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帝都貴族護衛任務 前編
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帝都――
皇帝の治める帝国の首都であり皇帝の根城であり、皇室のおかれる帝国城が中央にある、人口も世界でも随一を誇るにぎやかな都。
帝都は大きく分けて、中央の帝国城、それを囲むように貴族と呼ばれる階級の高い者達が住む高級街区、さらにそれを囲むように商店やギルドのならぶ商業区、そしてその周りに一般の帝国臣民が住む一般区、と円状にすみわけがなされている。
一般区の外は軍管区が広がっていて、広大な面積と共にその全てを囲むように塀が築かれている。
塀の入り口は東西南北の4つあり、そのいずれにも帝国軍の駐屯地がおかれている。
また、これまで紹介した各区画にも兵士の詰め所がおかれていて、治安の維持や外敵からの攻撃に速やかに対処できるように整備されている。
特に高級街区と商業区の間は警備が厳しい。ならず者を身分の高いものに近づけないための措置である。
魔物や魔族の中には空を飛べるものもあるが、帝都でもそれに対抗し空からの攻撃に対しても魔法や飛び道具で応戦可能なように専門の兵や宮廷魔導師、その弟子などが各詰め所に配備されていたりもする。
それはさておき、この日、ユウは一人で帝都のとある料亭にいた。
リンは冒険者ギルドのマスター夫妻に預けてある。
今日は先日失礼な客がもたらした護衛の仕事についての打ち合わせにと、依頼主である貴族から招待を受けたのであった。
リンを同伴させてもかまわないということであったが、難しい話にもなるだろうから、とりあえずユウ一人でやってきたのであった。
料亭は「天花菜取の銀狐」を思い起こさせる東国風の造りで、丁度高級街区と商業区の境目の通路に接するところにあった。おそらく高級官僚や貴族達も利用するのであろう、立派な造りになっていてユウが通された部屋から見える中庭も設置されている。
そこでツクシのところでも常備してあったお茶を出され、貴族の到着を待つようにと言伝られた。
お茶をすすりながら中庭をみていたユウだったが、高級料亭ということもあってか、なんだか落ち着かない。見た目にはそわそわしていたりするわけではないのだが、なんだか心がざわつく。
ただ、嫌な予感とかではなく、とにかく慣れないのだ。そうしているとなんだか待っている時間がとても長く感じられて、まだこないか、どれくらい時間がたったかと思っても、ほんのわずかしか時間がたっていなかったりして、自分はこんなにも落ち着きがなかったか? なんて思ったりもして。
時間的にはそう長くはなかったのだが、件の貴族がやってくるまでの間にユウは少し疲れを感じてしまっていた。
それでもそんな表情はおくびにも出さずに、ユウはツクシに教えてもらった正座という座り方で貴族を待つ。
余談ではあるが、このときの様子を見ていた料亭のツクシと同じ国出身の従業員は、「故郷の知り合いの誰よりも綺麗な正座だった」と述べている。
ユウにとっては、非常に長く感じられた時間だったが、ユウが部屋に通されて間もなく、依頼主である貴族も到着した。従業員がユウの正座の綺麗さに目を奪われている頃、貴族は馬車を降りて、料亭の入り口でユウが既に到着している事を聞き、すぐさま部屋へと向かった。
「おお、勇者殿。お待たせしてしまったようで申し訳ない」
ユウが神妙な面持ちでお茶を飲んでいると、木で作られた扉をがらりと開けて、少し恰幅のいい、中年にさしかかるくらいの年齢の男が開けた扉越しに一礼した。店に依頼を持ってきた男の様子から、どんな暴君が来るのかと、ユウはそんな風に思っていたのだが、やってきたのは、貴族にしてはあまり偉ぶる感じもなく、流石に上物の衣服やアクセサリーを身につけているが、派手すぎず、落ち着いた印象を受ける人物であった。
その貴族の足元に、隠れるようにしてちらちらとユウを見ている小さな影があった。
「いえ、私も今きたばかりです」
ユウも貴族に習って一礼する。
流石に、ツクシから聞いていた「三つ指をついて、鼻をたたみにこすりつけるように」みたいな仰々しいものではなく、軽い一礼だ。
むしろ、東国風の料亭ではあるが、ここは帝都なのだから当たり前なのだが、どうしてもあのツクシが見せてくれた仰々しいお辞儀がユウの脳裏をかすめていくのだった。
「改めまして、私はノール=アール公爵と申します。これからよろしくお願いします、勇者殿。さ、お前も挨拶なさい」
ノールの呼びかけに隠れるようにしていた影が、貴族の前に姿を現した。
背丈も年齢もリンと同じくらいだろうか。
少し恥ずかしそうにはにかみながら出てきたのは、小さな女の子だった。シックな黒のドレスで、やはり派手ではないがどこか気品のある服。ノールとはあまり似つかない端正な顔立ちに、今貴族の間で流行っているらしい髪型で、金髪の毛先を丁寧にロールしてある。
そういえばリリーもこんな髪型だったような気がする、とユウは元気なお嬢様冒険者の事を思い出す。
「は、はじめまして、勇者様……の、ノールの娘のアイナです……」
躾もしっかりしているのだろう、アイナは公的な場でなされる貴族流の挨拶をしてみせた。
頭を軽く下げるときに、ロールした髪がふわりと舞って、髪質のよさが窺える。癖っ毛気味な自分の髪とくらべると本当に柔らかそうで、ユウは少しうらやましく思った。
「はじめまして、ノール様、アイナ様。私はユウと申します」
公爵、というくらいだから階級としては最上位に位置することになる。
流石に座ったままでは失礼に当たると思い、ユウは片膝をついて、頭を下げ、一礼した。
正直に言うと、あの失礼な客の主人であるからと警戒していたユウだったが、公爵という高い地位にありながらも、礼を尽くすことのできる人物だとわかり少し安心を覚えた。
そして、ノールがアイナをつれてきたのをみて、リンの同席を薦められた理由にも思い至った。
「ありがとうございます、勇者殿。それでは、まずは、料理の方をいただきましょうか。」
ノールとアイナはユウの真正面に座り、パンパンと二回、拍手をうった。
すると、扉の向こうから「失礼します」と従業員の声がして、それからすぐに料理が次々と運ばれてきた。
テーブルの上に次々に並んでいく料理はどれもツクシの宿で見た料理に似ていたが、食材が違うらしく、色合いや作り方も少し違うようだった。それに加えて、何人もの従業員が次々に料理の皿を運んでくる様は、ユウもはじめてみるもので、リンがみたら喜んだだろう、とリンを預けてきたことに少し後悔を覚えながらも圧倒されてしまっていた。
ふと、アイナを見ると、おそらくアイナもまたここへは初めてつれてこられたのだろう、次々に運ばれてくる料理に目をパチクリさせていた。ユウの視線に気づいたアイナははにかんで下を向く。それでも上目遣いで自分をみているユウをチラチラとみていた。
その様子がとても可愛らしくて、ユウは思わず微笑んでしまった。
「っ!」
その微笑みをみたアイナは耳まで顔を赤くして完全に下を向いてしまった。
二人の周りでは、ユウの笑顔に公爵はため息をついたし、従業員も一瞬動きを止めて思わずため息をついていた。
ちらちらとユウを見るアイナが可愛くて、一方で、アイナはユウの視線が気になって、二人が周りの様子には気づく事はなかった。
料理が出揃ったところで、そもそもノールは護衛の依頼ということで、ユウを呼び出したのであったが、実際に勇者が足を運んでくれる事になるとは夢にも思わなかったと語り、感謝の意を込めて乾杯とした。
返事を貰ったとき、あるいは偽者かもしれないと疑ったが、勇者の様相なんかは帝国中で知られているからその確率は低いし、一時期偽者事件もなかったわけではないがすぐになりを潜めた。真似たところで、あの笑顔を体験してしまった後では、なるほど偽者など出回りようもない、とわかる気がするノールであった。
「いや、本当に申し訳ないことをいたしました。使いのものに聞いております。喫茶店を経営していらしたとか。それなのに、こちらの無理を聞き届けていただき、感無量です」
「あはは、いえ、まぁ、お客もあんまりこないお店ですし、丁度お店番も見つかりましたので」
「いえ、本当にありがとうございます」
改めて深深と頭を下げるノール。
貴族にしては随分腰が低いというか、折り目正しいというか。
もちろん、まったく悪い印象はないし、いやらしさとか影なんかもないから、芯からこういう人なのだろうとユウは思う。
何より、ノールの隣で、ノールを真似て頭を下げるアイナを見れば、人となりもわかるというものだ。
さて、ノールの話では今度10歳になる娘、アイナは、家庭教師の受けもよく大変優秀だとされているのだが、引っ込み思案で恥ずかしがりやなのだそうだ。パーティや公的な場でお披露目しようにも、恥ずかしがって出てこないし、その所為で同じ年頃の友達もいない。
出かけの際の護衛をつけるにも一苦労するという話であった。
そしてこの度、アール家の慣わしで、十歳になるアイナを一人でアール家大家長である、彼女の祖父の元へ挨拶に送らなければならないという。
これはアール一族の本家分家ともに行われる慣わしらしい。だが、もちろんこの引っ込み思案な娘を安心して預けられるような護衛はなかなかいない。
運の悪いことに、いつも彼女の護衛を担当していた女性騎士が、つい先日、寿除隊してしまっていた。
娘を送らなかったとしても、ペナルティがあるわけではないというのだが、やはり体裁も悪いし、また大家長自身もやってくる孫と、その道中の話を楽しみにしているというのだから、尚更行かせてあげたい。
そして、これを機会に引っ込み思案が少しでもよくなれば、という願いもあったのだが、いかんせん護衛の選任が出来ずにいたのだ。
アイナとしては、行きたくないわけではないが、そこいらに短い間でかけるのとはわけが違う、そこそこの長旅になるし、その間見知らぬ護衛がついてるのはなんだか生きた心地がしないのだ。
そこで思いついたのが、勇者の存在だ。
時々家にやってくる吟遊詩人や語り部が話すユウの物語は、アイナにとっては、数ある勇者の冒険譚の中でも一番のお気に入りだった。活躍もさることながら、やはり一度は勇者の笑顔に包まれてみたいとも思う。
生きた伝説、勇者ユウ。彼女なら、彼女の笑顔に包まれたならきっと、祖父の家への長い道中だって大丈夫。勇者様なら自分の人見知りだってへっちゃらだ、とアイナは言った。
そして、彼女のとびきりの笑顔を向けられてみたい、と夢のように思っていた。
その夢はついさっき叶ったわけなのだが。
とにもかくにも、アイナは勇者の護衛がいいと駄々をこね、さすがにそれは無理だとノールは思ったし、一度は諭しもしたのだが、やるだけはやってみようと行動した事が功を奏したのかもしれない。あるいは偶然や奇跡が重なったのか、それともアイナは神に愛されているのかもしれない、などと思いながら、ノールは勇者の奇跡の来訪を神に感謝するのであった。
*
高級な馬車ともなるとこうまで違うのかとユウは驚いた。
これまでユウが乗った事のある馬車といえば、荷馬車だったり乗り合い馬車だったり、思えばこんな高級な馬車に乗るという体験はまさに初めてであった。
隣国国王のパレードの時の馬車はオープンだったし、乗り心地よりも派手さを前面に出していたから、正直乗り心地が良かったとはいえない。
それに比べれば、アール侯爵が普段使っているというこの馬車のなんと乗り心地のいいことか。見た目が豪華なだけでなく、細部に気を使ってある。
たとえば客車のクッションはふかふかで、多少車輪が跳ねたところで、衝撃がほとんど来ない。それだけではない。ユウは今御者台で手綱を握っているのだが、この御者台にもほとんど振動や揺れがこない。もしかしたら客車よりも振動が少ないかもしれない。
馬もよく慣らされているし、この手綱での操縦も非常にしやすい。
馬車など運転したことのなかったユウでも、すぐに出来るようになったしまったほどだ。
とはいえ、ユウには神託勇者の力があるから、人よりコツをつかみやすいのかもしれないが。
車輪にも何か秘密があるのかもしれない。
衝撃や振動が車輪のところで押さえられているような、そんな感じを受ける。
そういえば、アール家は元々馬具を扱う事業をしていたと聞いたことがあることをユウは思い出した。
おそらくこの馬車の開発にも何かしら関わっているのだろう。
客車は完全に雨風が避けれるように、箱型になっていて、四方に窓がついている。
御者台の中からも客車の中が窺える。
ちらりと客車の中を見ると、中にいる二つの小さな姿が見える。
一人は護衛対象であるアイナ、そしてもう一人は小さな角を持った小さなオーガ族の娘、リンだ。
アイナは終始下を向いて、時々リンの方をちらちらと見ている。
先日、料亭でユウをちらちらみていたように。
一方のリンはというと、窓の外の流れる風景を眺めたり、ふかふかのソファの感触を確かめてみたり、寝転がってみたり、どうやらユウと同じく高級馬車に驚いているようで、どことなく落ち着かないようだ。
ふと、アイナの方をみるが、その時ばかりはアイナもちら見をやめて、硬直したように下を向いてしまう。
そんなアイナの様子にリンは首をかしげたりもするが、すぐにまた外を眺めたりソファに寝転がったりする作業に戻る。
今日の行程は、このまま馬車でこの先にある宿場町まで移動する予定である。
朝早く帝都を出発して、既にもうお昼が過ぎた。
予定では、帝都から三日ほど街道に沿って南下すればアール家本家のある街につく予定だ。
移動は全て馬車、宿場町から宿場町までを朝昼をかけて移動し、あらかじめ予約した宿で宿泊。
三日後の昼ごろにはつくだろう、とノールは話していた。
本家にて一日滞在した後、また三日を掛けて戻る。
その間の護衛はユウとリンのみ、となっている。
ユウにしてみれば、リンもまた護衛対象になりうるのだが。
そして、護衛対象である二人は、一人は客車の隅で微動だにしないし、もう一人はせわしなく動き回っている。
整備の不十分な街道は、小石が落ちていたり、轍が酷かったりして、さほど速度をだしていないにもかかわらずよく跳ねる。
そのたびに、リンはソファから一瞬浮き上がる感覚を楽しんでいた。
アイナはというと、硬直した姿勢のまま同じように浮き上がって、またそのままの姿勢のままソファに沈み込む。
何が起こっても石のようにうごかないのではないのかという不安と、ある意味でその不動の意志は賞賛に値するかもしれない、なんてユウは考えていた。
(人見知りを治すのは……むずかしいかもね)
既に馬車に乗り合わせて結構な時間がたったけれど、アイナは微動だにしないし、リンの視線を受けたときも、下を向いてばかりいる。
人見知りなんて、そうすぐに治るものではない事はユウにもわかる。
けれど、これを切欠に少しでもよくなればいいなぁ、なんて、ユウは少し無責任かとも思いながら、そんな事を考えていた。
そして同時に、リンに同じ年齢くらいの友達を持つチャンスなのでは、という思いもあった。
思えばリンを預かって以来、基本的にはユウとばかり過ごしてきた。
出来るだけリンのしたいことをさせてきたし、出来るだけ甘やかさず、厳しくなりすぎずに気をつけてきたつもりもある。
しかし、この年齢の頃に同世代の友人を作り、そこで遊んだり一緒に何かをしたりすることで、さらに学べることが沢山あるはずなのに、それだけはユウもどうしようもなかった。
店をあんな辺鄙な場所に構えなければよかったのだろうけれど――
パティやトリシャ、リリーやホヴィなど、年齢が近いものも客の中にいなくもないのだが、彼らはリンからみれば全員年上だから、友達、というような感覚はリンにないかもしれない。アイナは、リンと同じく十歳になる。いや、今年十歳になるのだから、実際はリンより一つ年下ということになるか。
リンにとっても、初めて自分と同い年くらいの子と一緒に過ごす時間になるはずだ。
最初にリンをアイナに紹介したとき、ユウには心配があった。
それもそのはず、見た目がいくら人間に近いとはいえ、リンには角があり、人間でなく異形種であることはすぐにでもわかってしまう。
出立に立ち会ったノールは目を丸くして、少々不安な表情をみせていたが、アイナはノールの後ろに隠れて、はにかみながらちらちらとユウと、そしてリン、それにリンの角を珍しそうに見ているだけで、そこに怯えやら恐怖といった感情は見て取れなかったから、ユウも少しは安心を覚えるのであった。
とはいえ、リンもアイナもあの調子だから、一体どうなる事やら、とユウは思わずため息をついてしまう。
ガラガラと軽快な音を立てて馬車は進む。
夕暮れが差し迫った頃、最初の宿場町が見えてきた。
「見えてきたよー!」
ユウは振り返って引き戸になっていた窓を開けて、客車の二人に声を掛けた。
「おおー」
ユウのその声に、すぐさま窓をあけ、身を乗り出すようにして馬車の進む方向を眺めるリンが思わず感嘆をもらしていた。
リンの見る先には、少し薄暗くなってきた空に、街灯や家の明かりがつき始めた暖かな光が満ちる街があった。それもまた、リンにとっては新鮮な景色で目を輝かせて見入っている。
一方、そんなリンをまたちらっとみて、すぐに下を向いて固まるアイナ。
「リン、落ちないように気をつけてねー。アイナちゃんも見てごらんよー」
ノールの話では、アイナは基本的に帝都から出たことがないということで、ぜひこの機会に宿場町や外の景色を見せてやってほしい、と頼まれていた。
(うぅん、本人次第なんだけどなぁ)
声を掛けてみても、アイナが動く気配はない。
代わりに、アイナの分までリンが窓と窓を行ったり来たりしている。
結局、アイナは席から動くことも、一言も発することもなく宿へとたどり着いてしまった。
馬車を預け、二人を伴って宿に入るユウ。
リンは初めての街、初めての宿に目に入ったもの、気になったものをあれはなんだろうとか、これは知ってるとか、そんな風にキョロキョロと見回しては目を輝かせている。
ちょろちょろと動き回るリンに、角を隠させているフードがとれないかと、ユウはちょっとヒヤヒヤして見ていた。
宿は、目を引くような豪華さだとか高価そうな調度品が置かれているようないかにも高級な宿ではなかったが、落ち着いていて、古風な感じがする、どこかツクシの宿や先日の料亭を思わせる雰囲気の立派な内装であった。
リンとは対照的に、アイナはただ下を向いて黙ったままでユウの後ろをついてきている。
動き回るリンに時々ちらっと視線を送っているが、宿の内装に気をとられているリンはその視線に気付く事はなかった。
チェックインを済ませ、部屋へと案内される三人。
スイート、とまではいかないが程ほどにランクの高い部屋だということは、内装や家具などの調度品の良さから窺える。
「ふかふかー」
リンがベッドに身を投げると、あまり跳ねることなく、ベッドに沈んでいく。
ユウの家のベッドだって、そう安物ではないのだが、比べ物にならない柔らかさだ。
ただ柔らかいだけでなく、完全に沈みきらず、わずかな反発もあって、腰を痛めないような工夫がなされているようだった。
部屋にはそんなベッドが二つ、部屋の左側と右側にそれぞれ据え付けてあって、その間には小さなテーブルがおかれてある。左側にはユウとリン、右側にはアイナが寝ることとなって、それぞれ荷物の整理をしているのだが、部屋の中央、ベッドの間に置かれているテーブルの上に、三人の到着にあわせて入れておいたと思われるコーヒーとお茶菓子が置いてあるのをリンは目ざとくみつけると、ベッドから這い出て、いち早くそのテーブルについた。
「あはは、お茶にしようか?」
そんなリンに思わず微笑んで、荷物を整理しているアイナにも声を掛ける。
「へっ? あっ、ひゃい!」
急に声を掛けられて、素っ頓狂な声を上げてしまうアイナ。
ユウとリン、二人の視線を浴びて、さらに自分の素っ頓狂な声に、見る見る顔が赤くなっていく。
アイナ自身顔から火が出そうなほど頬が熱くなっているのがわかって、荷物もそのままにベッドに腰掛けたまま、こぶしをぎゅっと握って下を向いたまま固まってしまっていた。
「大丈夫、大丈夫だよ」
ユウが優しいトーンでアイナに声を掛ける。
恥ずかしさのあまり少し涙目になってちたアイナだったが、その声にはっとして顔をあげると、テーブルについている二人が、優しく微笑みながら自分を見つめていた。
「あ……」
二人の笑顔は、なんだか、自分を優しく包み込んで、心の奥からじわりと暖かいものが広がっていくような、そんな風に思えた。
恥ずかしさだとか、緊張だとか、そういうものがまだ抜け切ってなかったけれど、アイナはぎこちなくベッドから立ち上がってテーブルへと歩いていく。
二人は何も言わず、優しい微笑みを崩さずその様子を見守る。
(この二人と、この二人とならお話をしてみたい、お友達になりたい……!)
そんな想いを秘めて、アイナは一歩一歩ユウとリンの元へ歩いていく。
片方は勇者という雲の上の存在、そして片方はオーガの娘という異形の者であったが、今のアイナにはそんな考えはまったくなくて、ただ自分に優しい微笑を向けてくれる二人の女性とお近づきになり、他愛もない話をして、一緒に笑いあいたい、と、その想いだけで歩みを進めていた。
アイナがテーブルにたどり着いたとき、ユウもリンもニッコリと笑った。それは、アイナがこれまで目にしてきたどんな笑顔よりも素敵な笑顔だった。
ただでさえ熱を帯びた顔が、さらに熱くなって来るのをアイナは感じていた。ユウにしてもリンにしても、笑顔が凶悪なのだ。その笑顔だけで世界征服が出来るんじゃないか、とアイナは本気でそんな事を思う。
「リンだよ!」
バッと手を広げて、リンが叫ぶと、その顔からぱーっと笑顔があふれた。
ニコッ、というよりはニカッっという表現の方がしっくりくるだろうそんな笑顔だった。
「あ……あああの……アイナ、です――」
腰掛けたアイナはリンのそんな自己紹介に、手を膝の上にのせてもじもじとさせながらも、自分も自己紹介を返す。が、今まで黙りこくってたせいか、うまく声を出すことが出来なくて思わずどもってしまい、それがまた原因で唇をきゅっとかんでまた下を向いてしまった。
「お菓子、たべよう?」
アイナの側で、コトリと何かを置く音がして、ちらっと目をあげると、そこに美味しそうな焼き菓子と、覗き込むリンの顔があった。
「ひゃっ!」
間近で見たリンの大きな真紅の瞳と、小さな角、なによりそれが調和してしまう整った顔に、アイナは思わず息を呑む。
これほどの美少女ははたして帝都にいるだろうか。いや、世界中を回っても片手で数えれるくらいかもしれない。そんな奇跡のような顔を目の前にして、アイナはまた顔を赤らめた。
「あぅ……いた、いただきます……」
その言葉に満足したのか、リンはアイナを覗き込むのをやめて、自分の席に戻る。
一言でも会話出来たことが嬉しいのか、リンはニコニコ顔だ。
リンもずっと話をしたかったのかもしれない。一緒に馬車に乗っているときも、外の景色を楽しみながらも、ちらちらと自分に視線を送る、少女の視線は気になっていたはずだ。
けれど、話しかけるタイミングがつかめずにいたのかもしれない。
リンにとってはじめての同じ年くらいの子だから、どう接すればいいのかわかりかねていたのかもしれない。
リンもアイナもお互いに自分から話しかけることも出来ずにいたのだろう。
ようやく話すことができたリンがニコニコ顔であるように、焼き菓子を手に取ったアイナの顔もまたほころんでいた。
その日は、流石にアイナもリンもそれぞれ別の理由ではあるが、初日の疲れということもあって、夕食もそこそこに二人ともそれぞれの寝床で寝入ってしまった。
次の日、早くに最初の宿場町を出立したのだが、小さな二人はまだ疲れが抜けきらなかったのだろう。
馬車が発車すると間もなく、揺れる馬車をゆりかごにして、二人ともすぅすぅと静かな寝息を立てて寝入ってしまっていた。
ただ、昨日と違うのは、二人は同じ側の席に座って、寄り添うようにして寝息を立てていること。
馬車を御しながら、ユウはそんな後ろの二人に優しい微笑みを浮かべ、丁寧な運転を心がけるのであった。
愛らしい寝顔の二人を起こさないように――
皇帝の治める帝国の首都であり皇帝の根城であり、皇室のおかれる帝国城が中央にある、人口も世界でも随一を誇るにぎやかな都。
帝都は大きく分けて、中央の帝国城、それを囲むように貴族と呼ばれる階級の高い者達が住む高級街区、さらにそれを囲むように商店やギルドのならぶ商業区、そしてその周りに一般の帝国臣民が住む一般区、と円状にすみわけがなされている。
一般区の外は軍管区が広がっていて、広大な面積と共にその全てを囲むように塀が築かれている。
塀の入り口は東西南北の4つあり、そのいずれにも帝国軍の駐屯地がおかれている。
また、これまで紹介した各区画にも兵士の詰め所がおかれていて、治安の維持や外敵からの攻撃に速やかに対処できるように整備されている。
特に高級街区と商業区の間は警備が厳しい。ならず者を身分の高いものに近づけないための措置である。
魔物や魔族の中には空を飛べるものもあるが、帝都でもそれに対抗し空からの攻撃に対しても魔法や飛び道具で応戦可能なように専門の兵や宮廷魔導師、その弟子などが各詰め所に配備されていたりもする。
それはさておき、この日、ユウは一人で帝都のとある料亭にいた。
リンは冒険者ギルドのマスター夫妻に預けてある。
今日は先日失礼な客がもたらした護衛の仕事についての打ち合わせにと、依頼主である貴族から招待を受けたのであった。
リンを同伴させてもかまわないということであったが、難しい話にもなるだろうから、とりあえずユウ一人でやってきたのであった。
料亭は「天花菜取の銀狐」を思い起こさせる東国風の造りで、丁度高級街区と商業区の境目の通路に接するところにあった。おそらく高級官僚や貴族達も利用するのであろう、立派な造りになっていてユウが通された部屋から見える中庭も設置されている。
そこでツクシのところでも常備してあったお茶を出され、貴族の到着を待つようにと言伝られた。
お茶をすすりながら中庭をみていたユウだったが、高級料亭ということもあってか、なんだか落ち着かない。見た目にはそわそわしていたりするわけではないのだが、なんだか心がざわつく。
ただ、嫌な予感とかではなく、とにかく慣れないのだ。そうしているとなんだか待っている時間がとても長く感じられて、まだこないか、どれくらい時間がたったかと思っても、ほんのわずかしか時間がたっていなかったりして、自分はこんなにも落ち着きがなかったか? なんて思ったりもして。
時間的にはそう長くはなかったのだが、件の貴族がやってくるまでの間にユウは少し疲れを感じてしまっていた。
それでもそんな表情はおくびにも出さずに、ユウはツクシに教えてもらった正座という座り方で貴族を待つ。
余談ではあるが、このときの様子を見ていた料亭のツクシと同じ国出身の従業員は、「故郷の知り合いの誰よりも綺麗な正座だった」と述べている。
ユウにとっては、非常に長く感じられた時間だったが、ユウが部屋に通されて間もなく、依頼主である貴族も到着した。従業員がユウの正座の綺麗さに目を奪われている頃、貴族は馬車を降りて、料亭の入り口でユウが既に到着している事を聞き、すぐさま部屋へと向かった。
「おお、勇者殿。お待たせしてしまったようで申し訳ない」
ユウが神妙な面持ちでお茶を飲んでいると、木で作られた扉をがらりと開けて、少し恰幅のいい、中年にさしかかるくらいの年齢の男が開けた扉越しに一礼した。店に依頼を持ってきた男の様子から、どんな暴君が来るのかと、ユウはそんな風に思っていたのだが、やってきたのは、貴族にしてはあまり偉ぶる感じもなく、流石に上物の衣服やアクセサリーを身につけているが、派手すぎず、落ち着いた印象を受ける人物であった。
その貴族の足元に、隠れるようにしてちらちらとユウを見ている小さな影があった。
「いえ、私も今きたばかりです」
ユウも貴族に習って一礼する。
流石に、ツクシから聞いていた「三つ指をついて、鼻をたたみにこすりつけるように」みたいな仰々しいものではなく、軽い一礼だ。
むしろ、東国風の料亭ではあるが、ここは帝都なのだから当たり前なのだが、どうしてもあのツクシが見せてくれた仰々しいお辞儀がユウの脳裏をかすめていくのだった。
「改めまして、私はノール=アール公爵と申します。これからよろしくお願いします、勇者殿。さ、お前も挨拶なさい」
ノールの呼びかけに隠れるようにしていた影が、貴族の前に姿を現した。
背丈も年齢もリンと同じくらいだろうか。
少し恥ずかしそうにはにかみながら出てきたのは、小さな女の子だった。シックな黒のドレスで、やはり派手ではないがどこか気品のある服。ノールとはあまり似つかない端正な顔立ちに、今貴族の間で流行っているらしい髪型で、金髪の毛先を丁寧にロールしてある。
そういえばリリーもこんな髪型だったような気がする、とユウは元気なお嬢様冒険者の事を思い出す。
「は、はじめまして、勇者様……の、ノールの娘のアイナです……」
躾もしっかりしているのだろう、アイナは公的な場でなされる貴族流の挨拶をしてみせた。
頭を軽く下げるときに、ロールした髪がふわりと舞って、髪質のよさが窺える。癖っ毛気味な自分の髪とくらべると本当に柔らかそうで、ユウは少しうらやましく思った。
「はじめまして、ノール様、アイナ様。私はユウと申します」
公爵、というくらいだから階級としては最上位に位置することになる。
流石に座ったままでは失礼に当たると思い、ユウは片膝をついて、頭を下げ、一礼した。
正直に言うと、あの失礼な客の主人であるからと警戒していたユウだったが、公爵という高い地位にありながらも、礼を尽くすことのできる人物だとわかり少し安心を覚えた。
そして、ノールがアイナをつれてきたのをみて、リンの同席を薦められた理由にも思い至った。
「ありがとうございます、勇者殿。それでは、まずは、料理の方をいただきましょうか。」
ノールとアイナはユウの真正面に座り、パンパンと二回、拍手をうった。
すると、扉の向こうから「失礼します」と従業員の声がして、それからすぐに料理が次々と運ばれてきた。
テーブルの上に次々に並んでいく料理はどれもツクシの宿で見た料理に似ていたが、食材が違うらしく、色合いや作り方も少し違うようだった。それに加えて、何人もの従業員が次々に料理の皿を運んでくる様は、ユウもはじめてみるもので、リンがみたら喜んだだろう、とリンを預けてきたことに少し後悔を覚えながらも圧倒されてしまっていた。
ふと、アイナを見ると、おそらくアイナもまたここへは初めてつれてこられたのだろう、次々に運ばれてくる料理に目をパチクリさせていた。ユウの視線に気づいたアイナははにかんで下を向く。それでも上目遣いで自分をみているユウをチラチラとみていた。
その様子がとても可愛らしくて、ユウは思わず微笑んでしまった。
「っ!」
その微笑みをみたアイナは耳まで顔を赤くして完全に下を向いてしまった。
二人の周りでは、ユウの笑顔に公爵はため息をついたし、従業員も一瞬動きを止めて思わずため息をついていた。
ちらちらとユウを見るアイナが可愛くて、一方で、アイナはユウの視線が気になって、二人が周りの様子には気づく事はなかった。
料理が出揃ったところで、そもそもノールは護衛の依頼ということで、ユウを呼び出したのであったが、実際に勇者が足を運んでくれる事になるとは夢にも思わなかったと語り、感謝の意を込めて乾杯とした。
返事を貰ったとき、あるいは偽者かもしれないと疑ったが、勇者の様相なんかは帝国中で知られているからその確率は低いし、一時期偽者事件もなかったわけではないがすぐになりを潜めた。真似たところで、あの笑顔を体験してしまった後では、なるほど偽者など出回りようもない、とわかる気がするノールであった。
「いや、本当に申し訳ないことをいたしました。使いのものに聞いております。喫茶店を経営していらしたとか。それなのに、こちらの無理を聞き届けていただき、感無量です」
「あはは、いえ、まぁ、お客もあんまりこないお店ですし、丁度お店番も見つかりましたので」
「いえ、本当にありがとうございます」
改めて深深と頭を下げるノール。
貴族にしては随分腰が低いというか、折り目正しいというか。
もちろん、まったく悪い印象はないし、いやらしさとか影なんかもないから、芯からこういう人なのだろうとユウは思う。
何より、ノールの隣で、ノールを真似て頭を下げるアイナを見れば、人となりもわかるというものだ。
さて、ノールの話では今度10歳になる娘、アイナは、家庭教師の受けもよく大変優秀だとされているのだが、引っ込み思案で恥ずかしがりやなのだそうだ。パーティや公的な場でお披露目しようにも、恥ずかしがって出てこないし、その所為で同じ年頃の友達もいない。
出かけの際の護衛をつけるにも一苦労するという話であった。
そしてこの度、アール家の慣わしで、十歳になるアイナを一人でアール家大家長である、彼女の祖父の元へ挨拶に送らなければならないという。
これはアール一族の本家分家ともに行われる慣わしらしい。だが、もちろんこの引っ込み思案な娘を安心して預けられるような護衛はなかなかいない。
運の悪いことに、いつも彼女の護衛を担当していた女性騎士が、つい先日、寿除隊してしまっていた。
娘を送らなかったとしても、ペナルティがあるわけではないというのだが、やはり体裁も悪いし、また大家長自身もやってくる孫と、その道中の話を楽しみにしているというのだから、尚更行かせてあげたい。
そして、これを機会に引っ込み思案が少しでもよくなれば、という願いもあったのだが、いかんせん護衛の選任が出来ずにいたのだ。
アイナとしては、行きたくないわけではないが、そこいらに短い間でかけるのとはわけが違う、そこそこの長旅になるし、その間見知らぬ護衛がついてるのはなんだか生きた心地がしないのだ。
そこで思いついたのが、勇者の存在だ。
時々家にやってくる吟遊詩人や語り部が話すユウの物語は、アイナにとっては、数ある勇者の冒険譚の中でも一番のお気に入りだった。活躍もさることながら、やはり一度は勇者の笑顔に包まれてみたいとも思う。
生きた伝説、勇者ユウ。彼女なら、彼女の笑顔に包まれたならきっと、祖父の家への長い道中だって大丈夫。勇者様なら自分の人見知りだってへっちゃらだ、とアイナは言った。
そして、彼女のとびきりの笑顔を向けられてみたい、と夢のように思っていた。
その夢はついさっき叶ったわけなのだが。
とにもかくにも、アイナは勇者の護衛がいいと駄々をこね、さすがにそれは無理だとノールは思ったし、一度は諭しもしたのだが、やるだけはやってみようと行動した事が功を奏したのかもしれない。あるいは偶然や奇跡が重なったのか、それともアイナは神に愛されているのかもしれない、などと思いながら、ノールは勇者の奇跡の来訪を神に感謝するのであった。
*
高級な馬車ともなるとこうまで違うのかとユウは驚いた。
これまでユウが乗った事のある馬車といえば、荷馬車だったり乗り合い馬車だったり、思えばこんな高級な馬車に乗るという体験はまさに初めてであった。
隣国国王のパレードの時の馬車はオープンだったし、乗り心地よりも派手さを前面に出していたから、正直乗り心地が良かったとはいえない。
それに比べれば、アール侯爵が普段使っているというこの馬車のなんと乗り心地のいいことか。見た目が豪華なだけでなく、細部に気を使ってある。
たとえば客車のクッションはふかふかで、多少車輪が跳ねたところで、衝撃がほとんど来ない。それだけではない。ユウは今御者台で手綱を握っているのだが、この御者台にもほとんど振動や揺れがこない。もしかしたら客車よりも振動が少ないかもしれない。
馬もよく慣らされているし、この手綱での操縦も非常にしやすい。
馬車など運転したことのなかったユウでも、すぐに出来るようになったしまったほどだ。
とはいえ、ユウには神託勇者の力があるから、人よりコツをつかみやすいのかもしれないが。
車輪にも何か秘密があるのかもしれない。
衝撃や振動が車輪のところで押さえられているような、そんな感じを受ける。
そういえば、アール家は元々馬具を扱う事業をしていたと聞いたことがあることをユウは思い出した。
おそらくこの馬車の開発にも何かしら関わっているのだろう。
客車は完全に雨風が避けれるように、箱型になっていて、四方に窓がついている。
御者台の中からも客車の中が窺える。
ちらりと客車の中を見ると、中にいる二つの小さな姿が見える。
一人は護衛対象であるアイナ、そしてもう一人は小さな角を持った小さなオーガ族の娘、リンだ。
アイナは終始下を向いて、時々リンの方をちらちらと見ている。
先日、料亭でユウをちらちらみていたように。
一方のリンはというと、窓の外の流れる風景を眺めたり、ふかふかのソファの感触を確かめてみたり、寝転がってみたり、どうやらユウと同じく高級馬車に驚いているようで、どことなく落ち着かないようだ。
ふと、アイナの方をみるが、その時ばかりはアイナもちら見をやめて、硬直したように下を向いてしまう。
そんなアイナの様子にリンは首をかしげたりもするが、すぐにまた外を眺めたりソファに寝転がったりする作業に戻る。
今日の行程は、このまま馬車でこの先にある宿場町まで移動する予定である。
朝早く帝都を出発して、既にもうお昼が過ぎた。
予定では、帝都から三日ほど街道に沿って南下すればアール家本家のある街につく予定だ。
移動は全て馬車、宿場町から宿場町までを朝昼をかけて移動し、あらかじめ予約した宿で宿泊。
三日後の昼ごろにはつくだろう、とノールは話していた。
本家にて一日滞在した後、また三日を掛けて戻る。
その間の護衛はユウとリンのみ、となっている。
ユウにしてみれば、リンもまた護衛対象になりうるのだが。
そして、護衛対象である二人は、一人は客車の隅で微動だにしないし、もう一人はせわしなく動き回っている。
整備の不十分な街道は、小石が落ちていたり、轍が酷かったりして、さほど速度をだしていないにもかかわらずよく跳ねる。
そのたびに、リンはソファから一瞬浮き上がる感覚を楽しんでいた。
アイナはというと、硬直した姿勢のまま同じように浮き上がって、またそのままの姿勢のままソファに沈み込む。
何が起こっても石のようにうごかないのではないのかという不安と、ある意味でその不動の意志は賞賛に値するかもしれない、なんてユウは考えていた。
(人見知りを治すのは……むずかしいかもね)
既に馬車に乗り合わせて結構な時間がたったけれど、アイナは微動だにしないし、リンの視線を受けたときも、下を向いてばかりいる。
人見知りなんて、そうすぐに治るものではない事はユウにもわかる。
けれど、これを切欠に少しでもよくなればいいなぁ、なんて、ユウは少し無責任かとも思いながら、そんな事を考えていた。
そして同時に、リンに同じ年齢くらいの友達を持つチャンスなのでは、という思いもあった。
思えばリンを預かって以来、基本的にはユウとばかり過ごしてきた。
出来るだけリンのしたいことをさせてきたし、出来るだけ甘やかさず、厳しくなりすぎずに気をつけてきたつもりもある。
しかし、この年齢の頃に同世代の友人を作り、そこで遊んだり一緒に何かをしたりすることで、さらに学べることが沢山あるはずなのに、それだけはユウもどうしようもなかった。
店をあんな辺鄙な場所に構えなければよかったのだろうけれど――
パティやトリシャ、リリーやホヴィなど、年齢が近いものも客の中にいなくもないのだが、彼らはリンからみれば全員年上だから、友達、というような感覚はリンにないかもしれない。アイナは、リンと同じく十歳になる。いや、今年十歳になるのだから、実際はリンより一つ年下ということになるか。
リンにとっても、初めて自分と同い年くらいの子と一緒に過ごす時間になるはずだ。
最初にリンをアイナに紹介したとき、ユウには心配があった。
それもそのはず、見た目がいくら人間に近いとはいえ、リンには角があり、人間でなく異形種であることはすぐにでもわかってしまう。
出立に立ち会ったノールは目を丸くして、少々不安な表情をみせていたが、アイナはノールの後ろに隠れて、はにかみながらちらちらとユウと、そしてリン、それにリンの角を珍しそうに見ているだけで、そこに怯えやら恐怖といった感情は見て取れなかったから、ユウも少しは安心を覚えるのであった。
とはいえ、リンもアイナもあの調子だから、一体どうなる事やら、とユウは思わずため息をついてしまう。
ガラガラと軽快な音を立てて馬車は進む。
夕暮れが差し迫った頃、最初の宿場町が見えてきた。
「見えてきたよー!」
ユウは振り返って引き戸になっていた窓を開けて、客車の二人に声を掛けた。
「おおー」
ユウのその声に、すぐさま窓をあけ、身を乗り出すようにして馬車の進む方向を眺めるリンが思わず感嘆をもらしていた。
リンの見る先には、少し薄暗くなってきた空に、街灯や家の明かりがつき始めた暖かな光が満ちる街があった。それもまた、リンにとっては新鮮な景色で目を輝かせて見入っている。
一方、そんなリンをまたちらっとみて、すぐに下を向いて固まるアイナ。
「リン、落ちないように気をつけてねー。アイナちゃんも見てごらんよー」
ノールの話では、アイナは基本的に帝都から出たことがないということで、ぜひこの機会に宿場町や外の景色を見せてやってほしい、と頼まれていた。
(うぅん、本人次第なんだけどなぁ)
声を掛けてみても、アイナが動く気配はない。
代わりに、アイナの分までリンが窓と窓を行ったり来たりしている。
結局、アイナは席から動くことも、一言も発することもなく宿へとたどり着いてしまった。
馬車を預け、二人を伴って宿に入るユウ。
リンは初めての街、初めての宿に目に入ったもの、気になったものをあれはなんだろうとか、これは知ってるとか、そんな風にキョロキョロと見回しては目を輝かせている。
ちょろちょろと動き回るリンに、角を隠させているフードがとれないかと、ユウはちょっとヒヤヒヤして見ていた。
宿は、目を引くような豪華さだとか高価そうな調度品が置かれているようないかにも高級な宿ではなかったが、落ち着いていて、古風な感じがする、どこかツクシの宿や先日の料亭を思わせる雰囲気の立派な内装であった。
リンとは対照的に、アイナはただ下を向いて黙ったままでユウの後ろをついてきている。
動き回るリンに時々ちらっと視線を送っているが、宿の内装に気をとられているリンはその視線に気付く事はなかった。
チェックインを済ませ、部屋へと案内される三人。
スイート、とまではいかないが程ほどにランクの高い部屋だということは、内装や家具などの調度品の良さから窺える。
「ふかふかー」
リンがベッドに身を投げると、あまり跳ねることなく、ベッドに沈んでいく。
ユウの家のベッドだって、そう安物ではないのだが、比べ物にならない柔らかさだ。
ただ柔らかいだけでなく、完全に沈みきらず、わずかな反発もあって、腰を痛めないような工夫がなされているようだった。
部屋にはそんなベッドが二つ、部屋の左側と右側にそれぞれ据え付けてあって、その間には小さなテーブルがおかれてある。左側にはユウとリン、右側にはアイナが寝ることとなって、それぞれ荷物の整理をしているのだが、部屋の中央、ベッドの間に置かれているテーブルの上に、三人の到着にあわせて入れておいたと思われるコーヒーとお茶菓子が置いてあるのをリンは目ざとくみつけると、ベッドから這い出て、いち早くそのテーブルについた。
「あはは、お茶にしようか?」
そんなリンに思わず微笑んで、荷物を整理しているアイナにも声を掛ける。
「へっ? あっ、ひゃい!」
急に声を掛けられて、素っ頓狂な声を上げてしまうアイナ。
ユウとリン、二人の視線を浴びて、さらに自分の素っ頓狂な声に、見る見る顔が赤くなっていく。
アイナ自身顔から火が出そうなほど頬が熱くなっているのがわかって、荷物もそのままにベッドに腰掛けたまま、こぶしをぎゅっと握って下を向いたまま固まってしまっていた。
「大丈夫、大丈夫だよ」
ユウが優しいトーンでアイナに声を掛ける。
恥ずかしさのあまり少し涙目になってちたアイナだったが、その声にはっとして顔をあげると、テーブルについている二人が、優しく微笑みながら自分を見つめていた。
「あ……」
二人の笑顔は、なんだか、自分を優しく包み込んで、心の奥からじわりと暖かいものが広がっていくような、そんな風に思えた。
恥ずかしさだとか、緊張だとか、そういうものがまだ抜け切ってなかったけれど、アイナはぎこちなくベッドから立ち上がってテーブルへと歩いていく。
二人は何も言わず、優しい微笑みを崩さずその様子を見守る。
(この二人と、この二人とならお話をしてみたい、お友達になりたい……!)
そんな想いを秘めて、アイナは一歩一歩ユウとリンの元へ歩いていく。
片方は勇者という雲の上の存在、そして片方はオーガの娘という異形の者であったが、今のアイナにはそんな考えはまったくなくて、ただ自分に優しい微笑を向けてくれる二人の女性とお近づきになり、他愛もない話をして、一緒に笑いあいたい、と、その想いだけで歩みを進めていた。
アイナがテーブルにたどり着いたとき、ユウもリンもニッコリと笑った。それは、アイナがこれまで目にしてきたどんな笑顔よりも素敵な笑顔だった。
ただでさえ熱を帯びた顔が、さらに熱くなって来るのをアイナは感じていた。ユウにしてもリンにしても、笑顔が凶悪なのだ。その笑顔だけで世界征服が出来るんじゃないか、とアイナは本気でそんな事を思う。
「リンだよ!」
バッと手を広げて、リンが叫ぶと、その顔からぱーっと笑顔があふれた。
ニコッ、というよりはニカッっという表現の方がしっくりくるだろうそんな笑顔だった。
「あ……あああの……アイナ、です――」
腰掛けたアイナはリンのそんな自己紹介に、手を膝の上にのせてもじもじとさせながらも、自分も自己紹介を返す。が、今まで黙りこくってたせいか、うまく声を出すことが出来なくて思わずどもってしまい、それがまた原因で唇をきゅっとかんでまた下を向いてしまった。
「お菓子、たべよう?」
アイナの側で、コトリと何かを置く音がして、ちらっと目をあげると、そこに美味しそうな焼き菓子と、覗き込むリンの顔があった。
「ひゃっ!」
間近で見たリンの大きな真紅の瞳と、小さな角、なによりそれが調和してしまう整った顔に、アイナは思わず息を呑む。
これほどの美少女ははたして帝都にいるだろうか。いや、世界中を回っても片手で数えれるくらいかもしれない。そんな奇跡のような顔を目の前にして、アイナはまた顔を赤らめた。
「あぅ……いた、いただきます……」
その言葉に満足したのか、リンはアイナを覗き込むのをやめて、自分の席に戻る。
一言でも会話出来たことが嬉しいのか、リンはニコニコ顔だ。
リンもずっと話をしたかったのかもしれない。一緒に馬車に乗っているときも、外の景色を楽しみながらも、ちらちらと自分に視線を送る、少女の視線は気になっていたはずだ。
けれど、話しかけるタイミングがつかめずにいたのかもしれない。
リンにとってはじめての同じ年くらいの子だから、どう接すればいいのかわかりかねていたのかもしれない。
リンもアイナもお互いに自分から話しかけることも出来ずにいたのだろう。
ようやく話すことができたリンがニコニコ顔であるように、焼き菓子を手に取ったアイナの顔もまたほころんでいた。
その日は、流石にアイナもリンもそれぞれ別の理由ではあるが、初日の疲れということもあって、夕食もそこそこに二人ともそれぞれの寝床で寝入ってしまった。
次の日、早くに最初の宿場町を出立したのだが、小さな二人はまだ疲れが抜けきらなかったのだろう。
馬車が発車すると間もなく、揺れる馬車をゆりかごにして、二人ともすぅすぅと静かな寝息を立てて寝入ってしまっていた。
ただ、昨日と違うのは、二人は同じ側の席に座って、寄り添うようにして寝息を立てていること。
馬車を御しながら、ユウはそんな後ろの二人に優しい微笑みを浮かべ、丁寧な運転を心がけるのであった。
愛らしい寝顔の二人を起こさないように――
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