そうです。私がヒロインです。羨ましいですか?

藍音

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1 聖女開眼

10 伯爵令嬢ヴァイオレット・リーフェ(現・男爵夫人) 2

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婚約期間中の2年間、特に事件もなく。
淡々と、ただ毎月1度家族同席のもとお茶をいただくだけ。
どこに連れて行っていただくことも、情熱が溢れるように抱きしめられることもなかった。
甘い言葉も囁きも、ない。

友人たちは、ロマンス小説と現実は違うのよ、という。
私たち貴族の娘はみな政略結婚の駒。婚約者との関係もみな同じようなものだ、と。
ただ、強引に身体を求められて嫌な思いをした、というひとりの友人の言葉にみな震え上がり、礼節を守ってくださるヘンリー様はロマンチックではないけれど良い婚約者なのではないか、とも思った。


ただ、一度だけ、ヘンリー様が、その平静さを崩したことがある。
結婚式の2週間ほど前のことだ。
家族は断りきれない舞踏会に出かけ、結婚の準備のため、私だけが家に残っていたある夜のことだ。
ヘンリー様が突然、先触れもなしに私の元を訪れた。
彼の顔は紙のように白く、喉の奥から絞り出すように聞こえてきた声はまるで別人のようだった。

「本当に、いいのですか?」
「ヘンリー様?どうなさったのですか?」
「私があなたを愛することは、今も、これからもありません。私たちの結婚を取りやめた方がいいのではないですか」

ガツンと頭を叩かれたような衝撃が走った。
そんなはずはない。
そんなことがあっていいはずはない。
だけど!
長い婚約期間中、ふと疑問が湧き上がることがなかったわけではない。
でもその都度そっと心のドアを閉めて心の声には耳を塞いできたのだ。

もしかして、ヘンリー様は私を愛してはいないのでは?
まさか、家のためだけに私との結婚を承諾したのでは?
知りたくない。
もう、すでに、遅い。
その時には、私はヘンリー様を愛しすぎていたのだ。
2年もの時をかけて、淡い憧れはゆっくりと愛へとその姿を変えてしまっていた。
執着にも似たそれは私の血となり肉となっていた。

もう、引くことは、できない。

「私が、あなたを愛します。結婚の取りやめはございません」

声の震えを隠しながら、ヘンリー様に告げる。
そう、この結婚は私から断らなければ、家格が低い上に実家の借金まであるヘンリー様から断ることはできない。
私にはわかっていた。

心の奥底では、わかっていたのだ。

この方は、私を愛していない、と。



程なくして、私はヘンリー様の元に輿入れした。16歳だった。
輿入れの夜、そっと部屋を出ようとするヘンリー様に、若すぎる情熱の一途さか、刃物まで持ち出して抱いてくれるように懇願した。
結局、生死をかけた願いに彼は折れ、優しく抱いてくれた。

でも、ただ一度だけ。
深夜に目が覚めると、ヘンリー様が窓の側に立つ後ろ姿が見えた。
肩が震えているように見える。

そして私に振り返ると、「すまない」と一言。
音もなく部屋を出て行った。
きっと私が目を覚まして聞いているとは思っていなかっただろう。

涙が吹き出すかのように溢れでて止まらなくなった。
これほど深い悲しみがあるのか、涙に限りはあるのか。
この涙が湖になるのなら、そのまま溺れて消えて亡くなってしまいたい。
なぜこんなに悲しいのに私の身体は泡となり、大気となって、空にかえってしまえないのか。


その時、愚かな私は初めて悟ったのだ。

どんなに愛そうと、ヘンリー様が私を愛することはないのだ、ということを。
そう、私たちはロマンス小説の主人公ではなかったのだ。

ただの、二人の、家に縛られた、小さな人間に過ぎなかったのだ、ということを。


ヘンリー様が私の部屋を訪れることは二度となかった。
互いに礼節を保ち、他人のまま、特に波風もなく日々は続いていく。

寂しい気持ちには蓋をする。
ヘンリー様のそばに居られるのなら、それでいい。

ただ、ふと思うことがある。
男爵家の邸宅を取り巻く森から渡る風が、ふと窓から入ってくるその時。
さざ波のような、静かな時の流れをふと、感じるその時に。

もしかして、ここは「奈落」なのではないか、と。
恋という深い渕に落ちてしまった、私がたどり着いた地獄の底。

燠火おきびのような私の恋心は鈍い痛みに変わり、ただ、私をさいなむばかり。

もがいてももがいても、決して報われることはない。想いが届くこともない。
無意味で無益な、そして希望のない日々。

何も起こらず、何も変わらないまま、陽はまた昇り、また沈んでいく。

私たちは、近しい他人のまま、年を重ねていった。


あの娘を引き取る、とヘンリー様が告げるまでは。
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