよ」
お嬢様は唇を噛んだ。
「そうじゃない‥‥‥そうじゃないのよ‥‥‥デボラ‥‥‥」
しばらくすすり泣いた後、何度か逡巡し、目を伏せて何かを決意したように言葉を絞り出す。
「あの方、私を愛していらっしゃらないんですって‥‥‥これからも愛することはないと。結婚を取りやめにできないか、お話にいらっしゃったのよ」
声を震わせ、囁くように話すお嬢様はこのまま消えてしまうのではないかと思えるくらい、儚く見えた。
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